比翼の鳥

風慎

第30話 大家族

 結論から言えば、大方、俺の予想通りだった。

 まず、宇迦之さんの孤族びいきだが、やはり、喰われたクイナさんの影響はあるようだ。
 クイナさんの明確な意識は、交じり合ってしまったため既に無いらしい……と言うより、クイナさんを喰らった事により、今の宇迦之さんと言う人格……いや、正確には神格? になったようだ。

 やはりクイナさんは凄かったらしく、一人で、神の精神に拮抗して見せたらしい。
 その結果、今の宇迦之さんのような性格に落ち着いたようだ。
 本人曰く、それまでのナーガラーシャ様は、かなり気性の荒い性格だったらしい。
 昔のままなら、俺に勝負を挑んでいたかもしれないとの、本人談。
 怖いな……おい。

 後は、孤族の村は、散り散りになった人達が新たに復興したらしい。
 その前に、宇迦之さんが僕を使って、あっさりと、人族の軍勢を焼き払ったとか何とか……。
 焼き払うって何よ……。
 そして、人族を森から完全に追い払い、今の大結界で守護していると言うのは、今までに聞いたとおりである。

 その後は、あの族長様が台頭し、孤族の村を再興し始めたらしい。
 だが、宇迦之さんは、身元不明の孤族として扱われる事となった。
 本来ならクイナさんに成り代わる算段だったらしいのだが、それは叶わなかったらしい。
 何でそんなことになったかと言うと、クイナさんとして顔が認識されなかったからだ。
 どうやら無理な同化の影響で、存在が定まらず、顔が上手く顕現できなかったとの事。
 顔が顕現できない……と言うのも、良く分からないが、本人曰く、

「わらわの存在を、獣人族の体では体現できんかったのじゃ。」

 との事。その割には立派な……ゲフンゲフン。
 まぁ、俺のそんなよこしまな気持ちは置いておくとして……確かに、村としか呼べないような少人数の集団に、見たことも無い人が混じりこんだら、それはそれでホラーである。
 だからだろう。そんな得体の知れない宇迦之さんに、孤族の風当たりは強かったらしく、最初は村に受け入れに多くの者が反対したそうだ。
 そんな中、一人だけ、宇迦之さんを引き取ると申し出た女性がいたらしい。
 クイナさんの母親だ。
 その方も、宇迦之さんを引き取って1ヶ月ほどで亡くなったらしい。
 原因は、人族侵攻の際に負った傷のようだ。

「今にして思えば……母上は死が近い事を感じ取っていたのじゃと思う。」

 天を仰ぎ、そう呟く宇迦之さんの顔は、どこか静謐な雰囲気をかもし出していた。

「母上は、わらわに対して実の娘……クイナと同じように接してくれたのじゃ。それが、わらわには多大な救いとなったのじゃよ。」

 そんな言葉を聞いて、俺は頷きながら心の中で納得する。
 何となくだが、宇迦之さんが迫害され、そして、それでも孤族に対して献身的だった理由が、分かった気がした。

 孤独を嫌いながらも、寂しさを抱え、ひっそりと身を潜めるように生きてきた竜神。
 恐れることなく、受け入れてくれた孤族の親子。恩返しの一つもしたくなると言う物だ。

「じゃが、そんな生活を始めて直ぐに問題がおきたのじゃ。」

 そんな宇迦之さんの唐突な言葉で、俺は我に返る。

 ナーガラーシャの持つ魔力が、結界を維持するのに足りなかったのだ。
 結界をこのまま維持しても、もって5年。
 折角、平和になったのに、それも結界が無くなれば直ぐに元の木阿弥もくあみだ。

 ……魔力が足りないなら、他から貰えばいい。
 そう考えた宇迦之さんは、巫女と言う物を作った。
 僕を通じて、各氏族に半分脅しとも言える無茶な要求をしたとのこと。
 だが、獣人達は思った以上に従順で、今の平和が維持できるならと、喜んでその提案を呑んだらしい。
 それが、今、獣人族の間で伝わる竜神ナーガラーシャの姿と言う事になる。

 巫女の候補が各氏族より選ばれ、その者達より魔力を供給してもらったことで、結界の維持は安定に向かった。

 特別、魔力の強い者から結界維持に必要な魔力を供給してもらう。
 それは、本来、生活の支障の出ない範囲で行う、ちょっとした魔力供給で済む予定であった。

 だが、それでも足りなかったのだ。

 閉じられた空間となった結界内では、膨大な魔力消費を賄うだけの生産力を得られなかった。
 何より、こんなに大規模な結界で森そのもののを覆ってしまう事など、古来の神と呼ばれる者達の誰も、やったことの無い事だったらしい。
 無謀な試みだったのかもしれない。それでも、宇迦之さんは、自分の体を削りながら結界を維持した。

 魔力の枯渇。

 その影響は、長い時間をかけて森全体を蝕んでいった。
 ナーガラーシャ本体の魔力が欠乏した結果、自分の意思とは関係なく、本能的に、森全体から魔力を強制的に吸い取るようになっていったのだ。
 森全体の生命から、魔力が徐々に失われていく。
 獣人族への影響は特に顕著で、その活動も見る見るうちに縮小していった。

 魔力の枯渇は、宇迦之さんにも影響を及ぼすようになる。
 宇迦之さん自体の存在も揺らぎ、結果的に、巫女として認識されながらも、孤族からは気味の悪い存在として扱われ、徐々に村人から孤立するようになったらしい。
 だが、その辺りの詳しい事を、宇迦之さんは話さなかった。
 だから俺も、あえて聞かなかった。

 そうして、少しの間、静寂がこの場を包む。
 後は、緩やかに滅亡への道を辿るだけ。
 宇迦之さんの魔力が尽き、結界が消えるのが早いか、獣人族含め、森の生命が息絶えるのが早いか……。
 どう考えても詰んでいるじゃないですか……。

 だが、そんな俺の様子を見て、宇迦之さんは、急に微笑みだす。
 そして、俺の顔をジッと見つめながら、

「じゃが、奇跡は起こったのじゃ。」

 そうはっきりと口にした。

「奇跡……ですか?」

 俺には全く持って、馴染みの無い言葉に、俺は思わず問い返す。

「うむ。そうじゃの。奇跡じゃ。」

「はぁ……。」

「お主じゃよ。」

「俺……ですか?」

「うむ。お主が来た。どこからともなくな。」

「俺が現れた事のどこ……が……。」

 その俺の呟きは、最後まで言葉にならなかった。
 今までの話の流れから、分かってしまったのだ。何故、宇迦之さんが、俺の存在を奇跡と称したか。

 この森の魔力枯渇。そして、そこに現われた、俺という存在。
 花束を投げたあの美しい景色が……皆を仲裁した時の激しい憤りが……勇者に対する怒りが一瞬にして思い出される。
 あれか……あの時の事や、あんな事が、ここに繋がるのか……。
 いや、もしかしたら、それ以外の事も……。

 想像はしていた。
 実際、宇迦之さんが竜神様だと確信したのは、俺の魔力を介して現われた、とある変化が原因だし。
 そう、想像はしていたが、そこまでしゃれにならない規模で影響を与えていたとは……。

「何をうな垂れておるのじゃ……。お主が魔力をあれだけ放出しなければ、この森は遠からず、結界を失い、人族の侵攻を受けておったのじゃぞ?」

「何と言いますか、自分の意図しない所で、結果を得ると言うのは……。」

 思わず、口をついて出る何とも言えない苦い思い。
 しかし、そんな情けない俺の姿を見ると、宇迦之さんは、少し呆れながらも

「今更、なんじゃ。もう好き勝手やっておるではないか。」

 そう苦々しく、言葉を吐く。

 ええ、そうなんですけどね? けど、ちょっと最近やり過ぎているんじゃないかと、思っていました。はい。
 まぁ、それでも皆の迷惑になってない……なら良いかと、開き直っていたわけですが……。
 ……なってないよね?

 そんな情けない顔をしていると思われる、俺の様子をみて、宇迦之さんは、苦笑しながらも、止めを刺すかのごとく、決定的な言葉を吐く。

「全く。まぁ、その辺りは気にする必要は無いのじゃ。結果的に、わらわも、この森も助かったわけじゃからの。それに、わらわを者が、そう情けない顔をするでない。ほれ、胸を張らんか。」

 ……はい?

 何か今、物騒な言葉が聞こえたような?
 ああ、成程。ある意味、そう言って良いわけだ。俺の魔力が……。

 俺が思考の海に潜ろうとした瞬間、茂みより金色の物体が高速で突っ込んできた。

 しかし、恐らく、その突進が攻撃とみなされたのだろう。
 瞬時に防御結界が発動し、厚い鉄板をぶっ叩いたような鈍い音が響く。
 しかし、金色の物体……いや、どう見ても、金色の狼な方は、防御結界に爪を立てながら狼狽しまくりの声を上げる。

「つ、つつつ、ツバサ様! それは一体どういう!! こ、この狐に何を!!」

 ああ、その姿でもしゃべれるんですか……いつの間に……。
 俺の視界を覆い隠すように、金色の狼さん……もとい、レイリさんが、防御結界にへばりつく様子はちょっと可愛いらしい。
 しかし、金属が擦れ合うような硬質な音を撒き散らしつつ、ハグハグと言う擬音が聞こえそうなほど、結界に噛み付き、引っかきまくっているのはいただけないが……。
 妙齢の女性が、口の中の素敵な牙を見せるのはどうかと思いますよ?
 そんな思いもあるものの、勢い良くぶつかったレイリさんが心配になり、俺はゆっくりと声をかける。

「レイリさん……今、思いっきり結界に激突してましたよね……? 大丈夫ですか?」

「そんな事は、今はいいのです!! それよりも、な・に・を! したのですか!」

 狼レイリさんはどうやら、俺が思う以上に頑丈のようだ。全くダメージを受けていない様子を見て、俺は少し冷静になる。

「いえ、それがその……レイリさんの危惧するような、羨まし……もとい、やましい事は何も。」

 そんな俺の声を押しのけるように、悲鳴にも似た声が響く。

「もう! お母さん! 出ちゃ駄目でしょ!」

 もう、隠れる意味も無くなったリリーが、茂みの奥より、耳を尖らせながら出てきた。本当に今更だけど……。
 リリーは俺に目を向け、ぺこりと可愛く礼をした後、レイリさんに

「折角、ルナさんが隠してくれていたのに台無しじゃない!」

 と、尖らせた耳を左右に振りながら近づいて来る。
 いや、初っ端からばれてましたけどね?
 中で何があったか知らないが、不自然に茂みは揺れるし、あれで気付かない方がどうかしているだろう。

 そして、そんなリリーの後ろから、茂みを凍らせながら、ゆっくりと落ち着いた様子で這い出てくるルナ。あぁ……あれは至極、お怒りだ……。

『ツバサ? 犯すって何? どういう意味か、ルナに教えて欲しいな。』

 俺とレイリさんの間に突然浮かび上がった言葉を見て、俺は瞬時に、生命の危機を迎えたことを確信した。
 見ると、ルナさん……いや、ルナ様が冷気を纏いながら、近づいてくる。
 俺とルナ様の間にいたレイリさんは、ルナ様の視線に晒された瞬間、驚き飛びずさった。

 目が合う。

 笑顔である。それはもう、見たら目を外せなくなるほど、綺麗な。だが、その目が笑っていない。凍えるような深い色をたたえている。その視線が俺を射止めていた。俺はそこから視線を外す事ができない。外したらヤラレル……。
 そんな視界の端に映るレイリさんからは、怯えた様子が伝わってくるわけで。
 そりゃそうだろうな……俺も逃げたい……。

『えっと、こういう時は……腹を切って話す……だっけ? ちょっと最近、ツバサの考えていることが分からないから、ルナ、ツバサの本心が知りたいな。』

「いや、待て……落ち着け、ルナ……。これは違う! 違うんだ!! それに、腹は切るんじゃ無くて、割るのが正解だ!」

 そんな間男のような事しか言えない俺を、ルナ様は相変わらず張り付いた笑みで見つめると、更に楽しそうに笑う。

『あ、そっか。けど、お腹の中を見せるから、裂いても割っても切っても変わらない……よね?』

 コテンと、首を傾げ、花の咲くような笑顔で語りかけるルナ様は、本当に恐ろしく……俺はもう、完全に腹を据えた。
 そんな風に、半分、諦め、半分泣きそうになりながら、ルナ様がゆっくりと近づいてくるのを、震えながら見ていると、横合いより、のんびりとした声がかかる。

「やっと出てきおったか。しかし、お主ら……何をそんなにいきり立っておるのじゃ?」

 その一言は、首に刃物を突きつけられている状態であった俺にとって、正に救いの一言だった。
 尤も、その原因を作ったのも、このお狐様……もとい、竜神様なのだが。

「そ、それは……その、宇迦之さん……いえ、ナーガラーシャ様が、お、おお、犯された、とか言うから。いえ、言われましゅ……はぅ。」

 リリーが半分、挙動不審になりながら、口を開き……慌てて、敬語を使おうとして……そして噛んだ。
 その様子に、一気に場の空気が緩む。ルナから発せられる怒気も薄くなり、少し場にゆとりが生まれた。
 ルナは一気に怒気が霧散したのだろう、ため息をつくと、その凍える視線を引っ込めて、俺にこう文字で、語りかけた。

『後で、ちゃんとお話させてよ?』

 俺は、そんなルナに真剣な顔で頷く。
 そんな俺の様子を見て、ルナは今度は陽だまりの様に微笑むと、リリーに向かって歩き出した。

 た、助かった……。
 早鐘のように打ち鳴らされる自分の鼓動を聞きながら、俺は、胸を撫で下ろす。
 よくよく考えてみたら、俺にやましい所は何も無い。
 ……無いよね? いや、無いはず……多分。
 だから、俺も堂々としていれば良いのだ。いいのだが、あのプレッシャーに打ち勝つのはかなり骨が折れそうだ……。

 そんな微妙な思考を繰り返す俺をよそに、リリーにそんな改まった態度を取られた宇迦之さんは、少し顔をしかめると、

「今までどおりで構わんのじゃよ。わらわ達は家族なのじゃろ?」

 そう、リリー……だけでなく、レイリさんにも向けて言葉を発する。
 そして、その声には少しばかりの怯えが見えた。
 しかし、今の声には、俺に話を始める前よりは、確実に、力が篭っている。

 話しを始めるまでは、受け入れてもらえるか、確信を持てなかった宇迦之さんだが、ここまで話を聞いてくれた者達が居るという事で、少し自信を持ったのだろう。
 そして、その宇迦之さんの気持ちは、しっかりとリリー達にも届いたらしい。
 その言葉に、思う所があったのだろう。

「そう……ですね。すいません、宇迦之さん。私達、ツバサさんの家族……ですもんね。」

 リリーは直ぐに、元の口調に戻ると、笑顔でそう告げる。
 そんなリリーの答えに、宇迦之さんは本当に嬉しそうに、笑顔を浮かべると、

「そうじゃな。家族じゃ。本当に、大家族じゃな。お主らを初め、沢山の家族に囲まれて過ごせて、わらわも毎日が楽しいのじゃ。」

 と、尻尾を振りながら呟いた。
 おや? と思う。今の言葉に、俺は強烈な違和感を覚えた。

 しかし、俺の思考をさえぎるように、今度は未だ狼姿のレイリさんが声を上げる。

「宇迦之。私は元より、態度を変えるつもりはありませんよ。……ただ一つだけ、確認させて下さい。宇迦之、貴女は初めから、宇迦之でしたよね?」

 その問いかけは、その口調の軽さとは裏腹に、重い問いだった。
 一瞬、場が静まり返るも、宇迦之さんは狼レイリさんに視線を向けると、

「うむ。クイナの記憶にそなたはいないのじゃ。わらわと初めて会ったのは、巫女の儀式の時じゃよ。」

 そう頷きながらはっきりと返す。
 それを聞いて、狼レイリさんは一瞬、ほっとした様子を見せるも、直ぐにいつもの調子で言葉をぶつけ始めた。

「ならば、私から言う事は特にありません。そもそも、そこのドジで甘えっ子の子狐が、竜神様とか言われましても、私の対応は変えようがありませんわね。」

 ニヤリと、狼のまま壮絶な笑みを浮かべるレイリさん。素敵な犬歯がちょっと怖いです。
 そして、宇迦之さんはその言葉に、カチンと来たらしい。

「にゃ、にゃにぉー! 年中、ツバサ殿に媚びて発情している狼に言われとうないわい!」

「な!? 言う事かいて……ツバサ様の前でなんと言うことを!!」

 狼姿のまま、うろたえるレイリさん。
 いや、そこは否定して下さいよ。

「だってそうであろう。あぁ、じゃが、その姿ではご自慢の胸も披露できんか。難儀じゃのぉ。」

「な!?」

 そう言いつつ、宇迦之さんは自分の胸をゴム鞠のように弾ませる。
 ああ、駄目だ、動く物体に目が吸い寄せら……いや、ルナさん、こちらを見ないまま冷気だけ出すの止めて下さい。分かったから。
 冷や汗を垂らしながら黙る俺を横目にチラリと見た宇迦之さんは、俺にニヤリと意地悪な笑みを向ける。
 ああ……その笑みは……嫌な予感しかないんですけど。
 その予感を的中させる一言を、宇迦之さんは放つ。

「……それに、わらわの胸でもツバサ殿を篭絡できそうじゃと実証できたしの。お主だけに大きな顔はさせんぞ? のぅ? ツバサ殿?」

「いえ、俺に振らないで下さい……。」

 ハイともイイエとも答えられない状況です。
 ルナ様はこちらに背を向けつつも、氷の槍を形成する。無論、俺に向けて。やめて! 頼むから!

 そして、レイリさんは、毛を逆立て、真っ赤……いや、金色の顔をして、震えていた。
 まぁ、狼姿のまま、口をパクパクと言葉も出ない様子なレイリさんは、中々にレアなのだが。

 あまりの怒りで打ち震えるレイリさんを見て、この後のどうなるか分かってしまった俺は、そっと、目を閉じ、黙って後ろを向く。

「そこまで言うなら、勝負です! どちらが、ツバサ様を誘惑できるか!」

 ドーン! と俺の背後で光の爆発が起き、続いて、リリーが「お母さん! 裸―!?」と、叫ぶのを聞いた俺は、深くため息をついて、場の収まるのを待つのだった。

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