神刀人鬼

神取直樹

突然

 歌を、聞いていたはずだ。カッコいい、美男を、見ていたはずだ。見とれながらも、聞き入りながらも、隣の兄の手を離していなかったのだ。それは今そこにある事実として確実なことだ。だがそれでも、大勢の人間がそこで数人の人間に目を合わせようとしていたという事実が、自分が見ていたはずの事実が、ぱっと思い出すことが出来ないのだ。それくらいにこの場は狂っていた。
――――何故、私はお兄ちゃんに抱きしめられているんだろう。
 愛は聡が懸命に目を塞ごうとしているのを知ってか知らずか、無理矢理に隙間を作り出して辺りを見渡した。もう何が何だかわからないのは当たり前で、まだ十年しか生きていない彼女は見たことも無いものしかないのだから、生きた心を失っているのはまた当たり前だ。
――――何故世界がこんなにも、紅いんだろう。何故、皆いないんだろう。
 何処にも人が居ない。居ないわけではない。昨日、腐って捨ててしまった生肉のような、この前学校で木から落として潰れた柘榴のような、そんな塊がいくつかある。居るのではなく、ある。存在している。それが臓物であることに彼女はきっと気が付かないだろう。そんなもの生まれて一度も見たことが無いのだから。
「愛、愛……見ちゃ、駄目だ……」
「もう見てるんだけど……ねえ、苦しいんだけど」
 壊れると人間と言うのは何もかも平気になってくるらしい。正常な人間であるほど崩壊は早い。兄妹のどちらが壊れて朽ち始めているのかは最早よくわかっていなかった。

「良い歳した『お兄ちゃん』が妹に落ち着いて慰められてちゃあ駄目やろ」
 突然声が聞こえ、愛は冷静に、聡は本能的に声の主を探した。探したと言えど、その男は聡の目の前に、愛の方向から見れば正面にいた。すらりと背はそれなりに高く、染めているのだろう金髪で、今時の若者と言うような風貌。聞きつけた声は低めの青年の声。全体は人間の姿だ。姿は普遍的な若者なのだ。
 なのに雰囲気と言うのだろうそれが、『恐ろしいほどに』という言葉が似合わない程に、二人の恐怖心を駆り立てた。背筋が凍りつくと言う言葉が似合う。話しかけられたときに感じたのは脊髄に添って指でなぞられたような感覚だった。
「いやあ、この兄妹面白い顔してくれるやん。どや? 俺にも風格あるやろ?」
「私には感じられないが。こいつ等が根性無しなだけだろう」
 男の後ろにいた女性が答える。女性は妙な圧迫感があったが、男のような存在しているだけで恐怖心を駆り立てるほどではなかった。
「ともかくそれは使えるんだろう? 王ではなく人間なのだから、丁重に扱わなければ直ぐに壊れるぞ。それが王の破壊に繋がったりしたら全て台無しだ」
「せやねえ。使えはするわ。それはあっち側の隊長さんもみたいやったし、あとは解剖魔と合流するだけや。ま、邪魔が入らなきゃやけど」
「その邪魔を対処する人間が何処かへ行ってしまったようだが」
「知らんわ。その辺で遊んどるんちゃうか。寄せ集めやし、仕方ない」
 解剖魔、という言葉に聞き覚えがある。確か巷を騒がせている連続殺人鬼だ。最近は物騒で、切り裂きジャックを名乗る殺人鬼もいる。このテロリストたちはそう言うものの集まりなのだろうか。それならばいくらか合点がいく様な気がした。
「ハールーちゃーん。お楽しみの奴らにちょっと制裁入れといてや。俺、ここ離れられへんから」
 男の方が上の方に向かって叫んでいる。すると少しの間を開けて彼の丁度真上に当たる天井から、ガサガサ音がした。鼠や猫にしては大きい。重さのある音だ。音が収まると、天井の通気口から生白い綺麗な手が伸びてきた。
「……もうやった」
 少し幼い、アルト声がその手の上から聞こえる。手は生白いが、その細い指先に付着している紅いものは血液だろう。
「何やあそんどったのはお前の方かい」
「……違う。アイツ等が先に刺そうとしてきた」
「そいつの名前は」
「切り裂くジャック」
「うっわ、俺等と被っとるやん。良いわそのまま息の根止めとき。その子は悪い子やから」
「わかった」
 すかさず手は天井に吸い込まれ、消えた。その先でその悪い子がどうなったかは大体予想がつく。考えるのは止した方が良いと、脳が警告している気がした。それでも想像してしまう。先程の手はどんなふうに殺すのだろう。臓物を引きずり出すのか、水に沈めるのか、落とすのか、弾を脳髄に打ち込むのか、焼くのか。不思議とその情景を思い起こしてしまう。人間は非日常に三時間ほどで慣れてしまうらしい。目の前で起きたことを今、愛は静かに、確かに受け止めている。その思考を止めず、彼ら殺人鬼を見ていた。
「嬢ちゃん、俺等に何か付いとるか?」
「いいえ、そうじゃないわ」
「じゃあどうしたんや。お兄ちゃん心配しとるで?」
「知らないわそんなこと。ねえ、貴方に聞きたいことがあるの」
「何や。時間が来るまでなら答えたるよ」
 その答えを待っていたように、愛は溜息を吐いて近くのベンチに座ろうとした。が、肉塊が邪魔で、座ることはなかった。仕方なく一番汚れの少ないベンチの隣の壁に凭れ掛かって、また深めの溜息を吐いた。
「貴方達の名前は?」
「俺は出雲風太。そこの可愛い女の子は橘みどり。さっきのお手々お化けが日立春馬。あと、嬢ちゃんの大事な大事な羚君を探しに行ってるのが風野水咲。あぁ、放送室に妹の風野瑞樹がおる。もう一人、援護に石原淳史ってのがおるわ」
「……多いのね。それぞれどういう殺し方をしてるの?」
「んな物騒なこと言うんかい。怖い怖い」
「ちゃっちゃとしないとこっちは舌噛みきって死ぬわ」
 表情の抜け落ちた愛の顔に驚いている出雲は、冷や汗を掻く。それを見た愛は内心で勝ちを決め込んだ。そして、王手をかける自信を持った棋士のように少しだけ微笑む。
「いやいや、恐れ入るわ。嬢ちゃんが死んでもうたら羚君も死んでしまうやろうしな。えぇで、俺達のこと全部教えたる」
「そこまで欲しくないわ」
「そんなけったいな。ええか、俺と春馬は今では合わせて『切り裂きジャック』とか呼ばれとる。その前は俺が『水殺魔』で、春馬が『赤い切り裂き魔』な。水咲は『解剖魔』とか。妹の方は『ブランヴィリエの令嬢』とかええ名前つけてもらっててな。みどりちゃんは『ミス・カタリナ』とかやったっけ? あぁ、シンプルな『爆弾魔』て呼ばれてるのが淳史君や。後で顔見せてもらい。普通の子やから」
 饒舌に語る語る。クルクルとティースプーンを回すように軽やかに笑いながら、狂いながら語っていく。一つ言うなれば、彼はとても楽しそうだった。いかにも殺人を犯すというような人間には見えなくなっていた。気が付けば聡も気を抜いている。あの恐怖心は何処かへと行っていた。
「そんで俺等の目的は、幕府に加入すること。それに関して嬢ちゃん達を巻き込んでしもうたんよ。本当は羚君とそのお母さん攫ってしまおうと思ったんやけどな、死んどるやん? なら、嬢ちゃん達しかおらんとおもったんよー」
 ごめんなー、と子供をあやすような声で言うが、理由は支離滅裂である。何処までも幼稚で、不確かな。そもそも幕府なんてのに自分が関係しているとは思っていない。幕府なんて知らない。知っているとすれば、その昔のこの国の統制機関であったことだけだ。武士がこの国を治めていた時代の、とてもとても古い時代の言葉のはずだ。その期間になぜ今、現代で加入などという言葉が出てくるのかが解らない。愛が小難しい顔をしていると、出雲の携帯が鳴った。
「誰やろうね」
 玩具を取られた子供のように表情を変化させた彼は、携帯をポケットから取り出すと、画面を見る。そして、眉を顰めた。
「…………」
「どうした」
 みどりが声をかけると、更に低い声で唸る。

「あぁ、本当に邪魔や。邪魔過ぎて腹が立つ。邪魔邪魔邪魔邪魔、邪魔!」

 さっきまでの事は何も無く、リセットされてしまったように、出雲はホールの中に飛び降りた。何か考えている様子でもない。目で追って、行く先を確認すると、そこはデパートの入り口近くだった。手には血の色が濃く着いたバールのようなものをいつの間にか持っており、明らかに誰かを殺す目をしている。恐怖心が舞い戻った。
「政府だな。一旦ここから逃げるぞ」
 愛の細い手首をみどりが掴み、走り出す。それを懸命に聡が追った。走って走って走って、咲は何があるかわからない。必死に走っているからか、疲れは無い。
「鎌田兄妹みーっけ」
 が、障害はある。きっと人ではない。そんな雰囲気が漂う少年が、上から降りてきた。というよりは落ちてきたようだった。柔らかい茶髪に、鹿の角。まるでファンタジーの世界から落ちてきたような、そんな少年だ。
「着いて来てもらえないかな? そこの橘みどりさんと一緒に」
「誰だ。名乗れ」
 みどりのドスの効いた声で、少年は一瞬躊躇したようだった。だが直ぐに気持ちを立て直したか、ニッと口角を上げる。
「それはまた今度にしてよ。後ろ、ガチでヤバそうだから」
 バタバタとスニーカーで全速力で走る音がする。というより、確かに走っているのが見えた。出雲が焦った表情でこちらに向かって走っている。
「ぜ……」
 顔を上げて涙目の彼は口を動かして何か伝えようとしている。それを聞きつけている鹿のような少年はもう闘争の構えを見せていた。だが、愛は反応しきれていない。
「全員逃げろおおおお!」
 突然の爆発と共に、出雲の背後にいた兵士のような男たちは炎の中に消え失せた。

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