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ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

072 時は流れ

 ――ノルンの月27の日。
 三人がアスカリアに戻って既に一ヶ月近く経とうとしていた。あの蒼霊砲事件は、今ではすっかり過去のことになっている気がする。アスカリアの人々も、もう全然昔通りになっている。村長であるケアリーや、猟師団リーダーのウォルフを中心に頑張ったのだろう。
 一緒に戦った仲間はどうしているだろう、と時々思ってしまう。だけど、ウェスター・トウェーンに関しては、彼の名声がこんな辺境の村まで届いてくる。シャルン・エリエンタールとノックス・マテリオの二人は全く音沙汰ないが、週一くらいの頻度で、雨森あめのもりしぐれからは中央大陸セントラルの復興状況の通知が来る。炎上したサンデルクはもちろん、跡形もなく消し飛んだソルダイ村も、村人たちが協力し合って復興にいそしんでいる。もうそこにアルヴィディアンやノルティアンといった種族の壁はないように思われる、とのことだ。それは喜ばしいことだった。
 その反面、喜ばしくないこともある。
 セトルが目覚めないのだ。
 どうにか命は保っているものの、すぐ目覚めるだろうと思っていたのが、戻ってからずっと植物状態のようになっている。村人全員が彼のことを心配している。
 彼は自分の家のベッドで眠っている。その表情は穏やかなようで、そうでもないような感じだった。毎日入れ替わり立ち替わりで村人が見舞いに来る。隣に住んでいるサニー・カートライトと、猟師団に復帰したアラン・ハイドンはその常連となっていた。サニーはセトルのベッドに寄りかかり、しぐれの報告のことや何の変哲もない世間話を繰り返し、アランは猟の成果などを話している。
 今日もサニーは来た。まずセトルの義母であるケアリー村長にあいさつをし、赤毛のポニーテールを揺らしながら階段を駆け上る。そして一番奥にある彼の部屋の前に立った。
(セトル、起きてたらいいな)
 そう思いつつドアノブを握り、そして――
「セトルー!」
 と元気よく部屋に飛び込んだ。だが、彼女はいつも一番乗りなのに、今日は先客がいた。彼女は目をパチクリさせる。
「あれ? マーズ町長。ついでにミセルも……」
「ついでって何よ!」
 ライトグリーンの髪をリボンでツインテールにしている少女が子供のように頬を膨らませた。
「ミセル、あまり大きな声を出したらセトルくんの容体に響くよ」
 柔らかい笑みを浮かべるノルティアンの男性――マーズは見舞いの花を花瓶に生けながら優しげな口調でミセルに注意をする。
「だったらサニーの方がうるさいわよ」
「うっ……」
 ビシッと指を差され、サニーは思わず後ろに下がった。全く気にしていなかった。今度から気をつけようと彼女は強く思った。
「それにしても全然起きないね、セトルくん」
 マーズは心配そうにセトルの方を見た。ミセルがセトルの顔を覗き込む。
「キスしたら起きたりして♪」
「ミ~セ~ル~!」
「あはは、冗談よ。やっぱりサニーってからかいがいがあるわ♪」
 眉を吊り上げて冗談を本気にしたサニーをミセルはちょっとした仕返しのつもりで笑った。すると、ケアリーがお茶菓子を持って部屋に入ってきた。そして恐ろしい形相をしていたサニーを見て、
「おやおや? どうしたの、サニーちゃん?」と訊く。
「何でもない」
「ケアリー村長聞いて。サニーったらね――」
「あーもう! うるさいうるさいうるさーい!」
 サニーは腕をぶんぶんと振り回して怒鳴り散らした。
「ハッハッハ! いつも通り元気ね。マーズ町長、ミセルちゃん、わざわざ来ていただいてすみませんね」
 ケアリーは豪快に笑うと、マーズに向かって軽くお辞儀した。それに合わせてマーズも、いえいえ、とお辞儀を返す。
「それよりセトルくんの容体はどんな感じなんでしょうか?」
「眠ってる状態となんら変わりないそうよ。でも、どんなにひっぱたいても起きやしない」
 ケアリーは肩を竦めて溜息をついた。するとマーズは冗談じみたように言う。
「《ティラの実》でもあれば起きるかもしれませんねぇ」
「何それ?」ミセルが首を傾げる。
「ああ、この辺りに伝わる伝説の果実で、それで作った薬はどんな病でも治るって言われてるんだ」
「うわぁ、嘘臭い」
 ミセルは疑いの視線を父に飛ばす。それを受け止め、同意するようにマーズは頭を掻いた。
(どんな病でも……)
 サニーがその言葉に反応し、頭の中で思考が渦巻く。
「この辺の森にでもあればいいんだけど。やっぱり伝説だし、そんなものあるわけないよね」
「そもそもセトルちゃんは病気じゃないよ」ケアリーが腰に手の甲をあてて嘆息する。「仮にそんな実があったとしても、病気じゃないセトルちゃんが起きるわけないじゃないの」
 そうか、とマーズは言い、皆が笑った。しかし、サニーはそうでもなく何かを考えていた。
(森……アスカリアの森!?)
 たぶん彼女は会話を最後の方まで聞いてなかったのだろう。何かを思いついたように彼女は部屋を飛び出した。
「ちょっとサニー、どうしたのよ!?」
 ミセルが言うが、やはりサニーには聞こえていなかった。
 すると、入れ替わるように長身の青年が入ってくる。すごい勢いで部屋を出ていったサニーとすれ違い、驚いた表情をしている。
「サニーのやつ、慌ててどうしたんだ?」
「アラン!」
 三人の視線が一斉にアランに向けられ、彼は少し怯んだ。
「え? 何? もしかして原因……俺!?」
 戸惑うアランに今まで何を話していたのかを教えた。
「あいつ、よく聞きもしねぇで探しに行きやがったみたいだな。まだその辺にいるかもしんねぇから、捜すか」
「でも大丈夫でしょ? サニーならこの辺そんなに危険じゃないだろうし」
 特に慌てる様子もなくミセルが言う。だが彼女は忘れていたのだ。サニーの最も危険なことを……。
「あいつは超絶方向音痴だ。一人で森なんかに入ったら戻ってこねぇぞ?」
 アランに言われてミセルはようやく思い出した。まだ彼女がアスカリアに住んでいたころ、迷子になったサニーを見つけるために捜索隊が編成されたことがある。それも一度や二度じゃない。サニーは自分が迷っていることを絶対に認めないため、幾度となくそれがあった。
「あはは……もしかしてまだ治ってないの?」
「あれは治らねぇな」
 アランはさらっと断言し、そして皆に知らせてくると行って部屋を出た。残った三人もとりあえず村の中を捜してみることにし、部屋には眠っているセトルだけが残された。

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