比翼の鳥

風慎

第2話 蜃気楼(2)

 東急東横線 妙蓮寺駅

 東急東横線とは、首都圏を北から南まで繋ぐ、大動脈の一つであり、特に横浜から渋谷までを貫く、基幹路線だ。
 その為、通勤で利用する社会人も勿論多いが、それ以上に、沿線に学園が多く存在すると言う性質上、学生の利用も負けないほど多い。

 と言うわけで、俺は、地獄の様な満員電車を乗り継ぎ、そんな数多の学園が終結する一帯の一つ、妙蓮寺駅にて下車をした。
 尤も、この駅は各駅停車しか止まらない為、比較的平和にこの地まで来ることが出来る。

 通勤ラッシュ時の急行、快特の騒乱状態に比べれば、むしろ天国だ。あれは、魔窟であり、試練である。人を如何に奥へと圧縮し、自分の陣地を確保するかと言う、生存競争に他ならない。
 もし、人の意思が視覚化できるのであれば、あの電車は真っ黒な何かが渦巻いていると、俺は思っている。

 改札に定期券を通し、俺は、駅を背に、住宅街へと足を向けた。
 周りには俺と同じ学ランを着た男子生徒と、セーラー服を着た女生徒の軍団が、流されるように、一方向へと向かう。
 そう、この住宅街を抜けた先に、俺の通う高校がある。

 私立 無双高等学校

 字面こそ物の表れとばかりに、この高校、どちらかと言えば体育会系色の強い学校である。
 その分、学力はやや下気味だが、その辺りは仕方ない。俺は、公立高校受験に失敗し、滑り止めでここへと入る事になった。
 その時の絶望感は、記憶に新しい。人生、終わったとすら思った。その時は。

 そんな高校への入学試験の時に、教員の一人が、こう言ったのは、忘れられない思い出だ。

「では、ちょっとその場で、軽く飛んでみましょうか。何、ちょっとした体操ですよ。」

 一瞬、カツアゲと言う単語が頭を過ったが、ある意味それは間違ってなかったと後で知る。
 どうも後で聞いた話によると、ナイフ等の危険な物や、必要のない金属類を持っていないかを試す、ちょっとした検査だったようだ。
 俺は、なんて所に来てしまったんだと、頭を抱えた俺の気持ちも少しは解って頂けるだろうか?

 まぁ、入学するに至り、抱いた絶望は全くの杞憂となった訳だが。

 まず、人数こそ多かったが、皆、良い奴らだった。
 勿論、言葉遣いが悪かったり、良い意味で馬鹿だったりする奴もいる。
 だが、基本的には、皆、驚くほど純粋だった。

 昔こそ、不良と呼ばれる、ちょっと粋がっちゃった人達も多かったようだが、その分、校則が厳しく、そういう人達は早々に、ドロップアウトしていった。
 そう。高校は義務教育では無いので、その辺りは実にドライなのだ。特に私立の場合は、顕著だった。
 結果、少し学力は低いけど、最低限度、社会規範を守れる、根は良い奴らが残ったのである。

 俺はそこで、1年生の間、中学時には考えられない様な抜群の成績を収め、2年へと進級する。理由はあるのだが、今は良いだろう。
 そして、2年生へと進級と同時に、俺は選抜クラスと言う、特別学級へと編入となっていた。

 そこで、俺は運命の出会いをする事になる。

 ……そうだったな。そんな事もあった。
 懐かしさで胸を一杯にしながら、俺は、高校へ向かう学生に交じって、住宅地を抜け小高い丘の上に見える学舎を仰ぎ見た。
 ああ、変わっていない。あのちょっと古臭い鉄筋コンクリート製の建物。
 道を挟んで新設された、新校舎。全てが、当時のまま。

 ん? 当時? ……いや、今の事だよな?

 やはり、何かが変だ。今日は起きてから、ずっと心がモヤモヤとする。
 そんな気持ちに押されるように、俺は高校へと続く緩い坂道を歩きながら、改めて、先を進む学生達の様子を眺める。
 学ランに身を包み、友人達と話しながら投稿する男子生徒達。黙々と坂を上っていく、セーラー服の女生徒達。
 その光景を見て、何か異物が混ざっている様な些細な違和感が、ずっと俺の心にべったりと張り付いていた。

 何かが……確実におかしい。

 そう思いつつも、それを見つけられないまま、俺は吸い込まれるように、校門をくぐったのだった。



 他の生徒達とは、入口の異なる下駄箱へと向かい、隔離された新校舎へと入る。
 特別学級の生徒は、別格の扱いを受けていた。授業料の一部免除。授業支援の充実。何より、修学レベルが県下有数の進学校に匹敵するレベルに引き上げられる。
 それよりも、更に凄いのが……新校舎と言う快適な空間での授業。これに尽きる。
 何が凄いって、この新校舎は完全に他の生徒と接点が無い。一種の隔離空間なのだ。
 だから、廊下で誰かが騒いでいて、五月蠅いと言う事も無い。
 冷暖房、防音完備は勿論の事。塾と提携したサテライト授業による補修も受けられる。
 無論、同じクラスの皆は、勉強に熱心な奴らばかりだから、授業中に私語が飛ぶとかあり得ない。

 正に、勉強をするには理想の環境。

 それが、選抜クラスだった。

 俺はそんな教室へと、足を踏み入れようとして……一瞬、何故か躊躇した。
 何だか、俺が入って良いのか、不安になったのだ。心の奥から、ここは俺の場所ではないと告げる声が聞こえた気がした。
 いや、何をやっているんだ? ここは、俺の教室、のはずだ。下駄箱もあった。その、はずだ。

 そんな風に、俺が扉の前で戸惑っていると、後ろから肩を叩かれる。

「やぁ! おはよう、佐藤君。こんな所でどうしたの?」

 驚いて振り向くと、そこには、俺と同じ学ランに身を包んだ、中肉中背の男子が、屈託の無い笑みを浮かべて立っていた。

「柴田……。」

 そう。この男は、柴田しばた幸路ゆきじ。パッと見た感じ、どこにでもいそうな、ごく普通の、目立たない容姿だ。
 背は、俺より少しだけ高い。短く刈り上げた髪は涼しげだ。まぁ、何処から見ても、一般人である。
 だが、こいつの恐ろしい所は、その普通さにある。うん、彼の本当の姿を知ったとき、俺はあまりのギャップに、失礼ながら爆笑した。それを感じさせないのが、恐ろしい。
 そして、そんなこいつは、俺の親友の一人だ。

 そのあどけない姿を見て、俺は何の抵抗も無く、思う。……若い。そして、まだ雰囲気が純朴で擦れていない。
 ……いや、何を言っているんだ? 高校生なんだから、若いに決まっている。くそ、何かがおかしい。
 確かに、目の前の男は間違いなく柴田だ。それなのに、何かのずれを感じる。

 俺は、頭を振ると、柴田へと言葉を返す。

「お、おう。おはよう。ちょっと、考え事をね」

「こんなところでかい? ま、いいや。とりあえず、中で話そうよ。」

 そう言いながら、柴田は扉に手をかけ、そのまま開いた。
 ドア越しに見える景色は……懐かしい、教室の風景、そのままだった。
 俺は、内心、少し臆しながらも、柴田に続いて、教室へと足を踏み入れる。

 足に伝わる、柔らかい絨毯の感触。
 管理された適度な空調。
 整然と並べられた、長机と、椅子。

 やはり全てが別格だった。少なくとも、俺が通っていた中学校とは雲泥の差である。
 こんなに恵まれていたんだな。この光景を見て、改めてそう思う。
 不意に、何故かこみ上げるものがあった。

 そんな俺は、挨拶をしてくる学友に悟られないよう、挨拶を返すことしか出来なかったのだった。


 暫くすると、徐々に登校する生徒が増えて来た。
 俺はそんな様子を、肌で感じつつ、柴田と他愛も無い話をしていた。

「……で、見て来たんだけど、やっぱり、時代はポリゴンだよね。あの迫力は凄いよ、佐藤君! 3Dってさ!」

「ああ。そうだな。確かに、それはある。技術が進化すれば、本物としか思えない程のリアリティだからな。けどな、柴田よ……まだ甘いぞ。まずは、声、そして、アニメーション。これに尽きるだろ? リリアンちゃんが、動いてしゃべるんだぞ!? ○Cエンジン舐めんなよ。」

「いやいや、あの立体感は、ゲームを変えるよ? 時代は○レステでしょ。それに、声だけなら、こっちでもでるし。」

「お前は、まだまだ分かっていないな。大切なのは、萌えなんだよ。時代は。もう、すぐそこまで来てるんだ! それを切り開くのは、萌えで世界を狙っている会社にしか出来ねぇ! つまり、次世代機は、○C-FXの一強なんだよ!」

 そう。人外すら、性欲の対象にできる日本人の魂は伊達ではない。
 鳥類や昆虫すら恋人に出来る民族であるなら、そこにリアリティなど必要ないのだ。
 だが、このゲーム機、余りに時代を先取り――具体的には15年ほど――しすぎて、見事に自滅した。
 無理にドット絵で立ち絵をアニメーションさせようとか、考えるから……。それ、本当に最近出来るようになった技術だからね? うん、時代が追い付いてなかったんだ。

「いいや、佐藤君こそ、甘いね。今のトレンドはリアリティだよ。幾ら声優が頑張って、キャラに命を吹き込んでも、キャラにリアルさが無かったら、万人受けしないって。」

「二次元舐めんな! 想像力でカバーだ!」
「三次元こそ至高だよ! 見た目の美しさが全てだ!」

「「ぐむむむ……。」」

 そんな俺達の白熱した議論は、決着を見る事無く、不毛な平行線をたどっていたのだが、

「う~ん。それ以前にそんなゲーム談義をしちゃう程オタクな時点で、色々と詰んでると思うけどなぁ。僕は。」

 突然降ってわいた、そんな身も蓋も無い言葉で、バッサリと切り捨てられる。
 振り返ると、そこには細身で、柔らかい雰囲気を纏った男子学生が立っていた。

「鈴君……。」
「それは、言っちゃダメでしょ。」

 俺らは、二人で肩を落とし、溜息を吐く。そんな俺達の心を一気に突き落とした元凶である彼は、温和な笑顔を浮かべつつ、静かに俺達を見つめていた。

 彼の名は、鈴木すずき悠裏ゆうり。俺達の間では、鈴君と呼ばれている。
 中性的な容姿を持つ彼は、その柔らかな雰囲気とも相まって、クラス内での人気は悪くない。
 しかし、彼自体が、あまり行動的では無く、もっぱら俺達とつるんでいる為、意外と存在感は薄い方だった。
 まぁ、そんな事はどうでも良い。それよりも問題なのは、今の通り、身内に対しては、遠慮なく腹黒い点だ。時々、グサリと胸に刺さる一言を、にぶん投げて来る。しかも、さわやかな笑顔で。
 これだけなら、普通に嫌われそうなものだが、彼の本当の恐ろしさは、その立ち回りである。
 彼は敵を作らない。いや、作らせない。世渡りがずば抜けて巧く、人心掌握に長けている。その癖、自分では絶対に表立って動こうとしない。
 そんな彼は、柴田と同じ親友であり、彼と並んで、別の意味で敵に回してはいけない人物の筆頭だった。

「まぁ、その辺りは、既に悟った。俺は、二次元に生きるから良いよ。」

 とりあえず、鈴君に全否定された俺達ではあったが、事実、この先、そうなるだろうから、仕方ない。半ば、諦めの境地に至りつつ、俺は現実を受け入れる。こんな気持ちの人は、幾らでもいるんじゃないか? 今の世の中なら。
 それに女性の現実と言えば、妹の例もあるし、大学時代の事や、社会人時代の苦い経験もある。
 そんな一風変わった経験を積み重ねた俺は、女性への過剰な幻想は、当に捨て去っている訳で。

 そう思ったのだが、一瞬、胸を何か暖かい物が過る。記憶の片隅で、白く光る髪が揺れた。
 ……何だろうか? 凄く、懐かしい。

「いやいや、諦め良すぎると思うんだけど。僕ら、まだ高校生だよ? って、どうしたの、佐藤君?」

 流石の鈴君も、あきれ顔でそう言いかけ、ふと、心配そうに視線を向けて来た。

「あれ? 本当だ。佐藤君、どうしたの? 浮かない顔してるけど。」

 柴田のそんな指摘で、俺は初めて自分が少し落ち込んでいる事に気が付く。

「あ、ああ、いや、何でもない。ちょっと、何かを思い出しかけたんだが、良く分からん。」

 そう。何かを、今、思い出しかけた。だが、それはすぐに、淡い感情と共に消え去る。
 なんだろう? 今、過った切なさは。胸に空いた穴を感じる。

 そんな俺の様子を見て、心配してくれたのだろう。鈴君は、先程よりやや明るめに、

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。いざとなったら、三次元の彼女くらい、柴田君が何とかしてくれるから。」

 清々しいほど、他人任せの発言を躊躇なく告げる。

「いやいやいや……。流石にそれは、おかしいでしょ。」

 流石の柴田も、手を振って否定する。

「いやいやいや……。柴田君の力なら余裕でしょ。こう、バサーっと。」

 それを鈴君も、さわやかな笑顔で更に否定する。

「「いやいやいや…………。」」

 二人が息もピッタリに、じゃれ合うのを見て、俺は先程の哀愁の様な感情が吹き飛んだ事を理解した。
 全く、そんな所で、気を利かせなくったって良いのにな。
 心でそっと礼を言うに留めつつ、傍から見ると、完全に飲み屋のおっさんの仕草でじゃれ合う二人を、見守るのだった。



 4限目が終わり、俺は机に突っ伏す。
 なんだか、凄く疲れた。

 何と言うか、頭の中で、いつも使っていない部分を無理矢理使ったような、そんな疲労感が俺を支配している。
 頭から煙が出ていてもおかしくは無い。そんな心境だった。

 だが、同時に、満足感と同時に、何かを取り戻したという実感が強く感じられた。
 たかが、授業を4コマ受けた位だが、心の片隅で、この時間を大事にしようと思う俺が居る。
 不思議な程、充実感に包まれている俺だったが、親友二人達のお誘いを受け、それも霧散した。

「佐藤君、ご飯行こう。」
「僕、おなかすいたよ。」

 そんな二人に誘われ、俺達は、学食へと足を運ぶ。


 この学校の学食は、全校生徒が集う場所であり、本校舎の中にある。
 一階の多くを占める、この広大な空間に、中学生から高校生までが一堂に会す光景は、この学校のちょっとした風物詩でもあった。
 まぁ、人が多い分、色々と問題も多い訳だが。

「あれ? 兄貴? 今日は学食なのか?」

 ほら、早速問題が……。
 って、なんで、こんな所に春香が?
 俺が首を傾げながらも、手を上げると、柴田がそれを引き継いで、声をかける。

「あー、春香ちゃんも、今日は学食?」

「あ、はい。今日は委員会で少し遅くなりましたので。先輩方も、これからですか?」

「うん~。僕たちも、今からだよ~。あ、良かったら、一緒に食べる?」

「ええ、それでしたら、是非、お願いします。ここは、中学生二人で食べるには、少し問題がある所なので。」

 ん? 中学生? 二人?
 俺が、訝しがっていると、春香がスッと、体を横にずらす。
 すると、春香の体を盾に、身を隠していた少女が露わになった。
 あれ? この子、朝の少女だ。俺が驚いた様子を見て、向こうも何故か驚いた様だ。

「っ!? 先輩、酷い!」

 と、すぐに春香の後ろに隠れようとしたが、春香は右腕で、少女の頭を押さえ、完全に動きを封じていた。

「お前も、少しは、男に慣れろ! ほら、微妙に男に近い生物がいるんだから、少しは頑張って慣れておけ。」

 それは酷いんじゃないの? 暗に、俺達を男だとみなさないって言う心境が、これでもかっていう程、透けて見えてますよ?
 暫く、そんなじゃれ合いを、生暖かく見ていた鈴君だったが、

「じゃあ、二人は席取りをお願いしても良いかなぁ? 日替わりで良いよね?」

 そんな空気を読んだ行動を見せ、俺達は飯調達の為、食券を買い、受取の列へと並ぶ。
 俺の前で、柴田と鈴君が、二人について何かを話している姿を後ろから漠然と観察しつつ、俺は思考にふけっていた。
 駄目だ、色々おかしい事だらけで、どこから突っ込んでいいか、分からない。

 あの今の二人のやり取りは、どこかで見た事のある光景だった。
 だが、ここで見れるはずがないんだ。
 それに、柴田と鈴君が当たり前の様に、彼女たちに接していたが、そんな姿、実際は、見た事が無い。

 だって、春香達と、俺らの接点なんて……。
 そう、疑問が確信へと、形を変えようとしたとき……

「お兄さん。」

 列の横合いから、突然、声をかけられた。
 散り散りになる思考。あ、あれ? 今、何か大事な事を考えていたはずなのに……何だ? えっと……。

「もう、お兄さん? 聞いてます?」
  

「あ、ああ。ごめん。何?」

「言い忘れてたんですけど……私、ご飯、少なめでお願いしますね!」

 にこやかに微笑む姿を見て、不覚にも一瞬、可愛いなと、思ってしまった。
 屈託の無い笑顔とでも言えばいいのだろうか。花が咲いたように笑うその姿は、遠くから見ても分かるほど、存在感を放っていた。だが、同時に、俺の知っているあの子には、敵わないな、とも思ってしまう。

 ……あの子って誰だ?

 白い髪が意識の隅で、サラリと揺れた。

「お兄さん?」

「ああ、分かった。少なめだね。」

「はい! お願いしますね!」

 両手を打ち合わせ、小気味よい音を響かせると、彼女はスキップでもするかのような勢いで、窓際の席へと戻っていった。
 その姿を見送りながら、俺は、心に張り付いた、重苦しい違和感を持て余していたのだった。

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