神刀人鬼

神取直樹

美化

「よろしゅうなあ、食人鬼の『銀狐』さん。俺、アンタのファンやねん」
 にやにやと、何が面白いのか、出雲は昴を見てそう言い、目の前にあったティーカップを手に取った。それの中に入っている赤めの琥珀色の液体を一口すすると、手元の小さなグラスに入れられていた四角い薄桃色の、マシュマロに似たサイコロのような菓子をつまんで口に運ぶ。その指先をじろりと目で追って、昴は、一つ、溜息を吐いた。そして一瞬、朝治の方をチラリと見て、また永く重い溜息を吐く。
「……その菓子……ギモーヴって言うんだけどさ、生肉……内臓? に、こう、食感が似てるんだよね」
 目を逸らし、昴は言う。それを合図に、出雲はギモーヴを持った手を口の中に放り込む前に止める。
「たまに俺の人肉入りギモーヴだったりするから、気を付けてくれ。いや、その前にそのギモーヴはやめておいた方が良いと思う。なんか、臭い」
 出雲がオウム返しの如く「臭い?」と問うと、昴はそのまま続けた。
「人の匂いじゃなくて……何だろ、牛? 馬? 畜生の臭いなのは確か。つっても、腐敗した血液の臭いだけど。よくこんなの隠せましたね、師匠」
 昴は朝治をちらと見やる。そして出雲が、眉間に少し皺をよせる。
「何でそないなもん、俺の目の前に寄せてんねん。俺なんかやらかしたか? なあ、朝治さん?」
 すると、ふんわりと暖かだった朝治の顔の表情は、家畜を見るような、冷徹なものに変化していた。突然の扱いに、殺人鬼達が皆、ざわついていた。
「新人の癖に良待遇受けられてると思うなよ。蝦夷にお前らを連れていくのは俺の意思じゃねえんだからよ。神野が横やり入れてこなきゃ、受け入れなんてとっくに断ってたよ。些細な嫌がらせで一々喚くな……ってのが、俺の言い分」
 朝治は昴と似た息の仕方で、テンポを緩め、溜息を吐いた。
「そのギモーヴ、確かにお前らの方に寄せたのは俺だが、作ったのは俺じゃないからな。人間用の菓子じゃないのは確かだ。多分、武蔵野の誰かだろ。元々、蝦夷に原種の人間がいなかったからな。仕方がないと思え。必要なら少し時間をくれ。和菓子なら手持ちがある」
 すぐにハイテンポな言葉の羅列を始める朝治を見て、「流石ですね師匠」と呟き無表情になっていた昴は、その場を動かない。他の殺人鬼達はまだ馬鹿にされていると感じているのか、出雲は半笑いし、その右隣りでは淳史が不機嫌そうに、自らに巻かれた包帯や、ガーゼの部分を撫でている。特に殺人鬼達の中でも、出雲の左隣りのどこか見たことがあるが、知らない顔の金髪の少女は、出雲の持ったギモーヴが臭いという話題になった辺りから、朝治を睨み続けていた。
「そう睨むなサキュバス種。お前さんの相棒を馬鹿にしてるわけじゃなかろうよ。原種を下等として見るわけでもねえ。馬鹿にするわけではねえが、好きではねえんだよ。元来、蝦夷に所属してる種族は皆、人間の原種に迫害されてきた奴らが多いからな。そういう中で好待遇を望むんなら、そこのブランチヴィリエの令嬢みたいに、酔狂な奴に気に入られるこったな」
 まだ聞き覚えのない単語を並べながら、朝治は今までで一番、優等生が劣等生を見るような顔でそう言った。

 そんな、大人たちのよくわからない会話に付いていけなくなったのか、愛は羚の服の袖を掴み。くいくいと引っ張る。
「どうしたの、愛。服のびちゃう」
「そんなことどうだって良いのよ。アンタのお父さん、何言ってんだかよくわかんないわ。まるで前に母さんに読んでもらった小説の帽子屋みたい。座れと言っておいて、座る場所には変な銀色のもしゃもしゃがいるし、足が棒になっちゃうわ」
 小声での会話。お互いの目を見、部屋の中には聞こえぬように、直ぐにでもそこから立ち去れるように、二人はささやかな秘密の話に耽っていた。が、部屋の中で起きる小さな争い事を見ていたのは、二人だけでない。その後ろ、彼らをそこから立ち退かせない理由が、二人の小さな小さな秘密を聞いていた。
「おいチビ共よ」
 黒い外套が、二人を包もうとする。黒い外套の男もまた、小声で、部屋の中に聞こえぬように、二人に目線を合わせるべく、跪いて口を動かした。
「暇だと言うなら、俺にちょっと着いて来ないか。ここの事、お前らの事、中で言われているような事、全部教えてやるからよ」
 愛と羚が首をかしぎているのを確認すると、彼もそれを追うように首をかしげて、頭の上にはてなの表示を出した。すると、男は部屋の中をチラリと見て二人の手首を優しく掴み、部屋の中からは見えない廊下の壁に誘導した。
「どうせ朝夜には聞こえてるだろうから、少し場所を変えよう。何、俺はお前たちを害しはしないし、質問には答えるつもりだ。俺は主人の愛娘に友人が出来そうなことに、少し興奮しているだけだ」
 彼は事故を客観的に喋るのが好きなのだろうか。淡々と、彼は、理由とも取れるが、理由とも取れない、そんな言葉を口にしていった。羚と愛の二人は、またお互いに顔を見合って、羚がほろりと笑みを零すと、愛も口元を緩めた。
「良いわよ、着いて行ってあげる。ただし、着いて行ってあげるのよ? 貴方を完全に信じたわけじゃないもの」
 愛がそう言うと、男は立ち上がり歯を見せて笑う。
「それなら良いな、お嬢、若様よ。俺は童子切。あの朝夜っつー娘の親父の、刀だ。今はそれだけでいい、着いて来い」
 男、童子切がそのまま歩いて行くのを、二人は暫く見て、羚が走り出すと、愛も走ってその場を後にした。後ろからもう一つ、スタスタと細かい足音も聞こえたが、誰もそれの正体を気にすることはなかった。

 ひと、ふた、み、秒ではなく分が経つ。それでもあの騒がしい部屋からは着々と離れて行っていた。相も変わらず、三人の後ろから、三人に合わせた一つの小さな足音と、機嫌の良い鼻歌が聞こえてきていた。愛はそれが気に食わないようで、チラチラと羚の方に目を向けては、後ろを向いてみないかと言うように訴えている。それを見た羚は暫くしてクスリと笑い、童子切の黒い外套の裾を掴んで後ろを振り返る。
「あの子、朝夜ちゃんだよね?」
 羚と愛が振り向き、同時に振り返った男は、後ろを着いて来ていた鴉の髪に血の目を持つ少女、朝夜を見て、小さく溜息を吐いた。
「……自分の藩に同い年の子が来て、嬉しいんだろ……朝夜! 来るならちゃんと隣に来い!」
 そう言葉を発した途端に、ガツン、と、朝夜のいた場所の足元から、コンクリートの割れる音がした。事実、彼女の居た場所には大小のコンクリートの破片が散らばり、ある程度遠くから見ても分かるくらいには、床に穴が開いていた。そして、羚と愛の目の前に、紅い二つの珠が降る。よく見ればそれは、透き通った美しい瞳だった。幼さなさの中に何か違和感を感じる、二つの瞳であった。
「案内! 俺もやる!」
 重力による勢いに任せて、朝夜はしゃがみ込む。目を細めて、笑い、三人を見上げた。
「良いだろ!? なあ! リョウとアイの事、俺ももっと知りたい! トモダチになりてえんだ!」
 な、な、な? と、笑いながら目をぱちくりさせながら、子供らしく上目遣いで童子切を見ている。その図は、親子そのものであった。
 近くで見る朝夜という少女は、遠くから見たときと同じく、艶やかで豊かな濡れ鴉の髪、深紅の瞳を持っている。そしてその髪を瞳の色と同じリボンでゆるく纏め、流していた。近くで見てようやくわかったことと言えば、彼女の顔は、羚と似ていて、声もまた、羚とそっくり同じであった。甘い、何か花や砂糖菓子の臭いを纏わせ、俺、という口調に似合わぬ、『女の子』であった。それよりもまた、雰囲気はおかしなものだ。服装の所為もあるのかわからないが、羚や愛と同じ歳であるらしいが、幼さにしては何か違和感がある。一部男性的であり、何処かに大人の女性のような雰囲気も漂わす。それらの根源が何処かはわからないが、それは確かだった。
 じろじろと見られるのを気に入らなかったのか、それとも彼女自身も二人のことが気になるのか、朝夜は童子切から目を離し、両隣りにいる二人の顔を交互に何度も見た。
「さっきも言ったけど、俺、朝夜な! お前らと一緒の蝦夷藩士! 新人だけど前線部隊なんだぜ! 凄いだろ!?」
 凄いかどうか、を聞かれても、二人にはまだよくわからない。それを察したか、童子切がまたもや溜息を吐く。
「そういう話は歩いて話そう。説明も一緒にな」
 朝夜を含めて二人から三人になった子供らは、皆、顔を合わせて頷き、一人は笑い、その一人に釣られてもう一人笑い、もう一人は頬を膨らませ、黒い外套を追う。
「まず、今俺らがいるのは幕府って国の、江戸ってとこだ。そういう地名だと思ってくれ。幕府ってのは東と西に支配者が分かれてるんだが、ここは東の支配者が住んでて、城がある。その城の一部がここだ」
 童子切は右手人差し指を壁に向けて、指し示す。どうやら、羚達がいる場所全体が、その城の一部ということらしい。
「この城の名前を江戸城。その下に広がるのが江戸城下町。城下町には武蔵野藩っていう、十人くらいで編成された、かなり小さい藩……藩ってのは、その地域の政治を担当する会社とか自治体みたいなやつな……まあ、その小さな武蔵野藩ってのがあるんだけど、空間移動で気絶して倒れてたお前らを運んでくれた木偶はその武蔵野藩にいる。後で会えると思うから、その時に礼を言っておけ」
 ここに来てから初めて見た、ガラスの無い窓に童子切が近づき、三人の顔を出させ、落ちないようにと羚と愛の首の襟を持つ。
 新鮮な空気をメいっぱい吸い、外の風景を眺める。

 そこは、驚くことばかりであった。

 窓の外の少し奥の方では、色とりどりの動く点が見える。恐らく、そこに住み、道を歩くモノ達の頭だろう。色々な言語、訛り、声が聞こえてきていた。市場のような場所らしく、あまり背の高い建物はなく、テントのようなものが大通りの両脇に広がっていた。
 最奥には都会のような高層ビルが建っている。黄色い煙か霧のようなもので覆われ、それらは霞がかって見える。
 何より驚いたのは、空である。空には太陽と白い雲だけでなく、大きな影がたくさん動いていた。蝙蝠のような羽に、爬虫類のそれと同じ大きな鱗、大きな目、恐竜を思わせる巨大な爪。所謂、ドラゴンと呼ばれるような、そんな生き物が、悠遊と飛んでいる。他にも、巨大なライオンに鷲の翼を生やしたモノや、ただただ大きい鳥もいた。馬に羽が生えたものもいる。猫が牽く犬ぞりのような車が、空を飛んでいる。そのどれにも、人の形をした様々な者達が乗り、多くの荷物が積まれていた。

「驚いただろ!」
 朝夜が大声で羚と愛に笑いかけた。
「飛竜にグリフォン、ペガサスにー……怪鳥類はいっぱいいてよくわかんねえんだけど、とにかくいっぱい、色んな奴らがいるだろ? あいつ等も俺らも含めて、ここでは神刀人鬼って呼ぶんだ。空飛んでる『乗り物』たちは、鬼か、それ以外の獣だな。俺は鬼神、童子切は刀、リョウは神人か、人神か、『王』か。アイは人だ」
 彼女の言うことは穴が多く、何を言っているのかはわからないことだらけだが、ただ、それがこの幕府では常識なのだと理解できた。
「神は、不老で、空間を操る術を使う、最も歴史の古い種族。刀――トウ――は、神、人、鬼に作られた、個人の意思を持つ道具のことを呼ぶ。種族としても見られることはあるが、それは基本的に、子を成せる、俺たちカタナだけだな。人形もトウと呼ぶ。人は、寿命を持つ唯一の種族。それ以外に何か特徴を上げるなら、神と同じで異世界への干渉をするのが得意なこと、それなりに種別の数が多いこと、召喚獣を呼べることくらいだな。鬼の方は、種別が最も多く、多種多様、色々な技術を生み出してきた。この国の大半がその鬼で出来ている。鬼神とか王ってのは、その四つの種族の混血の事だ」
 一つ一つ、丁寧に説明する童子切の言葉を、羚と愛は窓を背に、彼に目を合わせて聞いて居た。

 そんな時、背の方からバサリ、と、風を切る音が聞こえた。

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