一から始める異世界ギルド
14 黒点病
「……まあそういう訳なんだ」
「本当に済みませんでした!」
俺が事情を話しつつ、ミラはその合間を縫う様に謝罪の言葉を述べて何度も頭を下げる。
そうした一連の流れを見聞きしたアリスは、俺の説明が終わったと判断すると、そのまま即答する。
「うん、この子何も悪くないじゃない」
その言葉を聞いてとりあえず胸を撫で下ろしたくなった。分かってくれるとは思っていたけど、実際に聞くと安心感が違う。
「だから少なくとも私にこの子を責めようって気は無いわ。だから、えーっと……ミラちゃん、だっけ? とりあえずもう頭下げなくていいから、頭上げて」
「……はい」
言われたミラはそう言ってゆっくりと顔を上げ、そうして向けられた視線にアリスは笑みを浮かべて答える。するとミラの表情がまた少し和らいだ気がした。
だけどそれとは反比例するかの様に、アリスの表情が少しだけ険しくなった。
アリスはその表情のままで、ミラに一つの質問をする。
「ねぇ、ミラちゃん。ちょっと一つ、聞いてもいい?」
「なんですか?」
「ミラちゃんにそんな事をさせてたのって、もしかしてだけど……ロベルト・スローンって名前の人じゃないかしら」
出てきたのは聞き覚えの無い名前だった。まあ俺が知っている筈がないのだが、しかしミラはその名前を知っているようだ。
「……はい」
そして頷く。その動作があの男がロベルト・スローンという名である事を決定付けさせる。
「……知ってんのか? あの男……いや、ロベルトって奴の事」
「え、知らないんですか? ……そういえば、なんだかあの人達の事を初めて見る様な反応でしたし」
アリスが答える前に、不思議そうにミラは僅かに首を傾げる。
「えーっと、裕也は此処に来たばかりだから。知らないで当然よ」
「逆に言えば、此処に住んでる連中の中じゃ有名人って事か?」
「悪い意味でね」
そう言ったアリスは、ミラが持つ紙袋に視線を向けて、ミラに尋ねる。
「ミラちゃん。その袋の中身って……もしかして薬か何かだったりする?」
「はい。それで合ってます」
ミラは自分の持つ袋に視線を落としながら呟いた。
薬……まあ一瞬連想してしまった様な、所謂所持しているだけで逮捕される様な薬物的な物ではないだろう。この子の雰囲気からして、そういうのを持っているとは思わないし思いたくは無い。
……となれば、あとはアレくらいか。
「薬っていうと……風邪薬みたいな奴?」
「はい。黒点病の特効薬です」
黒点病自体には聞き覚えが合った。確か親戚の農家の爺ちゃんがカンキツとかに出る病気って言ってた気がする。黒い斑点ができるんだったか。
でも風邪薬という問いに頷いたという事は……おそらく、こっちの世界に存在する感染症か何かの類なのだろう。だとすると俺の認識がおかしいまま話が進んで行って、途中で訳が分からなくなるかもしれない事を考えれば、一応詳細を聞いておいた方が良い。
「えーっと、アリス。黒点病って?」
そう思ってアリスに尋ねたのだが、最初にリアクションを見せたのはミラの方だった。
「え……黒点病も知らないんですか?」
その表情は驚愕の色に染まりきっていた。その反応だけでこの病気が地球で言うインフルエンザ並に有名な病気であろうと予想が付く。
そしてその予想はどうやら当たっていた様だ。
「春から夏にかけた季節性の感染症。感染すると腕に黒色の斑点が現れるのが特徴で、徐々に感染者の体力奪っていき、挙句の果てに色々な免疫力も低下していく。コレ自体で死んでしまう様な事になるのは滅多にないけど、他の病気と複合すると結構大変な事になる。そういう厄介な病気よ」
免疫力の低下か……それは地球で言うとなんの症状に似ているのだろうか。それは分からないが、その危ない病気が季節性って事は空気感染かなんかで広がっている。そういう認識で正しいのだろうか。
「で、それの特効薬を持ってたって事は……ミラはそれにかかっちまってんの?」
俺がそう尋ねると、ミラは頷いて自分の腕を俺に見せる。
確かに小さいがはっきりと、黒い斑点が浮かびあがっていた。
「……治るんだよな、コレ」
「その為に特効薬があるんでしょ?」
まあそうだ。治らない薬なんて存在価値がねえもんな……価値?
「なぁ、良く分かんねえんだけど、この薬って態々大の大人が奪うだけの価値があるのか?」
そして奪われて、それを取り戻す為に言う事を聞かなければならない程の価値が、この薬にはあるのだろうか?
奪われたという事はミラが所持していたという事になる。大体中学生位の女の子が入手できる様な物にそこまでの価値があるのだろうか? 普通に薬局とかで売ってねえのか?
「まあ微妙な所だけど、今年に限ってはそうなのかもしれないわ」
「今年に限って?」
「元々この病気は感染率が凄く低い上に、十五歳以下しか感染しないという性質があるの。その上、薬を作る際に必要な材料がある程度入手が難しい上に、薬にしてから一定期間が経過すると効力を失ってしまう。だから毎年、必要と予想される分とそのプラスアルファって感じのの量しか生産されていないわ。それ以降は、足りなくなるたびに追加生産って所ね」
まあ確かに大量生産して余った大量の薬が翌年使いまわせないのであれば、ある程度生産数は抑えるだろう。必要とされる分とプラスアルファ。それでも足りなくなれば追加生産。その判断は素人目で見れば妥当だと思えてくる。
「だけど……つまり今年は、そのやり方に何かしらの支障が出たと」
「そう。ウイルスがちょっと変異しちゃったのよ」
「……変異?」
「今まで一度の服用で治っていたにもかかわらず、今年のは一度服用しただけでは治らないケースが多くなったの」
「……つまり、それで需要と供給のバランスが崩れた。そういう事か?」
「そういう事。だから今急いで生産しているらしいけど、元々大量生産できる様な物じゃないらしくてね。少ない感染者に配れるだけの薬を用意できていない。だから正規販売はすぐに売り切れて、裏ルートでは高値で捌かれてるわ。いつ黒点病が進行して取り返しのつかないことになるか分からないから、皆必死で手に入れようとするし……買い手は沢山いるから。転売屋は大儲けよ」
成程……確かに、ある程度価値はあるようだ。
絶対数が足りないのであれば、その価値は大幅に向上する事間違いなしだろう。
つーか、その少ない患者に配りきれないって、どんだけ貧弱な生産体制なんだよオイ。そう考えると、生まれ育ったのが地球の日本で本当に良かったと思う。いや、日本は日本で新薬の認可が下りてねえから使えないとか、そういうパターン結構あるけども。
まあ地球にしても……そしてこの世界にしても。どうやらこういった病気に対して魔術の出る幕は無い様だった。
新しい魔術の開発にはかなりの時間が掛る上に、回復魔術という難しい分野だ。対ウイルス用の回復魔術を作り上げた所で、その頃にはウイルスが変異してしまっていて無意味になる。
そしてそんな事情に加えて薬という存在があるのだから、誰も個々のウイルスに対する治癒用の魔術を作ろうとせず、僅かに居ても実用化には踏み切れない。
地球より魔術が発展しているこの世界でコレなのだから、恐らくは地球の魔術が今の段階から進化しても、おそらくこういう類のこういう回復魔術は完成しないだろう。テレビで特集されていた医大の教授が哀れでならないな。
……まあそれはさておき、そうした魔術に頼れない現状で活躍する黒点病の特効薬は、随分と価値が上がっている訳だ。
だからロベルトはミラから特効薬を奪ったって事か……。
そう納得しようとするも、やはり色々と腑に落ちない。
「なぁ、裏ルートの相場ってどの位だ? 今回の俺達の報酬でどうにかなるレベル?」
「ん……どうだろ。多分大丈夫だと思うけど……」
多分……か。
アリスが目を輝かせていた位の大金で、多分購入できる。つまりはやはり結構値が張る訳だ。
「ミラ。ちなみに聞くけど、俺達を狙ったのって、単なる偶然?」
俺の問いにミラは答え辛そうに、だが勇気を振り絞る様に答える。
「いえ……指定されました。公衆の面前で危機感もなく札束数えてる頭悪そうな女からって」
ふとアリスをみると、まるで心臓に杭でも指された様にのけぞりそうになった上で「……ほ、本当に許しがたいわね……」と怒りを露わにしているが、まあこの際その事はいい。実際その辺は言いたかねえけど間違ってないだろうし……それに、大事なのはそこじゃない。
「……何もかもが穴だらけだ」
ロベルト……いや、ロベルト達と言うべきか。あの場に現れたりした時点でデメリットしかない謎の行動としか言いようがないのに……その行動が、一連のミラの回答で更に訳が分からなくなった。
あの薬を代償にミラにスリをさせた。そんな事をしなくても、あの薬を裏から流せばより確実に金を入手できる。そしてそのスリの対象としてアリスを選んだのならば、視力を向上させるか何かしてアリスの札束を視認していた事になる。
だとするとより割に合わない。アタッシュケースでも狙ったのなら話は別だが、精々が封筒に入っている程度の札束。裏ルートの相場に対して多分大丈夫という程度の金額。
確実に金を入手できる手段を捨ててまで、こんな事を強行するのは本当に割が合わない。
あの男のとった行動からは、いくら考えても何一つメリットが浮かびあがってこない。何度も言うが、愚策中の愚策。愚策すぎて逆に思い付かないレベルだ。
「なんで薬を裏で回さなかったんだ……マジで意味が分からねえ」
「分からなくても仕方が無いと思うわ。きっと、正しく認識している人なんて誰も居ない。今までも色々世間を騒がせる様な事をしているけど、結局その意図を掴めたことなんて一度も無いもの」
……つまりは、今までもロベルトは同じ様に何かをして来たんだろう。
「今回もそう。黒点病の薬を持った人を狙って、奪って、それを返す事を代償にミラちゃんにさせた様な事をさせている。実際に立ち会ったのは初めてな私でも、状況を聞けば名前を挙げられる位の回数をね」
「全く同じような事何回もしてんのかよ」
「そう。そしてそれだけ被害者が増えても誰も、他の事件同様その意図は掴めない。だけど彼が今までしてきた事。そして今回の事。それを全部ひっくるめて、皆が口を揃えて彼の事をこう言うわ」
アリスは一拍空けてから、それを口にする。
「……悪意の塊ってね」
悪意の塊……か。
ロベルトがこれまで何をやってきたのかは知らない。だけど、今回の一件に立ち会っただけでも充分に頷ける。
ミラにした様な事を別の誰かにもやっている。そして、それに準ずるかあるいはそれ以上の事を今までやってきた。その意図はまるで不明。不明すぎて、人が苦しんでいるのを見るのが楽しいからやっているんじゃないかと思えしまう。それを見るために、態々俺達の前に躍り出てきたんじゃないかと考えてしまう。
だとすれば間違い無く……悪意の塊だ。
だけどそう考えると……やはりあの言葉が引っかかる。
『それでも、この人の事を他人に悪く言われるのは……我慢ならねえんだ』
これは完全に俺の直感の話で、なんの信憑性もありはしない事だけど……俺には、あの青年があまり悪い奴に思えなかった。特に明確な理由なんてのは無い。実際に加担していたのは確かだし。だけど……纏っていた雰囲気ってのが、なんとなく悪人とかのソレとは違う気がしたのだ。そもそも悪人らしい悪人と対峙したのが佐原とロベルト位な物なので、違うも何もないのかもしれないけれど……もし、アイツが俺の感じた通り、悪い奴では無かったとすれば。
どうしてアイツは、間違っているのを知っていて、ロベルトの考えを歪んでいるとまで称して、それでもロベルトに加担するのだろうか。
どうしてそれでも……ロベルトが非難されるのを、ああして拒んだのだろうか。
それはたた純粋に、弱みでも握られているのかもしれない。だけど、そういった風にも見えなかった。だとすれば……アイツは、俺達が知り得ない意図を知っているのかもしれない。
たとえ考えを理解でき無くても、その理解できないほどに歪んだ考えの先にある意図を、あの青年は知ることが出来たのかもしれない。
知った先に……何かがあった。だから加担した。その何かはそうさせるだけの物だった。
だとすれば、その何かとは一体何なのだろうか。
……まあそもそも、この考え自体があの青年が善人であると仮定した、過程の上に建てられた仮説でしかない。これ以上考えた所で、俺の持つ情報だけでは正しい答えを導き出す事は不可能だ。
「悪意の塊……か」
俺もそう思っているけれど……本当に、そう思われるべき人物なのだろうか?
結局この後、その鍵を握るであろう青年の話も少しだけ話題に上がったが、ロベルトと行動を共にしている人物程度しかアリスも知らないらしく、ミラに至ってはロベルトと同じ様にしか見えちゃいない。だから結局何も分かりはしない。
モヤモヤだけが残り、あまりにも不完全燃焼な話だが……これ以上今の俺達が踏み込める案件では無い。そう判断した俺は、一旦諦めて話の舵を切る事にする。
「まあ何にしても、その薬を取り戻せてよかったよ」
ロベルトやあの青年がどういう考えで動いていようが、ミラが被害者だったという事は変わりはしない。薬が戻ってきたという事は、よかった事と考えて間違いないんだ。
「はい! ありがとうございます!」
ミラはもう何度目か分からない感謝の言葉を述べる。アリスにも許されたからだろうか、なんとなく元気になった気がする。
「……あ、そうだ」
取り戻すといえば、俺達も大切な物を取り戻す為にミラを追ってたんだった。
「とりあえず、お金、返してくれるかな?」
俺は右手を差し出す。
例えロベルトという大本の問題は解決していなくても、ここでお金を返してもらえば、金銭的な意味でもミラとの一件は無事解決だ。
「……あ」
そこでアリスは何か思い出したように声を上げ、少しだけ嫌な予感でも感じたかの様な表情を浮かべて俺達に問う。
「裕也達……川に落ちたんだよね?」
「ああ、そうだな。おかげで全身水浸しで……」
言っていて、なんとなく途中で察した。そしてどうやらミラも察した様子。
そして俺達の心中を、アリスが代表して言葉にする。
「封筒……というよりお金、大丈夫?」
全身びしょぬれなのに、冷や汗が拭き出てきた瞬間だった。
「本当に済みませんでした!」
俺が事情を話しつつ、ミラはその合間を縫う様に謝罪の言葉を述べて何度も頭を下げる。
そうした一連の流れを見聞きしたアリスは、俺の説明が終わったと判断すると、そのまま即答する。
「うん、この子何も悪くないじゃない」
その言葉を聞いてとりあえず胸を撫で下ろしたくなった。分かってくれるとは思っていたけど、実際に聞くと安心感が違う。
「だから少なくとも私にこの子を責めようって気は無いわ。だから、えーっと……ミラちゃん、だっけ? とりあえずもう頭下げなくていいから、頭上げて」
「……はい」
言われたミラはそう言ってゆっくりと顔を上げ、そうして向けられた視線にアリスは笑みを浮かべて答える。するとミラの表情がまた少し和らいだ気がした。
だけどそれとは反比例するかの様に、アリスの表情が少しだけ険しくなった。
アリスはその表情のままで、ミラに一つの質問をする。
「ねぇ、ミラちゃん。ちょっと一つ、聞いてもいい?」
「なんですか?」
「ミラちゃんにそんな事をさせてたのって、もしかしてだけど……ロベルト・スローンって名前の人じゃないかしら」
出てきたのは聞き覚えの無い名前だった。まあ俺が知っている筈がないのだが、しかしミラはその名前を知っているようだ。
「……はい」
そして頷く。その動作があの男がロベルト・スローンという名である事を決定付けさせる。
「……知ってんのか? あの男……いや、ロベルトって奴の事」
「え、知らないんですか? ……そういえば、なんだかあの人達の事を初めて見る様な反応でしたし」
アリスが答える前に、不思議そうにミラは僅かに首を傾げる。
「えーっと、裕也は此処に来たばかりだから。知らないで当然よ」
「逆に言えば、此処に住んでる連中の中じゃ有名人って事か?」
「悪い意味でね」
そう言ったアリスは、ミラが持つ紙袋に視線を向けて、ミラに尋ねる。
「ミラちゃん。その袋の中身って……もしかして薬か何かだったりする?」
「はい。それで合ってます」
ミラは自分の持つ袋に視線を落としながら呟いた。
薬……まあ一瞬連想してしまった様な、所謂所持しているだけで逮捕される様な薬物的な物ではないだろう。この子の雰囲気からして、そういうのを持っているとは思わないし思いたくは無い。
……となれば、あとはアレくらいか。
「薬っていうと……風邪薬みたいな奴?」
「はい。黒点病の特効薬です」
黒点病自体には聞き覚えが合った。確か親戚の農家の爺ちゃんがカンキツとかに出る病気って言ってた気がする。黒い斑点ができるんだったか。
でも風邪薬という問いに頷いたという事は……おそらく、こっちの世界に存在する感染症か何かの類なのだろう。だとすると俺の認識がおかしいまま話が進んで行って、途中で訳が分からなくなるかもしれない事を考えれば、一応詳細を聞いておいた方が良い。
「えーっと、アリス。黒点病って?」
そう思ってアリスに尋ねたのだが、最初にリアクションを見せたのはミラの方だった。
「え……黒点病も知らないんですか?」
その表情は驚愕の色に染まりきっていた。その反応だけでこの病気が地球で言うインフルエンザ並に有名な病気であろうと予想が付く。
そしてその予想はどうやら当たっていた様だ。
「春から夏にかけた季節性の感染症。感染すると腕に黒色の斑点が現れるのが特徴で、徐々に感染者の体力奪っていき、挙句の果てに色々な免疫力も低下していく。コレ自体で死んでしまう様な事になるのは滅多にないけど、他の病気と複合すると結構大変な事になる。そういう厄介な病気よ」
免疫力の低下か……それは地球で言うとなんの症状に似ているのだろうか。それは分からないが、その危ない病気が季節性って事は空気感染かなんかで広がっている。そういう認識で正しいのだろうか。
「で、それの特効薬を持ってたって事は……ミラはそれにかかっちまってんの?」
俺がそう尋ねると、ミラは頷いて自分の腕を俺に見せる。
確かに小さいがはっきりと、黒い斑点が浮かびあがっていた。
「……治るんだよな、コレ」
「その為に特効薬があるんでしょ?」
まあそうだ。治らない薬なんて存在価値がねえもんな……価値?
「なぁ、良く分かんねえんだけど、この薬って態々大の大人が奪うだけの価値があるのか?」
そして奪われて、それを取り戻す為に言う事を聞かなければならない程の価値が、この薬にはあるのだろうか?
奪われたという事はミラが所持していたという事になる。大体中学生位の女の子が入手できる様な物にそこまでの価値があるのだろうか? 普通に薬局とかで売ってねえのか?
「まあ微妙な所だけど、今年に限ってはそうなのかもしれないわ」
「今年に限って?」
「元々この病気は感染率が凄く低い上に、十五歳以下しか感染しないという性質があるの。その上、薬を作る際に必要な材料がある程度入手が難しい上に、薬にしてから一定期間が経過すると効力を失ってしまう。だから毎年、必要と予想される分とそのプラスアルファって感じのの量しか生産されていないわ。それ以降は、足りなくなるたびに追加生産って所ね」
まあ確かに大量生産して余った大量の薬が翌年使いまわせないのであれば、ある程度生産数は抑えるだろう。必要とされる分とプラスアルファ。それでも足りなくなれば追加生産。その判断は素人目で見れば妥当だと思えてくる。
「だけど……つまり今年は、そのやり方に何かしらの支障が出たと」
「そう。ウイルスがちょっと変異しちゃったのよ」
「……変異?」
「今まで一度の服用で治っていたにもかかわらず、今年のは一度服用しただけでは治らないケースが多くなったの」
「……つまり、それで需要と供給のバランスが崩れた。そういう事か?」
「そういう事。だから今急いで生産しているらしいけど、元々大量生産できる様な物じゃないらしくてね。少ない感染者に配れるだけの薬を用意できていない。だから正規販売はすぐに売り切れて、裏ルートでは高値で捌かれてるわ。いつ黒点病が進行して取り返しのつかないことになるか分からないから、皆必死で手に入れようとするし……買い手は沢山いるから。転売屋は大儲けよ」
成程……確かに、ある程度価値はあるようだ。
絶対数が足りないのであれば、その価値は大幅に向上する事間違いなしだろう。
つーか、その少ない患者に配りきれないって、どんだけ貧弱な生産体制なんだよオイ。そう考えると、生まれ育ったのが地球の日本で本当に良かったと思う。いや、日本は日本で新薬の認可が下りてねえから使えないとか、そういうパターン結構あるけども。
まあ地球にしても……そしてこの世界にしても。どうやらこういった病気に対して魔術の出る幕は無い様だった。
新しい魔術の開発にはかなりの時間が掛る上に、回復魔術という難しい分野だ。対ウイルス用の回復魔術を作り上げた所で、その頃にはウイルスが変異してしまっていて無意味になる。
そしてそんな事情に加えて薬という存在があるのだから、誰も個々のウイルスに対する治癒用の魔術を作ろうとせず、僅かに居ても実用化には踏み切れない。
地球より魔術が発展しているこの世界でコレなのだから、恐らくは地球の魔術が今の段階から進化しても、おそらくこういう類のこういう回復魔術は完成しないだろう。テレビで特集されていた医大の教授が哀れでならないな。
……まあそれはさておき、そうした魔術に頼れない現状で活躍する黒点病の特効薬は、随分と価値が上がっている訳だ。
だからロベルトはミラから特効薬を奪ったって事か……。
そう納得しようとするも、やはり色々と腑に落ちない。
「なぁ、裏ルートの相場ってどの位だ? 今回の俺達の報酬でどうにかなるレベル?」
「ん……どうだろ。多分大丈夫だと思うけど……」
多分……か。
アリスが目を輝かせていた位の大金で、多分購入できる。つまりはやはり結構値が張る訳だ。
「ミラ。ちなみに聞くけど、俺達を狙ったのって、単なる偶然?」
俺の問いにミラは答え辛そうに、だが勇気を振り絞る様に答える。
「いえ……指定されました。公衆の面前で危機感もなく札束数えてる頭悪そうな女からって」
ふとアリスをみると、まるで心臓に杭でも指された様にのけぞりそうになった上で「……ほ、本当に許しがたいわね……」と怒りを露わにしているが、まあこの際その事はいい。実際その辺は言いたかねえけど間違ってないだろうし……それに、大事なのはそこじゃない。
「……何もかもが穴だらけだ」
ロベルト……いや、ロベルト達と言うべきか。あの場に現れたりした時点でデメリットしかない謎の行動としか言いようがないのに……その行動が、一連のミラの回答で更に訳が分からなくなった。
あの薬を代償にミラにスリをさせた。そんな事をしなくても、あの薬を裏から流せばより確実に金を入手できる。そしてそのスリの対象としてアリスを選んだのならば、視力を向上させるか何かしてアリスの札束を視認していた事になる。
だとするとより割に合わない。アタッシュケースでも狙ったのなら話は別だが、精々が封筒に入っている程度の札束。裏ルートの相場に対して多分大丈夫という程度の金額。
確実に金を入手できる手段を捨ててまで、こんな事を強行するのは本当に割が合わない。
あの男のとった行動からは、いくら考えても何一つメリットが浮かびあがってこない。何度も言うが、愚策中の愚策。愚策すぎて逆に思い付かないレベルだ。
「なんで薬を裏で回さなかったんだ……マジで意味が分からねえ」
「分からなくても仕方が無いと思うわ。きっと、正しく認識している人なんて誰も居ない。今までも色々世間を騒がせる様な事をしているけど、結局その意図を掴めたことなんて一度も無いもの」
……つまりは、今までもロベルトは同じ様に何かをして来たんだろう。
「今回もそう。黒点病の薬を持った人を狙って、奪って、それを返す事を代償にミラちゃんにさせた様な事をさせている。実際に立ち会ったのは初めてな私でも、状況を聞けば名前を挙げられる位の回数をね」
「全く同じような事何回もしてんのかよ」
「そう。そしてそれだけ被害者が増えても誰も、他の事件同様その意図は掴めない。だけど彼が今までしてきた事。そして今回の事。それを全部ひっくるめて、皆が口を揃えて彼の事をこう言うわ」
アリスは一拍空けてから、それを口にする。
「……悪意の塊ってね」
悪意の塊……か。
ロベルトがこれまで何をやってきたのかは知らない。だけど、今回の一件に立ち会っただけでも充分に頷ける。
ミラにした様な事を別の誰かにもやっている。そして、それに準ずるかあるいはそれ以上の事を今までやってきた。その意図はまるで不明。不明すぎて、人が苦しんでいるのを見るのが楽しいからやっているんじゃないかと思えしまう。それを見るために、態々俺達の前に躍り出てきたんじゃないかと考えてしまう。
だとすれば間違い無く……悪意の塊だ。
だけどそう考えると……やはりあの言葉が引っかかる。
『それでも、この人の事を他人に悪く言われるのは……我慢ならねえんだ』
これは完全に俺の直感の話で、なんの信憑性もありはしない事だけど……俺には、あの青年があまり悪い奴に思えなかった。特に明確な理由なんてのは無い。実際に加担していたのは確かだし。だけど……纏っていた雰囲気ってのが、なんとなく悪人とかのソレとは違う気がしたのだ。そもそも悪人らしい悪人と対峙したのが佐原とロベルト位な物なので、違うも何もないのかもしれないけれど……もし、アイツが俺の感じた通り、悪い奴では無かったとすれば。
どうしてアイツは、間違っているのを知っていて、ロベルトの考えを歪んでいるとまで称して、それでもロベルトに加担するのだろうか。
どうしてそれでも……ロベルトが非難されるのを、ああして拒んだのだろうか。
それはたた純粋に、弱みでも握られているのかもしれない。だけど、そういった風にも見えなかった。だとすれば……アイツは、俺達が知り得ない意図を知っているのかもしれない。
たとえ考えを理解でき無くても、その理解できないほどに歪んだ考えの先にある意図を、あの青年は知ることが出来たのかもしれない。
知った先に……何かがあった。だから加担した。その何かはそうさせるだけの物だった。
だとすれば、その何かとは一体何なのだろうか。
……まあそもそも、この考え自体があの青年が善人であると仮定した、過程の上に建てられた仮説でしかない。これ以上考えた所で、俺の持つ情報だけでは正しい答えを導き出す事は不可能だ。
「悪意の塊……か」
俺もそう思っているけれど……本当に、そう思われるべき人物なのだろうか?
結局この後、その鍵を握るであろう青年の話も少しだけ話題に上がったが、ロベルトと行動を共にしている人物程度しかアリスも知らないらしく、ミラに至ってはロベルトと同じ様にしか見えちゃいない。だから結局何も分かりはしない。
モヤモヤだけが残り、あまりにも不完全燃焼な話だが……これ以上今の俺達が踏み込める案件では無い。そう判断した俺は、一旦諦めて話の舵を切る事にする。
「まあ何にしても、その薬を取り戻せてよかったよ」
ロベルトやあの青年がどういう考えで動いていようが、ミラが被害者だったという事は変わりはしない。薬が戻ってきたという事は、よかった事と考えて間違いないんだ。
「はい! ありがとうございます!」
ミラはもう何度目か分からない感謝の言葉を述べる。アリスにも許されたからだろうか、なんとなく元気になった気がする。
「……あ、そうだ」
取り戻すといえば、俺達も大切な物を取り戻す為にミラを追ってたんだった。
「とりあえず、お金、返してくれるかな?」
俺は右手を差し出す。
例えロベルトという大本の問題は解決していなくても、ここでお金を返してもらえば、金銭的な意味でもミラとの一件は無事解決だ。
「……あ」
そこでアリスは何か思い出したように声を上げ、少しだけ嫌な予感でも感じたかの様な表情を浮かべて俺達に問う。
「裕也達……川に落ちたんだよね?」
「ああ、そうだな。おかげで全身水浸しで……」
言っていて、なんとなく途中で察した。そしてどうやらミラも察した様子。
そして俺達の心中を、アリスが代表して言葉にする。
「封筒……というよりお金、大丈夫?」
全身びしょぬれなのに、冷や汗が拭き出てきた瞬間だった。
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