比翼の鳥
第65話 きっかけは
「うん、此花も咲耶も、とても可愛らしいぞ。ふむふむ、二人で色分けしてるんだね。空色が此花で、蒼色が咲耶か。」
そんな俺の言葉に、彼女たちは、目の前で嬉しそうに、クルクルと回っている。
少し余裕のある裾が、まるで着物の袖のように宙を舞い、それがまた動きを大きく美しく見せていた。
あれから俺達は、ライトさんの店を出て、少し遅めの歩調で、商店の間を歩いている。
ルナは俺と同じように、白い貫頭衣を身に纏い、リリーも薄桃色の貫頭衣をその身に纏っていた。
また、彼女達の貫頭衣にはフードがついており、それを少し目深に被ることで、顔を隠しているのだ。
ちなみに、ティガ親子は、首にスカーフの様な布を巻いていたりする。
ヒビキは、血の様に深紅な物を。クウガとアギトは、灰色と黒い物をそれぞれ纏っていた。
え、何そのカッコよさ。ちょ、ちょっと羨ましいとか、思って無いんだからね!
風がその布をはためかせ、悠々と歩く様子が、何とも俺の厨二魂を呼び起こすのだが、あえて何も言わない事にしていた。
ともかく、各々でちょっとだけ個性を出した彼女たちを見て、思わず笑みが浮かぶ。
しかし、俺はと言うと、目の前で皆の新しい服を褒めちぎりつつ、未だに先程のショックから立ち直れずにいた。
先程、クリームさんから告げられた事実は、俺の身体から、彼女たちの匂いが感じられるという事だ。
それがどうしたかって?
大問題なのです。
そもそも、獣人族の嗅覚がそこまで優れているとは、今の今迄、全く思っていなかった訳で。
それを知った今となって、ようやく、森での獣人族の皆の対応が腑に落ちたのだった。
夜、皆と同衾……と言っても、やましい事はしてないが……するようになって、森での皆の視線が、明らかに生暖かくなったのは知っていた。
だからこそ、防音障壁を張って寝るようになった訳だし、それで安心していたのだ。
まぁ、そりゃ、色々、俺の欲望がほとばしる時もあったので、主に、レイリさんやリリー、そして宇迦之さんの艶やかな尻尾や耳を心ゆくまで堪能した日もあった。
その時の皆様の反応や声がそれはもう、口にも出せないほど艶めかしかったので、そう言う障壁を張ったのは俺としては当然の処置だ。
しかし、そんな風に対策していても、毎日のように、森の皆からは、それはもう、空気が温まるんじゃないかと思う程、生暖かい視線が飛んできていて、おかしいとは思っていたのだ。
すれ違う百犬族のお母さま方に、「あらあら、羨ましいわね。」とか、「ふふふ、今日も頑張ったのね。」などと、声をかけられる日々が続き、引きつった笑みを浮かべつつ、何故ばれているのか首を傾げるばかりだったのだ。
大方、つやつやになった女性陣の肌を見て、それを悟っていたのかと思っていたのだが……何てことはない。
俺の身体から、皆の匂いが感じられていたから、すぐにばれたのだった。
その事実を思い起こすたびに、何とも言えず、むず痒い気分に襲われている。
そして、その状況は、今も続いているわけだ。
もし、この雑踏の中に、俺の匂いを感じ取れる獣人がいれば……それは、つまり、一発で同衾の事実がばれる事を意味する訳だ。
一応、対策として、俺の身体を障壁で包むことで、匂いの拡散を防いではいるのだが、今度はそれが不自然さを作る事になる。
俺の匂いが全くしないというのも、それはそれで、目を付けられることになりかねないからだ。
「あら、あちらより、香ばしい匂いが……。」
「父上、行きましょう! こちらですぞ!」
そんな風に腕を引いてくる、此花と咲耶を見て、俺はこの障壁の欠点を身を持って知ることになる。
そう、この障壁は、逆に外からの匂いも通していないので、色々と不便なのだ。
急ごしらえなので、まだそこまで調整出来ていない。魔法陣化するにしても、ある程度の時間は必要になりそうだ。
わが子達に手を引かれ、早急に対策を練らねばならないと、俺はそんな思考に捕らわれていたのだった。
屋台から何かの焼き串を購入し、それを皆で食べる。
此花と咲耶の頬は、一口食べ、笑みを浮かべ、暫くそのまま昇天していると、思い出したようにまた口を開く。その頬は常に緩みっぱなしだ。
ルナはチョコチョコと忙しなく口を小さく動かし、肉を少しずつ削るように口にしていた。何それ、可愛いんだけど。
リリーは反して、豪快に大きくかじり取ると口の中でゆっくりと噛み締めていた。
貫頭衣の上から被ったフードをつけているので、表情は隠れてよく見えないが、耳と尻尾が大暴れしている所見れば、それだけで全てが察せられる。
ヒビキは串を器用に両前足で掲げるように挟むと、一口で半分以上を口の中に納めていた。
やはりその辺りはワイルドだな……と変な方向に感心していたが、そこから中々飲み込まないところを見ると、結構お気に召しているのだろう。ちなみに、クウガとアギトも、母であるヒビキの真似をしようとしているが、どうやら上手く行かないようだったので、手伝おうとしたのだが、ヒビキに止められてしまった。なかなかにスパルタな母である。
結局、なんとか食べることが出来たようなので、俺はそんな皆の様子を確認して笑みを浮かべると、釣られる様にその串についた肉を口にする。
表面はパリッと焼き上げられているが、口にした瞬間、思った以上に柔らかい肉から、じわりと滲みでた濃厚な肉汁が口内を満たす。
塩のみというシンプルな味付けなのに、これまた絶妙な塩加減で、肉汁と肉の旨味を邪魔せず、更に一段階上の美味しさを引き出していた。
「これ、美味しいな。」
森では味わえない、欧米文化寄りの濃厚な味に、俺は思わずそうつぶやいた。
皆、俺の言葉に満場一致で賛成した所で、この肉串を売っていた屋台から声がかかる。
「おや、嬉しいこと言ってくれるな。良かったら贔屓にしてくれよ!」
見ると、浅黒く日焼けをし、肩口まで大胆に露出した元気の良さそうな若いお兄さんが、俺達に笑顔を向けていた。
「ええ、これだけ美味しければまた来ますよ。」
そんな俺のまっすぐな言葉に、少し照れたのか、恥ずかしげな表情を浮かべた屋台のお兄さんだったが、
「あー、けど、すまねぇ。もしかすると暫く、店出せないかもしれねぇんだ。」
決まりの悪そうに頭をかいて、そう口にした。
「なんでですの!? こんなに美味し……あう。」
「ご主人! それは余りに……むが。」
「こーら、君たち落ち着きなさい。」
俺は、思わず大声を出してしまった此花と咲耶の頭に手を置いて、その口を閉じさせると、
「しかし、この子達の言うように、どうしてですか? こんなに美味しければ、贔屓のお客も多いのでは?」
と、改めて問いかける。
そんな俺の言葉に、少し困ったように表情を曇らせると、その理由を語ったのだった。
「頼もう!!」
「お邪魔いたしますわ!」
俺は勇ましく先人を切って室内に飛び込んで行くわが子達の後を、少し焦りながら追いかける。
今日のギルドは、あまり冒険者がいないらしい。まぁ、昼も過ぎたぐらいだから、まだ依頼をこなしている途中で、帰って無い人が多いのだろう。
中で掲示板に貼りだされている依頼を吟味していたのだろうか? 若い冒険者が、彼女達の声を聞いて振り返り、きまり悪そうに頭を下げる俺を見て、何かを悟った表情を浮かべ、掲示板へとその視線を戻した。
「こら、此花、咲耶。焦る気持ちはわかるけど、皆さんの迷惑になるから静かに。」
俺の注意に、此花と咲耶はビクリと方をすぼませると、「「はい。」」と、シンクロしたように足を止めて俺へと振り返った。
上目遣いに潤んだ瞳を向けられて、俺は改めてため息をつくと、二人の頭を軽く両手で撫でた後、「気をつけてな。」と言葉をかけながら、背中を軽く叩いて、先へと促した。
途端に、元気になった二人は、先程より若干静かに、受付へと足を向ける。
全く、子供とは現金なものだな。
後ろからルナの緩い視線が向けられているのを感じながら、俺は振り返って肩をすくませると、ルナは微笑んでそれに答えた。
「おや、先日のお兄さんじゃないか。いらっしゃい! 今日は何の用だい?」
そんな俺達に気がついたのだろう。奥の受付嬢が、俺へよく通る大声で話しかけてきた。
いや、そんな遠くから大声で呼びかけなくても……。
しかも、その言葉が、無駄に威勢がいい。どこの職人だ一体。
そんな風に思い、思わず苦笑してしまったが、俺は手を上げてその言葉に答えると、ゆっくりとその声の主へと足を向けた。
それを見て、わが子達も俺に並ぶようにその歩調を合わせてきたので、二人の手を取って歩く。
「先日はお世話になりました。」
俺が声をかけると、受付のお姉さんは、笑いながら俺の肩に手を置き、
「いやいや、良いってことよ! そういやあんた、昨日は何か凄かったんだって!? 聞いたよ! やっぱ、乙女心を理解する男は違うねぇ!」
そう大声で笑いながら、肩をすごい勢いで叩いてくる。
耳元で発生している音が、バットとか鈍器を振る音にしか聞こえない上に、強化した俺の肉体に、重く響くこの手応えは一体どういう事なのか。
俺に向けられる他の冒険者の視線が、何か畏怖を含んでいる点から、俺の疑問はあながち間違いではないのだろう。
そんな先日俺を拉致した3人の受付嬢のうち、巨乳で色んな意味で男前なお姉さんは、今日も平常運転らしい。
「いえいえ、たまたまですよ。たまたま。」
「おうおう、謙遜しちゃって!」
そう言いながら、楽しそうに笑いながら、徐々に肩へと振り降ろされる手の勢いが増す。
きっと悪気は無いんだろうが、この力で叩かれたら、普通の人なら骨が折れるからね?
見ると、俺の足元からホコリが舞って、波紋のように外へと押し出されていくのがわかった。
そして、足元のわが子達から不満そうな視線も感じた俺は、このまま人間サンドバックになっていても拉致があかないので、本題に入る。
「ああ、そうそう。今日はちょっとこの子達の事で、こちらにお伺い致しました。」
そんな俺の突然の切り出しに、受付嬢のお姉さん……もう、この人、受付姐さんでいいや……は、その手を止めて、俺の足元にいる此花と咲耶に目を向ける。
そんな視線を受けて、わが子達は笑顔を見せると、「此花ですわ。」「咲耶でござる。」と、挨拶をした。
二人の笑顔を受けて、受付姐さんは一瞬呆けたように動きを止めると、次の瞬間、俺の方へ錆びついたロボットのように顔を向ける。
「おい。この可愛い生物は何だ?」
「私の娘達ですが……。」
「くれ。」
「あげませんよ。」
「そこを何とか。」
「だめです。」
「一晩、私を好きに使っていいから。」
「いりません。」
「どうしてもか!」
「どうしてもです。」
息もつかせぬほど、短い間に交わされたやり取りだったが、迷いもなく完膚なきまでに俺の完全否定を受けて、がっくりと膝を折る受付姐さん。
ちゅーか、何このやり取り?
何か変な提案が入ってたような気がするけど、気のせいだろう。
笑顔で俺を見つめているルナの視線が心持ち物理的な何かをまとっている気がする。
いや、気のせいだ。気のせいったら、気のせいなんだ。
しかし、なんでここの受付って、癖の強い人ばかりなんだろうな?
俺は、膝をついて崩れ落ちている受付姐さんを残念な気持ちで見下ろしながら、ため息をつくと、口を開いた。
「まぁ、それはともかくですね、うちの子達……此花と咲耶のギルド登録と、タグの発行をお願いします。」
俺のそんな言葉を受けて、ギルド内でこの状況を見守っていた人々から、思わず息を飲む音が響くのを感じた。
「おい、こんな小さな子供達を冒険者にするのか。」
突然、起き上がり俺を睨む受付姐さん。その声には、怒りが滲んでいる。
おや、思った以上に、優しいんだな。
その辺りは、仕事と割り切っているのかと思っていたが。
俺は若干、この受付姐さんの評価を上方修正しつつ、飄々として口を開く。
「ええ、本人たちもそれを望んでおりますので。あ、そうそう、試験はいりません。既にパスしてますので。」
俺の言葉に力強く頷くわが子達だったが、対して受付姐さんの顔は更に怒りに染まっていく。
そして、怒りが頂点に達したのだろう。突然、俺の胸ぐらを掴み上げ、大声で叫んだ。
「あんたなぁ! いくら試験を受けなくていいからって、それが保証にはならないんだよ! 冒険者っていうのは命がけなんだよ! 気ぃ抜けば、あっさり死んじまう! 子供が生きて行けるような甘っちょろい世界じゃねぇんだ! それを……それを! 親であるあんたが止めないでどうするんだよ!」
わが子達とルナに緊張が走るも、俺は笑顔を浮かべたまま、手のひらで3人を制す。
うん。この人、ちょっと脳筋気味だけど、良くも悪くも真っ直ぐな方だな。
まぁ、普通はこんなこと言えないよね。けど、そうやって、真っ直ぐに人とぶつかれるのは少し羨ましいかな。
そんな風に考えながら、宙に吊り上げられながらも、俺は涼しい顔で、
「私の子供たちの為に怒って下さり、ありがとうございます。」
静かに、そうお礼を述べた。
いきなりそんな事を言われて、逆に戸惑った表情を浮かべる受付姐さん。
「ですが、大丈夫なんです。ご心配には及びません。」
俺は受付姐さんの目を見て、そう告げる。
暫し、そのまま真意を探るように、視線がぶつかり合う。
そして、数秒後、俺は彼女の手からゆっくりと開放された。
「……本当に大丈夫なんだな?」
「間違いなく。」
俺は即座に言葉を返す。
腕を組みながら、何か考えるように暫しの間瞑目した受付姐さんは、わが子達に視線を落とすと、今度は少し優しく言葉をかける。
「あんた達。冒険者っていうのは辛いよ? 死ぬかもしれない。それでもやるのかい?」
言葉の端々に、彼女の思いが滲み出ていた。それは心配する気持ちであったり、冒険者という存在の辛さであったり、そう言った言葉に出来ない物を聞いた者達に感じさせる程だった。
しかし、わが子達も伊達や酔狂でここに来ているわけではない。その気持ちは本物だ。
「ええ、大丈夫ですわ。」
「然り。一寸の迷いもありませぬ。」
わが子達の言葉から、そして何よりその目の奥から何かを感じ取ったのだろう。
受付姐さんは、その顔から険を取ると、大きく頷き、
「わかったよ。そこまで言うなら止めない。ちょっと待ってな。タグを作ってくるからさ。」
そう優しく微笑み、奥へと歩いて行った。
その背中を、わが子達はジッと見つめている。
彼女達も、今のやり取りに何か感じるところがあるのかもしれない。
こういう経験は大事だと俺は思う。
実は、今回の事は、彼女達にとって、大きなチャンスだと思っていた。
いつまでも俺の為だけに行動を決めさせるのは、俺の望む所ではない。
だが、今回、自発的に、彼女達は自分の行動を決めた。
まぁ、そのきっかけは、いささか俗物的なものではあるが、それで良いと思う。
彼女達がやりたいと言ったことが重要なのだ。
俺の為でもなく、ましてやお願いという名の命令でもなく、彼女達が彼女達の為に欲する心。
人間ならば誰もが持っているその心を、俺は大切に思う。
それは、きっと、これから生きる上で、大事な力となるはずなのだから。
そんな風に、俺が考えていると、受付姐さんが、タグを持って帰ってきた。
「ほら、これがお嬢ちゃん達のタグだ。登録も済ませてきたよ。確かに、試験は何故か免除になってたよ。あんた達、お父さんと同じで凄いんだな。」
そう言って、手渡されたタグを、俺は此花と咲耶の首にかけてやる。
二人共、不思議そうにしながらも、そのタグを光にかざしたり、いじりながら無邪気に笑顔を浮かべていた。
そんな様子を見ながら、透き通った優しい笑顔を浮かべる受付姐さんを見て、一瞬、釣られて俺も頬が緩む。
俺の視線に気がついたのだろう。受付姉さんは一瞬、こちらに視線を向けると、バツの悪そうな表情を浮かべ、明後日の方を見ながら、
「あー。まぁ、あんたの子供ならきっと大丈夫なんだろうな。……しっかし、なんでまた、こんな子供が冒険者になりたいなんて思ったんだい?」
そう、照れ隠しのように、早口で問いかけてきた。
一瞬、俺はその問に、どう答えようか考えてしまい、
「勿論、お肉のためですわ!」
「然り! あの肉串を守るためでござる!!」
そんな言葉を、意気揚々と告げるわが子達の笑顔を見ながら、
「……だそうですよ?」
と、ため息混じりに苦笑するしか無かった。
「……大丈夫なんだよな?」
そう言いながら、受付姐さんの浮かべた微妙な表情が、俺は暫く忘れられそうにないな。
そんな風に、心で呟きながら、そっと謝るのだった。
そんな俺の言葉に、彼女たちは、目の前で嬉しそうに、クルクルと回っている。
少し余裕のある裾が、まるで着物の袖のように宙を舞い、それがまた動きを大きく美しく見せていた。
あれから俺達は、ライトさんの店を出て、少し遅めの歩調で、商店の間を歩いている。
ルナは俺と同じように、白い貫頭衣を身に纏い、リリーも薄桃色の貫頭衣をその身に纏っていた。
また、彼女達の貫頭衣にはフードがついており、それを少し目深に被ることで、顔を隠しているのだ。
ちなみに、ティガ親子は、首にスカーフの様な布を巻いていたりする。
ヒビキは、血の様に深紅な物を。クウガとアギトは、灰色と黒い物をそれぞれ纏っていた。
え、何そのカッコよさ。ちょ、ちょっと羨ましいとか、思って無いんだからね!
風がその布をはためかせ、悠々と歩く様子が、何とも俺の厨二魂を呼び起こすのだが、あえて何も言わない事にしていた。
ともかく、各々でちょっとだけ個性を出した彼女たちを見て、思わず笑みが浮かぶ。
しかし、俺はと言うと、目の前で皆の新しい服を褒めちぎりつつ、未だに先程のショックから立ち直れずにいた。
先程、クリームさんから告げられた事実は、俺の身体から、彼女たちの匂いが感じられるという事だ。
それがどうしたかって?
大問題なのです。
そもそも、獣人族の嗅覚がそこまで優れているとは、今の今迄、全く思っていなかった訳で。
それを知った今となって、ようやく、森での獣人族の皆の対応が腑に落ちたのだった。
夜、皆と同衾……と言っても、やましい事はしてないが……するようになって、森での皆の視線が、明らかに生暖かくなったのは知っていた。
だからこそ、防音障壁を張って寝るようになった訳だし、それで安心していたのだ。
まぁ、そりゃ、色々、俺の欲望がほとばしる時もあったので、主に、レイリさんやリリー、そして宇迦之さんの艶やかな尻尾や耳を心ゆくまで堪能した日もあった。
その時の皆様の反応や声がそれはもう、口にも出せないほど艶めかしかったので、そう言う障壁を張ったのは俺としては当然の処置だ。
しかし、そんな風に対策していても、毎日のように、森の皆からは、それはもう、空気が温まるんじゃないかと思う程、生暖かい視線が飛んできていて、おかしいとは思っていたのだ。
すれ違う百犬族のお母さま方に、「あらあら、羨ましいわね。」とか、「ふふふ、今日も頑張ったのね。」などと、声をかけられる日々が続き、引きつった笑みを浮かべつつ、何故ばれているのか首を傾げるばかりだったのだ。
大方、つやつやになった女性陣の肌を見て、それを悟っていたのかと思っていたのだが……何てことはない。
俺の身体から、皆の匂いが感じられていたから、すぐにばれたのだった。
その事実を思い起こすたびに、何とも言えず、むず痒い気分に襲われている。
そして、その状況は、今も続いているわけだ。
もし、この雑踏の中に、俺の匂いを感じ取れる獣人がいれば……それは、つまり、一発で同衾の事実がばれる事を意味する訳だ。
一応、対策として、俺の身体を障壁で包むことで、匂いの拡散を防いではいるのだが、今度はそれが不自然さを作る事になる。
俺の匂いが全くしないというのも、それはそれで、目を付けられることになりかねないからだ。
「あら、あちらより、香ばしい匂いが……。」
「父上、行きましょう! こちらですぞ!」
そんな風に腕を引いてくる、此花と咲耶を見て、俺はこの障壁の欠点を身を持って知ることになる。
そう、この障壁は、逆に外からの匂いも通していないので、色々と不便なのだ。
急ごしらえなので、まだそこまで調整出来ていない。魔法陣化するにしても、ある程度の時間は必要になりそうだ。
わが子達に手を引かれ、早急に対策を練らねばならないと、俺はそんな思考に捕らわれていたのだった。
屋台から何かの焼き串を購入し、それを皆で食べる。
此花と咲耶の頬は、一口食べ、笑みを浮かべ、暫くそのまま昇天していると、思い出したようにまた口を開く。その頬は常に緩みっぱなしだ。
ルナはチョコチョコと忙しなく口を小さく動かし、肉を少しずつ削るように口にしていた。何それ、可愛いんだけど。
リリーは反して、豪快に大きくかじり取ると口の中でゆっくりと噛み締めていた。
貫頭衣の上から被ったフードをつけているので、表情は隠れてよく見えないが、耳と尻尾が大暴れしている所見れば、それだけで全てが察せられる。
ヒビキは串を器用に両前足で掲げるように挟むと、一口で半分以上を口の中に納めていた。
やはりその辺りはワイルドだな……と変な方向に感心していたが、そこから中々飲み込まないところを見ると、結構お気に召しているのだろう。ちなみに、クウガとアギトも、母であるヒビキの真似をしようとしているが、どうやら上手く行かないようだったので、手伝おうとしたのだが、ヒビキに止められてしまった。なかなかにスパルタな母である。
結局、なんとか食べることが出来たようなので、俺はそんな皆の様子を確認して笑みを浮かべると、釣られる様にその串についた肉を口にする。
表面はパリッと焼き上げられているが、口にした瞬間、思った以上に柔らかい肉から、じわりと滲みでた濃厚な肉汁が口内を満たす。
塩のみというシンプルな味付けなのに、これまた絶妙な塩加減で、肉汁と肉の旨味を邪魔せず、更に一段階上の美味しさを引き出していた。
「これ、美味しいな。」
森では味わえない、欧米文化寄りの濃厚な味に、俺は思わずそうつぶやいた。
皆、俺の言葉に満場一致で賛成した所で、この肉串を売っていた屋台から声がかかる。
「おや、嬉しいこと言ってくれるな。良かったら贔屓にしてくれよ!」
見ると、浅黒く日焼けをし、肩口まで大胆に露出した元気の良さそうな若いお兄さんが、俺達に笑顔を向けていた。
「ええ、これだけ美味しければまた来ますよ。」
そんな俺のまっすぐな言葉に、少し照れたのか、恥ずかしげな表情を浮かべた屋台のお兄さんだったが、
「あー、けど、すまねぇ。もしかすると暫く、店出せないかもしれねぇんだ。」
決まりの悪そうに頭をかいて、そう口にした。
「なんでですの!? こんなに美味し……あう。」
「ご主人! それは余りに……むが。」
「こーら、君たち落ち着きなさい。」
俺は、思わず大声を出してしまった此花と咲耶の頭に手を置いて、その口を閉じさせると、
「しかし、この子達の言うように、どうしてですか? こんなに美味しければ、贔屓のお客も多いのでは?」
と、改めて問いかける。
そんな俺の言葉に、少し困ったように表情を曇らせると、その理由を語ったのだった。
「頼もう!!」
「お邪魔いたしますわ!」
俺は勇ましく先人を切って室内に飛び込んで行くわが子達の後を、少し焦りながら追いかける。
今日のギルドは、あまり冒険者がいないらしい。まぁ、昼も過ぎたぐらいだから、まだ依頼をこなしている途中で、帰って無い人が多いのだろう。
中で掲示板に貼りだされている依頼を吟味していたのだろうか? 若い冒険者が、彼女達の声を聞いて振り返り、きまり悪そうに頭を下げる俺を見て、何かを悟った表情を浮かべ、掲示板へとその視線を戻した。
「こら、此花、咲耶。焦る気持ちはわかるけど、皆さんの迷惑になるから静かに。」
俺の注意に、此花と咲耶はビクリと方をすぼませると、「「はい。」」と、シンクロしたように足を止めて俺へと振り返った。
上目遣いに潤んだ瞳を向けられて、俺は改めてため息をつくと、二人の頭を軽く両手で撫でた後、「気をつけてな。」と言葉をかけながら、背中を軽く叩いて、先へと促した。
途端に、元気になった二人は、先程より若干静かに、受付へと足を向ける。
全く、子供とは現金なものだな。
後ろからルナの緩い視線が向けられているのを感じながら、俺は振り返って肩をすくませると、ルナは微笑んでそれに答えた。
「おや、先日のお兄さんじゃないか。いらっしゃい! 今日は何の用だい?」
そんな俺達に気がついたのだろう。奥の受付嬢が、俺へよく通る大声で話しかけてきた。
いや、そんな遠くから大声で呼びかけなくても……。
しかも、その言葉が、無駄に威勢がいい。どこの職人だ一体。
そんな風に思い、思わず苦笑してしまったが、俺は手を上げてその言葉に答えると、ゆっくりとその声の主へと足を向けた。
それを見て、わが子達も俺に並ぶようにその歩調を合わせてきたので、二人の手を取って歩く。
「先日はお世話になりました。」
俺が声をかけると、受付のお姉さんは、笑いながら俺の肩に手を置き、
「いやいや、良いってことよ! そういやあんた、昨日は何か凄かったんだって!? 聞いたよ! やっぱ、乙女心を理解する男は違うねぇ!」
そう大声で笑いながら、肩をすごい勢いで叩いてくる。
耳元で発生している音が、バットとか鈍器を振る音にしか聞こえない上に、強化した俺の肉体に、重く響くこの手応えは一体どういう事なのか。
俺に向けられる他の冒険者の視線が、何か畏怖を含んでいる点から、俺の疑問はあながち間違いではないのだろう。
そんな先日俺を拉致した3人の受付嬢のうち、巨乳で色んな意味で男前なお姉さんは、今日も平常運転らしい。
「いえいえ、たまたまですよ。たまたま。」
「おうおう、謙遜しちゃって!」
そう言いながら、楽しそうに笑いながら、徐々に肩へと振り降ろされる手の勢いが増す。
きっと悪気は無いんだろうが、この力で叩かれたら、普通の人なら骨が折れるからね?
見ると、俺の足元からホコリが舞って、波紋のように外へと押し出されていくのがわかった。
そして、足元のわが子達から不満そうな視線も感じた俺は、このまま人間サンドバックになっていても拉致があかないので、本題に入る。
「ああ、そうそう。今日はちょっとこの子達の事で、こちらにお伺い致しました。」
そんな俺の突然の切り出しに、受付嬢のお姉さん……もう、この人、受付姐さんでいいや……は、その手を止めて、俺の足元にいる此花と咲耶に目を向ける。
そんな視線を受けて、わが子達は笑顔を見せると、「此花ですわ。」「咲耶でござる。」と、挨拶をした。
二人の笑顔を受けて、受付姐さんは一瞬呆けたように動きを止めると、次の瞬間、俺の方へ錆びついたロボットのように顔を向ける。
「おい。この可愛い生物は何だ?」
「私の娘達ですが……。」
「くれ。」
「あげませんよ。」
「そこを何とか。」
「だめです。」
「一晩、私を好きに使っていいから。」
「いりません。」
「どうしてもか!」
「どうしてもです。」
息もつかせぬほど、短い間に交わされたやり取りだったが、迷いもなく完膚なきまでに俺の完全否定を受けて、がっくりと膝を折る受付姐さん。
ちゅーか、何このやり取り?
何か変な提案が入ってたような気がするけど、気のせいだろう。
笑顔で俺を見つめているルナの視線が心持ち物理的な何かをまとっている気がする。
いや、気のせいだ。気のせいったら、気のせいなんだ。
しかし、なんでここの受付って、癖の強い人ばかりなんだろうな?
俺は、膝をついて崩れ落ちている受付姐さんを残念な気持ちで見下ろしながら、ため息をつくと、口を開いた。
「まぁ、それはともかくですね、うちの子達……此花と咲耶のギルド登録と、タグの発行をお願いします。」
俺のそんな言葉を受けて、ギルド内でこの状況を見守っていた人々から、思わず息を飲む音が響くのを感じた。
「おい、こんな小さな子供達を冒険者にするのか。」
突然、起き上がり俺を睨む受付姐さん。その声には、怒りが滲んでいる。
おや、思った以上に、優しいんだな。
その辺りは、仕事と割り切っているのかと思っていたが。
俺は若干、この受付姐さんの評価を上方修正しつつ、飄々として口を開く。
「ええ、本人たちもそれを望んでおりますので。あ、そうそう、試験はいりません。既にパスしてますので。」
俺の言葉に力強く頷くわが子達だったが、対して受付姐さんの顔は更に怒りに染まっていく。
そして、怒りが頂点に達したのだろう。突然、俺の胸ぐらを掴み上げ、大声で叫んだ。
「あんたなぁ! いくら試験を受けなくていいからって、それが保証にはならないんだよ! 冒険者っていうのは命がけなんだよ! 気ぃ抜けば、あっさり死んじまう! 子供が生きて行けるような甘っちょろい世界じゃねぇんだ! それを……それを! 親であるあんたが止めないでどうするんだよ!」
わが子達とルナに緊張が走るも、俺は笑顔を浮かべたまま、手のひらで3人を制す。
うん。この人、ちょっと脳筋気味だけど、良くも悪くも真っ直ぐな方だな。
まぁ、普通はこんなこと言えないよね。けど、そうやって、真っ直ぐに人とぶつかれるのは少し羨ましいかな。
そんな風に考えながら、宙に吊り上げられながらも、俺は涼しい顔で、
「私の子供たちの為に怒って下さり、ありがとうございます。」
静かに、そうお礼を述べた。
いきなりそんな事を言われて、逆に戸惑った表情を浮かべる受付姐さん。
「ですが、大丈夫なんです。ご心配には及びません。」
俺は受付姐さんの目を見て、そう告げる。
暫し、そのまま真意を探るように、視線がぶつかり合う。
そして、数秒後、俺は彼女の手からゆっくりと開放された。
「……本当に大丈夫なんだな?」
「間違いなく。」
俺は即座に言葉を返す。
腕を組みながら、何か考えるように暫しの間瞑目した受付姐さんは、わが子達に視線を落とすと、今度は少し優しく言葉をかける。
「あんた達。冒険者っていうのは辛いよ? 死ぬかもしれない。それでもやるのかい?」
言葉の端々に、彼女の思いが滲み出ていた。それは心配する気持ちであったり、冒険者という存在の辛さであったり、そう言った言葉に出来ない物を聞いた者達に感じさせる程だった。
しかし、わが子達も伊達や酔狂でここに来ているわけではない。その気持ちは本物だ。
「ええ、大丈夫ですわ。」
「然り。一寸の迷いもありませぬ。」
わが子達の言葉から、そして何よりその目の奥から何かを感じ取ったのだろう。
受付姐さんは、その顔から険を取ると、大きく頷き、
「わかったよ。そこまで言うなら止めない。ちょっと待ってな。タグを作ってくるからさ。」
そう優しく微笑み、奥へと歩いて行った。
その背中を、わが子達はジッと見つめている。
彼女達も、今のやり取りに何か感じるところがあるのかもしれない。
こういう経験は大事だと俺は思う。
実は、今回の事は、彼女達にとって、大きなチャンスだと思っていた。
いつまでも俺の為だけに行動を決めさせるのは、俺の望む所ではない。
だが、今回、自発的に、彼女達は自分の行動を決めた。
まぁ、そのきっかけは、いささか俗物的なものではあるが、それで良いと思う。
彼女達がやりたいと言ったことが重要なのだ。
俺の為でもなく、ましてやお願いという名の命令でもなく、彼女達が彼女達の為に欲する心。
人間ならば誰もが持っているその心を、俺は大切に思う。
それは、きっと、これから生きる上で、大事な力となるはずなのだから。
そんな風に、俺が考えていると、受付姐さんが、タグを持って帰ってきた。
「ほら、これがお嬢ちゃん達のタグだ。登録も済ませてきたよ。確かに、試験は何故か免除になってたよ。あんた達、お父さんと同じで凄いんだな。」
そう言って、手渡されたタグを、俺は此花と咲耶の首にかけてやる。
二人共、不思議そうにしながらも、そのタグを光にかざしたり、いじりながら無邪気に笑顔を浮かべていた。
そんな様子を見ながら、透き通った優しい笑顔を浮かべる受付姐さんを見て、一瞬、釣られて俺も頬が緩む。
俺の視線に気がついたのだろう。受付姉さんは一瞬、こちらに視線を向けると、バツの悪そうな表情を浮かべ、明後日の方を見ながら、
「あー。まぁ、あんたの子供ならきっと大丈夫なんだろうな。……しっかし、なんでまた、こんな子供が冒険者になりたいなんて思ったんだい?」
そう、照れ隠しのように、早口で問いかけてきた。
一瞬、俺はその問に、どう答えようか考えてしまい、
「勿論、お肉のためですわ!」
「然り! あの肉串を守るためでござる!!」
そんな言葉を、意気揚々と告げるわが子達の笑顔を見ながら、
「……だそうですよ?」
と、ため息混じりに苦笑するしか無かった。
「……大丈夫なんだよな?」
そう言いながら、受付姐さんの浮かべた微妙な表情が、俺は暫く忘れられそうにないな。
そんな風に、心で呟きながら、そっと謝るのだった。
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