ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

105 絶巓の神殿

 ――絶巓の神殿。
 その入口である山の洞窟前にセトルのセイルクラフトが着陸した。セトルの転移霊術で行ける範囲はそれほど遠くない知っている場所か、見えている場所に限られているため、サニーの前から消えた後の転移先は街のすぐ外になった。
 入口の両脇には二本の巨大な柱が立っており、中は土ではなく鉱石のタイルが敷き詰められた道が続いている。
『これでよかったのか?』
 フラードルより少しだけ強い雪が降っている中、ミスティルテインが喋った。否、ミスティルテインに宿っている時空の精霊ピアリオンが、直接セトルの頭に話しかけてきたのだ。
「はい。これでいいんです。あなたが僕ならどうしました?」
 歩き出し、精霊に訊くような質問ではないことを承知しながらもセトルは訊いてみたかった。
 ピアリオンは全く考える様子はなく即答する。
『私も一人で行くだろう。私は絶対に負けないからな。だが、お前は違う。いくら神剣を手に入れたとて、向こうも同じ神剣使いだろ。勝てる保証は何もない』
「僕は勝ちます」
『自信過剰だな。早死にするぞ?』
 セトルはその言葉に少しムッとしつつ、神剣を抜いてピアリオンと対峙するように話をする。
「それを言うなら、あなただって自信過剰です」
『違うな。私が負けないのは絶対の真実だ。なぜならこの世界も私の物だからだ』
 セトルはこの精霊の馬鹿さ加減に思わず笑った。
「はは、面白いことを言いますね。まるでテュール神をも超えているような言い方だ」
『その通りだが、何か?』
「……」
 もはやセトルは何も言えなかった。しばらく沈黙し、最後に一言だけ、
「それなら僕は勝てますね」
 と皮肉げに言って神剣を鞘に納める。
 黒に近い灰色一色の暗い通路内、コツコツと靴音を響かせながらどこまでも続いていそうな階段を登っていく。神殿は山頂にあるからもっと登る必要があるだろう。
 ピアリオンもそれ以上話しかけようとはせず、セトルは無言のまま山頂を目指す。

        ✝ ✝ ✝

 靴音だけを虚しく響かせながら約一刻、セトルは遂に神殿を前にした。
 古びた、お世辞にも美しいとは言えない建造物がそこにある。あちらこちらに風化した痕や罅割れが見られ、つつけば音を立てて崩れてしまいそうだ。
(まあ、そう簡単に崩れたりはしないだろうけど)
 常雪の国の山頂なだけあって、そこにいるだけで体が凍りついてしまいそうなほど寒い。だが、セトルは寒さを顔には出さず神殿内に足を踏み入れた。
 いくつもの柱が均等な間隔で並ぶ通路をまっすぐに進み、やがて大きな円形の部屋に出る。部屋は殺風景で、あるものは前方の壁に直接彫られている男性とも女性とも言えないような巨大な石像。その彫刻は両手を胸の前で交差させ掌を柔らかく内側に向けている格好で、顔は目を閉じたまま微笑んでいるように見える。
 セトルはそれが何なのか知っていた。故郷の村にもあったからだ。だが、これは村にあったものよりも遥かに巨大で、神々しい印象を受ける。
 思わず呟いてしまう。
「テュール神……」
『ほう、あれがテュールなのか。フフフ、はじめましてと言っておこうか』
 あれっきり黙っていたピアリオンが見下すような口調で言う。
「あれは石像だよ」
『知っている。だがな、石像からこちらを見ているかもしれないんだぞ?』
「脳内会話じゃ聞こえないだろ」
『それもわかっている』
 ピアリオンの考えていることは意味がわからない。セトルはそれ以上会話をしようとはせずに部屋の中央を見た。そこの床面には霊術陣のような奇怪な文様が描かれていた。読めない文字の羅列が円を形成し、その中心には何やら小さな長方形の穴が穿たれている。
 セトルがその描かれている陣へと歩を進めようとした時、一つの轟音が高らかに上がり、部屋の中で反響した。ほぼ同時に、セトルの足下の床を小さな何かが抉る。
(霊導銃!?)
 セトルが知る中でその武器を使う者は一人しかいない。前方を睨みつける。霊導銃を撃った犯人がテュール神の石像の影からぬっと姿を現した。
「フフ、セトル君、たった一人でどこへ行こうと言うのかな?」
「ノックス……何のつもり?」
 ノックス・マテリオ。つい最近別れたばかりの星の語り部である彼が、今セトルの目の前に立ち、いつも通りの陶酔的な笑顔のまま銃口をセトルの眉間に狙いつけている。
「あれ? 何でこの短期間の間にボクがここまで来れたのか、とか訊いてくれないわけ?」
「あなたのことだ。近道や一気に来れる転移陣を知っていてもおかしくない」
「ピンポ~ン、大当たりぃ♪ でも残念だなぁ、もっと驚いてくれると思ったのに」
 ノックスは大げさな動作をしながら徐々にセトルに近づいていく。しかし銃口は依然セトルの眉間を捉えたままだ。
「……」
 セトルはそんな彼を無言で睨みつける。なぜここにいるのか、なぜ自分に銃を向けているのか、そんなことはどうでもいい。ただ、彼からは見ただけではわからないものの、はっきりと殺気に似た気配が伝わってくる。邪魔をしてくるなら、戦うしかないだろう。
「そんな怖い顔をしないでくれよ。せっかくの綺麗な顔が台無しになっちゃう」
「もう一度訊くよ。何のつもり?」
 セトルは神剣の柄に手を持っていく。ノックスは、はぁ、と溜息を一つ。そして立ち塞がるように陣の前で止まる。目を細め、今まで見たことないくらいの真面目な顔になる。
「他のみんなはどうしたんだい?」
「今訊いてるのは僕だ!」
「その様子だと、置いてきたんだね。別れも告げずに」
「……サニーには言った」
 セトルはどこか悲しそうに少しだけ俯いて言った。
「ボクがここにいるのは簡単なことだよ。君を一人では行かせないためさ」
「何?」
 セトルは顔を上げて再びノックスを睨みつける。
「この前から何か悩んでるように見えてね。もしかしてって思ったんだ。――はっきり言おう、いくら神剣の力を手に入れても君一人の力じゃ彼らには絶対に勝てない」
 ノックスにそう言われ、セトルは神剣を握る手に力を込める。
「そんなこと――」
「あるさ」
 そんなことない、と言おうとしたところをノックスに遮られる。く、と呻き、神剣を抜いた。
「邪魔をするなら、あなたでも容赦はしない」
 と言っても流石に命まで取るつもりは毛頭ない。それは自分の信念に反するからだ。
「もうすぐ君を追ってみんなが来るだろうから、ボクはその時まで足止めをさせてもらうよ。もちろん、全力で」
 ノックスの表情から軽薄さが一切なくなった。

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