比翼の鳥

風慎

第27話 とある神の逸話

 2人を包む木々が、葉擦れの音を上げ……そしてまた、静寂が場を満たす。
 音が沈んだ中、宇迦之さんは、黙って言葉を受け入れる俺を見て、目を細めた。

「お主は……本当に、驚かんのじゃな。」

「ええ。思っていた通りでしたので。」

 シレッと答える俺の様子が、宇迦之さんには新鮮に映ったらしい。
 その釣り上がった大きな瞳を、更に見開く。
 そして、マジマジと俺の顔を覗き込み、頬を緩めると、

「お主……わらわは、皆が恐れ、敬う竜神様じゃぞ? この森を守護する者じゃぞ?」

 そう、少し、呆れたような色を声に交えながら、ため息と共に吐き出した。

 確かに、そうなのだろうが……けどなぁ……。そんな様子の宇迦之さんに対し、俺は苦笑で応える。

「いや……それ、本人が言っちゃ駄目でしょ? 何と言うか……品格が下がりますよ?」

 そんな俺に応えるように、近くの茂みから、風と共に草木の囁きが響いた。

 俺の言葉を受けて、宇迦之さんは気分を害するどころか、更に楽しそうに、にんまりと、頬をだらしなく下げる。
 歯に衣着せぬ俺の言葉も、今の彼女にとっては、嬉しい一言なのだろう。
 全く……このお狐様は。
 だからこそ、俺も、そんな宇迦之さんの様子を見て、頬を緩ませる。

 世の中には多いのだが、「俺って凄いんだぜ!」 と、さりげなく……時には、激しくアピールしてくる人がいる。
 そういう人ほど、俺には胡散臭く見えるのだ。
 能ある鷹は爪を隠す……と言うのは本当で、自分の凄さを知っている人は、わざわざ他人にアピールしないと俺は思っている。

 そんな爪を隠している典型的な例が、俺の2人の友人……いや、親友達だろう。
 鈴木君と柴田……2人とも、その特異性を感じさせないのだ。

 しかし、そんな2人の特異性を実体験をもって理解している俺からすれば……彼らの行動は、一見した所ではあるが、恐ろしい程、普通なのである。
 普通ではない一面を、感じさせない異常さ。
 それが、どれ程凄い事か。
 そして、それは、2人いわく、俺も同じであるらしい。

「佐藤君は……静かに狂ってるよね。」
「そうだね。パッと見た感じ普通だけど、狂ってるよね。」

 と言う、何気に酷いお言葉を頂戴したことがある。
 お前らが言うなと、声を大にして反論したのは良い思い出だ。

 兎に角、そんな2人という例がある。
 少なくとも、俺の人生経験に基づけば、能ある鷹は爪を隠すのだ。

 そんな事を考えている俺を、宇迦之さんは本当に嬉しそうに見つめながら、口を開く。

「なるほど……そうじゃの。やっぱりお主は最高に変な奴じゃよ。じゃが……確かにお主の言うとおり、わらわは、宇迦之じゃからな。偉くもなんとも無いわの。」

 少し試すような宇迦之さんの言葉に、俺は、彼女の本心を感じた。
 だから、俺は、こう返す。

「そうですね。宇迦之さんは、宇迦之さんです。俺にとっては、それ以外、何者でもありませんよ。」

 そんな言葉から、俺の思いを汲み取ったのだろう。
 宇迦之さんは、またもびっくりしたように目を見開くと、少し締まりの無い表情をしながら、口を開いた。

「そうか……そうなんじゃな。期待はしておった……お主ならば、もしかして……と。」

 そうやって彼女は暫くニンヤリしていたが、ふと、思い出したように、言葉を続ける。

「じゃが、同時に恐れてもおった。」

 そう語る宇迦之さんは、先程の穏やかな表情が嘘のように……眉を上げたり下げたりと、忙しく感情を行き来させながら、呟く。
 落ち着かない様子の彼女に対して、俺は、「何を?」と野暮なことは聞かない。
 その代わりに、俺はゆっくりと、彼女の目を覗き込みながら、頷く。

 俺の含みを持たせた様子に、後押しされ、宇迦之さんは、するりと、口を開いた。

「ツバサ殿よ……ちと長くなるが、聞いてくれるか?」

「ええ、勿論ですよ。俺達でよければ幾らでも。宇迦之さんの気が済むまで。」

 そう言いながら、俺は宇迦之さんの背後に出来た、ルカールへと続く道にチラリと視線を移した。

 あれだけの速さで移動したせいだろう。
 宇迦之さんの通った後には、獣道のような、森の傷のような……そんな物ができていた。
 一応、防壁を張っていたので俺達には被害は無かったのだが、横を猛スピードで通り抜けられた木々たちはそうは行かなかったようだ。
 良く見れば、宇迦之さんの通った道へと覆いかぶさるように、申し訳ない程度に傾いだ木々達が、背後に連なるように見える。
 その道とも呼べない隙間を、風がその道を通り抜け……そして、静寂が辺りを満たした。

 一瞬、宇迦之さんはいぶかしそうな表情を浮かべ……俺の視線を追い……そして、ルカールへと続くであろう、その隙間に視線を落とす。
 茂みが揺れ、風が通り抜ける。
 そして、宇迦之さんは俺の言いたいことを悟ったのか、少しだけ、ばつの悪そうな顔を俺に向けると、

「良いじゃろ。」

 と、頬を若干引きつらせながら言った。

 その様子に、俺は黙って頷く。
 彼女が良いなら、俺は何も言うことは無い。
 全力で彼女の言葉を受け止めるだけだ。

 宇迦之さんは、天を仰ぎ、そっと目を閉じる。
 それは過去に思いをはせるという行為だけでなく、何か覚悟を決めるためにしているように、俺の目には映った。
 そして、1分も立たないうちに、その重い口を開き始める。

「わらわは……この世界創生の時より、生きている……らしいのじゃ。らしい、と言うのは、その頃の記憶がおぼろげであるからなのじゃが……。海をさ迷い、砂漠を渡り、山を崩した。そんな事がずっと続いておったのじゃ。」

 いきなりスケールの大きな話だった。
 山を崩すって何よ……と、思うも、そのままの勢いで、宇迦之さんは話を続ける。

「とにかく、昔のわらわは……腹が減っておっての。あの強烈な飢えだけは、今も良く覚えておるわい。」

 そう懐かしそうに語る宇迦之さんの顔には、儚い笑みが浮かぶ。
 それは、過去の自分に向けたものであるのは、聞くまでも無く感じ取れた。

「腹が減っておったから、常に何かを食べたくての。じゃから、飢えを満たす為には……他者から奪うしかなかったのじゃ。」

 それは、不毛な土地。生命の息吹も枯れ果てた世界。

「勿論、飢えを満たさずとも、わらわは存在することはできたのじゃ。今になって分かる事じゃが……現に、暫くの間……恐らく、おぬしらの感覚で言えば、数百年と言う単位で、何も食すことが出来なかったときもあったのじゃよ。」

 数百年飲まず食わずって……流石は、神の世界。
 意味が分からん。

「しかしの……その頃のわらわには、理性と呼べるような、上等なものは無かったのじゃ。飢えを満たす。全てはその為に行動しておった。目に見えた動くものは、片っ端から食ろうておったのじゃ。」

 この世界で生きる彼女は、元の世界のように、命をつなぐ為に他者の命を奪う必要は無いのかもしれない。
 しかし、そうせざるを得なかったと言うことは、その言葉に含まれた重さから感じ取れた。

 本能がその身に語りかける、絶大なる欲求。
 それに抗うのは、この世界であっても難しいのは、その話を聞いてよく分かる。

「じゃから、奪うために、いつも何かと戦ってばかりじゃった。わらわは、時には勝って相手を貪り、時には負けて体の一部を食われ……そんな事を繰り返しておった。」

 凄惨な自然の摂理に支配された光景が、俺の中を過ぎ去る。
 しかし、そんな俺の思いは、堰を切ったように、止め処なく続く言葉に押し流されていった。

「山のような輩をほふった事もあったし、星空のようにきらびやかな者を、噛み砕いたこともあったのじゃ。」

 その声色には、宇迦之さんの苦悩が、後悔が、何より、そんな自分に対する恐怖が、透けて見えるようだった。

「じゃがな、それも、ある時、ふと終わりを迎えたのじゃ。本当に、不思議なことじゃが、ある日突然、わらわに自我が目覚めたのじゃ。どのようにして、そうなったのかは、今もわからぬが……。その時のことは、鮮明に覚えておるのじゃ。」

 そう、懐かしそうに目を細める彼女に、木漏れ日が降り注ぐ。

「あれは、正に歓喜であったのじゃ。わらわが、わらわであると言う確信。そして、犯されることの無い、確固たる自分を知ったのじゃ。あの時が、わらわが本当の意味で誕生した瞬間だったかもしれぬ。」

 宇迦之さんは、遠くを見たまま、視線を徐々に下げていく。
 そして、俺をしっかりと見据えると、

「じゃから、同時に分かってしまったのじゃ。自分がいかに、愚かな事をしてきたかと言うことを。」

 そうはっきりと口にした。

 そんな宇迦之さんの言葉に、俺は思わず口を開きかけ……そして、そのまま言葉を飲み込む。
 黙って首を振る俺を見て、宇迦之さんは、今までに見たことの無いほど、儚く、そしてそれ以上に美しい笑顔を見せる。

「お主は……本当に……。まぁ、よいわ。今は……まだの。」

 そうして、大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出してから、語りを再開する。

「わらわは、自我を手に入れた。そして、わらわと言う存在をもって、最初に感じたのが、寂しさじゃった。この身が孤独であると言うこと。わらわは、世界から切り離された存在であると言うこと。それは、時間を追うごとに、はっきりと、思い知らされたのじゃ。」

 うつむきながら、宇迦之さんは、地面を見つめ、ポツリとこぼす。

「それは、耐え難い苦痛じゃったよ。空腹とは別の意味での。じゃから、わらわは、他の者を求めたのじゃ。じゃが……どの存在も、わらわを見て、食われると思ったらしくての……取り付く島もない状態じゃったわ。逃げ出されるのはまだ良い方でな、時には数を頼みに追い回されることもあったのぉ。」

 そうして、苦笑しつつ昔の自分を嘲る。

「そりゃそうじゃろうな。つい先日まで、目の前にある獲物を根こそぎ食ろうておったのじゃから。いきなり、仲良くしようとしても、そりゃ、無理じゃよな。」

 今度は空を見上げ、そのまま言葉を紡ぐ。

「皆、わらわに言ったのじゃ。 『 醜い化け物が!』 『 邪神を倒せ!』 とな。確かに、わらわは、数え切れぬほど多くの者達を食ろうた。それはもう、覚えておれん位じゃからの。そう言われても仕方ないというのは分かるのじゃ。」

 宇迦之さんは、ひとしきり頷きながら話すと、そのままパタリと動きを止める。

「じゃが、わらわは、どうしても、諦め切れなかったのじゃ。……じゃから……。」

 そう言って、宇迦之さんは、俺の目をしっかりと見据える。
 俺も、その視線を真っ向から、受け止めた。

 気持ちが高ぶっているのだろう。
 僅かに赤く発光するその目から、心の底にたまっている思いの数々が、溢れようとしているのが感じられる。

「……じゃから、わらわは、作ったのじゃ。」

 少し、言いよどむ様にして、宇迦之さんは、口を噤んだ。
 この人に必要なのは、この人が心の底から求めているものは……許しでも慰めの言葉でもない。
 そんな俺の考えは、彼女の言葉を聞くごとに、確信へと変わっていく。
 だから、俺は、そんな宇迦之さんの胸中をおもんばかりながらも、あえて、その先を促す。

「何を……ですか?」

 俺の言葉を聞いて、宇迦之さんは一回、目を閉じ……そして、開くと、一言、

「家族じゃ。」

 そう、自嘲しながら答えたのだった。
 宇迦之さんは、そんな自分の言葉が可笑しくて仕方ないというように、尚も言葉を続ける。

「わらわの身を分けて、子を作った。」

 茂みが揺れる。風が通り抜ける。そして、残るは静寂。

 静かに、だが波紋のように、困惑が俺の中に広がる。
 それは……つまり……俺の知っている、この世界の理から外れたやり方……なのだろうか?
 と言うか、そんな事が出来てしまうのか。
 それは、神と呼ばれる程、強大な存在だからなのか?

 しかし、混乱している俺を置いて、彼女は尚も口を開く。
 その表情を苦しげに歪め、声を沈ませると、「じゃがな……。」と、呟いた。

「わらわの身を分けて作った子は、わらわと同じ、異形の化け物となった。目にした誰からも醜いと言われた、わらわと同じ……な。今思うと、滑稽な話じゃ。いや……それこそが、罰……なのかも知れぬ。」

 乾いた笑みを張り付かせながら、宇迦之さんは続ける。

「このままでは、子供達も、わらわと同じように、皆から爪弾きにされてしまうと思ったのじゃ。じゃから、わらわは、世界の中心に居を構え、子達と一緒にひっそりと過ごそうとしたのじゃ。」

 宇迦之さんは、目を赤く、怪しく光らせながらも、言葉を止めない。

「じゃがな、やはり我が身を分けた子だけあっての……。やはり、飢えからは逃れられんかったのじゃ。」

 それは……つまり……。
 思わず俺は唾を飲み込む。その音が、やけに響いた気がした。
 そんな俺の表情を見たのか、宇迦之さんは消えそうな笑みを浮かべると、

「そう。どんなに醜くても、わらわにとっては、唯一無二の同胞じゃ。例え、暴れることしかできず、他の者達にとって、脅威であろうともな。」

 そう、しっかりとした口調で答える。

 飢えから解放された宇迦之さんが、次に苦しめられたのは孤独感。
 そんな宇迦之さんが、自分を慰めるために作り出した存在。

 そして、一人ではないという事。
 皆に嫌われ続けていた宇迦之さんが、初めて必要とされた瞬間。
 それがどれ程、彼女にとって嬉しいことだったか……それは俺にも、その一言を通じて、痛いほど伝わってきた。しかし、それでは……。

「じゃから、出来ることは可能な限りしてやった。我が子が腹をすかせれば、人族の国を丸ごと餌にした事も1度や2度では無いのじゃ。そうして、子供達に必要とされる事が、わらわにとって、また、救いになっていたのじゃ。」

 やはりそうなるか。
 宇迦之さんは、孤独を避けるために、他者を犠牲にした。
 いや、それ自体は、他者はどう思うかさておき、俺は理解出来る。
 だが、何と言うか……それは、ちょっと、スケールがでか過ぎやしないだろうか。
 子供の為に、国一つ。
 国中の全ての物を貪り食う、宇迦之さんの子供達。
 そして、それを横で、にこやかに見守る宇迦之さん。

 人族側から見れば、正に、破壊神以外の何者でもない。
 流石に、俺をもってしても、コメントに困る光景である。

 そんな微妙な表情を浮かべる俺の顔を見て、宇迦之さんは何故か、嬉しそうに俺を見つめる。

「今は過ぎたことじゃ。わらわとて、自分のした事から逃げるつもりは無いのじゃ。じゃから、お主がそんな顔をする必要は無いのじゃよ。」

「そう言われましても……ね。」

 宇迦之さんを、仕方がなかった! と擁護するのも何か違う気がするし、かといって、罵倒したいわけでもないし。うーん……。
 思わず眉を寄せて考え込んでしまった俺を見て、宇迦之さんは、更に楽しそうに笑う。

「お主は、本当に面白いの。見ていて飽きぬわ。」

 彼女はそう言葉を吐き、悶々とする俺を尻目に、更に話を続けた。

「そうして、わらわは、その子らを、存分に愛したのじゃ。そうする事で、寂しさを埋められると、そう思っておったのじゃ。暫くは、それで静かに過ごせたのじゃがな……。」

 そうして、ため息をつくと、寂しそうに、ポツリと呟いた。

「じゃが、わらわは、そんな子供たちにも受け入れられなかったのじゃ。あやつらは、わらわを、力の源……もっとハッキリと言えば、餌としてしか見ておらんかったのじゃ。それに気づいたのは、育った我が子たちに、我先にと、食いつかれた後じゃったがな。」

 気を抜いたとたん、思った以上に、壮絶な過去が飛び出し始めた。

 食いつかれた? 子供達に?
 困惑する俺を見て、宇迦之さんは更に、そのまま続ける。

「最初は、単なる児戯じぎかと思ったのじゃがな。その行為は止まらんかったよ。じゃが、わらわは……それでも、必要とされる事が嬉しかったのじゃ。それで果てるなら、それもまた良しと……。」

「だから……抵抗しなかったのですか?」

「うむ。」

「それで、死んでもしまっても?」

「それで、わらわが少しでも、あやつ等の糧になれるのならそれも良いかと……な。その思い自体は今も変わっておらぬ。」

 それではあまりにも……寂しいではないか……。
 そう思うも、俺は彼女の言葉を黙って受け止める。
 共感できる。その思いは、かつて……いや、もしかしたら今も、俺が抱いている物と、そう変わらないのだろう。
 だが、いや、だからこそ、俺は言わねばならない……。
 この話が終わった時に……俺が持つ全ての思いを。
 そう改めて、決意すると、今は心の奥にたぎる熱を、そのままに、宇迦之さんの言葉に耳を傾ける。

 言葉を止めた俺の様子を見て、宇迦之さんは、更に彼女の物語を続ける。

「しかしの……結局、わらわは、捨て置かれた。残ったのは僅かばかりの力と、わらわと言う存在じゃった。あやつ等には、やっぱり、わらわは、必要なかったのじゃ。力だけあれば……それで、良かった……のじゃ。」

 話していて、その時の気持ちを揺り返したのだろう。突然、目に涙を溢れさせ、宇迦之さんは言葉に詰まる。
 そんな様子の宇迦之さんを見て、俺は思わず腰を浮かし、近寄ろうとした。
 しかし、彼女は顔を隠すと、左手を突き出し、

「よ……い。今は、まだ。は、話が、終わって、おらぬ……のじゃ。」

 そうしゃくりあげながらも、気丈に振舞う。俺は、その彼女の心を尊いと、本当にそう思った。
 宇迦之さんの気持ちを尊重すべく、俺は、静かに腰を下ろし、彼女が落ち着くのを静かに待つ。
 そうして、暫くの間、沈黙と、葉擦れの音だけが、その場を支配した後、宇迦之さんは真っ赤に腫らした目をこちらに向けた。

「失礼した。もう大丈夫じゃ。全く……年を取ると、涙もろくていかんの。」

 いや、あなた、一部を除いて、どう見てもお子様です。
 と、彼女の姿を視界に納め……口が裂けても言えない事を思いながら、言葉を待つ。

「お主……何か良からぬことを考えておらんか?」

「いえ、滅相も無い。」

 そんなどうでも良い、やり取りの後、宇迦之さんは少しスッキリした顔になり、改めて口を開いた。

「さて、話が途切れてしまったので、続きと行くぞ。」

「ええ。いつでもどうぞ。」

 その言葉に彼女は頷くと、語りを再開する。

「わらわは、そうして、体の大部分を失い、逃げるようにその場を後にしたのじゃ。そうして、悲しみに暮れ、さ迷い、辿り着いたのがこの地じゃ。」

 この地……この森か?
 俺の訝しげな表情を見て、宇迦之さんは頷くと、

「そうじゃ。この地じゃ。尤も、わらわが辿り着いた時には、この地は荒野じゃったがな。」

「荒野って……いや、だって、今は森……って、まさか?」

「うむ、わらわが森を作った。……より、正確に言うならば、勝手に森になったと言う方が正しいかの。」

 流石、神様と呼ばれるだけはある。
 スケールがでかすぎて、訳が分からない。

 森を作る? 植樹とかしたわけでもなく?
 そこで、はたと思い当たる。魔力か? 魔力のせいか?
 そんな考え込む俺を見て、宇迦之さんは笑うと、

「恐らく、お主の推測は正しいの。わらわから吹き出た血が、肉が、魔力が、この森を作ったのじゃ。」

 おう……思った以上に、バイオレンスな作成方法だった。
 まぁ、神話とかに比べれば、まだマイルドなんだろうか?

「兎も角、そんなわらわは、ここで眠りに就いたのじゃ。その間、色々な事が起こったらしいのじゃが、疲弊し失意の底にいたのでの……詳しいことはようわからん。」

 一気にそこまで言い切ると、一旦、彼女は口を噤み、「ただ……。」と、更に先を続ける。

「わらわが休眠している最中に、この森で強大な力がぶつかっていたのは夢現ゆめうつつに覚えておるのじゃ。結局、何が起こっておったのかは、今もわからぬ。」

「強大な力……。」

 その言葉を聞いたとき、俺の脳裏にディーネちゃんの姿が……そして、ルナとリリーの歌う姿が思い浮かんだ。
 ……あの事だろうか?
 彼女達の歌い上げた物語が、知られざる何かを語っている……宇迦之さんの言葉を聞いて、俺は、漠然とした思いを胸に抱いた。

「どうかしたのかの?」

 一言呟き、考え込んでしまった俺の様子を見て、宇迦之さんは不思議そうに首を傾げる。

 おっと、いかん。
 今は、その話より、宇迦之さんの過去を聞くほうが大事だ。
 折角、彼女が勇気を出して話してくれているのに、これでは失礼だな。
 俺は、首を振ると、

「いえ、今は良いです。すいません、続きをお願いします。」

 そう、視線を彼女に合わせて言葉を待つ。
 一瞬、訝しそうにするも、彼女は頷いて、

「うむ。では続きと行くかの。」

 そう切り出すと、先を語りだした。その瞳には先程には無かったうれいが見える。

「ともかく……じゃ。わらわは、ここで長い眠りについていたのじゃが……ある時、強い思念に惹かれての。大多数が絶望や憤怒といった負の思念を撒き散らす中……一人だけ、純粋に強い思いを放つ者がおったのじゃ。」

 宇迦之さんは、懐かしそうに……そして、それ以上に悲しそうに、その顔を歪める。

「それは毎日のように続いたのじゃ……いや、より正確に言うならば、日を追うごとに強くなっていったのじゃ。悠久の時を生きるわらわにとって、そう言うことは何度かあった。じゃが、わが子達を守るために一生懸命だったわらわには、そんなものにかまっている余裕は無かったのじゃ。」

 そう言いながら、首を振ると、宇迦之さんは息をつく。

「じゃが、その時のわらわは、失意の中で一人じゃった。そして、何よりのぉ……その内容が、その思いの強さが、今までわらわが感じたことも無いほどの物での。流石のわらわも、気になったのじゃよ。」

 ほう? 失意の内に沈んでいた宇迦之さんの心を動かすほど思念。それはなんだろうか?
 首を傾げた俺の様子を見て、宇迦之さんは口の端を吊り上げると、

「祈り……じゃ。」

 そう、答えた彼女の目は、自虐に満ちたものだった。

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