比翼の鳥
第26話 宇迦之の告白
これから、俺の出番かな? と、少し気合を入れていたところに、軍曹殿が突然現われて、風のように去っていってから、1週間が経った。
まさに肩透かしを食らった形になったわけで……俺だけでなく、レイリさんや長老たちも、何となくスッキリしない表情でこの一週間を悶々と過ごしていた。
あれだ。日本では全国区で有名な、あの水戸の黄門様で例えると……。
Sさんと、Kさんが敵を倒して、「控えおろう!!」と、言った瞬間に、うっかりさんが、相手を問答無用で倒しちゃったみたいな……そんな感じ?
言いようのない残念感と、やり場の無い高揚感を持て余す、このなんとも言えない感覚を、少しは分かって頂けるだろうか?
しかし、「印籠ださせろよ!?」とか、「何してくれんの!?」と、言う訳にも行かないのだ。
だって、悪いことは特にしていない訳だし。むしろ、俺の為を思って、汚い所を引き受けてくれたのだ。
ありがたいと言う気持ちもあるし、申し訳ないと思う……が、すっきりしないのも、本音なわけで……と言うように、自分の胸の中に溜まった澱を吐き出し、ぶつける相手がいなくなったせいで、煮え切らないまま、俺はこの一週間を過ごしたのだった。
そうして、ここ数日で、漸く、この胸に鬱積した物が、薄れてきたと実感できるようになったのだ。
その間にも、色々あったのだが、特筆すべきは、あの宝具についてだろうか。
結局、あの残念な孤族の族長が持っていた籐香扇という宝具は、シャハルさんの強い勧めで、俺が持つことになった。
一応、翼族にとって大切なものっぽいし、俺も特に受け取る必要性を感じなかったので、シャハルさんに返すという話になったのだが……。
「いえ、その宝具は、是非! 王にお持ち頂きたい。」
と、強引に、半ば俺の胸に押し付けるように、籐香扇を献上してきた。
「いや……流石に、それは……。だって、これ、翼族にとって大事なものでしょう?」
「だからこそ……でございます。それは、翼族の忠誠の証と思って頂ければ……!」
「いやいや……そんな大事なもの、受け取るわけにも……行きませんって!」
そんな風に、籐香扇を互いの胸に押し付け合い、文字通り、押し問答を繰り広げていたが、
「別に減るものでもないじゃろうし……ツバサ殿が持っておけば良いのではないかの?」
と、珍しく積極的に宇迦之さんが提案してきたことで、
「宇迦之さんがそう言うのでしたら……。」
と、俺は渋々、その扇を腰帯に指して携帯することにしたのだった。
まぁ、交渉事とかで、籐香扇を徐に広げてやると、俺でも多少は絵になるかもしれない。
……うん。良いじゃないか。
仮想悪代官に対し、詰問する姿を勝手に妄想しつつ、悦に入る姿を、皆が生暖かく見守っていた事に気がついたのは、結構後の事だったのである。
まぁ、そんなこんなで、時折、扇を開く練習をしつつ、籐香扇を持ち歩くようになってから、シャハルさんは、俺の腰に鎮座する扇を見ては、何となく嬉しそうな顔をするようになったり……。
そんな籐香扇を使って、時々、勉強に勤しむ子供たちを扇いでやったり……。
スルホに、「なんかその扇、兄ちゃんには似合わねぇな!!」と、グサリと突き刺さる言葉を頂き、それをラーニャが「ちょっと!お兄ちゃん!?」と、嗜めたり……。
そんな普段どおりの生活に戻ってきた頃。
宇迦之さんと例のごとく、孤族の皆さんの御用聞きを一緒に行った帰り道に、突然、宇迦之さんが、おずおず……と言った感じに、俺の表情を窺いながら、声をかけて来たのだった。
「のぅ、ツバサ殿。少し、話したい事があるのじゃが……時間を貰えんかの?」
いつもなら、臆せずにはっきりと俺に声をかける彼女であったが、この時は、いつもの威勢もなりを潜め、その姿と表情には、弱々しさがこれでもかと言う位、張り付いていた。
これは、例のお話だろうか?
だとすれば、ついにその日が来たのか……?
そんな事を思いつつ、俺は少し気を引き締めるも、顔には出さずに、
「ええ、大丈夫ですよ? どうしました?」
と、笑顔で答える。
そんな俺の顔を、宇迦之さんは、チラチラと伺い見るように、視線を激しく移動させながら、
「あー……で、では、ちょっと……人気のない所に……他の者には聞かれたくない話なのじゃ。」
と、落ち着かない様子で、早口に言う。
そんな宇迦之さんの態度が可愛く思え、俺はつい意地悪なことを言ってしまった。
「おや、宇迦之さんから、そんな積極的なお誘いなら、断るわけには行きませんね。」
その言葉に、更に慌て、身振り手振りを交えて、
「……あ、い、いや! べ、別にとって食おうとかそういうわけでは……いや、そうではなく! うううぅ……!」
と、あたふたしながらも、俯きながらそう呟いた。
いつもは、無駄に偉そうで自信満々な宇迦之さんだが、時折見せる、このポンコツ具合と、弱々しい部分が、俺の萌えポイントを的確についてくる。
うーん……宇迦之さん、可愛いなぁ。
リリーと少し方向性の違う、このドジっ子属性がたまらん!
と、思いつつ、俺は無意識に、宇迦之さんの頭を撫でていた。
とたんに、彼女は、フニャーと、蕩けた顔で、気持ちよさそうに耳と尻尾を揺らす。
しかしながら、ここは往来のど真ん中な訳で……そんな事をしていると、少しして、ひそひそと、声が聞こえてくる訳で……。
「あら、まぁ……また、ツバサ様ったら……。」
「宇迦之様も、気持ち良さそうねぇ……。」
「くそぉ! 宇迦之様、可愛いなぁ!!」
と、皆さんの視線を一身に受ける事になるのは、当たり前と言う事なのだ。
そんな住民一同の、生暖かい……一部からは違った熱量の視線を浴び、俺は我に返る。
だが、手を止めると、宇迦之さんは、その真っ白な肌をやや赤く上気させつつ、途端に寂しそうな表情で、潤んだ目を俺に向け、見つめてきた。
これが、宇迦之さんの本当の萌えポイントである。
そうなのだ……。宇迦之さんは、一旦スイッチが入ると、妙に、甘えん坊になるのだ。
目で、もっと!と、訴えかけてくるのが伝わってくるわけで……男としてはこういう風に甘えられたら、応えたくなるのは本能として、至極当然であると思うのだが……。
流石に、往来のど真ん中で、人目を気にせずイチャイチャできるほど、俺も図太くない訳で……
「あー……宇迦之さん。流石に、ここでは、ちょっと人目が……。」
俺は頬を掻きながら、少し控えめに声をかけ、周りに目を向ける。
そんな周囲の状況と言えば……いつの間に集まったのか、野次馬達に、完全に周囲を取り囲まれた状態である。
俺の言葉と困った様子を見て、宇迦之さんの蕩けていた目に理性が灯り始めた。
そうして、周りをゆっくりと見回した後……俺の顔をマジマジ見つめ……顔を一瞬にして真っ赤にすると、俺の手をがっちりと掴み……。
「うにゃぁあああああ!?」
と、叫びつつ、俺の手を引いて、全てから逃げるように、一目散に走り始めた。
後ろから、「気をつけてー。」とか、「お幸せにー。」とか、「マジで爆発しろ!」とか、聞こえた気がするが、とりあえず、聞かなかったことにする。
おー。宇迦之さん、実は結構早く走れるんだなぁ……しかも俺の手を引いて。
俺は身体強化を施したまま、悠々と彼女の手に引かれるままに進む。
うん。中々の力だ。この小さな体に、結構なパワーを持っているようで。
やれば出来る子だな! 宇迦之さん!!
そんな事を思いながら、遠ざかっていく村を後方に認めつつ、叫ぶ宇迦之さんと、2人で森の中を爆走するのであった。
宇迦之さんの暴走が、漸く止まったのは、かなり経ってからだった。
あくまで体感時間ではあるが……15分以上、爆走していた気がする……。凄いな。
俺は息を荒げてぶっ倒れている宇迦之さんに、籐香扇で緩やかな風を送りながら、ファミリアで現在位置を確認する。
おう……ルカールから20km近く離れている……凄いな。
元の世界なら、世界記録をぶっちぎりな早さである……っていうか人を超えた次元の早さだな。
感心しながら扇いでいたが、そうこうする内に、宇迦之さんが起き上がり、足を崩しながら俺に向かい合う様に座り込んだ。
「つ、ツバサ殿。もう大丈夫じゃ……。ありがとうなのじゃ。」
俺は、未だにフラフラな宇迦之さんに、
「いえいえ、どういたしまして。」
と、緩やかに答えると、籐香扇を少しだけ振るように、音もなく閉じた。
その様子を見て、宇迦之さんは少し苦笑いすると、
「全く……お主といい、桜花殿といい……もう少し宝具に敬意を持って扱っても良いと思うのじゃが……。流石に、宝具に扇がれて介抱される日が来るなんぞ、思いもよらんかったのぉ……。」
籐香扇に視線を注ぎながら、そんな風に呟いた。
ふむ。言いたいことは分からんでもないが……宝具といっても、扇だしな。
「扇ぐという行為はむしろ、扇の役割だと思うんですが……。存在意義を十分に達しているので、良いと思うんですけど。」
そんな風に、俺が困ったように反論すると、宇迦之さんは心底楽しそうに笑いながら、
「それは、とてもお主らしい答えじゃな。」
と、にこやかに答える。
しかし、その後、少し意地悪な笑みを貼り付けたまま、
「じゃが……、その籐香扇は……本来、扇ではないのじゃ。」
と、意味深な発言をする。
いや、どこからどう見ても扇……ん? けど、少し何か不自然な部分があるな。
宇迦之さんの言葉を受けて、俺は改めて、籐香扇を観察する。
籐香扇の骨の部分は、少し厚めの金属で出来ている。
銀色に光る、小さな羽子板状のもので、閉じた状態で殴れば、中々の攻撃力を発揮しそうな重量感がある。
まぁ、いわゆる、鉄扇と呼ばれるものだと思ってくれて良い。
だが、それは、全くといっていいほど、重さを感じさせない物なのだ。
今は閉じているので、その金属が幾重にも重なっている状態である。
良く見ると表面には緻密な模様が入れられており、線同士が織り成し描き出すその模様は、無骨な金属面に、優しい雰囲気を浮かび上がらせている。
また、扇面に当たる部分には、閉じたままでは分からないのだが、広げると、一杯に広がる模様が浮かび上がる。
それは、見る度に色を変え、形を変えるのだ。
これを見て、俺は、流石、宝具と呼ばれるだけはあると、納得した覚えがある。
そして、その扇を形作る金属板を一箇所で止めている要には、小さく光る青い石が一つ。
それは、無骨な金属に、一つ、潤いを持たせるかのように、慎ましく鎮座していた。
綺麗に磨き上げられてはいるものの、特別な物には見えない。
俺は、唸りながら、籐香扇を閉じたり開いたりして、真剣に眺めていた。
うーん……何かがおかしいのは分かるんだが……なんというか……中途半端と言うか……。
そんな俺の様子を見て、宇迦之さんは楽しそうに、
「まぁ、それは、本題ではないから、また今度でも良いじゃろ。」
と言うと、少しその声に重さを加えつつ、
「実はの……せっかくこうして、2人きりになれたのじゃから、その……の?」
と、途端に、言葉を濁す。
これが、頬を赤らめ、潤んだ目で言われたのだったら、嬉しいのだが……残念ながら、その顔に浮かぶのは、辛そうに歪む表情のみ。
俺は、宇迦之さんが突然トーンダウンするのを見ながら、籐香扇を閉じ、腰帯に戻す。
そして、ため息をつきながら、
「その様子では……色気のない話ですね。残念です。」
と、俺は肩を落とし、呟いた。
そんな俺の言葉を聞いて、宇迦之さんは耳を起立させると、
「お、お主! これから、大事な話をしようとしてると言うに! ……全く……。」
顔を真っ赤に染めながら、大声で叫ぶも、その表情は少し緩んだように見える。
全く……宇迦之さんは、本当にこう言う所が初心と言うか……それが良いのだが。
悪いとは思いつつも、思わず、弄りたくなるんだよなぁ。
そんな風に、ほんわかしながらも、頭の片隅で、これから話す事は、礼の件だろうと俺は考えていた。
どちらの話が先に来るかは分からないが、それが、宇迦之さんにとって、とても重要で、切り出しにくい話なのは、何となく分かる。
だが、俺からすれば、どちらにしても、既に答えは決まっている。
なので、俺として大事な所は、彼女を如何にして、説得するか……その一点だけなのだ。
ただ、一つ、最初に確認しておかねばならない事がある。
「宇迦之さん。大事な話を始める前に……一つだけ、確認させてください。」
唐突に、そのような事を言い出した俺を、宇迦之さんは不思議そうに見つめるが、そのまま、黙って頷く。
その様子を見て、俺は更に続ける。
「これから、お話してもらう事が……宇迦之さんと言う存在に、悪影響を与えますか? もし、そうであるなら、無理に話を聞きたいとは、俺は思えないのです。」
かなり迂遠な言い回しとなったが、その本質的な意味を、宇迦之さんは理解したのだろう。
驚いたように、俺をジッと見つめ……そして、「大丈夫じゃ。」と、しっかりとした態度で頷いた。
俺が危惧しているのは、精霊の様な、世界からの拘束力が、宇迦之さんに存在しているかどうかだ。
その枷は俺には想像できない程、過酷なものである可能性が高い。
なので、もし、彼女にそれが、存在しているのであれば……そこまでして、彼女の口から、話を聞く必要は無いと考えていたのだ。
だが、今の態度からは、そう言った事は感じられなかった。
ならば、彼女と俺の問題だけという事になる。
そんな風に、俺が考えている間に、宇迦之さんは、その表情に余裕を取り戻しつつも、真剣な顔のまま、俺に語りかけてくる。
「のぅ……ツバサ殿? お主は……今、幸せかの?」
「勿論ですよ。」
その小さな口から、思った以上に、鋭さを持った声が飛んできたのだが……自分でもびっくりするぐらい、考える間も無く、その言葉が口をついて出た。
流石に、そんなに早く答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう。
間髪いれずに答えた俺を見て、目を丸くする宇迦之さん。
しかし、その後、突然、大声で笑い始めた。
そんな姿を見て、俺も、何故か笑いがこみ上げてきて、暫く二人で笑いあう。
ひとしきり笑ってスッキリしたのだろう。
目の端に浮かんだ涙をぬぐいつつ、宇迦之さんは、笑いをこらえながらも、そのまま声を上げる。
「くっくっく……。まったく……そこまで、ハッキリと言われてしまってはのぉ……。真面目に考えていた、わらわが……何だか、馬鹿みたいでは無いか。」
のう? と小首を傾げながら、問うて来る宇迦之さんの顔に、先程までの悲壮感は無かった。
そんな彼女の笑顔を見て、俺は、そうですね、と言うわけにも行かず、ただ湧き上がってくる感情をそのまま顔に出しながら、宇迦之さんの様子を見守る。
「では、再度……質問じゃ。その幸せの中に……わらわの居場所はあるかの?」
「いてくれないと困りますね。」
またも即答だった。しかし、今度は宇迦之さんも驚かない。
俺の目を……いや、心を覗き込むように、見つめてくる。
しばし、そうやって、視線を絡ませながら……俺は、宇迦之さんの次の言葉を待った。
全く動じない俺の態度に何かを感じたのか……それとも、何か思うところがあったのか、宇迦之さんはため息をつくと、視線を外し、空を見上げる。
そのまま、疲れたように、そのまま、呟くように話し始める。
「お主は……本当にそう思っておるのじゃな。」
「ええ、そのつもりですよ?」
「わらわが、人で無いとしても……か?」
「関係ありませんね。」
「関係無い……かの? お主は、わらわの本当の姿を見ても、尚……そう言えるかの?」
その言葉に、俺は初めて返答に窮した。
うーん……正直言えば、どんな姿でも大丈夫かといわれると……嘘になるなぁ。
例えば、俺にも苦手なもの位ある。
代表的なのが、昆虫の中でも特に嫌われ者である奴等とか……。
あれが、超巨大サイズで出てきたら、俺は駄目だろうなぁ。
問答無用で、全力で、躊躇も無く、その存在の全てを消し去ろうとするだろう。
うん、とりあえず、本音で行こう。ここは、飾っても仕方ない気がする。
暫く、考え込んでいた俺だったが、心が決まり口を開く。
「今、少し想像してみましたが……何でも大丈夫とは行きませんね。見てみないことには、何とも言えませんが……実際、俺も、虫とかは駄目ですから。」
そんな俺の言葉に、宇迦之さんは呆気に取られたような顔をしていた。
何故、驚く……。というか、どこに反応しているんだろうか?
そんな俺の心が顔に出たのだろう。宇迦之さんは、ニヤリと少し意地悪な笑みを浮かべると、
「ほう……お主にも苦手なものがあったとは……正直意外ではあるの。じゃが、そうか……虫か……。覚えておくのじゃ。」
と、楽しそうに呟いた。
「いや、俺だって、ただの一般人ですし。嫌いなものの一つや二つありますって……。」
そんな俺の言葉に、「どの口が言うかの……。」と、呆れながら、「して、お主は……」と、言葉を続けながらも、そこで一旦、口ごもる。
俺は、そんな宇迦之さんの胸中を推し量りながら、その整った顔を見つめる。
金色の大きな耳を、少し小刻みに動かしつつ、「うー……。」と、空を見つめたまま、唸っていた。
そんな宇迦之さんを、俺は、楽しみながら観察する。
最近、仕立て直した真っ赤な着物は、彼女の小柄な体を浮き上がらせるような、華やかな刺繍に彩られ、その存在感をいっそう引き立てている。
特に、その小柄な体に、相反するような胸は、着物の下からその存在を存分に主張しているのだ。まったく持って、けしからんことだ。
また、最近、やっと認識できるようになったその髪は透き通るように白く、その中に、いくつか黒い房が混じっている。
少し吊り目気味の細い目を空に向け、小さな頬を少し膨らませながら、小さな唇から一生懸命、言葉を紡ぎ出そうとする宇迦之さんは、真剣な本人には申し訳ないが……とても、可愛らしい。
少し、にやけながら、俺がそんな事を考えていると、俺の表情に気がついた宇迦之さんは、途端に、ブスーッと頬を膨らませ、
「何が可笑しいのじゃ! 人がこんなに悩んでおるというのに!」
と、不機嫌そうに腕を組み、睨み付けて来た。
その後ろには、少し膨らんだ金色の尻尾が2本。ゆらゆらと威嚇するようにゆれている。
「いやぁ……宇迦之さん、可愛いなぁと。」
俺がそう言うと、またも、宇迦之さんは、「にゃ!? お主は……うぅー!!」 と、あたふたし始める宇迦之さんを見て、楽しむ。
しかし、宇迦之さんは、すぐに、パタリとその動作を止めると、少し悲しそうな目で、
「それは……わらわが、孤族の姿じゃからじゃろ?」
と、何か諦めたような声を出し、俺を見つめる。
俺はそれに対しては、何も反応しなかった。ただ、視線を返すのみ。
冷たい態度だと自分でも思うが、ここは、真剣に向き合う必要があると俺は思っていた。
上辺だけのおべっかなど、今、ここで言う必要は無い。
安心させるためだけの、美辞麗句を与えて、宇迦之さんの覚悟を薄めることを俺は嫌ったのだ。
そんな俺の態度に、宇迦之さんは、少しだけガッカリした様に目を伏せるも、すぐにじっと、俺の目を見つめつつ、
「お主には、もう、分かっておるのじゃろ? わらわが……何者か。」
と、掠れた声で、問いかけてきた。
しかし、その問いに、俺は、「はい。」と短く、答える。
そんな俺の答えに、宇迦之さんは、「意地悪じゃのぉ……。」と、少し弱々しく微笑む。
正直、そう言われても仕方がないと、俺も思う。
だが、その答えは、本人の口から聞きたいのだ。
それは、俺にとっても、宇迦之さんにとっても、大事なことであると、考えての事だ。
これからも、宇迦之さんと一緒にいるために、避けて通れない事であると、俺は認識していた。
そして、それは、宇迦之さんも同じ考えであるはずだ。彼女もだからこそ……一生懸命、言おうとしてくれているのだろう。
だから、聞きたかったのだ。本人の口から、直接。
そんな、俺の気持ちが分かっているのだろう。
宇迦之さんは、何かを覚悟したように、目に力を宿し、「そうじゃな。わらわも、向き合わんとな。」と、呟くと、俺に決定的な一言を投げつけた。
「お主の推察のとおり……わらわが……竜神ナーガラーシャと呼ばれている者じゃ。」
ついに、放たれた言葉に、俺はただ、頷きを持って、それを迎えたのであった。
まさに肩透かしを食らった形になったわけで……俺だけでなく、レイリさんや長老たちも、何となくスッキリしない表情でこの一週間を悶々と過ごしていた。
あれだ。日本では全国区で有名な、あの水戸の黄門様で例えると……。
Sさんと、Kさんが敵を倒して、「控えおろう!!」と、言った瞬間に、うっかりさんが、相手を問答無用で倒しちゃったみたいな……そんな感じ?
言いようのない残念感と、やり場の無い高揚感を持て余す、このなんとも言えない感覚を、少しは分かって頂けるだろうか?
しかし、「印籠ださせろよ!?」とか、「何してくれんの!?」と、言う訳にも行かないのだ。
だって、悪いことは特にしていない訳だし。むしろ、俺の為を思って、汚い所を引き受けてくれたのだ。
ありがたいと言う気持ちもあるし、申し訳ないと思う……が、すっきりしないのも、本音なわけで……と言うように、自分の胸の中に溜まった澱を吐き出し、ぶつける相手がいなくなったせいで、煮え切らないまま、俺はこの一週間を過ごしたのだった。
そうして、ここ数日で、漸く、この胸に鬱積した物が、薄れてきたと実感できるようになったのだ。
その間にも、色々あったのだが、特筆すべきは、あの宝具についてだろうか。
結局、あの残念な孤族の族長が持っていた籐香扇という宝具は、シャハルさんの強い勧めで、俺が持つことになった。
一応、翼族にとって大切なものっぽいし、俺も特に受け取る必要性を感じなかったので、シャハルさんに返すという話になったのだが……。
「いえ、その宝具は、是非! 王にお持ち頂きたい。」
と、強引に、半ば俺の胸に押し付けるように、籐香扇を献上してきた。
「いや……流石に、それは……。だって、これ、翼族にとって大事なものでしょう?」
「だからこそ……でございます。それは、翼族の忠誠の証と思って頂ければ……!」
「いやいや……そんな大事なもの、受け取るわけにも……行きませんって!」
そんな風に、籐香扇を互いの胸に押し付け合い、文字通り、押し問答を繰り広げていたが、
「別に減るものでもないじゃろうし……ツバサ殿が持っておけば良いのではないかの?」
と、珍しく積極的に宇迦之さんが提案してきたことで、
「宇迦之さんがそう言うのでしたら……。」
と、俺は渋々、その扇を腰帯に指して携帯することにしたのだった。
まぁ、交渉事とかで、籐香扇を徐に広げてやると、俺でも多少は絵になるかもしれない。
……うん。良いじゃないか。
仮想悪代官に対し、詰問する姿を勝手に妄想しつつ、悦に入る姿を、皆が生暖かく見守っていた事に気がついたのは、結構後の事だったのである。
まぁ、そんなこんなで、時折、扇を開く練習をしつつ、籐香扇を持ち歩くようになってから、シャハルさんは、俺の腰に鎮座する扇を見ては、何となく嬉しそうな顔をするようになったり……。
そんな籐香扇を使って、時々、勉強に勤しむ子供たちを扇いでやったり……。
スルホに、「なんかその扇、兄ちゃんには似合わねぇな!!」と、グサリと突き刺さる言葉を頂き、それをラーニャが「ちょっと!お兄ちゃん!?」と、嗜めたり……。
そんな普段どおりの生活に戻ってきた頃。
宇迦之さんと例のごとく、孤族の皆さんの御用聞きを一緒に行った帰り道に、突然、宇迦之さんが、おずおず……と言った感じに、俺の表情を窺いながら、声をかけて来たのだった。
「のぅ、ツバサ殿。少し、話したい事があるのじゃが……時間を貰えんかの?」
いつもなら、臆せずにはっきりと俺に声をかける彼女であったが、この時は、いつもの威勢もなりを潜め、その姿と表情には、弱々しさがこれでもかと言う位、張り付いていた。
これは、例のお話だろうか?
だとすれば、ついにその日が来たのか……?
そんな事を思いつつ、俺は少し気を引き締めるも、顔には出さずに、
「ええ、大丈夫ですよ? どうしました?」
と、笑顔で答える。
そんな俺の顔を、宇迦之さんは、チラチラと伺い見るように、視線を激しく移動させながら、
「あー……で、では、ちょっと……人気のない所に……他の者には聞かれたくない話なのじゃ。」
と、落ち着かない様子で、早口に言う。
そんな宇迦之さんの態度が可愛く思え、俺はつい意地悪なことを言ってしまった。
「おや、宇迦之さんから、そんな積極的なお誘いなら、断るわけには行きませんね。」
その言葉に、更に慌て、身振り手振りを交えて、
「……あ、い、いや! べ、別にとって食おうとかそういうわけでは……いや、そうではなく! うううぅ……!」
と、あたふたしながらも、俯きながらそう呟いた。
いつもは、無駄に偉そうで自信満々な宇迦之さんだが、時折見せる、このポンコツ具合と、弱々しい部分が、俺の萌えポイントを的確についてくる。
うーん……宇迦之さん、可愛いなぁ。
リリーと少し方向性の違う、このドジっ子属性がたまらん!
と、思いつつ、俺は無意識に、宇迦之さんの頭を撫でていた。
とたんに、彼女は、フニャーと、蕩けた顔で、気持ちよさそうに耳と尻尾を揺らす。
しかしながら、ここは往来のど真ん中な訳で……そんな事をしていると、少しして、ひそひそと、声が聞こえてくる訳で……。
「あら、まぁ……また、ツバサ様ったら……。」
「宇迦之様も、気持ち良さそうねぇ……。」
「くそぉ! 宇迦之様、可愛いなぁ!!」
と、皆さんの視線を一身に受ける事になるのは、当たり前と言う事なのだ。
そんな住民一同の、生暖かい……一部からは違った熱量の視線を浴び、俺は我に返る。
だが、手を止めると、宇迦之さんは、その真っ白な肌をやや赤く上気させつつ、途端に寂しそうな表情で、潤んだ目を俺に向け、見つめてきた。
これが、宇迦之さんの本当の萌えポイントである。
そうなのだ……。宇迦之さんは、一旦スイッチが入ると、妙に、甘えん坊になるのだ。
目で、もっと!と、訴えかけてくるのが伝わってくるわけで……男としてはこういう風に甘えられたら、応えたくなるのは本能として、至極当然であると思うのだが……。
流石に、往来のど真ん中で、人目を気にせずイチャイチャできるほど、俺も図太くない訳で……
「あー……宇迦之さん。流石に、ここでは、ちょっと人目が……。」
俺は頬を掻きながら、少し控えめに声をかけ、周りに目を向ける。
そんな周囲の状況と言えば……いつの間に集まったのか、野次馬達に、完全に周囲を取り囲まれた状態である。
俺の言葉と困った様子を見て、宇迦之さんの蕩けていた目に理性が灯り始めた。
そうして、周りをゆっくりと見回した後……俺の顔をマジマジ見つめ……顔を一瞬にして真っ赤にすると、俺の手をがっちりと掴み……。
「うにゃぁあああああ!?」
と、叫びつつ、俺の手を引いて、全てから逃げるように、一目散に走り始めた。
後ろから、「気をつけてー。」とか、「お幸せにー。」とか、「マジで爆発しろ!」とか、聞こえた気がするが、とりあえず、聞かなかったことにする。
おー。宇迦之さん、実は結構早く走れるんだなぁ……しかも俺の手を引いて。
俺は身体強化を施したまま、悠々と彼女の手に引かれるままに進む。
うん。中々の力だ。この小さな体に、結構なパワーを持っているようで。
やれば出来る子だな! 宇迦之さん!!
そんな事を思いながら、遠ざかっていく村を後方に認めつつ、叫ぶ宇迦之さんと、2人で森の中を爆走するのであった。
宇迦之さんの暴走が、漸く止まったのは、かなり経ってからだった。
あくまで体感時間ではあるが……15分以上、爆走していた気がする……。凄いな。
俺は息を荒げてぶっ倒れている宇迦之さんに、籐香扇で緩やかな風を送りながら、ファミリアで現在位置を確認する。
おう……ルカールから20km近く離れている……凄いな。
元の世界なら、世界記録をぶっちぎりな早さである……っていうか人を超えた次元の早さだな。
感心しながら扇いでいたが、そうこうする内に、宇迦之さんが起き上がり、足を崩しながら俺に向かい合う様に座り込んだ。
「つ、ツバサ殿。もう大丈夫じゃ……。ありがとうなのじゃ。」
俺は、未だにフラフラな宇迦之さんに、
「いえいえ、どういたしまして。」
と、緩やかに答えると、籐香扇を少しだけ振るように、音もなく閉じた。
その様子を見て、宇迦之さんは少し苦笑いすると、
「全く……お主といい、桜花殿といい……もう少し宝具に敬意を持って扱っても良いと思うのじゃが……。流石に、宝具に扇がれて介抱される日が来るなんぞ、思いもよらんかったのぉ……。」
籐香扇に視線を注ぎながら、そんな風に呟いた。
ふむ。言いたいことは分からんでもないが……宝具といっても、扇だしな。
「扇ぐという行為はむしろ、扇の役割だと思うんですが……。存在意義を十分に達しているので、良いと思うんですけど。」
そんな風に、俺が困ったように反論すると、宇迦之さんは心底楽しそうに笑いながら、
「それは、とてもお主らしい答えじゃな。」
と、にこやかに答える。
しかし、その後、少し意地悪な笑みを貼り付けたまま、
「じゃが……、その籐香扇は……本来、扇ではないのじゃ。」
と、意味深な発言をする。
いや、どこからどう見ても扇……ん? けど、少し何か不自然な部分があるな。
宇迦之さんの言葉を受けて、俺は改めて、籐香扇を観察する。
籐香扇の骨の部分は、少し厚めの金属で出来ている。
銀色に光る、小さな羽子板状のもので、閉じた状態で殴れば、中々の攻撃力を発揮しそうな重量感がある。
まぁ、いわゆる、鉄扇と呼ばれるものだと思ってくれて良い。
だが、それは、全くといっていいほど、重さを感じさせない物なのだ。
今は閉じているので、その金属が幾重にも重なっている状態である。
良く見ると表面には緻密な模様が入れられており、線同士が織り成し描き出すその模様は、無骨な金属面に、優しい雰囲気を浮かび上がらせている。
また、扇面に当たる部分には、閉じたままでは分からないのだが、広げると、一杯に広がる模様が浮かび上がる。
それは、見る度に色を変え、形を変えるのだ。
これを見て、俺は、流石、宝具と呼ばれるだけはあると、納得した覚えがある。
そして、その扇を形作る金属板を一箇所で止めている要には、小さく光る青い石が一つ。
それは、無骨な金属に、一つ、潤いを持たせるかのように、慎ましく鎮座していた。
綺麗に磨き上げられてはいるものの、特別な物には見えない。
俺は、唸りながら、籐香扇を閉じたり開いたりして、真剣に眺めていた。
うーん……何かがおかしいのは分かるんだが……なんというか……中途半端と言うか……。
そんな俺の様子を見て、宇迦之さんは楽しそうに、
「まぁ、それは、本題ではないから、また今度でも良いじゃろ。」
と言うと、少しその声に重さを加えつつ、
「実はの……せっかくこうして、2人きりになれたのじゃから、その……の?」
と、途端に、言葉を濁す。
これが、頬を赤らめ、潤んだ目で言われたのだったら、嬉しいのだが……残念ながら、その顔に浮かぶのは、辛そうに歪む表情のみ。
俺は、宇迦之さんが突然トーンダウンするのを見ながら、籐香扇を閉じ、腰帯に戻す。
そして、ため息をつきながら、
「その様子では……色気のない話ですね。残念です。」
と、俺は肩を落とし、呟いた。
そんな俺の言葉を聞いて、宇迦之さんは耳を起立させると、
「お、お主! これから、大事な話をしようとしてると言うに! ……全く……。」
顔を真っ赤に染めながら、大声で叫ぶも、その表情は少し緩んだように見える。
全く……宇迦之さんは、本当にこう言う所が初心と言うか……それが良いのだが。
悪いとは思いつつも、思わず、弄りたくなるんだよなぁ。
そんな風に、ほんわかしながらも、頭の片隅で、これから話す事は、礼の件だろうと俺は考えていた。
どちらの話が先に来るかは分からないが、それが、宇迦之さんにとって、とても重要で、切り出しにくい話なのは、何となく分かる。
だが、俺からすれば、どちらにしても、既に答えは決まっている。
なので、俺として大事な所は、彼女を如何にして、説得するか……その一点だけなのだ。
ただ、一つ、最初に確認しておかねばならない事がある。
「宇迦之さん。大事な話を始める前に……一つだけ、確認させてください。」
唐突に、そのような事を言い出した俺を、宇迦之さんは不思議そうに見つめるが、そのまま、黙って頷く。
その様子を見て、俺は更に続ける。
「これから、お話してもらう事が……宇迦之さんと言う存在に、悪影響を与えますか? もし、そうであるなら、無理に話を聞きたいとは、俺は思えないのです。」
かなり迂遠な言い回しとなったが、その本質的な意味を、宇迦之さんは理解したのだろう。
驚いたように、俺をジッと見つめ……そして、「大丈夫じゃ。」と、しっかりとした態度で頷いた。
俺が危惧しているのは、精霊の様な、世界からの拘束力が、宇迦之さんに存在しているかどうかだ。
その枷は俺には想像できない程、過酷なものである可能性が高い。
なので、もし、彼女にそれが、存在しているのであれば……そこまでして、彼女の口から、話を聞く必要は無いと考えていたのだ。
だが、今の態度からは、そう言った事は感じられなかった。
ならば、彼女と俺の問題だけという事になる。
そんな風に、俺が考えている間に、宇迦之さんは、その表情に余裕を取り戻しつつも、真剣な顔のまま、俺に語りかけてくる。
「のぅ……ツバサ殿? お主は……今、幸せかの?」
「勿論ですよ。」
その小さな口から、思った以上に、鋭さを持った声が飛んできたのだが……自分でもびっくりするぐらい、考える間も無く、その言葉が口をついて出た。
流石に、そんなに早く答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう。
間髪いれずに答えた俺を見て、目を丸くする宇迦之さん。
しかし、その後、突然、大声で笑い始めた。
そんな姿を見て、俺も、何故か笑いがこみ上げてきて、暫く二人で笑いあう。
ひとしきり笑ってスッキリしたのだろう。
目の端に浮かんだ涙をぬぐいつつ、宇迦之さんは、笑いをこらえながらも、そのまま声を上げる。
「くっくっく……。まったく……そこまで、ハッキリと言われてしまってはのぉ……。真面目に考えていた、わらわが……何だか、馬鹿みたいでは無いか。」
のう? と小首を傾げながら、問うて来る宇迦之さんの顔に、先程までの悲壮感は無かった。
そんな彼女の笑顔を見て、俺は、そうですね、と言うわけにも行かず、ただ湧き上がってくる感情をそのまま顔に出しながら、宇迦之さんの様子を見守る。
「では、再度……質問じゃ。その幸せの中に……わらわの居場所はあるかの?」
「いてくれないと困りますね。」
またも即答だった。しかし、今度は宇迦之さんも驚かない。
俺の目を……いや、心を覗き込むように、見つめてくる。
しばし、そうやって、視線を絡ませながら……俺は、宇迦之さんの次の言葉を待った。
全く動じない俺の態度に何かを感じたのか……それとも、何か思うところがあったのか、宇迦之さんはため息をつくと、視線を外し、空を見上げる。
そのまま、疲れたように、そのまま、呟くように話し始める。
「お主は……本当にそう思っておるのじゃな。」
「ええ、そのつもりですよ?」
「わらわが、人で無いとしても……か?」
「関係ありませんね。」
「関係無い……かの? お主は、わらわの本当の姿を見ても、尚……そう言えるかの?」
その言葉に、俺は初めて返答に窮した。
うーん……正直言えば、どんな姿でも大丈夫かといわれると……嘘になるなぁ。
例えば、俺にも苦手なもの位ある。
代表的なのが、昆虫の中でも特に嫌われ者である奴等とか……。
あれが、超巨大サイズで出てきたら、俺は駄目だろうなぁ。
問答無用で、全力で、躊躇も無く、その存在の全てを消し去ろうとするだろう。
うん、とりあえず、本音で行こう。ここは、飾っても仕方ない気がする。
暫く、考え込んでいた俺だったが、心が決まり口を開く。
「今、少し想像してみましたが……何でも大丈夫とは行きませんね。見てみないことには、何とも言えませんが……実際、俺も、虫とかは駄目ですから。」
そんな俺の言葉に、宇迦之さんは呆気に取られたような顔をしていた。
何故、驚く……。というか、どこに反応しているんだろうか?
そんな俺の心が顔に出たのだろう。宇迦之さんは、ニヤリと少し意地悪な笑みを浮かべると、
「ほう……お主にも苦手なものがあったとは……正直意外ではあるの。じゃが、そうか……虫か……。覚えておくのじゃ。」
と、楽しそうに呟いた。
「いや、俺だって、ただの一般人ですし。嫌いなものの一つや二つありますって……。」
そんな俺の言葉に、「どの口が言うかの……。」と、呆れながら、「して、お主は……」と、言葉を続けながらも、そこで一旦、口ごもる。
俺は、そんな宇迦之さんの胸中を推し量りながら、その整った顔を見つめる。
金色の大きな耳を、少し小刻みに動かしつつ、「うー……。」と、空を見つめたまま、唸っていた。
そんな宇迦之さんを、俺は、楽しみながら観察する。
最近、仕立て直した真っ赤な着物は、彼女の小柄な体を浮き上がらせるような、華やかな刺繍に彩られ、その存在感をいっそう引き立てている。
特に、その小柄な体に、相反するような胸は、着物の下からその存在を存分に主張しているのだ。まったく持って、けしからんことだ。
また、最近、やっと認識できるようになったその髪は透き通るように白く、その中に、いくつか黒い房が混じっている。
少し吊り目気味の細い目を空に向け、小さな頬を少し膨らませながら、小さな唇から一生懸命、言葉を紡ぎ出そうとする宇迦之さんは、真剣な本人には申し訳ないが……とても、可愛らしい。
少し、にやけながら、俺がそんな事を考えていると、俺の表情に気がついた宇迦之さんは、途端に、ブスーッと頬を膨らませ、
「何が可笑しいのじゃ! 人がこんなに悩んでおるというのに!」
と、不機嫌そうに腕を組み、睨み付けて来た。
その後ろには、少し膨らんだ金色の尻尾が2本。ゆらゆらと威嚇するようにゆれている。
「いやぁ……宇迦之さん、可愛いなぁと。」
俺がそう言うと、またも、宇迦之さんは、「にゃ!? お主は……うぅー!!」 と、あたふたし始める宇迦之さんを見て、楽しむ。
しかし、宇迦之さんは、すぐに、パタリとその動作を止めると、少し悲しそうな目で、
「それは……わらわが、孤族の姿じゃからじゃろ?」
と、何か諦めたような声を出し、俺を見つめる。
俺はそれに対しては、何も反応しなかった。ただ、視線を返すのみ。
冷たい態度だと自分でも思うが、ここは、真剣に向き合う必要があると俺は思っていた。
上辺だけのおべっかなど、今、ここで言う必要は無い。
安心させるためだけの、美辞麗句を与えて、宇迦之さんの覚悟を薄めることを俺は嫌ったのだ。
そんな俺の態度に、宇迦之さんは、少しだけガッカリした様に目を伏せるも、すぐにじっと、俺の目を見つめつつ、
「お主には、もう、分かっておるのじゃろ? わらわが……何者か。」
と、掠れた声で、問いかけてきた。
しかし、その問いに、俺は、「はい。」と短く、答える。
そんな俺の答えに、宇迦之さんは、「意地悪じゃのぉ……。」と、少し弱々しく微笑む。
正直、そう言われても仕方がないと、俺も思う。
だが、その答えは、本人の口から聞きたいのだ。
それは、俺にとっても、宇迦之さんにとっても、大事なことであると、考えての事だ。
これからも、宇迦之さんと一緒にいるために、避けて通れない事であると、俺は認識していた。
そして、それは、宇迦之さんも同じ考えであるはずだ。彼女もだからこそ……一生懸命、言おうとしてくれているのだろう。
だから、聞きたかったのだ。本人の口から、直接。
そんな、俺の気持ちが分かっているのだろう。
宇迦之さんは、何かを覚悟したように、目に力を宿し、「そうじゃな。わらわも、向き合わんとな。」と、呟くと、俺に決定的な一言を投げつけた。
「お主の推察のとおり……わらわが……竜神ナーガラーシャと呼ばれている者じゃ。」
ついに、放たれた言葉に、俺はただ、頷きを持って、それを迎えたのであった。
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