比翼の鳥
第35話 契約
俺は、突然消え去った山脈を呆然と見渡しながら、宇迦之さんの言葉を聞いていた。
「それにしても、尋常じゃない魔力だったのぉ……。しかも、ただの魔力の塊で、山を跡形も無く消し去るとはの。」
多分、回転してしまった時に、横なぎにしてしまったのだろう。
見ると、体勢を崩した時に着弾したであろう傷跡が、氷の盾のあちらこちらに見て取れた。
彼方に見える大樹も、損傷は無いようだ。俺の始まりの地であり、ルナとの出会いの地でもあるので、無事でよかった。
……まぁ、山脈が吹っ飛んだ事で、どんな影響が出るかは未知数ではあるが……ふっ飛んだのは中腹までだし……翼族の移住が終わった後で良かったと思うことにして、俺はどうにか平常心を取り戻す。
ふと視線を感じ振り返ると、宇迦之さんが、少し真剣な顔つきで、俺を見ていた。
「ツバサ殿、邪魔の入らぬ今のうちに、契約をして貰えんかの?」
改めて言う宇迦之さんに、俺はすぐさま言葉を返す。
「ええ、良いですよ。」
そんな俺の、打てば響くような返答が嬉しかったのか、宇迦之さんは目を輝かせながら、その目を見開いて、素敵な笑顔で、
「よし、では、やろうぞ! ほれ、そこに座るのじゃ!」
と、はしゃぎながら言う。
俺は、そんな宇迦之さんを見て、苦笑しつつ、頷きながら氷の床に腰を下ろした。
そこで初めて気がついた。顔をこすりつけた時は、それ所ではなかったので気がつかなかったが、全然冷たくない。
いや、ほのかに冷気を感じるが、俺の知っている氷と同じ物とは思えなかった。
まぁ、確かに、俺の知っている物と同じだったら、足をついた時点で張り付いているよな……きっと。
怒りに任せて魔力をほとばしらせる時は、あんなに冷気が応えるのに……やはりルナさんの魔法は不思議である。
俺は首を傾げながら、ルナの氷の不思議を体験していると、宇迦之さんは、金の龍さんから飛び降り、そのまま俺の目の前へと綺麗に着地した。
そこで転べば、色々美味しかったのだが……とか、思っているうちに、徐に俺の手を掴んで言う。
「よし、では、始めるのじゃ。では、目を閉じるのじゃ。」
「はい。お手柔らかに。」
俺はそんな風に少しおどけながらも、目を閉じる。
それを見た宇迦之さんは大きく息を吸い、ゆっくり吐く。
「む、少し顔を前に出してくれんかの。そう、もう少し。うむ、それでよい。」
俺は言われるまま、正座のまま、お辞儀でもするように顔を前に出す。
そして、俺の顔に自分の顔を、ゆっくりと近づけてきたのが、その息遣いから感じられた。
俺は、雑念を交えないよう、なるべく何も考えないようにして、全てを宇迦之さんに任せる。
やがて、コツンと、お互いの額が触れ合うのが感じられ、前にも同じ様な事があったなぁと、懐かしい気持ちが沸き起こった。
そして、宇迦之さんは一瞬、ピクリと体を震わせると、徐に鼻をひくつかせ、
「む……。これは……水臭いの。」
と、ポツリと一言。
俺はその言葉を聞いて、心拍数が一瞬跳ね上がるのを感じた。
何も悪いことはしていないのだが、確かに、その事は、リリーにしか言っていない。聞かれなかったし。
その後も、リリーは皆に、ディーネちゃんと俺の関係は言っていなかった。だから、宇迦之さんはこの関係を知らないはずだ。
俺の動揺が透けて見えるのか、宇迦之さんは、一瞬、喉の奥から笑い声を出すと、更に饒舌になる。
「そうかそうか。ツバサ殿の連れ子も、こやつの子か。妙に強い力を持った精霊の子だと思っておったが、お主の影響かと、気にも留めておらんかったのじゃが……なるほどのぉ。」
あっさりと言い当てられ、思わず汗が滲む俺。
いや、重ねて言うが、俺は何も悪いことはしていない……が、隠していた事を暴かれた事で、その言葉は、何か閉塞感を伴って、俺を追い詰めていくのを感じていた。
勿論、宇迦之さんは、責めてる訳ではないと思う。これは俺の感じ方の問題だろう。
なので、俺は一言、宇迦之さんに問う。
「何か……問題があるでしょうかね?」
そんな俺の言葉に、宇迦之さんは堪え切れず、笑い声を漏らすと、
「くっくっく。大丈夫じゃ。契約には何の問題も無い。むしろ、お主なら、後何100柱と契約しても、何の問題も無いじゃろ。」
と、楽しそうに言う。
いや、そんなに契約したら、俺の生活は木っ端微塵ですよ。多分。
俺が、微妙な未来図を想像していると、宇迦之さんは途端に真面目な顔になり
「いや、しかし、ここまで強大な精霊の加護を得ておりながら、それを微塵にも感じさせないとはの……。普通は、精霊と契約したのなら、もう少し頼る物じゃがな。」
そう言いながら、更に眉をひそめるのが感じられた。
いえ、正確には契約ではなく婚姻に近い何かです……とは言えず、俺はまたも、背中をいやな汗で湿らせる。
俺のそんな苦悩など気付かず、宇迦之さんは「うーむ。」と、ひとしきり唸ると、
「……ああ、そうか。お主、精霊に気を使っておるのか?」
と、いきなり本心を言い当てられ、俺は言葉に詰まる。
そう。俺は、実は一回も、自分の意思で、精霊の力……つまりディーネちゃんの力を頼ったことは無い。
勇者の時も、あれはディーネちゃんが自分の意思で顕現したし。
俺は、心の底で気がつかないうちに、ディーネちゃんに頼る事を避けていたのだ。
「何と言うか……こう、力を借りるのが申し訳ないと言いますか……。」
俺は、ポツリと、本音を漏らす。
まぁ、ぶっちゃけると、そこまで切羽詰った状況が起きなかった……訳ではないが、自分の力とルナの力で何とかなると過信していた事も、力を借りる事無く済ましてしまう要因の一つだ。
今回の、竜との戦いも特にディーネちゃんの力が必要だとは感じなかった訳だし。実際、勇者の時ぐらいしか、ピンチになっていないし。それに、今なら、奴の攻撃も何とかなると思う。多分。
そして、もう一つ……こちらが、重要なのだが……俺が呼び出す事で、ディーネちゃんの顕現を遅らせる事になるのが嫌なのだ。
何となく、呼び出して力を借りると、顕現できる時間が減るのではないかと思ってしまう。
だから、自分で出来る事は、極力、自分達の力で解決してしまおうという意識が働いて、ディーネちゃんの力を借りると言う選択肢まで到達しないのである。
俺がそんな事を考えていると、悩んでいるのがわかったのだろう。宇迦之さんは「やれやれ……。」とため息を吐きながら、しかし、しっかりとした口調で言う。
「お主が何を申し訳なく思っているのかは判らぬが……お主が精霊の性を、勘違いしているのは判ったわい。」
「精霊の性……ですか?」
思わず呟き返した俺の言葉に、宇迦之さんは額をつき合わせたまま頷くと、
「そうじゃ。業と言っても良いかも知れぬ。」
と、少し強い口調で、そう答える。そして、そのままの勢いで、俺を諭すように話を続けた。
「精霊と言う物は、人に奉仕する事を宿命付けられておるのじゃ。無論、奴らもそれを望んでおる。それは本能といっても良いのじゃよ。じゃから、それを解消させてやらんと、奴らは満たされんのじゃ。」
俺はその言葉に、衝撃を受ける。
なんだ……と? 奉仕する事が宿命?
いや、そうだ。確かに、ディーネちゃんと繋がった時、見たではないか。
精霊は隣人である人を、決して傷つけられなかった。
あれ程に酷い目にあっても、それでも、ディーネちゃんは人を憎むことは出来なかったじゃないか。
頼られないと言うことは、精霊にとっては、契約者に必要とされていない事になる。
……と言うことは、もしかして……。
「では……俺の行動は……精霊にとっては……。」
俺の危惧した事を、宇迦之さんも言おうとしていたのか、そのまま、言葉に出す。
「うむ、責め苦にも似た物として……感じられるじゃろうな。」
その言葉は更なる凶器となって、俺の心を打ち据えた。そして、同時に、ディーネちゃんと、そして、我が子たちが脳裏に浮かぶ。
何だと……そんな馬鹿な。俺は、そんなつもりでは……。
良かれと思ってやって来た事が、かえって皆を苦しめている?
そう思うも、心のどこかで妙に納得している自分もいた。
ディーネちゃんがいつも、突然顕現する理由。
我が子たちが、捨てないでくれと泣き喚いたあの月夜。
ただ、普通の子のように、健やかに大切に育ってくれればと……。そう思いながらも、普通って何だ? と、疑問が俺の頭を掠める。
精霊を浄化し、人の形を取り、森中の動物と話すわが子の、何を持って普通とするのだ?
俺は知らない間に、自分の価値観だけで判断し、また、我が子たちを、そして、ディーネちゃんを不幸にするところだったのだろうか?
そんな混乱する俺に、宇迦之さんはため息を一つつくと、優しく声をかけてくる。
「お主は別に悪いわけではないのじゃよ。ただ、もう少し、この世界の事を知っておいた方が良いかも知れんの。」
「そうですね……。全くもって、その通りです。」
俺はそう、息と共に言葉を吐き出し、心を落ち着ける。
まだまだ、知らない事が多すぎる。俺は、この世界のルールを、成り立ちを知らなければならない。改めて、そう思った。そう、思わされた。
俺の心が定まったのを感じたのだろう。宇迦之さんは、「よし。」と、一声上げると、
「では、世界を知る為にも、外に行く為にも、わらわと契約せんとの。」
と、心持ち気合の入った声で語りかけてきた。
そうだな。まずは、宇迦之さんとの契約だ。それが無いと、俺は先に進めない。
俺は頷くと、
「ええ、お願いします!」
と、いつもより少し、力を入れて応えたのだった。
「では、始めるぞ。そのまま気を楽にしておるとよい。」
そう言って宇迦之さんが集中すると、宇迦之さんと合わせている額が、ほんのりと熱を持つのが感じられた。
暫くすると、断片的にではあるがディーネちゃんの時のように、脳裏に様々な情景が浮かぶ。
但し、それらはぼやけた抽象画のような物で、それが何を意味するのか判別するのは難しかった。
俺はそれを、ただ、黙って受け入れ、眺めながら意識を漂わせていた。
ディーネちゃんの時程、繋がりが深くないのは、宇迦之さんと交わしたのが、単なる契約だからだろう。
あのパワフルな精霊様と俺が行ったのは、心を繋ぎ、新たな精霊を作るという事だった。
だからこそ、あそこまでの深層心理の共有が起こったのだと思う。
そりゃ、あんな事、誰でも出来るなら苦労はないよな。人の本心がわかるんだから。
そんな風に、俺がディーネちゃんの事を脳裏に浮かべていると、
「こりゃ、気を楽にして良いとは言ったが、こんな時に、他の女の事を考えるではないぞ。」
と、お叱りを受ける。
「う、すいません。何かこの感じが懐かしくて。」
俺はそんな情けない言い訳をしつつ、今度こそ、宇迦之さんをしっかりと思い、心を静かに保つ。
ちゃんと意識を宇迦之さんに向けたのが感じられたのか、彼女は少し微笑むと、
「うむ、それで良い。今だけで良いから、わらわを感じて欲しいのじゃ。」
そんな可愛い事を言われて、思わず心臓が強く鼓動する。
宇迦之さんって、時々、こういう不意打ちするんだよな……参るわ。
俺は、少しだけ早くなった、心音を持て余しつつ、黙って契約を進めるのだった。
何分経ったのか? それとも、数秒だったのか?
ふと、意識すると、そこは真っ暗な空間だった。
おや? 契約はどうなった?
そう思った瞬間、俺の後ろより、声が降ってきた。
「もう少しで終わりじゃよ。」
その声に釣られて振り返った俺は、言葉を失う。
そこには、先程見た、8柱の僕たる竜達が、壁を作るように横一列に並んでいた。
しかし、それはどうでもいいのだ。
問題はその奥。……いや、その付け根とでも言うのだろうか? 8柱の龍達の胴体が行き着く先である。
8柱の龍達は、一箇所で1つに纏まっていた。それは大きな蛇のような胴体だ。
そして……その胴体は天へと直立するように伸びていき……ある所を境に、その硬質で光沢ある体から、白く柔らかそうな肌へと変化していた。
更に、その胴体は、その真ん中に大きなへこみ……と言うかどう見ても、それはおへそであり、その胴体は腰であって……。
俺の視線は、その上に鎮座する暴力的な質量の双丘に吸い込まれ、暫くそれが何であるかすら、理解できなかった。
ようやくそれが、女性の乳房だと認識できたが、いやらしい気持ちも起きず、俺の目は、促されるように、細くしなやかな肩へと移る。
そこから伸びる、女性特有の柔らかさを内包した6本の腕を呆然と眺めて、綺麗だなと場違いな感想を抱く。
そして、視線を上に移すと、そこには絶世の美女と謳っても良い程の造形を湛えた顔が鎮座していた。
しかし、その目は、燃え上がるような赤を宿したまま、血の涙を流しその美しい顔を汚し続けている。
腰まで届きそうな金色の髪が、風も無いのにのたうつ光景を、俺は現実味も無く追う。
そう、俺の前にいたのは、上半身が美女で下半身が竜と言う、ラミアのような存在だった。
その大きさが、軽く雲まで届くほどの大きさである事と、蛇の部分が8柱の竜である事、そして、腕が6本である事を除けば、結構想像しやすい、普通の部類に入る存在だと思う。
俺はそんな血の涙を流し続ける美女に、確信を持って声をかけた。
「宇迦之さん……いや、ナーガラーシャですね?」
そんな俺の言葉を聞いたラミアな美女は、一瞬、驚いたように、赤い眼を見開くが、直ぐに、少し嬉しそうにその赤い唇を喜悦の形のまま声を発する。
「そうじゃ。」
その言葉を受けて、俺は改めて宇迦之さん……いや、ナーガラーシャの姿を眺める。
腰から下、お尻の辺りは完璧に竜だが、その上は、目のやり場に困るほど、超絶スタイルの美女である。
竜であるが、何故かお尻の形は残っている為、その姿はかえって何故か艶かしい。
正に、爆発音でも出したくなるほど、メリハリのある体つきである。まぁ、軽く山のような大きさではあるが。
何より、けしからんのは、その胸に鎮座する双丘である。
これは、反則だろう。なんせ、その大きさに関わらず形が綺麗なのだ。
普通は重力に負けて垂れ下がるはずなのに、その形が、張りが……これ以上は止めて置こう。一瞬、何故だか……命の危険を感じた。
そして、右と左に3本ずつ……あわせて6本という阿修羅っぽい形の腕も、何故だか均整が取れていて美しいのである。
しかも、それが男の腕なら遠慮したい所だが、二の腕の柔らかさと、しなやかで芸術的な手の形が俺の目を惹きつける。
そして、顔である。何この絶世の美女。
宇迦之さんの顔も可愛いとは思うけど、こちらは表現しようがない。
整いすぎていて、直視するのも躊躇われると言うのは始めての経験である。
俺が何も言わず観察していたからだろうか? ナーガラーシャは、自信無さげに、声を降らせてきた。
「やっぱり……醜いかのぉ……。」
「そんなわけ無いじゃないですか!?」
いや、つい……言葉がきつくなってしまった。
だが、その位、思い違いも甚だしいと感じたのである。
一方、すかさず出た俺の偽らざる言葉に、ナーガラーシャは唖然とする。
と、同時に、余りに驚いたからだろうか? 頭から突然狐耳が生えた。
「なん……だと!?」
「ううう……やっぱり変じゃよ……。耳まであっては……。」
そんな風に、更に萎縮するように、2本の手で耳を上から覆い隠し、目から血の涙を流しながら呟くナーガラーシャ。
何を言ってるんだ……この竜神様は。
「最高じゃないですか……。」
俺の呟きに、宇迦之さんは信じられない物でも見るように、俺に視線を向けてくる。
しかし、俺の魂の叫びは止まらなかった。
「何でその姿が醜いんですか? 美しいじゃないですか? そんな贅沢言っていたら、世の女性から刺されますよ? しかも、狐耳? 反則でしょ!」
それだけのプロポーションで、その顔で、その暴力的な双丘まで抱えて、更には獣耳? 何を言っているのだ。
俺の勢いに押されたように、ポカーンとするも、直ぐに思い出したように、目から血の涙をダバダバと流しながら、小さな声で
「で、でも、皆、わらわの姿を見て、邪神じゃと追い掛け回してきたのじゃ……。」
と、寂しそうに呟く。
ああ、そう言えばさっきの話で、そんな事、言ってたな……。馬鹿じゃないの? そいつら……。
「よし、そいつら滅ぼしてきます。どこですか?」
「にゃ!? いや、いやいやいや、待つのじゃ。」
「待ちません。なぁに……ちょっと一発打ち込むだけですよ。……全力で。」
「や、やめるのじゃ!? お主が全力で打ったら大陸が消し飛ぶわぃ!」
「さっぱりして良いではないですか。」
「良くないわぃ! それより、何故じゃ! 何故、お主はわらわの姿を見て、そうも平然としていられるのじゃ!」
「いえ、だって、綺麗ですし。」
そんな俺の言葉に、一瞬にして言葉を失うナーガラーシャ。
そして、そんな静寂を破り、今まで彫像と化していた8柱の龍さん達から、様々な声が飛んできた。
「ほれ、わらわ達の言うとおり、何も危惧する事など、なかったじゃない。」
「うむ。……主の美しさが判るのであれば、同志……。」
「わ、我は……くぅ……しかし、主の美しさが判る者なら……グムム。」
「見る目あるの。流石じゃの。」
「主、萌え……。」
「お主、ぶれないの……。」
「岩だけにの。クックック。」
カオスだ……。
俺はとりあえず、放心した宇迦之さんから目を離さず、龍さんの井戸端会議をスルーした。
しかし、視界の端に映った唯一言葉を発しなかった金龍さんが、ニヤリと笑ったのを、俺は見逃さなかった。
そして、その龍達の主であるナーガラーシャは、放心から立ち直ると、俺を期待の篭った目で……血の涙を流しながらではあるが……見つめながら、改めて問うた。
「つ、ツバサ殿。本当に、わらわが、おぞましく、無いのかの?」
「ええ、美しいと思います。神と言われるのも納得ですよ。……と言うか、醜いとかアホなこと言ったの人族ですか? 見る目無さ過ぎでしょう?」
そんな俺の返答を聞いた瞬間、血の涙がその量を滝に変える。
上から尋常じゃない勢いで降り注ぐそれを、俺は障壁で防御する。
いや、これ、どうすんのよ……って言うか、その血はナーガラーシャの血液じゃないよね?
泣き過ぎて貧血とか、勘弁して欲しいのだが……。
俺はため息をつくも、上から涙と共に時折降ってくる、
「ううぅ……。嬉しいのじゃ。」
との声に、苦笑した。まぁ、この程度で喜んでもらえるなら良いか。
そう思い直した俺は、泣きじゃくるナーガラーシャが落ち着くのを待つのであった。
ふと、気がつくと、目の前に宇迦之さんがいた。
勿論、孤族の姿だが、その目からは涙が止め処なく溢れていた。
どうやら、先程の良くわからない空間でのやり取りは、終了のようである。
俺は額をつき合わせたまま、未だ涙を流す宇迦之さんの頭を、ポンポンと優しく叩く。
それがきっかけになったのか、宇迦之さんはしゃくり上げながらも、どうにか涙を止めようとしていた。
暫くかかったが、漸く落ち着くと、
「ありがとう、ツバサ殿。わらわは、お主のお陰で、また一つ、救われたのじゃ。」
そう言って、額を離し、涙でべしょべしょになった笑顔を向けてきた。
それを俺は、何故か尊い物だと感じた。本当に、その瞬間、そう思ったのだ。
俺のそんな感動など気付きもしない宇迦之さんは、照れ隠しのように、少し口調を早めながら、
「これで、最後じゃ。ツバサ殿、少し首を借りるぞ。」
と、言うなり、いきなり俺に抱きつくと、首筋に噛み付いた。
身体強化してなくて良かった……。まさか噛み付くとは思わなかった。
若干、鋭い痛みが走るも、それは直ぐに消え去る。
宇迦之さんは直ぐに俺から離れると、
「これで完了なのじゃ!」
と、笑顔を見せる。ただ、口元から一筋の血を垂らしながら言うのは、いただけないと思います。
そんな微妙な気分になるも、ふと、俺の体に起こった変化に気が付き、意識を切り替える。
魔力が……少しだけ流れている?
良く見ると、俺から宇迦之さんに向けて、薄く魔力の繋がりが構築された事が見て取れた。
それは、ディーネちゃんの物より細いものの、流れる量に勢いがある。
そして、ふと見ると、宇迦之さんにある変化が起こっていた。
額に何か、不思議な文様が浮かんでいるのである。
「宇迦之さん……それ……。」
思わず俺が指を刺し問うと、俺の視線を追って理解したのか、
「うむ、これが契約印じゃよ。」
と、見えもしないのに上目遣いになりながら、指をさして言った。
うーむ。額に出っ放しとか、目立ってしょうがないのでは……いや、けど……。
とか、どうでも良いことを考えていると、
「しかし、ツバサ殿の魔力は凄いの。あっという間に消費された魔力が補充できたわぃ。」
と、宇迦之さんが、感慨深げに言う
そんな彼女に俺は、少し笑いながら、
「お粗末な物ですが、宜しければ、幾らでも持っていって下さい。」
と、おどけて言ってみた。
そんな俺の言葉が嬉しかったのか、宇迦之さんは嬉しそうに微笑むとはっきりと、こう言ったのだ。
「そうじゃな。これからもよろしく頼むぞ。主殿」
俺はその言葉に、頷きをもって応えるのであった。
「それにしても、尋常じゃない魔力だったのぉ……。しかも、ただの魔力の塊で、山を跡形も無く消し去るとはの。」
多分、回転してしまった時に、横なぎにしてしまったのだろう。
見ると、体勢を崩した時に着弾したであろう傷跡が、氷の盾のあちらこちらに見て取れた。
彼方に見える大樹も、損傷は無いようだ。俺の始まりの地であり、ルナとの出会いの地でもあるので、無事でよかった。
……まぁ、山脈が吹っ飛んだ事で、どんな影響が出るかは未知数ではあるが……ふっ飛んだのは中腹までだし……翼族の移住が終わった後で良かったと思うことにして、俺はどうにか平常心を取り戻す。
ふと視線を感じ振り返ると、宇迦之さんが、少し真剣な顔つきで、俺を見ていた。
「ツバサ殿、邪魔の入らぬ今のうちに、契約をして貰えんかの?」
改めて言う宇迦之さんに、俺はすぐさま言葉を返す。
「ええ、良いですよ。」
そんな俺の、打てば響くような返答が嬉しかったのか、宇迦之さんは目を輝かせながら、その目を見開いて、素敵な笑顔で、
「よし、では、やろうぞ! ほれ、そこに座るのじゃ!」
と、はしゃぎながら言う。
俺は、そんな宇迦之さんを見て、苦笑しつつ、頷きながら氷の床に腰を下ろした。
そこで初めて気がついた。顔をこすりつけた時は、それ所ではなかったので気がつかなかったが、全然冷たくない。
いや、ほのかに冷気を感じるが、俺の知っている氷と同じ物とは思えなかった。
まぁ、確かに、俺の知っている物と同じだったら、足をついた時点で張り付いているよな……きっと。
怒りに任せて魔力をほとばしらせる時は、あんなに冷気が応えるのに……やはりルナさんの魔法は不思議である。
俺は首を傾げながら、ルナの氷の不思議を体験していると、宇迦之さんは、金の龍さんから飛び降り、そのまま俺の目の前へと綺麗に着地した。
そこで転べば、色々美味しかったのだが……とか、思っているうちに、徐に俺の手を掴んで言う。
「よし、では、始めるのじゃ。では、目を閉じるのじゃ。」
「はい。お手柔らかに。」
俺はそんな風に少しおどけながらも、目を閉じる。
それを見た宇迦之さんは大きく息を吸い、ゆっくり吐く。
「む、少し顔を前に出してくれんかの。そう、もう少し。うむ、それでよい。」
俺は言われるまま、正座のまま、お辞儀でもするように顔を前に出す。
そして、俺の顔に自分の顔を、ゆっくりと近づけてきたのが、その息遣いから感じられた。
俺は、雑念を交えないよう、なるべく何も考えないようにして、全てを宇迦之さんに任せる。
やがて、コツンと、お互いの額が触れ合うのが感じられ、前にも同じ様な事があったなぁと、懐かしい気持ちが沸き起こった。
そして、宇迦之さんは一瞬、ピクリと体を震わせると、徐に鼻をひくつかせ、
「む……。これは……水臭いの。」
と、ポツリと一言。
俺はその言葉を聞いて、心拍数が一瞬跳ね上がるのを感じた。
何も悪いことはしていないのだが、確かに、その事は、リリーにしか言っていない。聞かれなかったし。
その後も、リリーは皆に、ディーネちゃんと俺の関係は言っていなかった。だから、宇迦之さんはこの関係を知らないはずだ。
俺の動揺が透けて見えるのか、宇迦之さんは、一瞬、喉の奥から笑い声を出すと、更に饒舌になる。
「そうかそうか。ツバサ殿の連れ子も、こやつの子か。妙に強い力を持った精霊の子だと思っておったが、お主の影響かと、気にも留めておらんかったのじゃが……なるほどのぉ。」
あっさりと言い当てられ、思わず汗が滲む俺。
いや、重ねて言うが、俺は何も悪いことはしていない……が、隠していた事を暴かれた事で、その言葉は、何か閉塞感を伴って、俺を追い詰めていくのを感じていた。
勿論、宇迦之さんは、責めてる訳ではないと思う。これは俺の感じ方の問題だろう。
なので、俺は一言、宇迦之さんに問う。
「何か……問題があるでしょうかね?」
そんな俺の言葉に、宇迦之さんは堪え切れず、笑い声を漏らすと、
「くっくっく。大丈夫じゃ。契約には何の問題も無い。むしろ、お主なら、後何100柱と契約しても、何の問題も無いじゃろ。」
と、楽しそうに言う。
いや、そんなに契約したら、俺の生活は木っ端微塵ですよ。多分。
俺が、微妙な未来図を想像していると、宇迦之さんは途端に真面目な顔になり
「いや、しかし、ここまで強大な精霊の加護を得ておりながら、それを微塵にも感じさせないとはの……。普通は、精霊と契約したのなら、もう少し頼る物じゃがな。」
そう言いながら、更に眉をひそめるのが感じられた。
いえ、正確には契約ではなく婚姻に近い何かです……とは言えず、俺はまたも、背中をいやな汗で湿らせる。
俺のそんな苦悩など気付かず、宇迦之さんは「うーむ。」と、ひとしきり唸ると、
「……ああ、そうか。お主、精霊に気を使っておるのか?」
と、いきなり本心を言い当てられ、俺は言葉に詰まる。
そう。俺は、実は一回も、自分の意思で、精霊の力……つまりディーネちゃんの力を頼ったことは無い。
勇者の時も、あれはディーネちゃんが自分の意思で顕現したし。
俺は、心の底で気がつかないうちに、ディーネちゃんに頼る事を避けていたのだ。
「何と言うか……こう、力を借りるのが申し訳ないと言いますか……。」
俺は、ポツリと、本音を漏らす。
まぁ、ぶっちゃけると、そこまで切羽詰った状況が起きなかった……訳ではないが、自分の力とルナの力で何とかなると過信していた事も、力を借りる事無く済ましてしまう要因の一つだ。
今回の、竜との戦いも特にディーネちゃんの力が必要だとは感じなかった訳だし。実際、勇者の時ぐらいしか、ピンチになっていないし。それに、今なら、奴の攻撃も何とかなると思う。多分。
そして、もう一つ……こちらが、重要なのだが……俺が呼び出す事で、ディーネちゃんの顕現を遅らせる事になるのが嫌なのだ。
何となく、呼び出して力を借りると、顕現できる時間が減るのではないかと思ってしまう。
だから、自分で出来る事は、極力、自分達の力で解決してしまおうという意識が働いて、ディーネちゃんの力を借りると言う選択肢まで到達しないのである。
俺がそんな事を考えていると、悩んでいるのがわかったのだろう。宇迦之さんは「やれやれ……。」とため息を吐きながら、しかし、しっかりとした口調で言う。
「お主が何を申し訳なく思っているのかは判らぬが……お主が精霊の性を、勘違いしているのは判ったわい。」
「精霊の性……ですか?」
思わず呟き返した俺の言葉に、宇迦之さんは額をつき合わせたまま頷くと、
「そうじゃ。業と言っても良いかも知れぬ。」
と、少し強い口調で、そう答える。そして、そのままの勢いで、俺を諭すように話を続けた。
「精霊と言う物は、人に奉仕する事を宿命付けられておるのじゃ。無論、奴らもそれを望んでおる。それは本能といっても良いのじゃよ。じゃから、それを解消させてやらんと、奴らは満たされんのじゃ。」
俺はその言葉に、衝撃を受ける。
なんだ……と? 奉仕する事が宿命?
いや、そうだ。確かに、ディーネちゃんと繋がった時、見たではないか。
精霊は隣人である人を、決して傷つけられなかった。
あれ程に酷い目にあっても、それでも、ディーネちゃんは人を憎むことは出来なかったじゃないか。
頼られないと言うことは、精霊にとっては、契約者に必要とされていない事になる。
……と言うことは、もしかして……。
「では……俺の行動は……精霊にとっては……。」
俺の危惧した事を、宇迦之さんも言おうとしていたのか、そのまま、言葉に出す。
「うむ、責め苦にも似た物として……感じられるじゃろうな。」
その言葉は更なる凶器となって、俺の心を打ち据えた。そして、同時に、ディーネちゃんと、そして、我が子たちが脳裏に浮かぶ。
何だと……そんな馬鹿な。俺は、そんなつもりでは……。
良かれと思ってやって来た事が、かえって皆を苦しめている?
そう思うも、心のどこかで妙に納得している自分もいた。
ディーネちゃんがいつも、突然顕現する理由。
我が子たちが、捨てないでくれと泣き喚いたあの月夜。
ただ、普通の子のように、健やかに大切に育ってくれればと……。そう思いながらも、普通って何だ? と、疑問が俺の頭を掠める。
精霊を浄化し、人の形を取り、森中の動物と話すわが子の、何を持って普通とするのだ?
俺は知らない間に、自分の価値観だけで判断し、また、我が子たちを、そして、ディーネちゃんを不幸にするところだったのだろうか?
そんな混乱する俺に、宇迦之さんはため息を一つつくと、優しく声をかけてくる。
「お主は別に悪いわけではないのじゃよ。ただ、もう少し、この世界の事を知っておいた方が良いかも知れんの。」
「そうですね……。全くもって、その通りです。」
俺はそう、息と共に言葉を吐き出し、心を落ち着ける。
まだまだ、知らない事が多すぎる。俺は、この世界のルールを、成り立ちを知らなければならない。改めて、そう思った。そう、思わされた。
俺の心が定まったのを感じたのだろう。宇迦之さんは、「よし。」と、一声上げると、
「では、世界を知る為にも、外に行く為にも、わらわと契約せんとの。」
と、心持ち気合の入った声で語りかけてきた。
そうだな。まずは、宇迦之さんとの契約だ。それが無いと、俺は先に進めない。
俺は頷くと、
「ええ、お願いします!」
と、いつもより少し、力を入れて応えたのだった。
「では、始めるぞ。そのまま気を楽にしておるとよい。」
そう言って宇迦之さんが集中すると、宇迦之さんと合わせている額が、ほんのりと熱を持つのが感じられた。
暫くすると、断片的にではあるがディーネちゃんの時のように、脳裏に様々な情景が浮かぶ。
但し、それらはぼやけた抽象画のような物で、それが何を意味するのか判別するのは難しかった。
俺はそれを、ただ、黙って受け入れ、眺めながら意識を漂わせていた。
ディーネちゃんの時程、繋がりが深くないのは、宇迦之さんと交わしたのが、単なる契約だからだろう。
あのパワフルな精霊様と俺が行ったのは、心を繋ぎ、新たな精霊を作るという事だった。
だからこそ、あそこまでの深層心理の共有が起こったのだと思う。
そりゃ、あんな事、誰でも出来るなら苦労はないよな。人の本心がわかるんだから。
そんな風に、俺がディーネちゃんの事を脳裏に浮かべていると、
「こりゃ、気を楽にして良いとは言ったが、こんな時に、他の女の事を考えるではないぞ。」
と、お叱りを受ける。
「う、すいません。何かこの感じが懐かしくて。」
俺はそんな情けない言い訳をしつつ、今度こそ、宇迦之さんをしっかりと思い、心を静かに保つ。
ちゃんと意識を宇迦之さんに向けたのが感じられたのか、彼女は少し微笑むと、
「うむ、それで良い。今だけで良いから、わらわを感じて欲しいのじゃ。」
そんな可愛い事を言われて、思わず心臓が強く鼓動する。
宇迦之さんって、時々、こういう不意打ちするんだよな……参るわ。
俺は、少しだけ早くなった、心音を持て余しつつ、黙って契約を進めるのだった。
何分経ったのか? それとも、数秒だったのか?
ふと、意識すると、そこは真っ暗な空間だった。
おや? 契約はどうなった?
そう思った瞬間、俺の後ろより、声が降ってきた。
「もう少しで終わりじゃよ。」
その声に釣られて振り返った俺は、言葉を失う。
そこには、先程見た、8柱の僕たる竜達が、壁を作るように横一列に並んでいた。
しかし、それはどうでもいいのだ。
問題はその奥。……いや、その付け根とでも言うのだろうか? 8柱の龍達の胴体が行き着く先である。
8柱の龍達は、一箇所で1つに纏まっていた。それは大きな蛇のような胴体だ。
そして……その胴体は天へと直立するように伸びていき……ある所を境に、その硬質で光沢ある体から、白く柔らかそうな肌へと変化していた。
更に、その胴体は、その真ん中に大きなへこみ……と言うかどう見ても、それはおへそであり、その胴体は腰であって……。
俺の視線は、その上に鎮座する暴力的な質量の双丘に吸い込まれ、暫くそれが何であるかすら、理解できなかった。
ようやくそれが、女性の乳房だと認識できたが、いやらしい気持ちも起きず、俺の目は、促されるように、細くしなやかな肩へと移る。
そこから伸びる、女性特有の柔らかさを内包した6本の腕を呆然と眺めて、綺麗だなと場違いな感想を抱く。
そして、視線を上に移すと、そこには絶世の美女と謳っても良い程の造形を湛えた顔が鎮座していた。
しかし、その目は、燃え上がるような赤を宿したまま、血の涙を流しその美しい顔を汚し続けている。
腰まで届きそうな金色の髪が、風も無いのにのたうつ光景を、俺は現実味も無く追う。
そう、俺の前にいたのは、上半身が美女で下半身が竜と言う、ラミアのような存在だった。
その大きさが、軽く雲まで届くほどの大きさである事と、蛇の部分が8柱の竜である事、そして、腕が6本である事を除けば、結構想像しやすい、普通の部類に入る存在だと思う。
俺はそんな血の涙を流し続ける美女に、確信を持って声をかけた。
「宇迦之さん……いや、ナーガラーシャですね?」
そんな俺の言葉を聞いたラミアな美女は、一瞬、驚いたように、赤い眼を見開くが、直ぐに、少し嬉しそうにその赤い唇を喜悦の形のまま声を発する。
「そうじゃ。」
その言葉を受けて、俺は改めて宇迦之さん……いや、ナーガラーシャの姿を眺める。
腰から下、お尻の辺りは完璧に竜だが、その上は、目のやり場に困るほど、超絶スタイルの美女である。
竜であるが、何故かお尻の形は残っている為、その姿はかえって何故か艶かしい。
正に、爆発音でも出したくなるほど、メリハリのある体つきである。まぁ、軽く山のような大きさではあるが。
何より、けしからんのは、その胸に鎮座する双丘である。
これは、反則だろう。なんせ、その大きさに関わらず形が綺麗なのだ。
普通は重力に負けて垂れ下がるはずなのに、その形が、張りが……これ以上は止めて置こう。一瞬、何故だか……命の危険を感じた。
そして、右と左に3本ずつ……あわせて6本という阿修羅っぽい形の腕も、何故だか均整が取れていて美しいのである。
しかも、それが男の腕なら遠慮したい所だが、二の腕の柔らかさと、しなやかで芸術的な手の形が俺の目を惹きつける。
そして、顔である。何この絶世の美女。
宇迦之さんの顔も可愛いとは思うけど、こちらは表現しようがない。
整いすぎていて、直視するのも躊躇われると言うのは始めての経験である。
俺が何も言わず観察していたからだろうか? ナーガラーシャは、自信無さげに、声を降らせてきた。
「やっぱり……醜いかのぉ……。」
「そんなわけ無いじゃないですか!?」
いや、つい……言葉がきつくなってしまった。
だが、その位、思い違いも甚だしいと感じたのである。
一方、すかさず出た俺の偽らざる言葉に、ナーガラーシャは唖然とする。
と、同時に、余りに驚いたからだろうか? 頭から突然狐耳が生えた。
「なん……だと!?」
「ううう……やっぱり変じゃよ……。耳まであっては……。」
そんな風に、更に萎縮するように、2本の手で耳を上から覆い隠し、目から血の涙を流しながら呟くナーガラーシャ。
何を言ってるんだ……この竜神様は。
「最高じゃないですか……。」
俺の呟きに、宇迦之さんは信じられない物でも見るように、俺に視線を向けてくる。
しかし、俺の魂の叫びは止まらなかった。
「何でその姿が醜いんですか? 美しいじゃないですか? そんな贅沢言っていたら、世の女性から刺されますよ? しかも、狐耳? 反則でしょ!」
それだけのプロポーションで、その顔で、その暴力的な双丘まで抱えて、更には獣耳? 何を言っているのだ。
俺の勢いに押されたように、ポカーンとするも、直ぐに思い出したように、目から血の涙をダバダバと流しながら、小さな声で
「で、でも、皆、わらわの姿を見て、邪神じゃと追い掛け回してきたのじゃ……。」
と、寂しそうに呟く。
ああ、そう言えばさっきの話で、そんな事、言ってたな……。馬鹿じゃないの? そいつら……。
「よし、そいつら滅ぼしてきます。どこですか?」
「にゃ!? いや、いやいやいや、待つのじゃ。」
「待ちません。なぁに……ちょっと一発打ち込むだけですよ。……全力で。」
「や、やめるのじゃ!? お主が全力で打ったら大陸が消し飛ぶわぃ!」
「さっぱりして良いではないですか。」
「良くないわぃ! それより、何故じゃ! 何故、お主はわらわの姿を見て、そうも平然としていられるのじゃ!」
「いえ、だって、綺麗ですし。」
そんな俺の言葉に、一瞬にして言葉を失うナーガラーシャ。
そして、そんな静寂を破り、今まで彫像と化していた8柱の龍さん達から、様々な声が飛んできた。
「ほれ、わらわ達の言うとおり、何も危惧する事など、なかったじゃない。」
「うむ。……主の美しさが判るのであれば、同志……。」
「わ、我は……くぅ……しかし、主の美しさが判る者なら……グムム。」
「見る目あるの。流石じゃの。」
「主、萌え……。」
「お主、ぶれないの……。」
「岩だけにの。クックック。」
カオスだ……。
俺はとりあえず、放心した宇迦之さんから目を離さず、龍さんの井戸端会議をスルーした。
しかし、視界の端に映った唯一言葉を発しなかった金龍さんが、ニヤリと笑ったのを、俺は見逃さなかった。
そして、その龍達の主であるナーガラーシャは、放心から立ち直ると、俺を期待の篭った目で……血の涙を流しながらではあるが……見つめながら、改めて問うた。
「つ、ツバサ殿。本当に、わらわが、おぞましく、無いのかの?」
「ええ、美しいと思います。神と言われるのも納得ですよ。……と言うか、醜いとかアホなこと言ったの人族ですか? 見る目無さ過ぎでしょう?」
そんな俺の返答を聞いた瞬間、血の涙がその量を滝に変える。
上から尋常じゃない勢いで降り注ぐそれを、俺は障壁で防御する。
いや、これ、どうすんのよ……って言うか、その血はナーガラーシャの血液じゃないよね?
泣き過ぎて貧血とか、勘弁して欲しいのだが……。
俺はため息をつくも、上から涙と共に時折降ってくる、
「ううぅ……。嬉しいのじゃ。」
との声に、苦笑した。まぁ、この程度で喜んでもらえるなら良いか。
そう思い直した俺は、泣きじゃくるナーガラーシャが落ち着くのを待つのであった。
ふと、気がつくと、目の前に宇迦之さんがいた。
勿論、孤族の姿だが、その目からは涙が止め処なく溢れていた。
どうやら、先程の良くわからない空間でのやり取りは、終了のようである。
俺は額をつき合わせたまま、未だ涙を流す宇迦之さんの頭を、ポンポンと優しく叩く。
それがきっかけになったのか、宇迦之さんはしゃくり上げながらも、どうにか涙を止めようとしていた。
暫くかかったが、漸く落ち着くと、
「ありがとう、ツバサ殿。わらわは、お主のお陰で、また一つ、救われたのじゃ。」
そう言って、額を離し、涙でべしょべしょになった笑顔を向けてきた。
それを俺は、何故か尊い物だと感じた。本当に、その瞬間、そう思ったのだ。
俺のそんな感動など気付きもしない宇迦之さんは、照れ隠しのように、少し口調を早めながら、
「これで、最後じゃ。ツバサ殿、少し首を借りるぞ。」
と、言うなり、いきなり俺に抱きつくと、首筋に噛み付いた。
身体強化してなくて良かった……。まさか噛み付くとは思わなかった。
若干、鋭い痛みが走るも、それは直ぐに消え去る。
宇迦之さんは直ぐに俺から離れると、
「これで完了なのじゃ!」
と、笑顔を見せる。ただ、口元から一筋の血を垂らしながら言うのは、いただけないと思います。
そんな微妙な気分になるも、ふと、俺の体に起こった変化に気が付き、意識を切り替える。
魔力が……少しだけ流れている?
良く見ると、俺から宇迦之さんに向けて、薄く魔力の繋がりが構築された事が見て取れた。
それは、ディーネちゃんの物より細いものの、流れる量に勢いがある。
そして、ふと見ると、宇迦之さんにある変化が起こっていた。
額に何か、不思議な文様が浮かんでいるのである。
「宇迦之さん……それ……。」
思わず俺が指を刺し問うと、俺の視線を追って理解したのか、
「うむ、これが契約印じゃよ。」
と、見えもしないのに上目遣いになりながら、指をさして言った。
うーむ。額に出っ放しとか、目立ってしょうがないのでは……いや、けど……。
とか、どうでも良いことを考えていると、
「しかし、ツバサ殿の魔力は凄いの。あっという間に消費された魔力が補充できたわぃ。」
と、宇迦之さんが、感慨深げに言う
そんな彼女に俺は、少し笑いながら、
「お粗末な物ですが、宜しければ、幾らでも持っていって下さい。」
と、おどけて言ってみた。
そんな俺の言葉が嬉しかったのか、宇迦之さんは嬉しそうに微笑むとはっきりと、こう言ったのだ。
「そうじゃな。これからもよろしく頼むぞ。主殿」
俺はその言葉に、頷きをもって応えるのであった。
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