私立五陵学園 特別科

柳 一

act.9 赤ずきん

 さゆりと千代は宗光に両脇に抱えられた状態で、大きく横にずれた。その刹那、二人がいた場所に大きくえぐれるような傷がついている。ほとんど本能に近い勘だったのだろう。宗光自身も驚いたようにその傷を見て、そして再び数珠を構えた。
 見えたのは大きな獣だった。大きな犬、いやあれはかつて禁踏の森で見たものとよく似ている。
「銀色の…狼?」
「だけじゃない。誰か狼に乗っている」
 銀色の狼が少し背を屈めると、その背に跨っていた影が地面に降り立った。
 女の子だった。歳はさゆりたちより少し幼いぐらいだろうか。金色の髪の上に赤いずきんを被っている。手には駕籠と、大きな斧を持っている。狼は彼女の足をひと舐めすると、先ほど雪女に襲われて動けないでいた男の一人の喉元にガブリと牙を立てた。
 男の声にならない悲鳴と、鮮血の出る音、そしてほどなくしてむせ返るような血臭がさゆりたちのほうまで届いてくる。さゆりは凄惨な光景に目を見開いて震えた。
『すごいわ。今夜はご馳走ね、ハーレル』
 金髪の少女は嬉しそうにそう言うとまだ蹲っている他の男に目を向けた。
『一人はここで食べて、あとはバラシて巣に持って帰ろ。その前に私、あっちの女の子の頬肉が食べたいわ』
『…あっちは霊力が高そうだな。もう片方の女はだめだ。妖だし、たぶん毒がある」
 ダメだと言われたのはどうやら千代らしい。宗光は標的になったらしいさゆりを自分の背の真後ろに隠した。千代はどうしたのか震えながら自分を抱きしめてしゃがみこんでいる。
「楠くん!千代ちゃんが!」
「…弓削、平気か」
「………ヘ、イキ…ちょっと…アタシに近づかないで…」
 何が何やらわからないさゆりは、千代が苦しそうなのを見て手を伸ばすが宗光によって阻まれた。
「楠くん!」
「…弓削には今は近づくな。本人もそれを望んでいる」
「でも…」
 狼は今も男の死体に貪りついている。ごりっむしゃりと響く音が耳に届くのが恐ろしくてたまらない。宗光の背中がだんだんと熱を帯びている。金髪の少女はケタケタと笑って千代を指さした。
『我慢しないで食べてしまえばいいのに』
 何を、何を食べるというのだろう。そんな疑問を浮かべた直後、宗光が数珠を大きく振るった。
「…お前は、食人鬼グールだな?人間を食べて妖になった元人間だろう?」
 宗光の言葉に金髪の少女は手を叩いた。
『正解~!初めまして、私はアリシア。ある人には赤ずきんって呼ばれてるわ』
 彼女は芝居がかった動作で、自分のスカートの両端をつまんで一礼して見せる。可愛い顔は歪んだ笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「この国で妖が人間を襲えばどうなるかわかっているか?」
『ええ、知ってる。白雪とかいう女に裁かれるんでしょ?私、その白雪ってのに会いにこの国まできたの』
「学園長に?」
『…私にこのずきんをくれた人が教えてくれたの。白雪の肉はこの世で一番美味しいんだよって』
「…なんだ、と?」
『…禁断の実を食べて千年生きる化け物。その肉を食べてみたくて』
 彼女は無邪気な笑顔でそう言ってのけた。千代の妖気が膨れ上がったのが、さゆりにもわかった。千代は苦しみ、そして怒っている。
『そこの妖の子、我慢しないでいいのよ?人間が食べたくて仕方ないんでしょ?』
「うるさいうるさいうるさい!!アタシは五陵の生徒なの!!アタシは人間を食べない!!」
 千代の声は涙を含んでいた。必死にこらえているのだ。食べたいという妖の本性と戦っている。さゆりはたまらず千代を抱きしめた。千代はいつだって明るく、さゆりのことを思いやっていた。そんな千代が苦しんでいるのを見たくなかったのである。
 千代はさゆりを抱きしめ返すとわんわんと泣き始めた。
「…この国の祓い屋として…貴様らを裁かせてもらうぞ」
 宗光は右手をかがげると霊力を集中させた。今ならさゆりにもそれがわかる。霊力は赤く形をなし、やがてそれは錫杖となって宗光に握られていた。右手に錫杖、左手に数珠を構えると、宗光はぶつぶつと何かを呟き始めた。狼が警戒し、アリシアを背に乗せる。これが彼らの戦闘スタイルなのだろう。
「オン!」
 錫杖がガツンと地面に立てられると、そこから大きな炎が生まれ狼に向かって走る。狼は寸でのところでそれをかわすと、牙をむいてぐるぐるとうなり始めた。アリシアという少女も斧を両手持ちに構え、宗光を真剣な表情で睨んでいる。
「やめておけ。お前たちの属性は金。俺の火に勝てはしない。苦しみが増すだけだ」
『やってみなきゃわからないわ。アンタをハーレルに食べさせて強くする!!』

 ウオォォォォォン!!

 吠えたのはハーレルではなかった。ハーレルのものではない鳴き声は音の衝撃となってハーレルとアリシアにもろに当たる。怯んだ彼らが見ていたのはさゆりたちの真後ろだった。
「迷子にしちゃ物騒なもん持ってるな。お嬢ちゃん」
 振り返った先にいたのは黒鉄だった。煙草を指に挟んでニヤリと笑って、カツカツと靴を鳴らしながら前に進んでくる。さゆりの腕の中でまだ嗚咽をあげている千代の頭を少し乱暴にくしゃりと撫でて、さらに前に進んでいく。
「で?誰が誰を食うって?」
『…アンタ…何者よ…』
「お前が食うって言ってた白雪のダンナだよ。五陵学園副学園長、黒鉄だ」
『アリシア、退こう。…こいつ強い』
『ハーレル!』
 黒鉄の方を再び見ると、そこにいたのは大きな黒い狼だった。ハーレルの体躯より数段大きく、妖力の大きさも段違いなのが見て取れた。ハーレルは黒鉄を睨みながらゆっくりと後ずさっていく。
『お前らをこの国に連れてきたのは誰だ?どうやって入ってきた?』
『…心当たりがあるんじゃないの?』
『……なるほどな』
 黒鉄がもう一度吠えようとした瞬間、ハーレルが壁を登って逃げて行った。黒鉄は追うこともせず、再び人の形に戻ると三人を振り返った。
「街に妖が出たらしいって聞いてまさかと思えば、お前らキッチリ巻き込まれやがって」
「…すみません」
「まぁちょうどいい。雪が呼んでるから学園に戻るぞ」
「白雪さまが?」
 千代が聞き返すと、黒鉄は頷いて胸ポケットから手鏡を取り出した。何に使うのだろうと首を傾げるさゆりが次に瞬きしたとき、目の前の光景は森に一変していた。何が起こったのかわからないのは宗光や千代も同様だったようで、二人とも周囲を忙しなく見ている。
「他のメンバーはもう来てるはずだ」
 黒鉄のあとにつづいて歩くと、森はだんだんと明るくなってきているように見えた。どこか明るい場所に出るのだろうかと思いながら歩いていると、やがて木々が途切れ、泉のほとりのような場所に出た。小さい白い花が咲き乱れ、その場に佳澄や太郎や蓮華、そして普段ほとんど教室にも寮にもいないグレースがそこにいた。そして見知らぬ女性が一人、座っている。
 黒い髪、白い肌。大きな瞳の彼女は二十代くらいだろうか。黒鉄が面倒くさそうにその隣に座ったのでさゆりはぼんやりとああ、彼女が白雪学園長なのだと理解した。

____禁断の実を食べて千年生きる化け物。

 アリシアの言葉が頭の中で勝手に反芻される。
 さゆりを見つけると彼女は優しく微笑んで座るように促した。慌てて座るさゆりの隣に佳澄が座る。

「皆さん、集まってくれてありがとう。私がこの学園の長、雪子です。今は白雪と呼ばれることの方が多いので白雪とお呼びください」
 しんと静まりかえる一同を見渡してから、白雪は話を続けた。
「皆さんは私がこの国でなんの役割をしているかご存じ?」
「五陵学園を作って、人間と妖を結ぶ仕事!」
 佳澄が元気よく答える。白雪はにこりと笑って、他の意見を促した。
「……法の統治者」
 答えたのは千代だった。白雪が頷き、他には?と返す。
「他の国の妖を、この国に入れないようにしてんだろ」
 太郎が続きを答える。白雪はまたも頷いたが、軽く目を伏せた。
「…ですが、それは完璧にとはいきません。外国の妖が来たり、国内の妖が人間を襲ったりは時々あります。皆さんにはその仕事の手伝いをしていただきたいのです」
「手伝い…ですか?」
「そう。まずは学園の様々なことを解決してほしいのです」
「それ以外にも手伝ってもらうことはあるだろうけどな」
 さゆりは自分が役に立てるとは到底思えなかった。朧玉テストだって毎回ぎりぎりのラインで合格しているような自分に、何かができるとは思えない。
 そんなさゆりの心を見透かしているかのように、白雪はさゆりの向かって優しく微笑んだ。
「さゆりさん」
「はいっ」
「この仕事はあなたがいなくてはダメなんです。あなたがいて初めてここにいる全員がまとまることができる」
「私が…?」
「そう。あなたはここにいるみんなの、扇の要。どうか、手伝ってください」

 ここに来てから助けられるばかりだった。もし自分がそれを手伝うことで少しでも皆に何かを返せたら。さゆりはそう考えて、うんと頷いた。
「オレも!オレも手伝うからね!」
「オレもだ」
「アタシも!」
 次々に挙がる手に、白雪もそしてさゆりも嬉しくなった。白雪が手のひらに乗せた小さなピンバッチを7つ上にかがけてみせる。
「学園長の名に於いて、この者たちを特務隊に任命します。これより先、この禁踏の森をはじめ様々な場所に立ち入ることを許可し、その権限をもって学園を取り締まることを許可します」
 白雪がそう述べると、手の中のピンバッチが光り、それぞれの胸の校章の下へとつけられた。
「ありがとう、みなさん」

 その言葉を最後にさゆりは光に包まれ、目を開けると寮の目の前に立っていた。突然現れたさゆりに清雅が興味深そうに眉をあげている。ここに飛ばされたのは自分だけらしい。変化についていけないさゆりはキョロキョロとするしかできなかった。
「…どうしたの?さゆり」
「いや…あの…何が何だか…」

 その胸のピンバッチについている石は綺麗な桜色だった。

 続く

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