比翼の鳥
第20話:愛の子
俺は真っ赤になりながら、情けない発言をする。
だってさ、この年まで俺、経験無いんだよ?しかも、それに加えて野外?難易度高すぎでしょうが!!更には、隣にルナ?駄目でしょ…どんなに猛者でもこれは無理でしょ!!っていうかそこ超えたら人として駄目でしょ!
そんな俺の様子(と心)を見たディーネちゃんは、ポカーンとした表情で俺に問いかける。
「ツバサちゃん…。私はてっきり、私のことや、子供を育てることが受け入れられないから駄目なのかと思ってたのだけれど…そこが一番問題だったの?」
それを聞かれて、俺は益々情けない気持ちになるが、こればっかりは俺の性分だ。しょうがない。
若干、やけになりながらも俺は応える。
「そうですよ…。体さえ重ねないのであればとりあえずはなんとかなります。そりゃ、子供を持つことに抵抗がないわけではないですが、俺一人だけで育てるわけではないんでしょうし…今は既に一人育てているようなものですから二人に増えたところでどうってことありません。それ以上にディーネちゃんと制約無く一緒にいられるようになるなら、それはそれで願ったりかなったりですよ。俺だってこの世界に来て日も浅く不安なんですから…誰かの助けが得られるなら嬉しい事この上ないですよ。」
それが、俺の事を慕ってくれる美人の精霊様ならなお更ね…。と心で付け足す。
ぽかーんとしていたディーネちゃんだが、俺の言葉が浸透し始めたのか…
「うふ…うふふふふふ♪いや、うふふ、ごめんなさいね…。いや、駄目。あーおかしい。うふふふふふ♪」
と、口に手を当てつつも、爆笑し始めた。ぐぅ…、恥かしいったらありゃしない…。
もうどうにでもして下さいよ。ええ、ええヘタレですよ。据え膳食えない男の風上にも置けないやつですよーだ。
俺が、イジイジしていると、ディーネちゃんはまだ笑いながらも
「もう!うふ…うふふふ♪始めから私、ツバサちゃんの事を全然理解してなかったのよ。だって、そんな初心なツバサちゃんに色仕掛けで迫っていたのよ?始めから間違えてたのよ。これが楽しく無くてなんだというのよ。」
そう一気に捲くし立てると、少し落ち着いたのか、それでも微笑みつつ
「ツバサちゃん。貴方は本当に不思議な人。今まで私を求めてきた、どの人とも違う。私のこの衝動は間違って無かったって今なら胸を張って言えるわ。ここまで私の全てを曝け出して触れ合った人は…ツバサちゃん、貴方以外に一人としていなかったわ。」
そう、落ち着いてしかしささやく様に言うと、更に続けて
「だからね、ツバサちゃん。心配しなくていいの。今回はそういう方法は取らないと誓うわ。もちろん、そういう事もできるから、したくなったらいつでも良いわよ?」
と、ちょっとにやけた顔で意地悪なことを言う。
俺はそれを聞いて、ちょっと残念やら、ホッとしたやら、情けないやら複雑な気持ちを胸の中にもてあましつつ…
「それは、ディーネちゃんの事を本当の意味で受け入れられるようになったら、是非お願いしたいとは思いますよ。今は心情的にはとても残念ではありますが遠慮しますよ。」
そう少し茶化しつつ、肩をすくめて言った。
その様子を見たディーネちゃんは、本当に嬉しそうに
「ええ、精霊は人とは違う時間軸で生きているから、ゆっくりと待つことができるわ。いつまでも待っているわよ?」
と、軽くかわされた。
やはり三十路のおじさんじゃ、精霊様には歯が立ちません。はい。
そんなやり取りの後、ディーネちゃんはこう切り出した。
「じゃあ、ツバサちゃん。最後に確認だけど…本当に私との間に子供を作ってくれるのね?同情でも気の迷いでも良いの。けど、望んでくれないとこの儀式は失敗するわ。」
それを聞いた俺は迷わず応える。
「大丈夫ですよ、ディーネちゃん。俺は、貴方のその思いと覚悟を感じて、この決断をしたんですから。あそこまで純粋に思いをぶつけられて、無視できるほど薄情な人間にはなりたくないですよ。」
俺はそう微笑むと、ディーネちゃんも嬉しそうに頷いて言葉を続ける。
「じゃあ、ツバサちゃん。手を…そう。目を瞑って楽にして。後は私がやるから。」
俺は言われたとおり、差し出されたディーネちゃんの両手に俺の両手を重ねる。そして、静かに目を瞑ると心を落ち着ける。
ディーネちゃんの手から、澄んだ…しかし、優しい魔力の波が伝わってくる。それは寄せては返し、俺の手から徐々に俺の中へと浸透していく。俺はそれをじっくりと感じつつも、拒むことなく、受け入れていく。
少しずつ、俺の中心へ、内部へと浸透した魔力は徐々に一つの流れへと変化していく。
「ツバサちゃん、少しだけ頭を私のほうへ…そう、ありがとう。」
俺は言われたとおりに、少しお辞儀するように頭を前へと突き出す。
そこに、コツンと、額が合わされる感触。これはディーネちゃんの額かな?そう思っていると、
「ツバサちゃん…。ちょっと嫌なものとか見えちゃうかもしれないけれど…ごめんなさいね。」
ディーネちゃんが、申し訳なさそうに言った。
その瞬間、俺の脳裏に様々な感情が入り込んでくる。
それは殆どが、暖かくも美しい感情で、たとえば、春の風のようにさわやかで暖かい感謝の念であったり、少しくすぐったくなる様な羞恥の念であったり、海のように広く、ゆったりとした安堵感であったり…けど、時々締め付けられるような不安であったり、受け入れられたことに対する戸惑いであったり、そんな全ての感情がごちゃ混ぜに襲ってきた。
そんな感情の波とでも言うものを、ただ素直に受けいれる。これは、ディーネちゃんの心?こんなにも嬉しさと優しさに満ち溢れているとは…。それを心で感じ、俺は心の中で素直に感謝と嬉しさを発する。そうすると、それに対して、ディーネちゃんの心も、くすぐったいような、温かな思いを流してくる。なるほど、これが心がむき出しの状態での会話か…。なんて心地の良い感覚なんだろうか。これだけ鋭敏に心の機微が感じられるなら、そりゃ精霊も簡単に人の心に引っ張られるだろう。人の俺ですらそうなんだから。
しかし、この精霊様はなんで俺をこんなにまで評価してくれているのだろうか…先ほどから途切れることなく歓喜の念が伝わってくる。その感謝の念は、実際に感じて見ないとわからないほどで、次から次へと、あふれだす泉から海へと至る川のような尽きることの無い奔流だった。
不意に、閉じたまぶたの裏に光が広がっていく。いや、俺の心が何かを映し出そうとしている?
一瞬戸惑ったものの、俺はそれにも逆らわず、素直に受け入れていく。
光の先に待っていたものは…ディーネちゃんの過去だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
最初は小さな光の球だった。
それは、様々な人の心に触れて、いつしか自我を持つ。
自我を持った光の球は、可愛らしい小動物の姿へと変化した。
そうして、少しずつ色々な人たちと共に寄り添って過ごしていく。
それはとても長い時の旅で、その過程でどんどん人の事が好きになっていった。
ある時、もっと人と接したいと感じたその精霊は、姿を人の形へと変化させた。
それは少女の姿で、愛らしいその姿に人との触れ合いは益々深まった。
しかし、ある時、彼女は初めて人によって傷つけられた。
隣人だと思っていた人に性の捌け口にされた。必死に逃げようとしたのだが相手は元々精霊をそのように使うために用意していたのか、特殊な道具によって拘束され、力も出せず、ただただ蹂躙された。
それでも、彼女は人を嫌いになれなかった。それが精霊のあり方なのか、彼女のあり方なのか、あるいはその両方なのかわからなかったが、彼女はその後も人と事あるごとに関わり続けた。
何度も人には傷つけられたが、少数ではあるが、本当に彼女のことを愛し、大切にしてくれた人たちも居た。しかし、その人たちも、精霊を自分たちのためだけに使っていると、方々からあらぬ糾弾を受ける。それを見た彼女は、大切な人たちのために、後ろ髪を引かれつつも、徐々に人から距離を置くようになった。
後に精霊大戦と呼ばれる戦いがあった。その頃には、彼女は今のように麗しい姿の精霊へと変化を遂げていた。
この大戦の一番酷かったところは、精霊を強制的に契約させる技術を確立した国があったことだった。
彼女は魔力に引かれ、無理やり顕現させられ、更に、望まない契約を強制的に結ばされ、兵器として、時に情婦として、時に小間使いとして、まるで意思の無い道具のように何度も酷使された。
血にまみれ、汚物にまみれ、それでも彼女が堕ちなかったのは本当に運が良かっただけだった。彼女が堕ちるより早く、多くの精霊が堕ちたことで、戦争は世界規模の大いなる災厄へと変貌を遂げ、多くの人が死に追いやられた。彼女の契約者だった者たちも、次々とゴミ屑のように死んでいった。そんな彼らをそれでも哀れだと思った。
そして彼女たち、生き残った少数の力ある精霊たちは、この世界から距離を置くようになった。
それでも、彼女たち精霊は、人を嫌わない。いや、嫌えない。相変わらず愚かしいながらも、情愛の念に焦がれて手を貸してしまう。本当に悲しい生き物だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺は、海底に居た。はるか上層に水面があるのがわかる。
水面からは一条の光が差し込み、海底のある一角までを切り裂いていた。
遠くに光の瞬きが見えた。それは、水面から伸びる光を反射し、まるで踊るように輝いていた。
海底には黒いもやが堆積していた。その黒いもやは禍々しさこそ無いものの、深い悲しみを湛えていた。
俺は、この情景を見て、涙が止まらなかった。
あまりに寂しく、しかし、それ故に美しかった。
そして、ディーネちゃんと思われる一人の精霊の物語を垣間見た俺は、この情景こそがディーネちゃんの心の形なのだと確信した。
光は今もキラキラと舞い踊っている。
しかし、その光は粉々に砕かれて今にも消えてしまいそうな儚さを湛えていた。光はそれでも、水面から降り注ぐ一条の光を受けて、必死に輝いていた。俺はこんな情景を見てしまったら、もう彼女に手を差し伸べずにはいられないと、心から思っていた。
そして、この今の俺の感情こそが、先ほどのディーネちゃんが俺にぶつけてきた感情と同一のものだと感じた。
そうか…彼女は、俺と同じか。
だからこそ、手を差し伸べずにはいられないのか。
彼女が何故あんなにも真剣に、俺に手を差し伸べていたのか、心で理解した。
そして、近しい感情を持つであろう彼女を、俺も救いたいと強く願う。
そうだ、こんなに綺麗な心の人を、悲しみの淵に沈めるなど、あってはならない。
そして、世界が弾けた。
目を開けると、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたディーネちゃんの姿があった。
俺も頬を伝う涙を止めることは出来なかった。
それは理解をしたことにより救われた喜びと、理解をされたことによって救われた喜びを体現したものだった。
俺とディーネちゃんの間には透き通るように蒼く輝く丸い宝石が静かに浮かんでいた。
きっとこれが…いや、この子が俺たちの子だ。濃密な魔力の結晶。その中には小さな宇宙が見える。
俺は、ふとディーネちゃんに意識を戻すと、視線に気づいたディーネちゃんは静かに微笑んだ。
俺はそれを見て、
「ディーネちゃん。俺を選んでくれてありがとう。そして…ちゃんと、皆で一緒に幸せになりましょう!」
照れながらもそんな少し気障な言葉を掛ける。ディーネちゃんはそれを聞いて、「はい♪」と、爽やかな笑顔を浮かべた。
しかし、その表情を少し翳らせると、
「けど、ごめんなさい。ツバサちゃん。私はしばらくの間、眠りにつくことになるわ…。」
そう言う姿は先ほどより少し薄くなった気がする。
周りを良く見ると、既に微精霊はいなかった。そうか、タイムリミットか。
「思った以上に精霊力の消費が激しかったみたい。しばらくの間はその子を任せてしまうことになりそうだけど、ごめんなさいね。」
その顔には少し疲労の後が見える。そりゃ大仕事したんだから、疲れるよな。
俺は、勤めて明るく、
「了解。大仕事したんだから、少し休んでください。大丈夫。この子はちゃんと面倒見るから。まぁ、子供も、精霊も育てたことは無いけど…何とかなるでしょ。それより、あんまり遅いと浮気しちゃいそうだから、頑張って早く帰ってきて下さいね。」
そう言った。
それを聞いたディーネちゃんは、
「ふふふ♪他に好きな人ができたら良いですよ?既に私はこれまでに無いほど貴方に救われ、そしていろいろな物をいただきました。それに、私は精霊です。貴方の傍に居られればそれで良いのですから。その程度の事でしたら特に問題はありませんよ?」
そう本当に素敵な笑顔で言うのだった。
え?浮気公認?精霊ってそんなものなの?何そのハーレムフラグ…。おじさんはまた一つ精霊のことについて疑問が増えましたよ?そんな戸惑いをよそに、ディーネちゃんの体が益々薄くなる。
「ツバサちゃん。では、その子をよろしくお願いします。あ、後、良かったら名前を付けてあげてください。私は、貴方の付けてくれる名前なら問題ありませんから。」
そう、名残惜しそうに、言う。
そして、宝石を俺のほうへと差し出す。ディーネちゃんが宝石を両手で包むと、宝石の周りをしっかりと保護するように装飾が現れる。そして、それは光り輝くと、ネックレスへと姿を変えた。
そのネックレスを俺は、ディーネちゃんに首に掛けてもらった。
わが子は、俺の胸の上で一瞬、嬉しそうに瞬いた。
その様子を見たディーネちゃんは安心したのか、少し寂しそうな顔をした、そして俺を見ると、深々と頭を下げる。
俺も、それを見て、軽くディーネちゃんの頭を、ポンポンと叩く。
一瞬ディーネちゃんは、驚いたように顔を上げたが、次の瞬間、花の咲くような笑顔を浮かべた。
そして、ディーネちゃんは光となって消えた。
だってさ、この年まで俺、経験無いんだよ?しかも、それに加えて野外?難易度高すぎでしょうが!!更には、隣にルナ?駄目でしょ…どんなに猛者でもこれは無理でしょ!!っていうかそこ超えたら人として駄目でしょ!
そんな俺の様子(と心)を見たディーネちゃんは、ポカーンとした表情で俺に問いかける。
「ツバサちゃん…。私はてっきり、私のことや、子供を育てることが受け入れられないから駄目なのかと思ってたのだけれど…そこが一番問題だったの?」
それを聞かれて、俺は益々情けない気持ちになるが、こればっかりは俺の性分だ。しょうがない。
若干、やけになりながらも俺は応える。
「そうですよ…。体さえ重ねないのであればとりあえずはなんとかなります。そりゃ、子供を持つことに抵抗がないわけではないですが、俺一人だけで育てるわけではないんでしょうし…今は既に一人育てているようなものですから二人に増えたところでどうってことありません。それ以上にディーネちゃんと制約無く一緒にいられるようになるなら、それはそれで願ったりかなったりですよ。俺だってこの世界に来て日も浅く不安なんですから…誰かの助けが得られるなら嬉しい事この上ないですよ。」
それが、俺の事を慕ってくれる美人の精霊様ならなお更ね…。と心で付け足す。
ぽかーんとしていたディーネちゃんだが、俺の言葉が浸透し始めたのか…
「うふ…うふふふふふ♪いや、うふふ、ごめんなさいね…。いや、駄目。あーおかしい。うふふふふふ♪」
と、口に手を当てつつも、爆笑し始めた。ぐぅ…、恥かしいったらありゃしない…。
もうどうにでもして下さいよ。ええ、ええヘタレですよ。据え膳食えない男の風上にも置けないやつですよーだ。
俺が、イジイジしていると、ディーネちゃんはまだ笑いながらも
「もう!うふ…うふふふ♪始めから私、ツバサちゃんの事を全然理解してなかったのよ。だって、そんな初心なツバサちゃんに色仕掛けで迫っていたのよ?始めから間違えてたのよ。これが楽しく無くてなんだというのよ。」
そう一気に捲くし立てると、少し落ち着いたのか、それでも微笑みつつ
「ツバサちゃん。貴方は本当に不思議な人。今まで私を求めてきた、どの人とも違う。私のこの衝動は間違って無かったって今なら胸を張って言えるわ。ここまで私の全てを曝け出して触れ合った人は…ツバサちゃん、貴方以外に一人としていなかったわ。」
そう、落ち着いてしかしささやく様に言うと、更に続けて
「だからね、ツバサちゃん。心配しなくていいの。今回はそういう方法は取らないと誓うわ。もちろん、そういう事もできるから、したくなったらいつでも良いわよ?」
と、ちょっとにやけた顔で意地悪なことを言う。
俺はそれを聞いて、ちょっと残念やら、ホッとしたやら、情けないやら複雑な気持ちを胸の中にもてあましつつ…
「それは、ディーネちゃんの事を本当の意味で受け入れられるようになったら、是非お願いしたいとは思いますよ。今は心情的にはとても残念ではありますが遠慮しますよ。」
そう少し茶化しつつ、肩をすくめて言った。
その様子を見たディーネちゃんは、本当に嬉しそうに
「ええ、精霊は人とは違う時間軸で生きているから、ゆっくりと待つことができるわ。いつまでも待っているわよ?」
と、軽くかわされた。
やはり三十路のおじさんじゃ、精霊様には歯が立ちません。はい。
そんなやり取りの後、ディーネちゃんはこう切り出した。
「じゃあ、ツバサちゃん。最後に確認だけど…本当に私との間に子供を作ってくれるのね?同情でも気の迷いでも良いの。けど、望んでくれないとこの儀式は失敗するわ。」
それを聞いた俺は迷わず応える。
「大丈夫ですよ、ディーネちゃん。俺は、貴方のその思いと覚悟を感じて、この決断をしたんですから。あそこまで純粋に思いをぶつけられて、無視できるほど薄情な人間にはなりたくないですよ。」
俺はそう微笑むと、ディーネちゃんも嬉しそうに頷いて言葉を続ける。
「じゃあ、ツバサちゃん。手を…そう。目を瞑って楽にして。後は私がやるから。」
俺は言われたとおり、差し出されたディーネちゃんの両手に俺の両手を重ねる。そして、静かに目を瞑ると心を落ち着ける。
ディーネちゃんの手から、澄んだ…しかし、優しい魔力の波が伝わってくる。それは寄せては返し、俺の手から徐々に俺の中へと浸透していく。俺はそれをじっくりと感じつつも、拒むことなく、受け入れていく。
少しずつ、俺の中心へ、内部へと浸透した魔力は徐々に一つの流れへと変化していく。
「ツバサちゃん、少しだけ頭を私のほうへ…そう、ありがとう。」
俺は言われたとおりに、少しお辞儀するように頭を前へと突き出す。
そこに、コツンと、額が合わされる感触。これはディーネちゃんの額かな?そう思っていると、
「ツバサちゃん…。ちょっと嫌なものとか見えちゃうかもしれないけれど…ごめんなさいね。」
ディーネちゃんが、申し訳なさそうに言った。
その瞬間、俺の脳裏に様々な感情が入り込んでくる。
それは殆どが、暖かくも美しい感情で、たとえば、春の風のようにさわやかで暖かい感謝の念であったり、少しくすぐったくなる様な羞恥の念であったり、海のように広く、ゆったりとした安堵感であったり…けど、時々締め付けられるような不安であったり、受け入れられたことに対する戸惑いであったり、そんな全ての感情がごちゃ混ぜに襲ってきた。
そんな感情の波とでも言うものを、ただ素直に受けいれる。これは、ディーネちゃんの心?こんなにも嬉しさと優しさに満ち溢れているとは…。それを心で感じ、俺は心の中で素直に感謝と嬉しさを発する。そうすると、それに対して、ディーネちゃんの心も、くすぐったいような、温かな思いを流してくる。なるほど、これが心がむき出しの状態での会話か…。なんて心地の良い感覚なんだろうか。これだけ鋭敏に心の機微が感じられるなら、そりゃ精霊も簡単に人の心に引っ張られるだろう。人の俺ですらそうなんだから。
しかし、この精霊様はなんで俺をこんなにまで評価してくれているのだろうか…先ほどから途切れることなく歓喜の念が伝わってくる。その感謝の念は、実際に感じて見ないとわからないほどで、次から次へと、あふれだす泉から海へと至る川のような尽きることの無い奔流だった。
不意に、閉じたまぶたの裏に光が広がっていく。いや、俺の心が何かを映し出そうとしている?
一瞬戸惑ったものの、俺はそれにも逆らわず、素直に受け入れていく。
光の先に待っていたものは…ディーネちゃんの過去だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
最初は小さな光の球だった。
それは、様々な人の心に触れて、いつしか自我を持つ。
自我を持った光の球は、可愛らしい小動物の姿へと変化した。
そうして、少しずつ色々な人たちと共に寄り添って過ごしていく。
それはとても長い時の旅で、その過程でどんどん人の事が好きになっていった。
ある時、もっと人と接したいと感じたその精霊は、姿を人の形へと変化させた。
それは少女の姿で、愛らしいその姿に人との触れ合いは益々深まった。
しかし、ある時、彼女は初めて人によって傷つけられた。
隣人だと思っていた人に性の捌け口にされた。必死に逃げようとしたのだが相手は元々精霊をそのように使うために用意していたのか、特殊な道具によって拘束され、力も出せず、ただただ蹂躙された。
それでも、彼女は人を嫌いになれなかった。それが精霊のあり方なのか、彼女のあり方なのか、あるいはその両方なのかわからなかったが、彼女はその後も人と事あるごとに関わり続けた。
何度も人には傷つけられたが、少数ではあるが、本当に彼女のことを愛し、大切にしてくれた人たちも居た。しかし、その人たちも、精霊を自分たちのためだけに使っていると、方々からあらぬ糾弾を受ける。それを見た彼女は、大切な人たちのために、後ろ髪を引かれつつも、徐々に人から距離を置くようになった。
後に精霊大戦と呼ばれる戦いがあった。その頃には、彼女は今のように麗しい姿の精霊へと変化を遂げていた。
この大戦の一番酷かったところは、精霊を強制的に契約させる技術を確立した国があったことだった。
彼女は魔力に引かれ、無理やり顕現させられ、更に、望まない契約を強制的に結ばされ、兵器として、時に情婦として、時に小間使いとして、まるで意思の無い道具のように何度も酷使された。
血にまみれ、汚物にまみれ、それでも彼女が堕ちなかったのは本当に運が良かっただけだった。彼女が堕ちるより早く、多くの精霊が堕ちたことで、戦争は世界規模の大いなる災厄へと変貌を遂げ、多くの人が死に追いやられた。彼女の契約者だった者たちも、次々とゴミ屑のように死んでいった。そんな彼らをそれでも哀れだと思った。
そして彼女たち、生き残った少数の力ある精霊たちは、この世界から距離を置くようになった。
それでも、彼女たち精霊は、人を嫌わない。いや、嫌えない。相変わらず愚かしいながらも、情愛の念に焦がれて手を貸してしまう。本当に悲しい生き物だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺は、海底に居た。はるか上層に水面があるのがわかる。
水面からは一条の光が差し込み、海底のある一角までを切り裂いていた。
遠くに光の瞬きが見えた。それは、水面から伸びる光を反射し、まるで踊るように輝いていた。
海底には黒いもやが堆積していた。その黒いもやは禍々しさこそ無いものの、深い悲しみを湛えていた。
俺は、この情景を見て、涙が止まらなかった。
あまりに寂しく、しかし、それ故に美しかった。
そして、ディーネちゃんと思われる一人の精霊の物語を垣間見た俺は、この情景こそがディーネちゃんの心の形なのだと確信した。
光は今もキラキラと舞い踊っている。
しかし、その光は粉々に砕かれて今にも消えてしまいそうな儚さを湛えていた。光はそれでも、水面から降り注ぐ一条の光を受けて、必死に輝いていた。俺はこんな情景を見てしまったら、もう彼女に手を差し伸べずにはいられないと、心から思っていた。
そして、この今の俺の感情こそが、先ほどのディーネちゃんが俺にぶつけてきた感情と同一のものだと感じた。
そうか…彼女は、俺と同じか。
だからこそ、手を差し伸べずにはいられないのか。
彼女が何故あんなにも真剣に、俺に手を差し伸べていたのか、心で理解した。
そして、近しい感情を持つであろう彼女を、俺も救いたいと強く願う。
そうだ、こんなに綺麗な心の人を、悲しみの淵に沈めるなど、あってはならない。
そして、世界が弾けた。
目を開けると、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたディーネちゃんの姿があった。
俺も頬を伝う涙を止めることは出来なかった。
それは理解をしたことにより救われた喜びと、理解をされたことによって救われた喜びを体現したものだった。
俺とディーネちゃんの間には透き通るように蒼く輝く丸い宝石が静かに浮かんでいた。
きっとこれが…いや、この子が俺たちの子だ。濃密な魔力の結晶。その中には小さな宇宙が見える。
俺は、ふとディーネちゃんに意識を戻すと、視線に気づいたディーネちゃんは静かに微笑んだ。
俺はそれを見て、
「ディーネちゃん。俺を選んでくれてありがとう。そして…ちゃんと、皆で一緒に幸せになりましょう!」
照れながらもそんな少し気障な言葉を掛ける。ディーネちゃんはそれを聞いて、「はい♪」と、爽やかな笑顔を浮かべた。
しかし、その表情を少し翳らせると、
「けど、ごめんなさい。ツバサちゃん。私はしばらくの間、眠りにつくことになるわ…。」
そう言う姿は先ほどより少し薄くなった気がする。
周りを良く見ると、既に微精霊はいなかった。そうか、タイムリミットか。
「思った以上に精霊力の消費が激しかったみたい。しばらくの間はその子を任せてしまうことになりそうだけど、ごめんなさいね。」
その顔には少し疲労の後が見える。そりゃ大仕事したんだから、疲れるよな。
俺は、勤めて明るく、
「了解。大仕事したんだから、少し休んでください。大丈夫。この子はちゃんと面倒見るから。まぁ、子供も、精霊も育てたことは無いけど…何とかなるでしょ。それより、あんまり遅いと浮気しちゃいそうだから、頑張って早く帰ってきて下さいね。」
そう言った。
それを聞いたディーネちゃんは、
「ふふふ♪他に好きな人ができたら良いですよ?既に私はこれまでに無いほど貴方に救われ、そしていろいろな物をいただきました。それに、私は精霊です。貴方の傍に居られればそれで良いのですから。その程度の事でしたら特に問題はありませんよ?」
そう本当に素敵な笑顔で言うのだった。
え?浮気公認?精霊ってそんなものなの?何そのハーレムフラグ…。おじさんはまた一つ精霊のことについて疑問が増えましたよ?そんな戸惑いをよそに、ディーネちゃんの体が益々薄くなる。
「ツバサちゃん。では、その子をよろしくお願いします。あ、後、良かったら名前を付けてあげてください。私は、貴方の付けてくれる名前なら問題ありませんから。」
そう、名残惜しそうに、言う。
そして、宝石を俺のほうへと差し出す。ディーネちゃんが宝石を両手で包むと、宝石の周りをしっかりと保護するように装飾が現れる。そして、それは光り輝くと、ネックレスへと姿を変えた。
そのネックレスを俺は、ディーネちゃんに首に掛けてもらった。
わが子は、俺の胸の上で一瞬、嬉しそうに瞬いた。
その様子を見たディーネちゃんは安心したのか、少し寂しそうな顔をした、そして俺を見ると、深々と頭を下げる。
俺も、それを見て、軽くディーネちゃんの頭を、ポンポンと叩く。
一瞬ディーネちゃんは、驚いたように顔を上げたが、次の瞬間、花の咲くような笑顔を浮かべた。
そして、ディーネちゃんは光となって消えた。
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