神刀人鬼

神取直樹

鬼々

 鉄の臭い、血の臭い。どちらも同じなれど、同じではない。どちらも鼻を衝くが、咽るのは血の臭いだ。直接的に顔にかかるのだから、それは当たり前である。怒号と銃声が、耳をつんざく。鼻も耳も効かぬ。ただ、目の前にあるそれを斬り、撃ち、バラバラにしていくだけの単純作業。
 今、そこで起きているのはそういうことだ。
 城下町からは幾多の者達が消えている。商人でにぎわっていたはずなのに、今は、数多の軍人しか存在していない。上から見るその光景は、何かと不思議であった。羽がある者は空から、無いものは地上から。竜に乗り天より行く者もいるが、限られている。そして、一番不思議に思えたのは、先に行く者は皆総じて、喜々として走っていくことである。まるで、待ち望んでいたように、死の蔓延する阿鼻叫喚のプールに我先に飛び込んでいく。
「……君達、何やってるの?」
 後ろから、声が聞こえた。城の窓から外を見ていた羚と愛は、ハッとして振り返る。
 そこにいたのは、何処か見覚えのある、艶のある黒髪に金目の少年だった。
「羚君と愛ちゃん、だっけ。まだ本線が出て行かないし、面白くないでしょ」
 少年は、自分たちと同じくらいの歳に見えるが、嫌に大人ぶった口調で、二人に言った。その内容は、やはり、戦を楽しんでいるようだった。
「いこ、俺、面白い所を知ってるんだ」
 作ったような笑顔で、そう、口を動かす。まるで決まった台詞を言うようで、感情が無い。抑揚も驚くほどの更地。恐れすら感じられる。了承を示さなければ、恐らくは二人の前からいなくなることはないだろう。
「……俺、シグマ。怪しい奴じゃないよ。討伐隊の隊員なんだ。神野様がそうだって言ってた。年齢はお前らと同じくらいに相当する。多分」
 一々、一言一言が多いのだ。彼は。討伐隊、それも、神野彰の部下と自己紹介してしまっている。稚拙でゆらゆらとした、彼自身の存在が揺らめくように、それは薄っぺらかった。今ここで二人の出来る行動は、黙って口を塞いで、ただただ無反応を貫くことだけだ。彼らがもう少し成長すれば、それも出来ただろう。だが、羚は、幼く無様な少年は、口を開いてしまった。
「……シグマ、君」
「そう、シグマ。吸血鬼のシグマ」
「お姉さんいるよね」
「あぁ、いる。ゼイという名前の姉。俺を育ててくれた姉」
「大切なヒト?」
「……とてもとても大切、だ。お前にとっての、愛、という、そこの女と同じくらい。多分」
「そっか、それはそれは、凄く大切なんだね」
 そんな、何も生まない会話を続けていると、愛は羚の背中に顔を埋めて、両手で彼の服を掴む。少し汗で湿っていたこともあり、羚は、驚いて声を張る。
「愛! 駄目だよ愛! 汚いよ!」
 あわあわと、振り払うことも出来ずに首と口だけを動かす羚を見て、シグマは自然と微笑んでいた。
「……やっぱり、ホウコウセイは違うよ。大切だけど、『君達』とは違う。やっぱり、違う。お姉ちゃんは、家族だから。ガールフレンドじゃないからさ」
 声に山と谷が出来る。心底嬉しそうに、少年らしく、人間のように。明るい声が、喉の奥から引き出される。今まで出さずに消化されていた何かが、昇華される。雰囲気を読み取ったのか、シグマの言葉に反応したのか、その両方なのかはわからないが、愛も、シグマの目線を赤い瞳で捉えて叫んだ。
「ガールフレンドじゃないわ! 嫁よ! 羚は私の嫁よ!」
「……それなら、君にとっては羚君はボーイフレンドとか、彼氏、とか……」
「違う! 嫁! 羚は私のお嫁さん!!」
 ボロボロと、ついに泣き出す愛。より一層、羚の服を掴む力は強くなる。羚自身は、更に何が何だからわからなくなり、涙ぐむ。どうしたら愛の涙が止まるのか、そもそもなぜ泣いているのか、そして、自分は女でもないのに何故、嫁と呼ばれているのか。悩んで悩んで、頭はぐるぐると回転して回り、内臓が痙攣をおこす。
「愛っ……泣かな、泣か、ないっ……でっ! ヒグッ……僕が、いる、よ」
 自分が泣き出す。幼い脳味噌にはまだ早すぎる感情の計算速度。オーバーヒートを起こした脳を冷やす、少量の水。濁りの無い、純粋な、無色透明の液体。シグマにはそれが解らない。少しからかってみた、よく年上達がやっているおふざけを、ほんの少ししてみただけだった。彼自身も半分パニックを起こして、脳の機能停止に陥っている。自分が何をするべきだったか、思い出せないでいる。
 幼い子らの鳴き声と無心の共鳴は、ずっと廊下に響いていた。だが、終わらせねばならない。ずっと泣いてもいられない。ずっと考えないではいられない。
 コツコツ、コツコツ、と、廊下の遠く遠くから音が聞こえる。近付くにつれて、それはカラコロカラコロと、軽快な木材の音であることに気付く。三人はその方向へ、顔を向けた。泣き止むことも、考えの再開も出来ないが、それだけは出来た。
 黒い着物に黒い髪、全てが黒く、陶磁器のような白い肌が誇張されて、ぼんやりと見える。段々と正確になる。それの瞳が血のように赤いということ、その目の上に、同じ色の宝石、角があること。そして、その角ばった体つきから、それが男であること。
「……『オバサン』……?」
 彼は、あの、白い空間の中の鬼女によく似ている。角の配置も、瞳の色も、髪の色も、着物の着こなしも、ほぼ全てが一致している。一つだけ反対なのは、彼は男であること。僅かに違うのは、頬に赤い装飾があるにはあるが、とても目立たないということだった。
「オバサンたあ、酷いじゃねえか。俺は、男だぜ?」
 低めの声色で、落ち着く声で、彼はそう呟いた。彼は三人の目の前に立ち塞がって、上から見下ろしていた。近くで見れば見るほど、羚にはあの鬼女とそっくりだということが解る。
「よう、ガキンチョ。お仕事はしなくて良いのかい。今は戦争の時間なんだ。持ち場ってものはないのか」
 それを貴方が言うのか。どう見ても、貴方が戦場にいるべき者ではないのか。シグマはそう言おうと思っていた。けれど、自分の崇拝する、神野という男と重なって、何も声が発せない。
「……あぁ、そうか。討伐隊はまだ動いてなかったな。その二人を連れていくつもりだったんだから。当たり前か。フフフ、ジジイは思考の動きが鈍ってていけねえ」
 スッと、言葉に続けて動き出す。三人の、特に、羚に目線を会せるように、しゃがんで三人を見上げる形をとった。そして、そのまま続ける。
「よし、ジジイが連れて行ってやろう。どうせ死にやしないさ。まだその時じゃないんだものな。まだ、楽しんでて良いんだ。子供は笑っていて良いんだ。親の事なんて考えてなくていい。親に振り回されることなんてどうでも良い。今は、俺という大人に守られて流されろ。心配することはない」
 彼が言うことはあやふやで、何が何だかわからない。先程まで思考が止まっていたので、それを考える暇がない。三人とも、彼に振り回されるしか道が無い。そんな状態で、突然、抱えられて、空中を落ちて行っても、何も言えない。感じるのは、なんだかよくわからない嘔吐感。羚は鬼の腕の中で、愛が自分の手首を必死に握っていることに気が付く。自分がいまどんな状態になっているかわからずとも、愛が不安を感じていることだけは理解できた。シグマは鬼の首に腕を回して、何か喋ろうとしている。
「ははっ。ガキンチョ、悪いが今喋らねえ方が良いぜ。抱えられて飛ぶのに慣れてないのならな」
 堕ちていく。落ちていく。落下速度は計算できない。走馬燈のように、羚はあることを思い出していた。一度、自分は、こうやって高い場所から落ちたことがある。こうやって、誰かに抱えられて、速度に身を任せた覚えがある。いや、一度ではない。もう、慣れている。慣れるほどに、この感覚は、体験したことがあった。
「鬼さん、鬼さん」
 言うのが遅かったのだろうか。鬼は、着地の準備に入っていた。羚はそのときが一番危ないことを知っていて、口を閉じた。
――――ガツン、と、鬼の足が地面に叩きつけられる。履いていた下駄は落ちている間に脱ぎ捨てていたため、同時に他の場所で割れる音がした。
 そしてそのまま、鬼は走る。様々な者どもの、阿鼻叫喚の入り口に。地獄の蓋の前へと走る。周囲の者達は、自然と道を開けていた。何処かで、誰かが叫んでいる。多くの者がどよめいている。その声達は、抱えられていた三人には風の叫び声で掻き消えて、わからなかった。

 と、突然、その風も止んだ。
「ほら、着いたぞ。お前の父ちゃんのとこ」
 瞑っていた目を開き、愛の背をさすりながら、辺りを見回す。テントがいくつか点々とし、多くの軍服の者達がひしめき合っている。自分たちが奇異の目見られ、何やらぶつくさ言われていた。その中で、一角に、大変聞き覚えのある声を上げている集団がある。更には特徴的な銀髪が、一定のリズムで、こちらへひょこひょこと顔を懸命に出している。
「ほら、蝦夷藩はあそこだ。行け」
 鬼は強制的に、三人を下して、歩かせようとした。シグマはすぐさま何処かへと走り出し、それを羚と愛は目で追った。
「ねえ、鬼さん」
 最後の質問だと、何故だか羚には思えてしまって、フッと息を吐いた。
「何だい」
「あのね、鬼さん、名前は何て言うの。僕、貴方に会ったこと、ある?」
 突然の質問過ぎたのか、それとも、他に何か理由があるのかはわからないが、彼は、鬼は、目を点にして驚いていた。そして、目を細めて、優しい、優しい、顔をする。
「俺は、エギーリティンアインモ、お前らで言う、全てを理解する、了解するという意味の名だ。そして、俺はお前に何度も何度も出会ったよ。この自己紹介も初めてじゃない。初めてじゃ、無いんだよ、羚」
 涙を流す声が聞こえた。
「良いかい、前、お前は俺を、長ったらしい名前で呼ばなかった。だから、お前も、好きに呼んでいい。今度会うときで良い、好きなように呼んでくれ」
「……はい、ありがとうございます。エギーさん」
 そう言って、まだ途方に暮れている愛の手を取って、羚は未だ頑張ってこちらに手を振って、ジャンプを続けている昴の方へ向かった。案外、人混みは怖くはなかった。

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