ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

080 捕らわれの二人

 ワースたちが立ち去って一日近く発とうとしていた。
 僅かな灯りはあるが、薄暗い地下牢は、セトルはともかくサニーにとっては相当つらいものだろう。
 既に状況は話してあり、彼女もそれを理解している。だが――
「ねぇ、ホントにここ壊せないの?」
 不安を抑えきれないサニーは、わかっていながらそう訊かずにはいられなかった。
「うん。サニーが寝てる間にいろいろ試したけど、兄さんの言う通り、神霊術ですら傷一つつかない」
(まあ、オレの神霊術は攻撃なんかできないんだけど……)
 壁越しに話しながら、セトルは彼女がまだ落ち着いているということを確認する。
 ザンフィなら隙間から外へ出られるのではと期待したが、明らかに隙間の幅が小さすぎた。
「ところで《シンレイジュツ》ってなに?」
―― そういえば彼女に説明してなかった。
「文字通りだよ。神の霊術。攻撃・防御・治癒・移動……ちゃんと試練を受けたのならほとんど何でもできるかな」
 セトルの使える術は主に守り主体のものだった。もともと試練を受けて使えるようになったわけではないので、セトルはそれが限界だった。もっとも、試練を受けているワースはほとんど神に近い存在となっているのは確かだ。
「へー、あたしでも?」
「それは無理」
「何で?」
「神霊術はテュールの民の、それも神に使徒として認められたものじゃないと使えないんだ。僕は使徒として認められたようだけど、試練は受けてないから兄さんほどうまく使えない」
 サニーはわかっているのかわかってないのか、ふーん、とだけ相槌を打った。
 セトルは階段の方に顔を向ける。近くに人の気配はないが、あの階段の上には見張りくらいいるだろう。
 殺さないと言っただけ、セトルたちにはきちんとした食事が与えられた。牢の中も、全く物が置いてないということはなく、ベッドや洗面道具、真新しい毛布が二枚、着替え用の服も何着かタンスの中にあった。他にもいろいろと小物が置いてあり、トイレも一応個室になっている。
 置いてある物だけで見ると、〝牢〟という名の普通の部屋である。
(まるでこうなることがわかってたみたいだ……。オレの考えなんかお見通しってことかな)
 ワースの用意周到さに、セトルは少し自嘲気味の笑みを浮かべる。
「あの階段からウェスターでも下りてきて、『助けに来ましたよ』とかって言ってくれないかなぁ」
 壁の向こうからまずあり得ないことをいうサニー。もしかするとそろそろ限界なのかもしれない。
「それはな――ん?」
 それはないだろ、と言おうとした矢先、階段から白いものが飛んでくるのを見た。
 それは一羽の真っ白な鳥だった。鳩くらいの大きさのその鳥は口何かをくわえ、セトルの牢の方へとまっすぐ飛んでくる。
「これは……」
 白い鳥は――紙でできていた。
「アキナの式神!?」
 サニーが驚きの声を上げる。その声を聞いて見張りが飛んでくるかと思ったが、どうやら今は声の届く範囲にいないようだ。
「あれ? 何か銜えて……鍵?」
 セトルがそのことに気づいたのと同時に、式神はセトルの牢の鍵穴に飛び、器用に鍵を差し込んで回した。ガチャリと音がし、鍵が外れたことがわかる。
「あ、開いた……」
 セトルは慎重に牢の扉を押すと、当然だがあっさりと開き、牢の外へ出ることができた。
 しばらく訝しんで天井を旋回するアキナの式神を見ていたが、やがてハッとして鍵穴から鍵を抜く。
「サニー、ちょっと待って、今開けるから」
「早くね」
 二つあった鍵のセトルの牢とは違う方を、サニーの牢の鍵穴に入れると、やはりガチャリと音がして簡単に扉は開いた。
 サニーは出てくるやいなや、大きく背伸びをして、気合いの入った声を上げる。
「よーし! ここから出られたらこっちのもんよ! 早くあの三人をとっちめに行くわよ!」
「待ってよ、サニー。ていうか声大きい。牢は出られたけど、ここを脱出できたわけじゃないんだから」
 セトルが警戒しつつやれやれと肩を竦める。
「あーもう! じゃあ、ちゃちゃっとここから出ようよ?」
 サニーは声のトーンを些か落としてからそう言う。
「そう言われても簡単じゃないよ」
「う~ん……何か作戦とかあるの?」
 肩に飛び乗ってきたザンフィを撫でながらサニーが訊くと、セトルは口元に手を持っていき、しばらく俯いて考えていたが、ふと前を見ると、式神が紙の翼を羽ばたかせてセトルをじっと見るように空中停止していた。
「こいつ、何でまだ……そうか!」
 セトルは式神が階段の方を示しているのを見、これがまだ役割を終えていないことに気づく。アキナの式神はその役割を終えれば、主人の元に帰るかその場でただの紙に戻るかする。だが、この式神はそのどちらもしていない。
「どういうこと?」
 サニーが首を傾げる。
「ついて来いってことだよ」

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