比翼の鳥

風慎

第15話 蜃気楼(15)

 暫く俺の頭を鷲掴みにして、好きな様に不満をぶつけていた揚羽だったが、落ち着いてきたようで、漸く俺の頭から手を離した。

 おおおお、流石に、思いっきり揺さぶられると、何か変な感じが……。
 何か視界が回っているような、揺れているような、変な感覚が残る中、俺はまたも顔を背けてしまった揚羽の様子を伺う。

 顔を背け、肩で息をしているものの、泣き出すまでは行かないようで、そこは安心した。
 プルプル震えている背中が、彼女の気持ちを嫌というほど代弁しているが、その辺りは、とりあえず見なかったことにする。

 そんな興奮冷めやらない彼女は、息を荒げ、顔を背けたまま、ポツリと問いを投げかけた。

「なんで……分かった、の?」

 何が、とは敢えて問わない。
 ここが、俺の心象世界とでも言うべき物だという事は、俺の知っている情報との齟齬を埋め合わせする為の推察……もっと言えば、直感的な思い付きに過ぎなかった。
 正直、半信半疑な部分もあった訳だが、彼女が正解だと言っている以上、そうなのだろう。

 ここで偽情報を掴まされる可能性も、一瞬考えはしたが、彼女がそうする理由を、俺は思いつくことが出来なかった。
 何より、そこまで策士であるならば、今までの姿も偽りである可能性があるという事だ。
 仮にそうであるならば、それを見破れなかった俺はもう、全面降伏するしか無いだろう。
 だから、俺は、努めて何食わぬ顔で説明を始める。俺自身にも、まだ動揺はあるものの、一方で、すんなりと受け入れている俺も確かにそこにいたから、それは難しい事では無い。

「そうだね……いろんな要因があるけれど、一番の大きな物は、俺の経験してきた現実との齟齬かな。」

 情報を整理しながら、俺は言葉を選ぶ。
 そう。俺の現実と、彼女と過ごした世界は、似ているようで明らかにおかしい部分があった。
 だが、そんな俺の言葉に、彼女は納得いかなかったようだ。

「そう、かしら? お兄さんの記憶を頼りに、かなり正確に再現したつもりだけど。」

 記憶を頼りに、再現。そんな事が出来てしまうのか。
 表情にこそ出さないものの、俺は密かに驚く。

 確かに、あの世界は、俺の知っている世界だった。そして、触れ合った人物達も、全て、俺にとっては本物に見えた。
 そして、本当に恐ろしい事ではあるが、それが意味する所は、一つしか無い。
 だが、その確認は後に回す。今は、彼女の問いに答えることを優先しよう。

「それが、逆に違和感を大きくしたんだろうね。俺の精神は、大人のままだった。ならば、それをベースに世界を作るべきだったと思うよ?」

 そう。俺の意識は、ずっと大人になってからのそれだった。
 意識が大人だったのなら、記憶も大人の状態を引き継ぐ方が自然なはずだ。意識と記憶は密接に繋がっているんだから。
 舞台を高校にするならば、そこまで記憶も封印しなければ、整合性が取れない。
 過去の事は、所詮過去なんだし。

 俺の記憶にある、現実の高校生時代は、彼女と過ごした世界に酷似していた。
 けど、俺の心は、記憶は、考え方は、高校生のものではなかった。

 実家のある東戸塚周辺の風景は、大人の俺にとって、違和感しか無かった訳だ。
 だって、大人の俺は、その風景が変わりゆき、変化した先で日常を生きていたわけだから。

 高層マンション群が立ち並び、巨大商業施設が鎮座する駅前ロータリーが、俺が生きていた日常の風景だったのだ。
 だが、そんなビル群を、高校生の俺は知り得ない。その齟齬が、俺にきっかけを与えたのだろう。

 俺のそんな指摘を受けて、揚羽は、何かを納得したように、ため息を付く。

「そっかぁ。迷ったのよね。けど、お兄さんの意識を探ったら、一番幸せだった時期がそこだから、何とかなるかなと思ったのよ。人間なんて、楽しい事が目の前にあれば、細かい事は気にしないのが普通でしょ? だから、今回もそうしたんだけど……失敗だったかぁ。」

 なんだか、更に恐ろしいことを、あっさりと言ってのける。
 俺の一番幸せだった時期……うん、まぁ、思い返せる限りでは、確かに、柴田や鈴君達と、馬鹿やっていた高校時代に敵う時期は無いだろう。
 だが、それを知って言うということは、つまり、俺の記憶を掌握しているという事だ。
 そりゃそうか。封印できるなら、選別も可能だろうし、知ることも出来るだろうな。
 だが、今は、良い。全てを彼女から聞いた後、考える事にしよう。

「ちなみに、強烈な違和感の元が、もう一つあったよ。」

 俺が口を開けば、彼女は更に、眉をしかめながらも、半分興味深そうに、その先を促す。

「それは何?」

「そもそも、俺らの高校は、だ。女子がいることなどあり得ないよ。後、春香と高校には通えない。だって、3歳差だからね。更に言えば、春香は、中学時代は、あんな性格じゃなかった。」

 そう。実際には、俺らの出会った、私立無双高校は、男子校だった。
 そして、俺と春香は、小学校卒業以降、同じ学校に通う事は無かった。
 更に、彼女があんなに攻撃的になったのは、高校に入って少ししてからだ。

 俺が卒業したと同時に、彼女は俺の通っていた、地元の公立中学へと入学している。
 中学では色々、俺がやらかした後だったから、何か変な武勇伝が残っていたようで、彼女は暫くの間、肩身の狭い思いをしたらしい。
「ああ、あの佐藤君の妹さんね。」と言うのが、お決まりの言葉だったようだ。
 当時春香からは、さんざん愚痴を聞かされたから、良く覚えている。
 それが引き金になって、空手と合気道を始めたのは間違いないだろう。
 だが、それは、彼女が高校生になってからの事だった。

 既に昔の事を正確に思い出せるようになっている俺は、そう邂逅する。
 そんな俺の言葉に、彼女は、「あちゃー。そこもなのね。」と、天を仰ぎ見ると、眉を寄せながら、口を開いた。

「うーん、ほら、女子高生って可愛いでしょ? 私も一回やってみたかったし。だから、その設定で行ったんだけど……やっぱり、ちょっと無理があったのね。」

 一回やってみたかったって……君、俺の世界では中学生だったじゃない、と言う言葉を、出しかけて、寸前で飲み込む。
 そのまま暮らしていけば、高校生になる。つまり、数年間、もしかしたらそれ以上……彼女は俺と一緒に過ごす腹づもりだったのだろう。そこまで先の事を考えての設定だったのかもしれない。

 何となく、彼女の無邪気さの奥に隠されている、抱え込んだものの正体が、見え始めた気がして、俺は心の中で溜め息を吐く。
 なるほどね。そういう状況なのかな? だとすれば、とんでもない物を隠し持っていた物だ。
 一瞬、臆しそうになる心を、俺は抑え込み、そのまま会話を続けた。

「まぁ、これだけ違和感が揃えばね。何か変だとは普通思うだろ。」

「そこは、私の腕でカバーしようと思ったのよ。結局、駄目だったけど。」

 だめじゃん。

 思わず俺が心の中でツッコミを入れてしまったが、どうやら表情に出ていたようだ。
 俺の表情を見ると、揚羽少し不機嫌そうに、口を開く。

「しょうがないじゃない。他の人の場合、今までこれでうまく行っていたんだもの。むしろ、お兄さんがおかしいのよ。本当なら、そんな違和感も、気にならない位、世界にハマるはずなのに。」

 他の人?

 その言葉を聞いて、俺は流石に、その感情を隠す事が出来なかった。
 俺の表情の変化を敏感に読み取ったのか、彼女も、流石に自分の失言に気が付いたようで、気まずそうに顔を背ける。

 そうか。そういう事か。
 今の話、俺が思っていた以上に、大きな意味を含んでいたようだ。
 他にも、俺と同じように、封印されて、閉じ込められた人が居るって事だろ?

 じゃあ、そいつらは、どうなったんだ?

 閉じ込められたまま……そいつらは……どこにいるんだ?
 彼女はここに居る。それは、そいつらは、もう、揚羽が直接は面倒を見る必要がなくなったって事では無いのか?

 自問自答する中で、自然と俺の考えがある方向へと定まっていく。まだ、思い出せていない事柄も多くある。だが、今までのことから、あまり良い結論が出ることは無かった。
 そして、それは表情の険しさとなって、現れてしまったのだろう。
 そっと俺の顔を伺う様に視線を寄越した彼女は、俺の表情を見るや否や、すぐに背を向けてしまう。
 しまったな。つい、感情が出てしまった。
 気まずい雰囲気が流れる中、俺は頬を掻く。

 だが、これも、考えようによっては、チャンスでもあるか。
 折角、彼女の方から話題を提供してくれたんだ。そのまま、流れに乗るのが良いんだろう。
 俺は、そう考え、静かに深呼吸をした。
 それは、俺の心に余裕を生み、覚悟をもたらす儀式のような物だ。

「まぁ、いいや。で、話を元に戻すけど……何で、俺に封印をしたの? 何で、俺をに閉じ込めて置きたかったの?」

 俺の言葉に、これまでにない真剣さを感じたのだろう。
 一瞬、彼女は身じろぎすると、目を逸らしたまま、ポツリと本当に小さな声で呟いた。

「……言いたくない。」

 その様子は、拗ねた様で……しかし、どこか怖がっているような、そんな印象を俺に与える。
 いつもの俺ならば、あまり無理強いはしない。嫌だと言うならば、一旦引く。
 だが、今、引く訳には行かなかった。言いたくないと彼女は言った。
 そう、きっと分っているのだ。
 彼女が語った事の片鱗。それが、本当は許されない事で、今迄の話に繋がる事で……それを彼女は無意識に悔いているという事を。
 だから俺は、食い下がる。逃げようとする彼女を、今は逃がすわけにはいかない。ここを逃してしまえば、彼女はまた、自分の殻に閉じこもって、意味の無い空回りを続ける事になるだろう。

「言いたく無い理由は、何となく分かる。だけど、俺は、何度でも聞くよ。」

 俺のそんな言葉に、今度は、口を閉ざす揚羽。
 だが、耳はこちらに向いている事は、何となくわかった。
 そう、心までは閉じていない。それは、逆説的に、俺の言葉を聞きたがっているという事なのだろう。
 つまり、彼女は、本心では、助けを求めている。

「俺は、どんな理由にせよ、君が俺の記憶に何かした事自体は、怒る気はない。だけど、どうしても、このままでは納得が行かないんだよ。」

 俺の言葉に、彼女は何も語らない。
 だが、意識は俺に向いているのは分かる。言葉は届いている。

「そもそも、君にこの質問をしている事自体……これは俺の我が儘だ。だけど、気持ちを整理する為にも、絶対に必要な事なんだよ。」

「知らないもん。そんな事。」

 まぁ、そりゃそうだ。そんな事は、彼女の知った事では無い。
 だが、同時にこの質問の過程は、これからの彼女にも必要な事だ。それは、彼女が気持ちを整理するにも役に立つはずだと、俺は信じる。

 だから、俺は、問い続けよう。
 俺の言葉が届くなら、きっと、彼女の心も掘り起こせるはずだと、信じる。

「うん。君は、何かを怖がっているんだろうな。それが、俺には何なのか、今は分からない。だからこそ、知りたい。それを、少しでもいいから、俺に預けてはくれないかな?」

 俺の心を伝えるには、正面突破しかない。
 下手な小細工は、その言葉の力を鈍らせる。
 本当に、思っているのなら、そのまま素直に伝えるべきだ。でないと、言葉のもつ勢いが消える。
 俺は、それを何度も、嫌と言う程、体験した。だからこそ、今の俺には、これしかできないし、それが最善だと信じる。

「怖がってなんか、ないもん。私、一人で大丈夫だもん!! だから、良いじゃない! それに、私の事なんて、お兄さんに、分かるはずないじゃないか!!」

 聞き流せば、それは、単なる不満を羅列した言葉。だが、俺には感じられた。彼女の本心が、その言葉に乗って、俺に届いたのだ。
 何より、その表情が、彼女の叫びを物語っていた。

 一人で大丈夫? そんな訳あるか。

 今にも泣きそうな顔をして、そんな事言っても、何の説得力も無い。

 分かるはずない?

 そりゃそうだよ。俺は君の事は、ほとんど知らない。そもそも、知り合ってから間もない。
 だから、それは、事実。

「そうだね。俺は君のことを何も知らない。だって、俺は、君と会って、まだ日も浅いからね。本当に、知らない事ばかりだ。」

「そう、よ。お兄さん何て、私にとっては、ほぼ他人だもん。先輩のお兄さんでしかないもん。」

 まるで自分に言い聞かせているかのようだ。
 そんな虚勢が見え隠れする、言葉を聞いて、俺は苦笑が表情に出ないように抑えるのに必死だった。

 確かに彼女と過ごした時間は短い。だが、一緒に過ごした事は、疑いようもないし、その短い時間でも、俺が思った事、感じた事は、本当の事だ。
 時間があれば、多くの体験が積み重なって、その思いはもっと多様な、しかし一本、芯の通った姿を取るだろう。
 だが、大事なのは時間だけじゃない。彼女と過ごした時間の中で、俺が感じた想い。それは、俺の中で、本当の事だし、信じられる。
 だからこそ、それはちゃんと伝えなくてはならない。

「だけどね、俺には、君と過ごした時間は、楽しいと思えた。それに、君の、揚羽の良い所も、沢山見つけたよ。」

「何よ。可愛いとか、そんな事言われても、嬉しくないわよ? 言われ慣れているから。」

 逆に俺は、そんな彼女の一言に、拍子抜けする。

 なんだ。そんな事しか言われてないのか。

 俺に言わせれば、外見を褒めるのは、一番楽な部類に入る。勿論、細かい所を見るのは大変だが。
 それだけ、視覚が与える印象は、大きいのだ。第一印象の殆どが、最初の見た目で決まるのも納得だ。

 だが、内面の良さを知るには、話すしか無い。
 話して、言葉を交わして、新しい発見を積み重ねる。何とも迂遠な話ではあるが、そうやって触れ合ってみないと、本当の意味で、その人を知ることは難しい。

 そして、俺達は、短い間だが、ちゃんと言葉を交わした。
 だからこそ、見えるものがある。それを彼女に伝えておきたい。

「まぁ、揚羽が可愛いのは、勿論だよ。けど、それだけじゃないよ?」

「声が綺麗とか? 肌が白いとかでしょ? あ、服のセンスも褒められたわね。けど、そんな事、どうでも良いわよ。」

 そんな彼女の言葉を聞いていて、何だか、寂しくなった。彼女の本質的な所に触れた言葉が、並べた言葉から出てこない。
 それは上っ面の話だ。彼女もそれがよく分かっているからこそ、つまらなそうに、言ってしまうのだろう。
 勿論、外見や可愛さだって、良い所だ。
 だが、それは、ある程度は作れてしまうものでもあるし、何より、自分の一部でしか無い。
 表に出ている、本当に一部分だけ。しかも、老いて失われていく事が約束されている、時間制限のある自分の取り柄。
 それが分かっているからこそ、人は外見にこだわるのかもしれない。
 そんな答えのない事を考えつつ、俺は、彼女の言葉に、返答した。

「いや、まぁ、外見に絡む部分だったら、君の感情がとても豊かな所とか、かな。目まぐるしく変わる表情は、見ていて飽きないし、こちらも、楽しいしね。特に笑顔は、良いと思うよ?」

 敢えて、外見を絡めて、俺なりに彼女の良い所を浮かび上がらせる。
 そう。外見だって、内面と一体になって現れる。
 彼女の見ていて飽きない表情の発露は、その感情にある。
 それは、彼女の素直さのなせる技だ。彼女の根が、とても純粋であるが故に、様々なことに反応できる。
 それだけ多くの感情を目まぐるしく変えられるのは、それだけ、外界の刺激を素直に取り入れ、自分の心を通わせられるからに他ならない。

 俺のそんな言葉を受けて、揚羽は、思わずと言った感じで、こちらを凝視する。
 おや、こういう事は、あまり言われたことがないのかな? 初々しくて良いことだ。
 しかし、そんな事を思う俺の笑顔に、何か良からぬものを感じたのだろう。一瞬、顔を赤らめると、すぐに視線を逸らしてしまった。

「後は、その恥ずかしがり屋な所とかも、中々にポイント高いよね。」

 俺は敢えて、茶化すように、そう言葉を付け加えた。

「恥ずかしがってない。」

「いやいや、耳まで真っ赤だから。」

「そんなこと無いもん!」

 耳に手を重ね、聞こえないとでも言うかのように、態度で語る彼女。
 だが、彼女が真っ赤な顔をしているのは、疑いようもない。

「そんな、可愛く真っ赤になった顔を、必死に隠さないでも良いじゃないか。ほら、もっと見せてよ。」

 そんな風に、俺はついつい、調子に乗って言葉を続けてしまう。
 何となく、この子は虐めたくなってしまう。
 だが、例の如く、俺は調子に乗ると、失敗する。

 それは、彼女が涙目で右手を振り上げた時に、遅まきながら気がついた訳で。

「うぅぅううう……お兄さんの……」

「ちょ、ごめ、つい。」

 俺が弁解する暇もなく。

「馬鹿ぁ!!!!」

 またも、振り下ろされた平手が、乾いた音を大きく響かせることになったのだった。

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