比翼の鳥

風慎

第71話 覆水盆に返らず

 ディーネちゃん。どうしてこうなったのでしょうか?

 何だか貴女に会った日が、遠い昔のように感じられます。
 先日、あの刺激的な別れから、実際はまだ一月も経っていないはずなのですが、俺にはそうは思えません。
 無性に恋しい……そして、同時に、今、俺は君に謝らなければならないと、改めて感じています。
 何故なら……。

「そんな軟弱では、父上のお役に立てぬぞ! 一から鍛え直してくれる! さぁ、神妙にお縄につくが良い!」

 本当に楽しそうな笑い声を響かせ、凶悪な笑みを浮かべながら、ダチョウを追い回す咲耶の姿を見て、なんとも言えない気持ちを持て余しているからなのだ。

 いや、俺は本当に、どこで間違った。

 そう思うも、誰もその問いに答えてくれるものはいない。
 そんな思うところのある俺に対して、蒼い鬼……いや、咲耶から逃げるダチョウの様子は正に、鬼気迫るものがある。
 正に一心不乱だ。
 そもそも、良くわからない地響きを立てながら高速で移動するダチョウと咲耶の姿が、意味不明だ。
 いや、二人共、その速度は人と動物が出せる速度じゃないからな?

 そんな俺のやるせない視線の先からは、助けを求めるダチョウの悲痛な鳴き声がひっきりなしに発せられている。
 それは聞く者の心に、不安を呼び起こすに足る何かを秘めている訳で、流石の俺も声を上げずにはいられなかった。

「こら、咲耶。折角せっかく、君に世話を任せるんだから、相手を怖がらせてどうする。もう少し優しく接して上げなさい。」

 何とか穏便に止めさせようとしたのだが、返ってきた答えは、正に、咲耶らしい言葉だった。

「父上! ご心配召されるな! この咲耶、立派にこの軟弱者を更生してみせますぞ!」

「いや、そうではなく……。」

「む、こら、逃がさんぞ! では、父上、行って参ります!」

「うぉーい……。」

 俺の言葉を置き去りにするかのように、二人の影が遠ざかる。
 思わず伸ばした手を、俺は脱力感とともに下ろすと、眉間を揉みながら、何故こうなったのか、考えてしまった。

 俺はただ、可愛い我が子達に動物との触れ合いを通して、命の大切さを知って欲しかっただけなのだ。
 命を学ばせるには、命に触れさせる事が一番重要だ。
 それも、できれば、ある程度、人に近い生き物が好ましい。
 植物や昆虫でも良いのだが、それだと、どうしても子供たちは、その生命の重さを軽く設定してしまうのだ。
 できれば、触れ合えて、共に生活できる……鳥類や哺乳類が良いと思う。
 だからこそ、こうして幼い――――いや、見かけは何故か既に大人に近いが――――先日、生まれたばかりの動物達を連れてきたのだ。

 俺も、子供の頃は、文鳥を飼っていた。
 懐かしい思い出だ。雛の時から餌をやって、大事に育てたものだ。
 そんな文鳥が成長し、家の中を飛び回れるようになると、手間からは開放され、何となく友人のような気安い感情が芽生えたのをよく覚えている。
 呼べば一目散に飛んできて、俺の差し出した腕に止まるし、実際、良く慣れた、本当に可愛い鳥だった。

 しかし、そんなある日、俺は餌をやり忘れてしまった。油断もあったし、慣れもあった。
 多分、二日程度だったと思う。子供の俺からすれば、一日二日なら大丈夫だってたかくくっていた部分があったのだ。だが、その甘い考えが、小さな命を奪ったのだった。

 季節は冬。寒い朝だったと記憶している。
 いつものように、カゴに被せた覆いを外すと、カゴの底で冷たくなっている文鳥の姿があった。
 二日……たったそれだけの期間、餌がないだけで、人に飼われていた小さな命は、飢えて死んだ。
 そんなエサ箱は、一見すると餌が満杯に入っているように見える。だが、良く見るとそれは殻ばかりで、実が残っている餌が一つもなかったのだ。

 そんな餌箱を確認し、改めて事切れた文鳥の姿を見た時、俺は言いようのない後悔に襲われたものだ。
 今にして思えば、運悪く色々と不味い要素が重なったのだろうが、それでも俺がその原因を呼び込んだのは間違いなかった。

 一週間程、塞ぎこんで、ずっと文鳥の墓に謝っていた事は、良く覚えている。そして今も、謝罪の念は尽きない。
 そんな俺の姿を見て、父も母も、俺を責めなかった。当時の俺は、それが逆に辛かった。

 だが多分、その時の俺は、許して欲しかっただけだったのかなと、今になってわかる。
 先日まで元気に愛嬌を振りまいていた小さな命を、間接的にとは言え奪った事実に、恐怖していたのだと思う。

 それからだな。俺が、命と言うものを気にするようになったのは。
 そして、大きくなり知識が増える度に、そんな命たちに感謝するようになっていた。

 数年経って、俺は懲りずに二匹目の文鳥を買ってもらって、今度も自分で育てた。
 その子は、番も買って数を増やした結果、全員一〇年以上も生きた。
 人間で言えば、100歳以上の長寿だ。
 だが、最後は呆気無く、一匹、また一匹と、静かに死んでいった。老衰だった。
 そんな文鳥達を看取って、俺は、命というものを、文字通り肌で感じたのだ。
 これは、知識ではなく、実感だ。そして、誰にだってそういう、気付きの瞬間があると思う。
 ただ、それに意識が向くか? チャンスを物にできているか? それだけの差でしか無い。

 だから、俺は、我が子達にも知って欲しかっただけなのだ。
 命というものを。

 だが、そんな俺の考えは中々伝わらないようであると、身を持って知る。
 俺の隣で優雅に微笑む此花もまた、俺の意図とは、無縁な場所にいるらしい。

「お父様、大丈夫ですわ。咲耶も、あの生き物を、すぐに食べるつもりは無いと思いますわよ?」

 そんな風に、ゆったりとした口調で、さも当然のように言ってのける此花の表情は不思議そうだ。

「いや、そういう訳ではないんだよ。」

 俺は首を振りつつ、此花に答えを返す。
 小首を傾げ、薄く繁茂した草の上に座る姿は、見るものの心を癒やす。そう、それはまるで妖精のように、幻想的で、柔らかな雰囲気を纏っていた。その右手が鹿のような動物の首を鷲掴みしていなければ……だが。

 右手から先の景色を見なかったことにしたい。いや、そうすべきだと俺の感情は、激しく訴えかけていた。
 だが、細かく震えている鹿の姿を見ると、そういう訳にもいかない。

「そもそも、お父さんは食べるために動物を君達に預ける訳じゃないのだが……。して、此花がこの子を選んだのは判るんだが……何故、首に手を当てているんだい?」

 鹿に助け舟を出すために、俺は此花にそう、問いかけたが、返ってきたのは、全く容赦のない冷酷無比な返答であった。

「勿論、主従関係を知らしめる為ですわ。逆らったら、ちょっとだけ苦しくなるだけですよ? ふふふ、安心してくださいな。殺さない程度に加減いたしますから、大丈夫ですわ。」

 どこの恐怖政治だよ……。

 俺はため息を付いて項垂うなだれた。
 此花はそんな俺を不思議そうに、見つめるも、鹿が身じろぎした瞬間に、その手をそっと動かし、その細い首をゆっくりと撫でる。
 ああ、傍から見れば、パッと見は、鹿を優しく撫でる美少女の図だ。もう少し、その指が首から離れていれば……だが。
 しかし、その指は絶妙な圧力で、首に添えられていた。
 その構図が、言わんとしている事の全てを物語っている。

 逆らったらモギますわよ?

 そんな幻聴が聞こえた。
 俺はやるせなくなり、天井に視線を向けると、改めて、問いかけたのだった。
 どうしてこうなった……と。



 不安要素は莫大にあったが、それでも俺は敢えて、その二匹を二人に任せた。
 そして、今、俺は一人、歩きながら都市へと戻る最中である。

 正直、あのままでは、近い内にダチョウと鹿は、天に召される気がしてならない。
 その前に、毛が抜け落ちるかもしれないな……。そうしたら、もう一度、注意しないといけないだろう。

 いや、それでも、俺は子供たちを信じてみることにした。とりあえず、無下には扱わないと約束したのだし。
 その位の分別は、我が子達にもある筈だ。
 一瞬、先程の哀れな二匹の光景が目に浮かぶが、首を振ってその光景を頭から追い出す。

 ちなみに、余談ではあるが、他の動物達は、庇護を求めるように、クウガとアギトの周りに集まっていた。
 此花の近くにいたせいか、俺には1匹も近寄って来なかったのが、印象深い。
 もし、俺まで動物達に敵勢勢力として認定されていたら、どうしようかとも思ったが、そこは俺にも責任があるので、甘んじて受けようと心に決める。
 そうならないように、こまめに顔を出すことにしよう。
 とりあえず、出来ることから少しずつ……だな。

 そんな事を考えながら、俺は【サーチ】を周囲に展開しながらも、ストレージからスケイルボアを取り出し、何食わぬ顔で歩み続けた。
 程なくして、俺は都市の門をくぐり、いつもの様に、ギルドへと足を運ぶのだった。


 今日の受付は、そばかすがチャームポイントの大人し目なお姉さんだった。
 そのお姉さんに、スケイルボアを見せ、討伐依頼を完遂させると、納品場所である大広間へとスケイルボアを届ける。

「おや、ツバサさんか。今日も立派な獲物だね。」

 声をかけてきたのは、初日に俺の仕事を監督し、鱗の選別方法に狂喜乱舞していた、ギルド職員の男性だった。

「こんにちは。今日もお世話になります。ここで良いですか?」

 俺は、返事をしつつ、いつも指定されている場所を指差して確認する。

「ああ、そこで大丈夫だよ。」

 笑顔で言う職員さんの言葉を受けて、俺はスケイルボアを指定されている場所へと下ろした。

「よっと。では、ここで。ああ、はい、これタグです。」

 俺は認証を貰うために、タグを渡し、

「はい。確かに。また、スケイルボアが狩れたら宜しく! 最近は数が揃わなくて大変だからね。」

 職員さんはすぐにそのタグに棒をかざしながら、そうこぼした。

 そう言えば、この職員さん、隠し子がいるって受付幼女が言ってたな……と、一瞬、いらない情報が脳裏に浮かび上がるも、俺はその考えをすぐに消し去る。

「ええ、なるべく狙って狩るようにしてますから。また、仕留めたら納品に来ますね。」

「頼むな。はい、タグだ。」

 俺は、なるべく平静を装いながら、タグを受け取ると、

「はい、ではまた。」

 そう答えながら、受付へと足を向ける。
 ふう。余計な事が頭に浮かぶな。全く……知らなくてもいい情報を漏らしやがって……あの受付幼女め。
 そんな半分八つ当たり的な考えを浮かべていると、

「おお! そこにいるのは、同志ではないですか!!」

 そんな大声が、納品場所である広場に響いた。

 ん? なんだ? 何となく聞き覚えのある声が……。
 振り向いた俺の視界には、何がそんなに嬉しいのか、手を振りながら満面の笑みを浮かべて、こちらへと向かって来るライトさんの姿があった。
 一瞬、何故か心の奥底で警鐘が鳴るのを感じながらも、俺は当たり障りもない返事を返す。

「ああ、ライトさん。この間はありがとうございました。」

「いえいえ、こちらこそ、ご利用ありがとうございました。」

 そんな普通の会話を聞いた周りから、一瞬、息を飲んだ様な様子が伝わってきた。

 ん? 何だ? 何か変だぞ?

 俺は、違和感と危機感がないまぜになった、はっきりとしない物を感じていると、そんな事はお構いなしとばかりに、ライトさんが口を開く。

「そうだ、同志よ。是非、また近い内にお店に来てくれませんか?」

「え? ああ、はい、それは構いませんが、その同志と言うのは……。」

 俺は問いかけながら、気がついてしまった。そうだ。この言葉は不味い。
 なんせ、目の前にいるのは、完膚なきまでにだった。
 それに同志認定されているという事実に気がついた俺は、一瞬にして背中が凍りつく感触を覚えた。
 何とかそれを訂正しようと、口を開くも、

「それは勿論、獣人を愛でる同志!! と言うことですよ!」

 そんなライトさんの大声をかき消すかのような、どよめきが周りから起こる。

「ちょ、いや、待って下さい。俺はそんな……。」

「いいえ、同志よ! 隠しても無駄ですよ。貴方が獣人達に愛欲の眼差しを送っているのは、私も十分に……。」

「そんな事してねぇよ!? って言うか、わからんでいいわ!」

 思わず素で答えてしまった俺は、我に返って、周りを見渡した。

「あの新人、変態と仲が良さそうだぞ……。」
「真面目そうな人だったが……やっぱりか。」
「そうだな。獣をいつも連れてるって話だし、獣人も持ってるらしいぞ。」
「そうなのか! やっぱり、変態なんだな。」
「そうだな、変態だな。」

 そんな俺に向けられている視線と小声でヒソヒソと交わされる会話が、俺の精神を完膚なきまでに蝕む。
 いや、そりゃ、この状況を予見出来なかった俺に問題があるのは間違いないが、それにしても、ここまでなのか。
 俺が周りの様子を見て、肩を落としていると、ライトさんは、その肩に手を置き、

「大丈夫です、我が同志よ。周りの嫉妬に満ちた侮蔑など、気にしなければ良いのです。私達は、新たな境地に向かって、ひた走ればそれで良いのです。」

 爽やかな笑顔で、そう語りかけてきた。
 そんなブレない彼の笑顔を見て、俺は溜息をつく。

 ここでライトさんの手を振り払い、彼を拒絶し、俺の立場を何とか修正するのも手ではある。
 いや、これからの事を考えれば、俺はそうすべきなのだろう。
 だが、同時に、俺はその手段を取りたいとは全く思えなかった。

 なんだかんだ言っても、俺はライトさんのことが嫌いにはなれない。
 そうか、ライトさんは何となく、俺の親友達に似ているのだ。そう考えると、何となく、今までの親近感にも納得がいった。
 それに、実際、彼は良いやつだと思う。変態なだけで。

 それに、ここまで突き抜けて真っ直ぐな生き方を見せられると、ある意味、憧れに似た感情を抱く。
 まぁ、間違っても、こんな風にはなりたくないが。
 そんな事を考えていると、ライトさんは、急に名案でも思いついたかのように、瞳を輝かせ、口を開いた。

「そうだ! 同志よ! 私は最近、新しい境地を開いたのですよ。今までは、股の間が、尤も良いと思っていたのですが、実は脇もなかなかに……。」

「そんな事どうでも良いよ!?」

 そう絶叫する俺の声が、広場へと木霊したと同時に、耐えられないとばかりに、広場を後にする職員や冒険者達の背中を見て、俺は改めて、虚空へと問いかける。

 どうしてこうなった……。

 だが、そんな問いかけに、返事を返すものはおらず、代わりにライトさんが興奮した様子で話す発見と言う名の変態行為が、次から次へと広場に響くだけだったのだ。

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