私立五陵学園 特別科

柳 一

act.14 海の宝

 蝉の声がけたたましく響き渡る七月末。五陵学園は夏休みということもあり、人の気配はほとんどない。普段は寮生活の特別科生徒たちも長い休みなのでそのほとんどが帰省している。実家のあるなしに拘わらず、学園の規則から解放されることもあり、学園に残る生徒はほとんどいない。
 例外となる生徒は教室で黒鉄と向かい合わせに座っていた。
「もうやだ~~!!黒鉄さん勘弁して~~!!」
「ダーメ。ほら、ちゃっちゃと進めろ」
 学科ほとんど赤点の佳澄と、実技赤点のさゆり。そして、さゆりの実技を教える羽目になった太郎である。グレースもどこかにいるだろうが彼女はいつも夜にしか活動しないので姿が見えることはない。
「さゆり、体育館で実技特訓するぞ」
「はーい…」
 ジャージ姿の太郎に、同じくジャージ姿のさゆりがついていこうとする。すると佳澄がさゆりにしがみついた。
「いかないで!!黒鉄さんとマンツーマンはキツイ!!」
「はいはい、きつくていいからさゆりを離せ、な」
 黒鉄の大きな手がやんわりと佳澄の手をさゆりの腰から剥がしてくれる。さゆりは後ろ髪ひかれながらも、太郎と体育館に向かった。


「大きく息を吐きながら、盾を出すイメージ」
「は、はい」
 さゆりの手のひらを前に出すと、霊気を硬くしながら出現させようと念じてみる。やがて白くモヤのかかった何かが前に現れた。これは初歩中の初歩で、まずは自分の身を守る練習である。
「ん~…まだ柔らかいな」
 太郎が人差し指を盾に向かって差すと、盾はパリーンと乾いた音を立てて崩れていく。これを出すだけで過度に集中していたさゆりは疲労からその場にしゃがみこんだ。
「霊力はすなわち生命力。出せば疲れるからな」
「はぁい…」
 タオルを差し出してくれる太郎には汗ひとつ浮かんではいない。そんな太郎の整った横顔をさゆりは改めて眺めていた。外国人の血が半分混じっているからか、太郎の瞳は薄い茶色で鼻筋も通っている。華奢に見えるその体躯にはしなやかな筋肉がついていて、アスリートと言われても納得してしまうだろう。
「?どうした?」
「…太郎はくんはすごいね。戦うときあんな大きくて強そうな剣を出せるんだもん」
「…まぁオレの場合は訓練し始めたのも早かったしな。さゆりだってそのうち上手くなる」
「そうかなぁ」
「大丈夫だよ。夏休みの間、つきっきりで教えてやるから」
「…ありがとう」
 そう言って笑うさゆりを抱きしめたいと思ったが、ぐっと堪えた。魔女とは本来全てを魅了する。自分のこの衝動が魔女に対してなのか、さゆりに対してなのかを見極めないうちは触れるべきではないと決めていた。
 どのくらいの時間を特訓していただろうか。体育館の中に差し込む光が茜色に染まったころ、佳澄は2人を呼びに来た。夕食の時間らしい。片づけをして寮に戻ると、食堂には三人分の食事が並べられていた。今晩のメニューは冷やし中華。三人が美味しそうに食べていたら、テレビの画面は水着姿のアイドルが映し出された。
「……海、行ってみたいな」
 佳澄だった。行ったことないんだと続いて呟く佳澄にさゆりが何かを言いかけようとしたとき、涼やかな声が降ってきた。
「じゃあ行きましょうか、みんなで」
 それは車椅子に座った白雪の声だった。黒鉄が押しながら驚いたような顔になっている。
「雪。こいつらは補習が…」
「補習なら行った先ですればいいじゃない。みんなで行きましょう、海」
「ほんと!?」
「ええ。明日出発するから準備をしておいてね」



 列車は海沿いを走っている。佳澄ははしゃいで窓を開け、海が見えたと大喜びだった。白雪は白いワンピースに大きめの白い帽子をかぶり、そんな佳澄をにこやかに見ている。その隣にいるのはグレーのカットソーを着てサングラスをした黒鉄だった。
「佳澄、はしゃぎすぎっと窓から落ち…ても飛べるからまあいいが…」
「太郎くんは?海好き?」
「好きだぜ。仕事でしか来たことないから遊んだことはねぇけど」
「仕事?」
「祓い屋のな。海には海の妖がいるから」
 さゆりがそうなんだ、と少し怯えたような声で答えた。白雪は複雑そうな顔でさゆりを見ていることに太郎は気づいた。そもそも白雪がなんの理由もなく海に行こうなどと言い出すはずがない。この旅行はなにかあるだろう。だが完全に楽しんでいる佳澄とさゆりにそれを告げるのは酷かもしれない。
「さゆりの水着、楽しみにしてるな」
「…もうっ」
 自分がしっかりしていれば問題ないだろう、太郎はそう自分に言い聞かせるようにして瞼を閉じた。

 列車が到着したのは終点の駅だった。海のすぐそばなのか潮の香りが香ばしい。さゆりはポニーテールに結んだ髪を揺らして列車から降りた。白雪を抱きかかえた黒鉄と、車椅子を持った太郎、そして数人分の荷物を持つ佳澄が順番に降りてくる。先頭を歩く黒鉄が漁師たちが使う船着き場に向かうと、一人の老人がこちらに向かって頭を下げた。背が低くずんぐりとした老人はよちよちとこちらに歩いてくる。
「亀爺、久しぶりね」
「これはこれはおひい様…ようこそおいでくださりました」
「世話になるぜ」
「黒鉄殿もご健勝そうでなによりでございまする。…そちらは?」
「うちの生徒だ。ちっと騒がしくなるかもしれねぇがよろしくな」
「光栄でございます。何もない島でございますがごゆるりとしてくださいませ」
 老人はそう言ってさゆりたちに一礼すると、後ろに停泊していた船に乗り込んでいった。黒鉄たちもそれに続くので、さゆりたちは顔を見合わせてから船に乗り込む。船は驚くほど静かに揺れもせず進んでいった。普通こういう漁船は大きなモーター音がしていそうなものなのだがそれが全くない。
「さて…そろそろ見えて参りますぞ。三つ鳥居をくぐったらすぐです」
「三つ鳥居?」
「あそこと…ホレ、あちらとこちらの岩にそれぞれ鳥居が見えまする。この三つが要となって結界を作り、外部のものを一切近づけぬようにしてあります。ここを通れるのはこの爺と、おひい様だけにございます」
 老人が順番に指さす方向を見ると、確かに朱色に塗られた鳥居が見える。その三つを結んだ直線状のラインを通った瞬間、何か空間が揺らいだ感触があった。これが結界の中だということなのだろう。さゆりが老人に何か聞きたそうに視線を投げかけた。
「あの…」
 老人はさゆりがなんと呼んだらいいか迷っているのをくみ取ったのか、小さくお辞儀をした。
「申し遅れましたな。儂は島亀翁しまがめのおきなと申します。おひい様と同じように亀爺とお呼びくだされ」
「亀爺さんは…その、妖なんですか?」
「はい。もう齢九百を超える亀の妖でございます。おひい様からこの海宝島かいほうとうの管理を任されております。あなた様は…」
「山上さゆりと言います。こっちは佳澄と太郎くんです」
 佳澄がよろしく、とにこやかに返事をする。太郎は軽く会釈をすると、またその茶色い瞳を水面に向けた。さゆりもつられるように水面を眺める。
「ほっほっほっほ。もうそろそろ見えて参りましたかな」
 少し離れた水面に見えたのは色とりどりの魚の尾。そして人間の上半身。それらが泳いでいるのか水面から出たり沈んだりを繰り返している。
「これが、海の宝の島たる所以。人魚の島でございます」
 そう水面から見えていたのは白雪を歓迎するかのように海で戯れる人魚たちだったのだ。


続く


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