ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

064 《鬼人》のゼース

 一瞬、辺りがすごく静かになった。
 時間が止まったような、そんな感じだった。
 蒼霊砲の砲口に超巨大な霊術陣が出現。光がその中央の一点に集中し、次の瞬間、凄まじい轟音と共に一本の青白い光の線が夜空を二つに割った。
 それはほんの一瞬で、大抵の人には何が起こったのかわからなかっただろう。それはセトルたちも同じである。ソルダイの方が爆発したことに気づいたのも少し経ってからだった。
「ソルダイが!?」
 セトルは振り向いて叫んだ。火山が噴火したようなどす黒い爆煙が噴き上げている。今のソルダイがどんな状態か想像しようとすればできたが、考えたくなかった。
「大丈夫だ、セトル。今ソルダイには誰もいないはずだ」
「うん……」
 動揺しているセトルを落ち着かせるようにアランは言うが、それはセトルも知っていることだ。こうなることを予想して、ワースが先に手を打っておいたのだ。むしろ、蒼霊砲のあの威力に驚いている方が大きい。
「三人は間に合わなかったみたいね」
 冷や汗がシャルンの頬を流れた。その時――
「みんな、あれ見て!」
 叫んだサニーが蒼霊砲の方を指差した。光が集い、もう次の発射準備に取り掛かっている。四人は今までにない危機を感じた。恐らく、次に狙われるのは戦場ここだ。
「あーもう! これやばいじゃん、どうすんのよ!」
「とにかく走るんだ! アルヴァレスさえ倒せば蒼霊砲もこれ以上撃たれない!」
 セトルはそう言い、走ろうと足を動かした。だが、残念ながらすぐに止まることとなった。サニーの肩の上でザンフィが前方を威嚇する。
 岩の陰から一人の青年が姿を現し、四人の前に立ち塞がった。
「よう!」
「ゼース!」
 シャルンが憎々しく歯をギリッと言わせる。あの金髪、頬の刺青、血のように赤いコート、忘れはしない。あの男はシャルンにとって家族の仇である。
「シャルン、落ち着け」
「わたしは大丈夫よ、アラン」
 彼女は一度、アランを向いて微笑んだ。冷静さを失って飛びかかるかと思ったが、意外と落ち着いているようだった。
「何だ、やっぱりウェスターの野郎はいねぇのか」
 周りを見回し、ゼースはつまらなそうな顔をして言ったが、次にはそれを酷薄な笑みに変えて突きつけるように指を差した。
「まあいい。奴がいたらめんどいからな。俺が一番殺りてぇのは、そこのハーフとアルヴィディアンだ」
 シャルンは、今度こそ敵を、というようにトンファーを握っている手に力を込めた。
「四人まとめてきやがれ。ぶっ殺してやるからよ!」
 ゼースは挑発するように武器の爪の一本をくいっとさせた。アランが鼻を鳴らす。
「てめぇ一人で俺ら四人に勝てると思ってんのか?」
「当たり前だ。キサマらごときに俺が負けるわけねぇ!」
 ゼースは自分を過剰評価している。いや、そうかもしれないが、実際にゼースは強い。
「前に負けたじゃん……」
 サニーがぼそっと呟くが、前に戦ったとき、あれが本気ではなかったとしたら……。セトルは気を引き締めてゼースを睨む。
「あなたはどうしてアルヴァレスに協力してるんですか?」
 レーヴァテインを構え、いつでも斬りかかれる状態でセトルは訊く。
「へっ、別に全面的に協力しちゃいねぇよ。俺はただ、奴についていたらより強ぇやつをぶっ殺せると思っただけだ。ま、いずれアルヴァレスの野郎も俺が殺してやるがな!」
 ゼースが動いた。
「来るわ!」
 シャルンが叫ぶ。ゼースは身を低くして走る。
「だからてめぇらはここで死んどけ!」
 速い! ゼースの大きく広げた五本の爪がアランの顔を掴むように迫る。よけきれない!
 だが、何とかセトルが間に合い、霊剣で爪を上に弾いた。右手が上に上がり、ゼースに隙ができる。すかさずアランが長斧を振るうが、余った左手でそれを止められる。
「おらぁ!」
 ゼースはそのまま長斧を掴むと、片手でアランごと持ち上げ、回転して投げ飛ばした。セトルもそれに巻き込まれ一緒に吹き飛ぶ。
「ゼース!」
 シャルンが迫り、そのトンファーがゼースの脳天をかち割らんとばかりに振り下ろされる。ゼースはそれを余裕に躱すと、両手の爪をクロスさせるように振り下ろし、シャルンを斬り裂いた。血が飛散する。しかし、傷は深くはないようだ。彼女は咄嗟に後ろへ飛んで致命傷を避けていた。
 もちろんゼースが追い打ちをかけないわけがなかった。彼女がまだ生きているとわかると、すぐに飛びかかって右手の爪を大きく振り翳す。そこへ――
「――双破飛連刃そうはひれんじん!!」
 セトルの霊剣が大上段から振り下ろされる。それに気づいたゼースは超反応と言える速度でそれを躱す。しかし、セトルの技はそれで終わりじゃない。次の振り上げと同時に、裂風がゼース目がけて駆ける。よけきれず、ゼースの左肩から血が噴き上げた。その間に、サニーの治癒術ヒールがシャルンを治す。
「くそがあぁぁぁ!」
 キレたゼースは額に血管を浮かべ、セトルに飛びかかる。
「――滅竜斬煌拳めつりゅうざんこうけん!!」
 ゼースの体が輝くと、一瞬その姿を見失った。二度、何かが通り抜けた感じがしたあと、再びゼースは目の前に現れた。
 次の瞬間、セトルは鮮血を噴き上げて崩れる。
「え!?」
 セトル本人にも何が起こったのかわからなかったようだ。少しして自分が斬られたことに気づく。
「てめぇ!」
 すぐにアランが駆け寄って横薙ぎの一閃を放つ。だが、ジャンプでそれを躱され、その状態から蹴りをくらい、アランは背中から倒された。
「フン、てめぇら全員、灰になりやがれ!」
 叫ぶと、ゼースを中心に大規模な赤い霊術陣が広がる。今は皆に逃げる余裕などなかった。セトルに関しては、意識はあっても動ける状態じゃない。何の躊躇もなく術を唱えるゼースは笑っていた。楽しそうに笑っていた。
「パイロクラ――!?」
 ゼースは唱え終わろうとした瞬間、足下から暗黒が立ち昇った。シャルンの方が一瞬だけ速かった。暗黒はゼースを包み込み、術を中断させることに成功した。
「くそがあぁぁぁぁぁ!!」
 ゼースの悲鳴に近い叫び声が上がる。だが、こんな程度では倒れないことは承知である。
「サニーは早くセトルを治してあげて! アラン、わたしに力を貸して!」
「うん。セトル、今すぐ治すから!」
 シャルンに頷き、サニーはセトルの元へと駆け寄る。アランも、わかった、と言い、彼女の前に立ってゼースと向き合わせた。
「行くわよ」
 シャルンはアランが配置についたのを認め、両手のトンファーをくるくると回しながら唱え始める。
「――深き闇、虚無の彼方より現れん!」
 黒いオーラのようなものがアランを纏った。同時に、凄まじいエネルギーを彼は体全体で感じる。連携、前までのシャルンではできなかったことだ。
「死滅の刃、今ここで彼の者を貫く魔槍とならん!」
 暗黒から抜け出たゼースは、目の前の光景にたじろいだ。恐怖さえ覚えた。長斧だったアランの武器は巨大な黒い槍に変わり、宙に浮いてこちらに狙いを定めている。
「――デス・スピア!!」
「――デス・スピア!!」
 よけなくては、とゼースは思ったが、まだ動けるはずの体が動かない。こんなことは初めてだった。初めての恐怖。目の前の魔槍はそれをゼースに与えた。
 魔槍が迫る。
「くそ! 動け! チクショウゥゥゥゥゥ!!」
 凄まじい衝撃が走った。皆は思わず腕で顔を庇い、その瞬間を見届けることはできなかった。
 ゆっくり目を開くと、そこには血を流して倒れているゼースと、アランの長斧がその傍に落ちていた。
 アランは恐る恐る近づいて武器を拾う。シャルンが、もう動かないゼースに見て言う。
「やっと、やっと仇……討てた」
 その瞳は僅かに涙で潤んでいた。
「シャルン」
 サニーがセトルと一緒に歩み寄って言う。セトルの傷は治ったが、少し休む必要がありそうだ。
「先に進もう」
 だが、セトルは休もうとはしなかった。誰もが無理をしているのだとわかった。だからアランが、
「いや、少し休もう。俺たちももうくたくただ」
 と気を利かせる。するとセトルは仕方ないといった様子で、わかった、と頷く。でも流石にここで休憩するわけにはいかないので、場所を移すことにした。
 その時、再び蒼霊砲に眩い不気味な光を放つ超巨大な霊術陣が現れた。二発目だ!
「しまった!?」
 それを見上げ、セトルは叫んだ。光が収束し、轟音と共に放たれる。光の線は放たれたあと、不自然に曲がって戦場へと突っ込んでくる。
 周囲が光に呑み込まれる。セトルたちは死を覚悟した。
 痛みはなかった。一瞬で消え去れば、そんなものは感じないのだろうか。
「セトル! おい、セトル!」
 アランの声が聞こえる。幻聴? ではないようだ。セトルはゆっくりと目を開くと、アランが覗き込んでいた。
「アラン、一体……」
 上半身を起こし、辺りを見回す。サニーとシャルンが気を失っているだけで、他は特に変わってはいなかった。やがて彼女たちも起き上がる。
「見てみろ」
 と、アランが顎をしゃくった。セトルたちは言われた通り空を見上げる。夜なのに、空は昼よりも明るかった。
「あれは……」
 蒼霊砲の光線が途中で停止している。いや、何らかの力によって止められている。八方向から集まった様々な色の光がそれを受け止めていた。すぐにわかった。あれは精霊の光。ウェスターたちが間に合ったのだ。
 両者の光は、互いに打ち消し合って弾け飛んだ。
『もうあれは撃たせん。早く行くがよい』
 センテュリオの声が頭に響いた。辺りを探したが、どこにもいない。恐らく、遠くからそう言ってきているのだろう。
 同時に優しい光が体を包むと、力が漲ってきた。不思議と疲れも取れていた。
「ありがとうございます、センテュリオ!」
 セトルたちは、どこにいるともわからないセンテュリオに礼を言って、走り始めた。
「これで一安心だね」
 サニーが微笑んだ。
 今のことで、多くの敵味方両方の人たちが気を失ってあちこちに倒れている。その方がいいだろう。だが、守護機械獣ガーディアンだけは動いていて、セトルたちの行く手を阻む。それらを蹴散らしながら、セトルたちは前へと進んだ。

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