比翼の鳥

風慎

第33話 マチェット王国動乱(2)

 ゆっくりと過ぎ去る景色を横目で眺めつつ、ずっと俺を覗きこんでいるリリーに視線を戻す。
 彼女に抱きかかえられているので、俺にはあまり振動が伝わってこないが、周りに響く音を聞けば、それが実際は、結構な物であると気付く。
 突然、大きな音と共に、視界が揺れる。車輪が何かに乗り上げたのだろう。

「すいません、ツバサ様」

 何故かリリーがすまなさそうに曇った表情を浮かべるが、俺は気にしてないと首を振った。
 彼女はそんな俺の態度を見て、眉を下げながらも、少し遠慮がちに微笑む。

 今、彼女の脳裏に浮かんでいるのは、きっとあの綺麗でしなやかな獣だろう。
 彼女の背は、本当に安定していたし、何より乗り心地が抜群だったからな。
 別に張り合う必要も無いだろうに……彼女は……ヒビキは特別過ぎるんだから。

 リリーにそっと大丈夫だと、改めて目配せをして、俺は彼女の頬に手を添える。
 それだけで、リリーの憂いは消えたようだ。
 いつものほんわかとした笑顔が戻って来て、尻尾がわっさわっさとふられ始める。

 リリーよ……ちょっと単純すぎやしないかね?

 そう思いつつも、とりあえず、落ち込まれるよりは、比べるまでも無く良い事だと思い直し、俺は改めて窓の外に広がる風景に目を移した。

 一面に広がる広大な農地。

 一定区画毎に、異なる作物が植えられており、それは何だか色違いのタイルをちぐはぐに持ち寄って合わせた様にも見える。
 今目の前には、濃い緑色が鮮やかに広がっていた。視覚を少し強化して見れば、どうやらキュウリともズッキーニとも見える太めの実が、鈴なりに実っていた。
 その奥には、トマトを大きくしたような、色鮮やかな赤い実が、これまた緑の壁に張り付くように、実っている。

 これは、食材も色々と追加できそうだな……。

 牧歌的な音を響かせながら、俺達が乗り込んでいる車は、ただひたすら進んでいく。マチェット王国首都に向かって。


 それは、お姫様が退場してから、数日後の事だった。
 早朝に、早馬……いや、早蜥蜴にのった騎士と誰も乗っていない車が、突然訪問してきたのだ。
 話を聞くところに寄ると、至急、王城へと向かって欲しいとの事。
 その為の車……正確には蜥蜴車であるらしかったが、リリーはそれに乗る事を最初、良しとしなかった。

 まぁ、理由としては至って単純で、彼女が走った方が早いからだそうだ。
 どういう事だと一瞬、思わなくもなかったが、前の俺も身体強化すれば、普通に蜥蜴車以上の速さは出せていたと、すぐに思い至りその件は流した。
 使者の騎士さんは、めっちゃ引きつった笑みを浮べていたが、とりあえず気にしない事にする。

 だが、そうは言っても、使者さんの面子という物もある。
 その辺りの機微は、彼女にはわからない様だったので、事を理解した俺が、蜥蜴車に乗ってみたいと彼女にお願いして今に至る。

 まぁ、実際に乗ってみない事には、どういう物か分からないしね。

 そんな風に、渋々と言った感じではあったリリーと、蜥蜴車に乗り込み、後の事をダグスさんに任せて、今に至る。
 一応、貴賓者用の車らしく、嫌味にならない程度に装飾された車内は、通気性も確保されており、思いの外快適であった。
 ただ、やはり、揺れる事だけはどうにもならないらしく、時々、轍や石に乗り上げて車体が激しく上下するのだ。
 俺はリリーに抱かれているから、対して振動も感じないし、リリーも上手く振動を受け流しているようで、それ程、被害は無いようだが……これでは、普通の人なら腰を痛めてもおかしくないと思う。
 一応、座席には柔らかな弾力性のある布が敷いてあるも、気休め程度にしかなっていない。

 やっぱ、元の世界の道路って凄かったんだなぁと、改めて実感する。
 そりゃそうだよね。だって、ずっと平らなんだもんね。
 こっちの道は土が剝き出しの上に、大小問わず石が埋まっているから、不規則な揺れ方をするんだよ。
 加えて車輪も堅い材質の物らしいから、傷むのも早そうだし、振動もダイレクトに伝わってくる。

 異世界人がいるなら、タイヤの一つや二つ開発しなかったのかと憤りもしたのだが、はてさて。

 まぁ、そうは言っても、ゴムは見た事が無いし、代替品も必要だろう。
 俺も試行錯誤しないと作れる気がしない。まず、原料からして、それらしい物が無い。
 お約束のサスペンション絡みから手を付けるべきか……。

 そんな事を小一時間程考えていたが、先程と比べ、徐々に風景が変わって来た事に気付く。
 明らかに、人の手が入っていない農地が増えて来たのだ。
 その見捨てられたと思われる農地は、先程の色鮮やかだった所と比べ、見るも無残な姿を晒している。
 そんな中、残っている農地に手を入れている農民の姿がちらほらと見えたが、表情も薄く、そして疲れた様な、そんな雰囲気を纏っていた。
 黙々と、ただ、それしかできないからとでも言うように、生気なく動くその姿を見て、俺の心がざわついた。

 乾いた土色を延々と晒すその光景は、道を進むにつれ徐々に増え、更に一時間ほど進んだ先では、先程の眩しい緑の絨毯はすっかりと見なくなった。
 よく観察すると、土が抉れたり、一部、穴が開いたりしている所が、そこかしこに見られる。
 中には大きな何かが、作物をなぎ倒して進んだ後のような物もあった。

 これは……中々に穏やかではないな。
 これも影、と呼ばれる生物の仕業なのだろうか?

 そんな思考の中、その枯れた大地の遥か彼方に、霞む様に見える都市。

 俺の雰囲気を察したのか、リリーが俺の視線を追い、そして、納得した様に頷くと口を開く。

「ツバサ様、あれがこの国の王都 ハイランドですよ」

 枯れた大地に横たわる様に見えるその都市は、まるで臨終の際、言葉も無く死を待つ老人の様に、俺には思えたのだった。


 車が都市内に入ると、その印象は更に強固な物へと変わる。
 農業を主産業としている国の様で、街並みもそれに準じた様子を、そこかしこに見せていた。
 平屋が多く、一軒一軒の面積がやや広い。そして、路地には露店が並び、整備され幅も広い道路は蜥蜴車の往来も活発である。
 一見すれば、活気あふれる光景ではあるのだが、それは表面上である事を、俺は感じ取っていた。

 人々の往来は、激しい物の、通り過ぎる光景に映る人々のその目に力が無い。ただ、黙々と動くロボットのような印象すら受ける。
 一見すれば、ほのぼのとした日常の一風景に感じられる光景も、多くの違和感を伴って、俺の目に飛び込んでくる。
 それは、炉端で談笑する人々の笑顔の寒々しさであったり、客を集める露天商の声が殆ど聞こえない事も、その印象を更に強くする要因だ。
 道行く人々が時折、俺達の乗る車に向ける視線には、何の感情も伴っていない。すれ違い様見えるそんな人々が浮かべるこの表情を、俺は良く知っている。

 諦め。

 俺にも馴染み深いその感情が、どこに行っても垣間見える。
 どうやら、この国は思った以上に疲弊しているようだ。もはや、一刻の猶予も無い様に、俺には見える。
 最初、それは影が関わっているのかと思っていたのだが、どうやらそれだけでも無いようだ。
 少なくとも、この都市内に戦乱の傷跡は無い。つまり、影の脅威はまだ都市内までは届いていない事になる。
 なのに、この有様である。この疲弊した環境は、戦乱とは別の要因があると、俺の勘が告げていた。
 そう、これは元の世界にいた時、時々感じた物と同じだ。ベットリと張り付いて横たわる淀みの様な嫌な空気を感じるのである。
 それは、戦乱とは一見無縁な世界の中にあっての閉塞感であったり、出どころの不明な圧迫感であったり……そう言った漠然とした空気の中に混じった不安を煽る物が、この国にも確かにあるのだ。

 冷静に考えてみれば、おかしな話だった。

 影への戦力として動いているはずのリリー達の部隊が、あんな辺鄙へんぴな所に、まるで秘匿されるかの如く、隔離されているのだから。
 獣人に対する反感からかとも思っていたが、それもどうやら違うらしい。
 何故なら、都市の内部には、普通に作業をする獣人の姿がチラホラとみられるからだ。そして、その首には、首輪も無い為、奴隷として従事しているという訳でもなさそうだ。

 ならば、リリー達のような戦力を生かすなら、まず王都の防衛が主となるのではなかろうか?
 なんせ、ここは王国の要であるし、そこを守れなければ王政などあっさりと瓦解しそうなものだが。
 それをしないという事は、それ以上の戦力が王都にあると思っていたのだが……現状を見るに、どうやらそれは、必ずしも正解とは言えない様だな。

 そんな風に、現在の状況を分析していた俺の耳に、ふと、遠くから届いたであろう異質な喧騒が聞こえて来る。
 耳を澄まし、魔力を回して強化すると、「泥棒!!」という、叫び声が何度かはっきりと聞こえた。
 どうやら、泥棒と思しき者が、こちらに向かって来るようである。

 穏やかではないな。

 そう思いながら、リリーを見ると彼女は俺に笑みを浮べるにとどまった。
 どうやら、動く気は全く無いようである。

 リリーの立場だったら、サクッと捕まえに行けそうなものだが。
 それとも、ここの警邏けいらは優秀なのか?
 そう思い、【サーチ】で人の動きを追ってみるも、警邏らしき動きは、見られなかった。

 併せて、泥棒らしき人物にも当たりを付ける。一人だけ、そこそこの速さで移動する者がいるのだ。
 多分、こいつが泥棒っぽいな。路地を巧みに抜け、しかも、駆け足位の速さを保ち続けている。
【サーチ】で俯瞰ふかんした状況に置いて、他の者が歩いている状況と比べれば、この者の動きは明らかに異質で目立つのだ。

 この人物が、本当に泥棒であるならば、このままだと、確実にこの車とすれ違う事になりそうだ。
 警邏がそもそも、泥棒の存在に気付いていないのか、それとも全く動く気が無いのかは、この状況からは判断できない。
 だが、現状、このままであれば、この泥棒と思しき人物は、まんまと逃げおおせるであろうことは、想像に難くない状況だった。

 彼女の性格や立場も加味すれば、ここで動かない理由は無いと思うのだが……。
 不思議に思い、彼女の手を二回叩くと、その疑問をぶつけてみた。すると、帰って来たのは意外な言葉だった。

「大丈夫ですよ。この街には、そうですね……正義の味方がいますから」

 苦笑ともとれる歪んだ笑みを浮べた彼女の口から、この世界では馴染みの無い言葉が出た意味を理解できず、一瞬、思考が停止する。

 そんな中【サーチ】に、明らかに一般人のそれとは違う反応が引っ掛かった。
 同時に、彼女の獣耳も、一瞬、何かを捉えたかのように、ピクリと動く。

 ん? 何だこの反応は? 

 それは、明らかに一般人を遥かに凌駕する速度で移動し、にこちらへと向かって来ていた。
 そう、高さが無いとはいえ、多くの建屋がひしめき合うこの区画を、している。
 その事実と、動きを詳細に見る感じでは、屋根の上を伝って移動していると推察できる。

 リリーの耳が、激しく動き、その者が向かって来るであろう方向へ顔を正確に向ける。

「あ、こっちに来ちゃいましたね」

 何だか、気の抜けた様な、酷く残念そうな声を、彼女は溜息と共に吐き出した。
 どうやら、彼女の言う『正義の味方』とやらは、この異常な動きをする者の様である。

「車を止めて下さい」

 リリーがごく当たり前のように、そう言うと、少し遅れて慣性を殺しながら、車がゆっくりと道端に寄りながら停車する。
 そこは、泥棒と思われる反応と、直進する異常な反応の者がぶつかるであろう場所のちょっと手前であった。

「暫くの間、ちょっと騒がしくなると思います。ツバサ様、ごめんなさい」

 俺は、気にしないという意思を示す為、首を振りつつ、リリーの様子を伺うも、彼女が動く様子は全くない。
 という事は、戦闘で騒がしくなると言う事では無いな。そもそも、彼女が出て行けば、一般人に毛が生えた程度など、瞬殺だろうし。騒がしくなり様が無い。

 車をここに止めたのは、恐らく騒ぎに巻き込まれるのを恐れての事だというのは、想像できる。
 ただ、彼女が動かない理由も、そして、五月蠅くなると言う彼女の言葉の意味も、謎なままだった。

 まぁ、いいや。見ていれば分かるのだろう。リリーが動かないのであれば、少なくとも差し迫った脅威ではないという事だろうし。

 俺は開き直ると、リリーにお願いして、窓から外の様子を見せてもらいつつ、【サーチ】で周りの状況を細かく追っていた。
 どうやら泥棒と思しき人物が、路地の陰からゆっくりと姿を現す。
 痩せぎすなその体躯をすっぽりと覆い隠す様なローブ姿と、ギラギラと光る目つきのアンバランスさが、この者が一般人では無い事を物語っていた。見るからに裏の世界の者である。
 同時に、異常反応者も同じ通り沿いにある、少し高さがある建屋の屋上に到着したようだ。
 どんな奴だろうかと一目拝むために、注意してそちらを見ていると、一瞬、そこから通りを覗きこむ、その者の姿が見えた。

 えっ?

 その異様な姿を見て、俺は言葉を失う。
 いや、なんか、変な物が見えたって言うか……あれ? おかしくない? 俺の目がおかしくなったのだろうか?

 だが、混乱する俺を置いて、事態は進んでいく。
 泥棒と思しき人物が人混みに紛れつつ、大通りを悠々と歩を進める中、屋上の人物は何故か動きもせず、ジッと身を潜めていた。

 そして、泥棒と思しき人物が、背の高い建屋の前へと来た時……それは突然起こった。

 響く大音響。それは、何故か俺には耳馴染みのあるメロディだった。
 例えるなら……いや、例えなくても、何処をどう聞いても、戦隊ヒーローが登場する時の様な、あの独特のフレーズである。
 そのメロディを聞いて、ただ歩いていただけの群衆から、大きなどよめきが起こる。

「この音は!」「彼だ! 彼が来たんだ!!」「どこだ!?」「近くに悪人が居るぞ!」

 一気に喧騒が起こる。見ると泥棒と思しき人物は、一瞬焦った様な表情を浮かべるも、ローブを目深に被り、その存在を隠そうとしていたが、その行動がかえって怪しさを引き立てる結果となったようである。その動きに、不信を抱いた周りの幾人かが、一斉に声を上げた。

「こいつじゃないのか!?」「見るからに怪しいぞ!」

 そんな声を発端として、泥棒と思しき人物から人々が距離を取り、結果として、その者を中心とした円形の空間が出来上がる。
 その動きは洗練され、まるで訓練されたかのように、よどみ無く行われる。そんな中、周りを囲まれ、完全に逃げ場を失った泥棒と思しき人物は、焦ったように周りを見回していた。

 そんなぶっ飛んだ状況に、理解がついていかず、ただ傍観者と成り果てる俺。
 そして、リリーは何故か、また小さく溜め息を吐く。

「天が呼ぶ! 地が呼ぶ!! 悪を倒せと、正義が燃える!!」

 その様子を見て彼女に問いかけようとしたのだが……その前に、先程の建屋の屋上から、そんな声が聞こえた。
 それは、人が発したにしては不自然な程、鮮明に俺の耳に届く。見れば周りの人々も同じだったようで、泥棒と思しき人物を始め、多くの人がその建屋の屋上に目線を向ける。

「あそこだ!!」 「あの真っ赤な服は!!」「彼だ、彼が来てくれたんだ!!」

 そう。その声を発したと思しき人物は、先程の驚異的な速度でこちらに向かって来た後、高い建屋の屋上に待機していた人物だ。
 そして、その姿は、こちらに来た俺からすれば、あまりにも異様で、しかし良く知った物だった。

 身体にピッタリと吸い付くようにあつらえられた衣服は、もはやコスチュームのそれである。
 鍛え上げられたわけではないだろうが、見苦しくない程度には見られる体つきが、想像できてしまうほど、その衣服は身体に密着している。しかし、その色が問題だ。真っ赤なのである。もう、めちゃくちゃ人目を引く。
 背丈はここからでは正確には分からないが、俺と同じくらいだろう。勿論、今の俺ではなく、前の俺ではあるが。
 そして、腰には黒いベルトに、何故か金縁の刺繍。中心には金属製のバックルがあり、しかも、その金具も精巧に作られているようで、幾何学模様のような複雑な文様が太陽の光を反射し眩しく光る。
 足には、真っ白いブーツ。それが膝下まで覆い、同じ様な手袋が手首までを完全に覆っている。
 胸には黒い生地で『力こぶ』を模したような意味不明の文様が走っている。
 そして、その顔は、ほぼ8割が卵型のヘルメットで覆われていた。勿論、その色は赤く、目の部分はスリットの入ったように黒い。
 唯一、地肌の見える口元が、笑みの形で固定されているのを見て、俺は既に、考えることを放棄した。

 そう、どこからどうみても……。

「この私がいる限り、悪の栄えた試し無し!!! フィジカルレッド、ただいま参上!!」

 戦隊モノのヒーローじゃないか。
 両手を腰に置き仁王立ちをした彼の名乗りと同時に、何故か背後に赤い煙を伴った爆発が起こる。そして、それを見て一気に湧き上がる観衆達。
 考えてもいなかったヒーローの登場に、俺は魂が抜けた様に、その光景を見守るしか無かったのだった。

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