比翼の鳥
第27話 とある神の逸話
2人を包む木々が、葉擦れの音を上げ……そしてまた、静寂が場を満たす。
音が沈んだ中、宇迦之さんは、黙って言葉を受け入れる俺を見て、目を細めた。
「お主は……本当に、驚かんのじゃな。」
「ええ。思っていた通りでしたので。」
シレッと答える俺の様子が、宇迦之さんには新鮮に映ったらしい。
その釣り上がった大きな瞳を、更に見開く。
そして、マジマジと俺の顔を覗き込み、頬を緩めると、
「お主……わらわは、皆が恐れ、敬う竜神様じゃぞ? この森を守護する者じゃぞ?」
そう、少し、呆れたような色を声に交えながら、ため息と共に吐き出した。
確かに、そうなのだろうが……けどなぁ……。そんな様子の宇迦之さんに対し、俺は苦笑で応える。
「いや……それ、本人が言っちゃ駄目でしょ? 何と言うか……品格が下がりますよ?」
そんな俺に応えるように、近くの茂みから、風と共に草木の囁きが響いた。
俺の言葉を受けて、宇迦之さんは気分を害するどころか、更に楽しそうに、にんまりと、頬をだらしなく下げる。
歯に衣着せぬ俺の言葉も、今の彼女にとっては、嬉しい一言なのだろう。
全く……このお狐様は。
だからこそ、俺も、そんな宇迦之さんの様子を見て、頬を緩ませる。
世の中には多いのだが、「俺って凄いんだぜ!」 と、さりげなく……時には、激しくアピールしてくる人がいる。
そういう人ほど、俺には胡散臭く見えるのだ。
能ある鷹は爪を隠す……と言うのは本当で、自分の凄さを知っている人は、わざわざ他人にアピールしないと俺は思っている。
そんな爪を隠している典型的な例が、俺の2人の友人……いや、親友達だろう。
鈴木君と柴田……2人とも、その特異性を感じさせないのだ。
しかし、そんな2人の特異性を実体験をもって理解している俺からすれば……彼らの行動は、一見した所ではあるが、恐ろしい程、普通なのである。
普通ではない一面を、感じさせない異常さ。
それが、どれ程凄い事か。
そして、それは、2人いわく、俺も同じであるらしい。
「佐藤君は……静かに狂ってるよね。」
「そうだね。パッと見た感じ普通だけど、狂ってるよね。」
と言う、何気に酷いお言葉を頂戴したことがある。
お前らが言うなと、声を大にして反論したのは良い思い出だ。
兎に角、そんな2人という例がある。
少なくとも、俺の人生経験に基づけば、能ある鷹は爪を隠すのだ。
そんな事を考えている俺を、宇迦之さんは本当に嬉しそうに見つめながら、口を開く。
「なるほど……そうじゃの。やっぱりお主は最高に変な奴じゃよ。じゃが……確かにお主の言うとおり、今のわらわは、宇迦之じゃからな。偉くもなんとも無いわの。」
少し試すような宇迦之さんの言葉に、俺は、彼女の本心を感じた。
だから、俺は、こう返す。
「そうですね。宇迦之さんは、宇迦之さんです。俺にとっては、それ以外、何者でもありませんよ。」
そんな言葉から、俺の思いを汲み取ったのだろう。
宇迦之さんは、またもびっくりしたように目を見開くと、少し締まりの無い表情をしながら、口を開いた。
「そうか……そうなんじゃな。期待はしておった……お主ならば、もしかして……と。」
そうやって彼女は暫くニンヤリしていたが、ふと、思い出したように、言葉を続ける。
「じゃが、同時に恐れてもおった。」
そう語る宇迦之さんは、先程の穏やかな表情が嘘のように……眉を上げたり下げたりと、忙しく感情を行き来させながら、呟く。
落ち着かない様子の彼女に対して、俺は、「何を?」と野暮なことは聞かない。
その代わりに、俺はゆっくりと、彼女の目を覗き込みながら、頷く。
俺の含みを持たせた様子に、後押しされ、宇迦之さんは、するりと、口を開いた。
「ツバサ殿よ……ちと長くなるが、聞いてくれるか?」
「ええ、勿論ですよ。俺達でよければ幾らでも。宇迦之さんの気が済むまで。」
そう言いながら、俺は宇迦之さんの背後に出来た、ルカールへと続く道にチラリと視線を移した。
あれだけの速さで移動したせいだろう。
宇迦之さんの通った後には、獣道のような、森の傷のような……そんな物ができていた。
一応、防壁を張っていたので俺達には被害は無かったのだが、横を猛スピードで通り抜けられた木々たちはそうは行かなかったようだ。
良く見れば、宇迦之さんの通った道へと覆いかぶさるように、申し訳ない程度に傾いだ木々達が、背後に連なるように見える。
その道とも呼べない隙間を、風がその道を通り抜け……そして、静寂が辺りを満たした。
一瞬、宇迦之さんは訝しそうな表情を浮かべ……俺の視線を追い……そして、ルカールへと続くであろう、その隙間に視線を落とす。
茂みが揺れ、風が通り抜ける。
そして、宇迦之さんは俺の言いたいことを悟ったのか、少しだけ、ばつの悪そうな顔を俺に向けると、
「良いじゃろ。」
と、頬を若干引きつらせながら言った。
その様子に、俺は黙って頷く。
彼女が良いなら、俺は何も言うことは無い。
全力で彼女の言葉を受け止めるだけだ。
宇迦之さんは、天を仰ぎ、そっと目を閉じる。
それは過去に思いをはせるという行為だけでなく、何か覚悟を決めるためにしているように、俺の目には映った。
そして、1分も立たないうちに、その重い口を開き始める。
「わらわは……この世界創生の時より、生きている……らしいのじゃ。らしい、と言うのは、その頃の記憶がおぼろげであるからなのじゃが……。海をさ迷い、砂漠を渡り、山を崩した。そんな事がずっと続いておったのじゃ。」
いきなりスケールの大きな話だった。
山を崩すって何よ……と、思うも、そのままの勢いで、宇迦之さんは話を続ける。
「とにかく、昔のわらわは……腹が減っておっての。あの強烈な飢えだけは、今も良く覚えておるわい。」
そう懐かしそうに語る宇迦之さんの顔には、儚い笑みが浮かぶ。
それは、過去の自分に向けたものであるのは、聞くまでも無く感じ取れた。
「腹が減っておったから、常に何かを食べたくての。じゃから、飢えを満たす為には……他者から奪うしかなかったのじゃ。」
それは、不毛な土地。生命の息吹も枯れ果てた世界。
「勿論、飢えを満たさずとも、わらわは存在することはできたのじゃ。今になって分かる事じゃが……現に、暫くの間……恐らく、おぬしらの感覚で言えば、数百年と言う単位で、何も食すことが出来なかったときもあったのじゃよ。」
数百年飲まず食わずって……流石は、神の世界。
意味が分からん。
「しかしの……その頃のわらわには、理性と呼べるような、上等なものは無かったのじゃ。飢えを満たす。全てはその為に行動しておった。目に見えた動くものは、片っ端から食ろうておったのじゃ。」
この世界で生きる彼女は、元の世界のように、命をつなぐ為に他者の命を奪う必要は無いのかもしれない。
しかし、そうせざるを得なかったと言うことは、その言葉に含まれた重さから感じ取れた。
本能がその身に語りかける、絶大なる欲求。
それに抗うのは、この世界であっても難しいのは、その話を聞いてよく分かる。
「じゃから、奪うために、いつも何かと戦ってばかりじゃった。わらわは、時には勝って相手を貪り、時には負けて体の一部を食われ……そんな事を繰り返しておった。」
凄惨な自然の摂理に支配された光景が、俺の中を過ぎ去る。
しかし、そんな俺の思いは、堰を切ったように、止め処なく続く言葉に押し流されていった。
「山のような輩を屠った事もあったし、星空のように煌びやかな者を、噛み砕いたこともあったのじゃ。」
その声色には、宇迦之さんの苦悩が、後悔が、何より、そんな自分に対する恐怖が、透けて見えるようだった。
「じゃがな、それも、ある時、ふと終わりを迎えたのじゃ。本当に、不思議なことじゃが、ある日突然、わらわに自我が目覚めたのじゃ。どのようにして、そうなったのかは、今もわからぬが……。その時のことは、鮮明に覚えておるのじゃ。」
そう、懐かしそうに目を細める彼女に、木漏れ日が降り注ぐ。
「あれは、正に歓喜であったのじゃ。わらわが、わらわであると言う確信。そして、犯されることの無い、確固たる自分を知ったのじゃ。あの時が、わらわが本当の意味で誕生した瞬間だったかもしれぬ。」
宇迦之さんは、遠くを見たまま、視線を徐々に下げていく。
そして、俺をしっかりと見据えると、
「じゃから、同時に分かってしまったのじゃ。自分がいかに、愚かな事をしてきたかと言うことを。」
そうはっきりと口にした。
そんな宇迦之さんの言葉に、俺は思わず口を開きかけ……そして、そのまま言葉を飲み込む。
黙って首を振る俺を見て、宇迦之さんは、今までに見たことの無いほど、儚く、そしてそれ以上に美しい笑顔を見せる。
「お主は……本当に……。まぁ、よいわ。今は……まだの。」
そうして、大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出してから、語りを再開する。
「わらわは、自我を手に入れた。そして、わらわと言う存在をもって、最初に感じたのが、寂しさじゃった。この身が孤独であると言うこと。わらわは、世界から切り離された存在であると言うこと。それは、時間を追うごとに、はっきりと、思い知らされたのじゃ。」
俯きながら、宇迦之さんは、地面を見つめ、ポツリとこぼす。
「それは、耐え難い苦痛じゃったよ。空腹とは別の意味での。じゃから、わらわは、他の者を求めたのじゃ。じゃが……どの存在も、わらわを見て、食われると思ったらしくての……取り付く島もない状態じゃったわ。逃げ出されるのはまだ良い方でな、時には数を頼みに追い回されることもあったのぉ。」
そうして、苦笑しつつ昔の自分を嘲る。
「そりゃそうじゃろうな。つい先日まで、目の前にある獲物を根こそぎ食ろうておったのじゃから。いきなり、仲良くしようとしても、そりゃ、無理じゃよな。」
今度は空を見上げ、そのまま言葉を紡ぐ。
「皆、わらわに言ったのじゃ。 『 醜い化け物が!』 『 邪神を倒せ!』 とな。確かに、わらわは、数え切れぬほど多くの者達を食ろうた。それはもう、覚えておれん位じゃからの。そう言われても仕方ないというのは分かるのじゃ。」
宇迦之さんは、ひとしきり頷きながら話すと、そのままパタリと動きを止める。
「じゃが、わらわは、どうしても、諦め切れなかったのじゃ。……じゃから……。」
そう言って、宇迦之さんは、俺の目をしっかりと見据える。
俺も、その視線を真っ向から、受け止めた。
気持ちが高ぶっているのだろう。
僅かに赤く発光するその目から、心の底にたまっている思いの数々が、溢れようとしているのが感じられる。
「……じゃから、わらわは、作ったのじゃ。」
少し、言いよどむ様にして、宇迦之さんは、口を噤んだ。
この人に必要なのは、この人が心の底から求めているものは……許しでも慰めの言葉でもない。
そんな俺の考えは、彼女の言葉を聞くごとに、確信へと変わっていく。
だから、俺は、そんな宇迦之さんの胸中を慮りながらも、あえて、その先を促す。
「何を……ですか?」
俺の言葉を聞いて、宇迦之さんは一回、目を閉じ……そして、開くと、一言、
「家族じゃ。」
そう、自嘲しながら答えたのだった。
宇迦之さんは、そんな自分の言葉が可笑しくて仕方ないというように、尚も言葉を続ける。
「わらわの身を分けて、子を作った。」
茂みが揺れる。風が通り抜ける。そして、残るは静寂。
静かに、だが波紋のように、困惑が俺の中に広がる。
それは……つまり……俺の知っている、この世界の理から外れたやり方……なのだろうか?
と言うか、そんな事が出来てしまうのか。
それは、神と呼ばれる程、強大な存在だからなのか?
しかし、混乱している俺を置いて、彼女は尚も口を開く。
その表情を苦しげに歪め、声を沈ませると、「じゃがな……。」と、呟いた。
「わらわの身を分けて作った子は、わらわと同じ、異形の化け物となった。目にした誰からも醜いと言われた、わらわと同じ……な。今思うと、滑稽な話じゃ。いや……それこそが、罰……なのかも知れぬ。」
乾いた笑みを張り付かせながら、宇迦之さんは続ける。
「このままでは、子供達も、わらわと同じように、皆から爪弾きにされてしまうと思ったのじゃ。じゃから、わらわは、世界の中心に居を構え、子達と一緒にひっそりと過ごそうとしたのじゃ。」
宇迦之さんは、目を赤く、怪しく光らせながらも、言葉を止めない。
「じゃがな、やはり我が身を分けた子だけあっての……。やはり、飢えからは逃れられんかったのじゃ。」
それは……つまり……。
思わず俺は唾を飲み込む。その音が、やけに響いた気がした。
そんな俺の表情を見たのか、宇迦之さんは消えそうな笑みを浮かべると、
「そう。どんなに醜くても、わらわにとっては、唯一無二の同胞じゃ。例え、暴れることしかできず、他の者達にとって、脅威であろうともな。」
そう、しっかりとした口調で答える。
飢えから解放された宇迦之さんが、次に苦しめられたのは孤独感。
そんな宇迦之さんが、自分を慰めるために作り出した存在。
そして、一人ではないという事。
皆に嫌われ続けていた宇迦之さんが、初めて必要とされた瞬間。
それがどれ程、彼女にとって嬉しいことだったか……それは俺にも、その一言を通じて、痛いほど伝わってきた。しかし、それでは……。
「じゃから、出来ることは可能な限りしてやった。我が子が腹をすかせれば、人族の国を丸ごと餌にした事も1度や2度では無いのじゃ。そうして、子供達に必要とされる事が、わらわにとって、また、救いになっていたのじゃ。」
やはりそうなるか。
宇迦之さんは、孤独を避けるために、他者を犠牲にした。
いや、それ自体は、他者はどう思うかさておき、俺は理解出来る。
だが、何と言うか……それは、ちょっと、スケールがでか過ぎやしないだろうか。
子供の為に、国一つ。
国中の全ての物を貪り食う、宇迦之さんの子供達。
そして、それを横で、にこやかに見守る宇迦之さん。
人族側から見れば、正に、破壊神以外の何者でもない。
流石に、俺をもってしても、コメントに困る光景である。
そんな微妙な表情を浮かべる俺の顔を見て、宇迦之さんは何故か、嬉しそうに俺を見つめる。
「今は過ぎたことじゃ。わらわとて、自分のした事から逃げるつもりは無いのじゃ。じゃから、お主がそんな顔をする必要は無いのじゃよ。」
「そう言われましても……ね。」
宇迦之さんを、仕方がなかった! と擁護するのも何か違う気がするし、かといって、罵倒したいわけでもないし。うーん……。
思わず眉を寄せて考え込んでしまった俺を見て、宇迦之さんは、更に楽しそうに笑う。
「お主は、本当に面白いの。見ていて飽きぬわ。」
彼女はそう言葉を吐き、悶々とする俺を尻目に、更に話を続けた。
「そうして、わらわは、その子らを、存分に愛したのじゃ。そうする事で、寂しさを埋められると、そう思っておったのじゃ。暫くは、それで静かに過ごせたのじゃがな……。」
そうして、ため息をつくと、寂しそうに、ポツリと呟いた。
「じゃが、わらわは、そんな子供たちにも受け入れられなかったのじゃ。あやつらは、わらわを、力の源……もっとハッキリと言えば、餌としてしか見ておらんかったのじゃ。それに気づいたのは、育った我が子たちに、我先にと、食いつかれた後じゃったがな。」
気を抜いたとたん、思った以上に、壮絶な過去が飛び出し始めた。
食いつかれた? 子供達に?
困惑する俺を見て、宇迦之さんは更に、そのまま続ける。
「最初は、単なる児戯かと思ったのじゃがな。その行為は止まらんかったよ。じゃが、わらわは……それでも、必要とされる事が嬉しかったのじゃ。それで果てるなら、それもまた良しと……。」
「だから……抵抗しなかったのですか?」
「うむ。」
「それで、死んでもしまっても?」
「それで、わらわが少しでも、あやつ等の糧になれるのならそれも良いかと……な。その思い自体は今も変わっておらぬ。」
それではあまりにも……寂しいではないか……。
そう思うも、俺は彼女の言葉を黙って受け止める。
共感できる。その思いは、かつて……いや、もしかしたら今も、俺が抱いている物と、そう変わらないのだろう。
だが、いや、だからこそ、俺は言わねばならない……。
この話が終わった時に……俺が持つ全ての思いを。
そう改めて、決意すると、今は心の奥に滾る熱を、そのままに、宇迦之さんの言葉に耳を傾ける。
言葉を止めた俺の様子を見て、宇迦之さんは、更に彼女の物語を続ける。
「しかしの……結局、わらわは、捨て置かれた。残ったのは僅かばかりの力と、わらわと言う存在じゃった。あやつ等には、やっぱり、わらわは、必要なかったのじゃ。力だけあれば……それで、良かった……のじゃ。」
話していて、その時の気持ちを揺り返したのだろう。突然、目に涙を溢れさせ、宇迦之さんは言葉に詰まる。
そんな様子の宇迦之さんを見て、俺は思わず腰を浮かし、近寄ろうとした。
しかし、彼女は顔を隠すと、左手を突き出し、
「よ……い。今は、まだ。は、話が、終わって、おらぬ……のじゃ。」
そうしゃくりあげながらも、気丈に振舞う。俺は、その彼女の心を尊いと、本当にそう思った。
宇迦之さんの気持ちを尊重すべく、俺は、静かに腰を下ろし、彼女が落ち着くのを静かに待つ。
そうして、暫くの間、沈黙と、葉擦れの音だけが、その場を支配した後、宇迦之さんは真っ赤に腫らした目をこちらに向けた。
「失礼した。もう大丈夫じゃ。全く……年を取ると、涙もろくていかんの。」
いや、あなた、一部を除いて、どう見てもお子様です。
と、彼女の姿を視界に納め……口が裂けても言えない事を思いながら、言葉を待つ。
「お主……何か良からぬことを考えておらんか?」
「いえ、滅相も無い。」
そんなどうでも良い、やり取りの後、宇迦之さんは少しスッキリした顔になり、改めて口を開いた。
「さて、話が途切れてしまったので、続きと行くぞ。」
「ええ。いつでもどうぞ。」
その言葉に彼女は頷くと、語りを再開する。
「わらわは、そうして、体の大部分を失い、逃げるようにその場を後にしたのじゃ。そうして、悲しみに暮れ、さ迷い、辿り着いたのがこの地じゃ。」
この地……この森か?
俺の訝しげな表情を見て、宇迦之さんは頷くと、
「そうじゃ。この地じゃ。尤も、わらわが辿り着いた時には、この地は荒野じゃったがな。」
「荒野って……いや、だって、今は森……って、まさか?」
「うむ、わらわが森を作った。……より、正確に言うならば、勝手に森になったと言う方が正しいかの。」
流石、神様と呼ばれるだけはある。
スケールがでかすぎて、訳が分からない。
森を作る? 植樹とかしたわけでもなく?
そこで、はたと思い当たる。魔力か? 魔力のせいか?
そんな考え込む俺を見て、宇迦之さんは笑うと、
「恐らく、お主の推測は正しいの。わらわから吹き出た血が、肉が、魔力が、この森を作ったのじゃ。」
おう……思った以上に、バイオレンスな作成方法だった。
まぁ、神話とかに比べれば、まだマイルドなんだろうか?
「兎も角、そんなわらわは、ここで眠りに就いたのじゃ。その間、色々な事が起こったらしいのじゃが、疲弊し失意の底にいたのでの……詳しいことはようわからん。」
一気にそこまで言い切ると、一旦、彼女は口を噤み、「ただ……。」と、更に先を続ける。
「わらわが休眠している最中に、この森で強大な力がぶつかっていたのは夢現に覚えておるのじゃ。結局、何が起こっておったのかは、今もわからぬ。」
「強大な力……。」
その言葉を聞いたとき、俺の脳裏にディーネちゃんの姿が……そして、ルナとリリーの歌う姿が思い浮かんだ。
……あの事だろうか?
彼女達の歌い上げた物語が、知られざる何かを語っている……宇迦之さんの言葉を聞いて、俺は、漠然とした思いを胸に抱いた。
「どうかしたのかの?」
一言呟き、考え込んでしまった俺の様子を見て、宇迦之さんは不思議そうに首を傾げる。
おっと、いかん。
今は、その話より、宇迦之さんの過去を聞くほうが大事だ。
折角、彼女が勇気を出して話してくれているのに、これでは失礼だな。
俺は、首を振ると、
「いえ、今は良いです。すいません、続きをお願いします。」
そう、視線を彼女に合わせて言葉を待つ。
一瞬、訝しそうにするも、彼女は頷いて、
「うむ。では続きと行くかの。」
そう切り出すと、先を語りだした。その瞳には先程には無かった愁いが見える。
「ともかく……じゃ。わらわは、ここで長い眠りについていたのじゃが……ある時、強い思念に惹かれての。大多数が絶望や憤怒といった負の思念を撒き散らす中……一人だけ、純粋に強い思いを放つ者がおったのじゃ。」
宇迦之さんは、懐かしそうに……そして、それ以上に悲しそうに、その顔を歪める。
「それは毎日のように続いたのじゃ……いや、より正確に言うならば、日を追うごとに強くなっていったのじゃ。悠久の時を生きるわらわにとって、そう言うことは何度かあった。じゃが、わが子達を守るために一生懸命だったわらわには、そんなものにかまっている余裕は無かったのじゃ。」
そう言いながら、首を振ると、宇迦之さんは息をつく。
「じゃが、その時のわらわは、失意の中で一人じゃった。そして、何よりのぉ……その内容が、その思いの強さが、今までわらわが感じたことも無いほどの物での。流石のわらわも、気になったのじゃよ。」
ほう? 失意の内に沈んでいた宇迦之さんの心を動かすほど思念。それはなんだろうか?
首を傾げた俺の様子を見て、宇迦之さんは口の端を吊り上げると、
「祈り……じゃ。」
そう、答えた彼女の目は、自虐に満ちたものだった。
音が沈んだ中、宇迦之さんは、黙って言葉を受け入れる俺を見て、目を細めた。
「お主は……本当に、驚かんのじゃな。」
「ええ。思っていた通りでしたので。」
シレッと答える俺の様子が、宇迦之さんには新鮮に映ったらしい。
その釣り上がった大きな瞳を、更に見開く。
そして、マジマジと俺の顔を覗き込み、頬を緩めると、
「お主……わらわは、皆が恐れ、敬う竜神様じゃぞ? この森を守護する者じゃぞ?」
そう、少し、呆れたような色を声に交えながら、ため息と共に吐き出した。
確かに、そうなのだろうが……けどなぁ……。そんな様子の宇迦之さんに対し、俺は苦笑で応える。
「いや……それ、本人が言っちゃ駄目でしょ? 何と言うか……品格が下がりますよ?」
そんな俺に応えるように、近くの茂みから、風と共に草木の囁きが響いた。
俺の言葉を受けて、宇迦之さんは気分を害するどころか、更に楽しそうに、にんまりと、頬をだらしなく下げる。
歯に衣着せぬ俺の言葉も、今の彼女にとっては、嬉しい一言なのだろう。
全く……このお狐様は。
だからこそ、俺も、そんな宇迦之さんの様子を見て、頬を緩ませる。
世の中には多いのだが、「俺って凄いんだぜ!」 と、さりげなく……時には、激しくアピールしてくる人がいる。
そういう人ほど、俺には胡散臭く見えるのだ。
能ある鷹は爪を隠す……と言うのは本当で、自分の凄さを知っている人は、わざわざ他人にアピールしないと俺は思っている。
そんな爪を隠している典型的な例が、俺の2人の友人……いや、親友達だろう。
鈴木君と柴田……2人とも、その特異性を感じさせないのだ。
しかし、そんな2人の特異性を実体験をもって理解している俺からすれば……彼らの行動は、一見した所ではあるが、恐ろしい程、普通なのである。
普通ではない一面を、感じさせない異常さ。
それが、どれ程凄い事か。
そして、それは、2人いわく、俺も同じであるらしい。
「佐藤君は……静かに狂ってるよね。」
「そうだね。パッと見た感じ普通だけど、狂ってるよね。」
と言う、何気に酷いお言葉を頂戴したことがある。
お前らが言うなと、声を大にして反論したのは良い思い出だ。
兎に角、そんな2人という例がある。
少なくとも、俺の人生経験に基づけば、能ある鷹は爪を隠すのだ。
そんな事を考えている俺を、宇迦之さんは本当に嬉しそうに見つめながら、口を開く。
「なるほど……そうじゃの。やっぱりお主は最高に変な奴じゃよ。じゃが……確かにお主の言うとおり、今のわらわは、宇迦之じゃからな。偉くもなんとも無いわの。」
少し試すような宇迦之さんの言葉に、俺は、彼女の本心を感じた。
だから、俺は、こう返す。
「そうですね。宇迦之さんは、宇迦之さんです。俺にとっては、それ以外、何者でもありませんよ。」
そんな言葉から、俺の思いを汲み取ったのだろう。
宇迦之さんは、またもびっくりしたように目を見開くと、少し締まりの無い表情をしながら、口を開いた。
「そうか……そうなんじゃな。期待はしておった……お主ならば、もしかして……と。」
そうやって彼女は暫くニンヤリしていたが、ふと、思い出したように、言葉を続ける。
「じゃが、同時に恐れてもおった。」
そう語る宇迦之さんは、先程の穏やかな表情が嘘のように……眉を上げたり下げたりと、忙しく感情を行き来させながら、呟く。
落ち着かない様子の彼女に対して、俺は、「何を?」と野暮なことは聞かない。
その代わりに、俺はゆっくりと、彼女の目を覗き込みながら、頷く。
俺の含みを持たせた様子に、後押しされ、宇迦之さんは、するりと、口を開いた。
「ツバサ殿よ……ちと長くなるが、聞いてくれるか?」
「ええ、勿論ですよ。俺達でよければ幾らでも。宇迦之さんの気が済むまで。」
そう言いながら、俺は宇迦之さんの背後に出来た、ルカールへと続く道にチラリと視線を移した。
あれだけの速さで移動したせいだろう。
宇迦之さんの通った後には、獣道のような、森の傷のような……そんな物ができていた。
一応、防壁を張っていたので俺達には被害は無かったのだが、横を猛スピードで通り抜けられた木々たちはそうは行かなかったようだ。
良く見れば、宇迦之さんの通った道へと覆いかぶさるように、申し訳ない程度に傾いだ木々達が、背後に連なるように見える。
その道とも呼べない隙間を、風がその道を通り抜け……そして、静寂が辺りを満たした。
一瞬、宇迦之さんは訝しそうな表情を浮かべ……俺の視線を追い……そして、ルカールへと続くであろう、その隙間に視線を落とす。
茂みが揺れ、風が通り抜ける。
そして、宇迦之さんは俺の言いたいことを悟ったのか、少しだけ、ばつの悪そうな顔を俺に向けると、
「良いじゃろ。」
と、頬を若干引きつらせながら言った。
その様子に、俺は黙って頷く。
彼女が良いなら、俺は何も言うことは無い。
全力で彼女の言葉を受け止めるだけだ。
宇迦之さんは、天を仰ぎ、そっと目を閉じる。
それは過去に思いをはせるという行為だけでなく、何か覚悟を決めるためにしているように、俺の目には映った。
そして、1分も立たないうちに、その重い口を開き始める。
「わらわは……この世界創生の時より、生きている……らしいのじゃ。らしい、と言うのは、その頃の記憶がおぼろげであるからなのじゃが……。海をさ迷い、砂漠を渡り、山を崩した。そんな事がずっと続いておったのじゃ。」
いきなりスケールの大きな話だった。
山を崩すって何よ……と、思うも、そのままの勢いで、宇迦之さんは話を続ける。
「とにかく、昔のわらわは……腹が減っておっての。あの強烈な飢えだけは、今も良く覚えておるわい。」
そう懐かしそうに語る宇迦之さんの顔には、儚い笑みが浮かぶ。
それは、過去の自分に向けたものであるのは、聞くまでも無く感じ取れた。
「腹が減っておったから、常に何かを食べたくての。じゃから、飢えを満たす為には……他者から奪うしかなかったのじゃ。」
それは、不毛な土地。生命の息吹も枯れ果てた世界。
「勿論、飢えを満たさずとも、わらわは存在することはできたのじゃ。今になって分かる事じゃが……現に、暫くの間……恐らく、おぬしらの感覚で言えば、数百年と言う単位で、何も食すことが出来なかったときもあったのじゃよ。」
数百年飲まず食わずって……流石は、神の世界。
意味が分からん。
「しかしの……その頃のわらわには、理性と呼べるような、上等なものは無かったのじゃ。飢えを満たす。全てはその為に行動しておった。目に見えた動くものは、片っ端から食ろうておったのじゃ。」
この世界で生きる彼女は、元の世界のように、命をつなぐ為に他者の命を奪う必要は無いのかもしれない。
しかし、そうせざるを得なかったと言うことは、その言葉に含まれた重さから感じ取れた。
本能がその身に語りかける、絶大なる欲求。
それに抗うのは、この世界であっても難しいのは、その話を聞いてよく分かる。
「じゃから、奪うために、いつも何かと戦ってばかりじゃった。わらわは、時には勝って相手を貪り、時には負けて体の一部を食われ……そんな事を繰り返しておった。」
凄惨な自然の摂理に支配された光景が、俺の中を過ぎ去る。
しかし、そんな俺の思いは、堰を切ったように、止め処なく続く言葉に押し流されていった。
「山のような輩を屠った事もあったし、星空のように煌びやかな者を、噛み砕いたこともあったのじゃ。」
その声色には、宇迦之さんの苦悩が、後悔が、何より、そんな自分に対する恐怖が、透けて見えるようだった。
「じゃがな、それも、ある時、ふと終わりを迎えたのじゃ。本当に、不思議なことじゃが、ある日突然、わらわに自我が目覚めたのじゃ。どのようにして、そうなったのかは、今もわからぬが……。その時のことは、鮮明に覚えておるのじゃ。」
そう、懐かしそうに目を細める彼女に、木漏れ日が降り注ぐ。
「あれは、正に歓喜であったのじゃ。わらわが、わらわであると言う確信。そして、犯されることの無い、確固たる自分を知ったのじゃ。あの時が、わらわが本当の意味で誕生した瞬間だったかもしれぬ。」
宇迦之さんは、遠くを見たまま、視線を徐々に下げていく。
そして、俺をしっかりと見据えると、
「じゃから、同時に分かってしまったのじゃ。自分がいかに、愚かな事をしてきたかと言うことを。」
そうはっきりと口にした。
そんな宇迦之さんの言葉に、俺は思わず口を開きかけ……そして、そのまま言葉を飲み込む。
黙って首を振る俺を見て、宇迦之さんは、今までに見たことの無いほど、儚く、そしてそれ以上に美しい笑顔を見せる。
「お主は……本当に……。まぁ、よいわ。今は……まだの。」
そうして、大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出してから、語りを再開する。
「わらわは、自我を手に入れた。そして、わらわと言う存在をもって、最初に感じたのが、寂しさじゃった。この身が孤独であると言うこと。わらわは、世界から切り離された存在であると言うこと。それは、時間を追うごとに、はっきりと、思い知らされたのじゃ。」
俯きながら、宇迦之さんは、地面を見つめ、ポツリとこぼす。
「それは、耐え難い苦痛じゃったよ。空腹とは別の意味での。じゃから、わらわは、他の者を求めたのじゃ。じゃが……どの存在も、わらわを見て、食われると思ったらしくての……取り付く島もない状態じゃったわ。逃げ出されるのはまだ良い方でな、時には数を頼みに追い回されることもあったのぉ。」
そうして、苦笑しつつ昔の自分を嘲る。
「そりゃそうじゃろうな。つい先日まで、目の前にある獲物を根こそぎ食ろうておったのじゃから。いきなり、仲良くしようとしても、そりゃ、無理じゃよな。」
今度は空を見上げ、そのまま言葉を紡ぐ。
「皆、わらわに言ったのじゃ。 『 醜い化け物が!』 『 邪神を倒せ!』 とな。確かに、わらわは、数え切れぬほど多くの者達を食ろうた。それはもう、覚えておれん位じゃからの。そう言われても仕方ないというのは分かるのじゃ。」
宇迦之さんは、ひとしきり頷きながら話すと、そのままパタリと動きを止める。
「じゃが、わらわは、どうしても、諦め切れなかったのじゃ。……じゃから……。」
そう言って、宇迦之さんは、俺の目をしっかりと見据える。
俺も、その視線を真っ向から、受け止めた。
気持ちが高ぶっているのだろう。
僅かに赤く発光するその目から、心の底にたまっている思いの数々が、溢れようとしているのが感じられる。
「……じゃから、わらわは、作ったのじゃ。」
少し、言いよどむ様にして、宇迦之さんは、口を噤んだ。
この人に必要なのは、この人が心の底から求めているものは……許しでも慰めの言葉でもない。
そんな俺の考えは、彼女の言葉を聞くごとに、確信へと変わっていく。
だから、俺は、そんな宇迦之さんの胸中を慮りながらも、あえて、その先を促す。
「何を……ですか?」
俺の言葉を聞いて、宇迦之さんは一回、目を閉じ……そして、開くと、一言、
「家族じゃ。」
そう、自嘲しながら答えたのだった。
宇迦之さんは、そんな自分の言葉が可笑しくて仕方ないというように、尚も言葉を続ける。
「わらわの身を分けて、子を作った。」
茂みが揺れる。風が通り抜ける。そして、残るは静寂。
静かに、だが波紋のように、困惑が俺の中に広がる。
それは……つまり……俺の知っている、この世界の理から外れたやり方……なのだろうか?
と言うか、そんな事が出来てしまうのか。
それは、神と呼ばれる程、強大な存在だからなのか?
しかし、混乱している俺を置いて、彼女は尚も口を開く。
その表情を苦しげに歪め、声を沈ませると、「じゃがな……。」と、呟いた。
「わらわの身を分けて作った子は、わらわと同じ、異形の化け物となった。目にした誰からも醜いと言われた、わらわと同じ……な。今思うと、滑稽な話じゃ。いや……それこそが、罰……なのかも知れぬ。」
乾いた笑みを張り付かせながら、宇迦之さんは続ける。
「このままでは、子供達も、わらわと同じように、皆から爪弾きにされてしまうと思ったのじゃ。じゃから、わらわは、世界の中心に居を構え、子達と一緒にひっそりと過ごそうとしたのじゃ。」
宇迦之さんは、目を赤く、怪しく光らせながらも、言葉を止めない。
「じゃがな、やはり我が身を分けた子だけあっての……。やはり、飢えからは逃れられんかったのじゃ。」
それは……つまり……。
思わず俺は唾を飲み込む。その音が、やけに響いた気がした。
そんな俺の表情を見たのか、宇迦之さんは消えそうな笑みを浮かべると、
「そう。どんなに醜くても、わらわにとっては、唯一無二の同胞じゃ。例え、暴れることしかできず、他の者達にとって、脅威であろうともな。」
そう、しっかりとした口調で答える。
飢えから解放された宇迦之さんが、次に苦しめられたのは孤独感。
そんな宇迦之さんが、自分を慰めるために作り出した存在。
そして、一人ではないという事。
皆に嫌われ続けていた宇迦之さんが、初めて必要とされた瞬間。
それがどれ程、彼女にとって嬉しいことだったか……それは俺にも、その一言を通じて、痛いほど伝わってきた。しかし、それでは……。
「じゃから、出来ることは可能な限りしてやった。我が子が腹をすかせれば、人族の国を丸ごと餌にした事も1度や2度では無いのじゃ。そうして、子供達に必要とされる事が、わらわにとって、また、救いになっていたのじゃ。」
やはりそうなるか。
宇迦之さんは、孤独を避けるために、他者を犠牲にした。
いや、それ自体は、他者はどう思うかさておき、俺は理解出来る。
だが、何と言うか……それは、ちょっと、スケールがでか過ぎやしないだろうか。
子供の為に、国一つ。
国中の全ての物を貪り食う、宇迦之さんの子供達。
そして、それを横で、にこやかに見守る宇迦之さん。
人族側から見れば、正に、破壊神以外の何者でもない。
流石に、俺をもってしても、コメントに困る光景である。
そんな微妙な表情を浮かべる俺の顔を見て、宇迦之さんは何故か、嬉しそうに俺を見つめる。
「今は過ぎたことじゃ。わらわとて、自分のした事から逃げるつもりは無いのじゃ。じゃから、お主がそんな顔をする必要は無いのじゃよ。」
「そう言われましても……ね。」
宇迦之さんを、仕方がなかった! と擁護するのも何か違う気がするし、かといって、罵倒したいわけでもないし。うーん……。
思わず眉を寄せて考え込んでしまった俺を見て、宇迦之さんは、更に楽しそうに笑う。
「お主は、本当に面白いの。見ていて飽きぬわ。」
彼女はそう言葉を吐き、悶々とする俺を尻目に、更に話を続けた。
「そうして、わらわは、その子らを、存分に愛したのじゃ。そうする事で、寂しさを埋められると、そう思っておったのじゃ。暫くは、それで静かに過ごせたのじゃがな……。」
そうして、ため息をつくと、寂しそうに、ポツリと呟いた。
「じゃが、わらわは、そんな子供たちにも受け入れられなかったのじゃ。あやつらは、わらわを、力の源……もっとハッキリと言えば、餌としてしか見ておらんかったのじゃ。それに気づいたのは、育った我が子たちに、我先にと、食いつかれた後じゃったがな。」
気を抜いたとたん、思った以上に、壮絶な過去が飛び出し始めた。
食いつかれた? 子供達に?
困惑する俺を見て、宇迦之さんは更に、そのまま続ける。
「最初は、単なる児戯かと思ったのじゃがな。その行為は止まらんかったよ。じゃが、わらわは……それでも、必要とされる事が嬉しかったのじゃ。それで果てるなら、それもまた良しと……。」
「だから……抵抗しなかったのですか?」
「うむ。」
「それで、死んでもしまっても?」
「それで、わらわが少しでも、あやつ等の糧になれるのならそれも良いかと……な。その思い自体は今も変わっておらぬ。」
それではあまりにも……寂しいではないか……。
そう思うも、俺は彼女の言葉を黙って受け止める。
共感できる。その思いは、かつて……いや、もしかしたら今も、俺が抱いている物と、そう変わらないのだろう。
だが、いや、だからこそ、俺は言わねばならない……。
この話が終わった時に……俺が持つ全ての思いを。
そう改めて、決意すると、今は心の奥に滾る熱を、そのままに、宇迦之さんの言葉に耳を傾ける。
言葉を止めた俺の様子を見て、宇迦之さんは、更に彼女の物語を続ける。
「しかしの……結局、わらわは、捨て置かれた。残ったのは僅かばかりの力と、わらわと言う存在じゃった。あやつ等には、やっぱり、わらわは、必要なかったのじゃ。力だけあれば……それで、良かった……のじゃ。」
話していて、その時の気持ちを揺り返したのだろう。突然、目に涙を溢れさせ、宇迦之さんは言葉に詰まる。
そんな様子の宇迦之さんを見て、俺は思わず腰を浮かし、近寄ろうとした。
しかし、彼女は顔を隠すと、左手を突き出し、
「よ……い。今は、まだ。は、話が、終わって、おらぬ……のじゃ。」
そうしゃくりあげながらも、気丈に振舞う。俺は、その彼女の心を尊いと、本当にそう思った。
宇迦之さんの気持ちを尊重すべく、俺は、静かに腰を下ろし、彼女が落ち着くのを静かに待つ。
そうして、暫くの間、沈黙と、葉擦れの音だけが、その場を支配した後、宇迦之さんは真っ赤に腫らした目をこちらに向けた。
「失礼した。もう大丈夫じゃ。全く……年を取ると、涙もろくていかんの。」
いや、あなた、一部を除いて、どう見てもお子様です。
と、彼女の姿を視界に納め……口が裂けても言えない事を思いながら、言葉を待つ。
「お主……何か良からぬことを考えておらんか?」
「いえ、滅相も無い。」
そんなどうでも良い、やり取りの後、宇迦之さんは少しスッキリした顔になり、改めて口を開いた。
「さて、話が途切れてしまったので、続きと行くぞ。」
「ええ。いつでもどうぞ。」
その言葉に彼女は頷くと、語りを再開する。
「わらわは、そうして、体の大部分を失い、逃げるようにその場を後にしたのじゃ。そうして、悲しみに暮れ、さ迷い、辿り着いたのがこの地じゃ。」
この地……この森か?
俺の訝しげな表情を見て、宇迦之さんは頷くと、
「そうじゃ。この地じゃ。尤も、わらわが辿り着いた時には、この地は荒野じゃったがな。」
「荒野って……いや、だって、今は森……って、まさか?」
「うむ、わらわが森を作った。……より、正確に言うならば、勝手に森になったと言う方が正しいかの。」
流石、神様と呼ばれるだけはある。
スケールがでかすぎて、訳が分からない。
森を作る? 植樹とかしたわけでもなく?
そこで、はたと思い当たる。魔力か? 魔力のせいか?
そんな考え込む俺を見て、宇迦之さんは笑うと、
「恐らく、お主の推測は正しいの。わらわから吹き出た血が、肉が、魔力が、この森を作ったのじゃ。」
おう……思った以上に、バイオレンスな作成方法だった。
まぁ、神話とかに比べれば、まだマイルドなんだろうか?
「兎も角、そんなわらわは、ここで眠りに就いたのじゃ。その間、色々な事が起こったらしいのじゃが、疲弊し失意の底にいたのでの……詳しいことはようわからん。」
一気にそこまで言い切ると、一旦、彼女は口を噤み、「ただ……。」と、更に先を続ける。
「わらわが休眠している最中に、この森で強大な力がぶつかっていたのは夢現に覚えておるのじゃ。結局、何が起こっておったのかは、今もわからぬ。」
「強大な力……。」
その言葉を聞いたとき、俺の脳裏にディーネちゃんの姿が……そして、ルナとリリーの歌う姿が思い浮かんだ。
……あの事だろうか?
彼女達の歌い上げた物語が、知られざる何かを語っている……宇迦之さんの言葉を聞いて、俺は、漠然とした思いを胸に抱いた。
「どうかしたのかの?」
一言呟き、考え込んでしまった俺の様子を見て、宇迦之さんは不思議そうに首を傾げる。
おっと、いかん。
今は、その話より、宇迦之さんの過去を聞くほうが大事だ。
折角、彼女が勇気を出して話してくれているのに、これでは失礼だな。
俺は、首を振ると、
「いえ、今は良いです。すいません、続きをお願いします。」
そう、視線を彼女に合わせて言葉を待つ。
一瞬、訝しそうにするも、彼女は頷いて、
「うむ。では続きと行くかの。」
そう切り出すと、先を語りだした。その瞳には先程には無かった愁いが見える。
「ともかく……じゃ。わらわは、ここで長い眠りについていたのじゃが……ある時、強い思念に惹かれての。大多数が絶望や憤怒といった負の思念を撒き散らす中……一人だけ、純粋に強い思いを放つ者がおったのじゃ。」
宇迦之さんは、懐かしそうに……そして、それ以上に悲しそうに、その顔を歪める。
「それは毎日のように続いたのじゃ……いや、より正確に言うならば、日を追うごとに強くなっていったのじゃ。悠久の時を生きるわらわにとって、そう言うことは何度かあった。じゃが、わが子達を守るために一生懸命だったわらわには、そんなものにかまっている余裕は無かったのじゃ。」
そう言いながら、首を振ると、宇迦之さんは息をつく。
「じゃが、その時のわらわは、失意の中で一人じゃった。そして、何よりのぉ……その内容が、その思いの強さが、今までわらわが感じたことも無いほどの物での。流石のわらわも、気になったのじゃよ。」
ほう? 失意の内に沈んでいた宇迦之さんの心を動かすほど思念。それはなんだろうか?
首を傾げた俺の様子を見て、宇迦之さんは口の端を吊り上げると、
「祈り……じゃ。」
そう、答えた彼女の目は、自虐に満ちたものだった。
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