ILIAD ~幻影の彼方~
054 病床のシャルン
「……フラードル風邪ですね」
次の日。大学の医務室でハーマン医師がそう診断した。彼には昨日の夜にシャルンを診察してもらい、セトルたちはそのまま大学内で一夜を過ごしたのだ。
「フラードル風邪って?」
サニーが心配そうに訊く。彼女はシャルンが病気にかかったことは自分のせいだと思い込んでいるため、人一倍重く感じているのだろう。さっきからそわそわして落着きがない。
落着きがないというならアランもそうだった。手を常にグーパーさせ、部屋の中をうろうろしている。
(アランも自分のせいだと思ってるのかな?)
セトルはそんな彼を見て心の中で首を傾げた。
「フラードル風邪というのは別名ですね。正式名もありますが普通こちらを使います。この風邪は毎年この時期になるとニブルヘイム地方で流行るもので、四十度近い高熱が出ます。でも、ゆっくりと休んでいればすぐによくなりますよ」
それを聞いてセトルたちはホッとした。シャルンは医務室のベッドで横になっている。今は薬が効いているのか、呼吸がだいぶ落ち着いている。
だがそれはただの熱冷ましだとハーマン医師は言っている。薬が切れるとまた高熱が出るそうだ。フラードル風邪には別の薬も必要らしい。しかし今はストックがなく、あとで調合すると彼は言った。彼は薬剤師でもあるのだ。
「ところで皆さんは首都へ向かわれるとか?」
「はい。でも、シャルンがこの状態ですから僕たちは残ろうかと思っています」
セトルが答えて、ウェスターを見る。彼はゆっくりと頷いた。首都へ行き、ブライトドールを作って戻ってくる。用事はそれだけなのでセトルたちまで行く必要はない。ウェスター一人でも十分だ。しかし、
「いえ、ここは皆さんも行かれるべきです」
「どうしてですか?」
「フラードル風邪は感染力が非常に強い。皆さんにもうつらないとは限りません。この部屋も一応隔離の形をとっていますので」
セトルたちは顔を見合わせた。
「でも、それじゃシャルンが一人になっちゃう」
サニーが眉を顰める。ブライトドールが完成すればすぐに戻って来られるのだが、彼女を一人にしておくことはセトルも反対だった。しかし、風邪が広まって街の人に迷惑をかけるのもしたくない。ここはやはりハーマン医師の言う通りにするべきだろうか。
「だったら……だったら俺が残る!」
アランが強い口調で言ってきた。その横顔には絶対退かないといったものがある。ハーマンは困っているようだが、そこにウェスターが、
「そうですね。アランなら適任です。風邪を引きそうにないですから」
と含みのある笑みを浮かべて言う。アランが振り向く。
「どういう意味だ?」
「さぁ?」
ウェスターは掌を上に向けるようにして両手を広げた。アランはしばらく彼を睨んでいたが、やがて溜息をついてセトルたちの方を向く。
「ということだ。そっちは任したぜ」
「ええんか、アラン?」
確かめるようにそう訊いたしぐれにアランは大きく頷いた。
「話もまとまったところですし、早めに行ってさっさと戻ってきましょう」
含み笑いの消えないままウェスターはそう言った。
「では私も薬を調合してきます」
ハーマンは皆に頭を下げ、医務室を出た。薬の調合は専用の部屋で行うらしい。
セトルたちが退室しようとすると、アランが外まで見送りすると言うので、彼も一緒に部屋を出る。するとそこにノックスが立っていた。
「その顔じゃ、大丈夫だったみたいだね。よかったよかった♪」
彼は笑顔でそう言ったが、その笑顔は安心して出たものではなく、何かを楽しんでいるように感じられた。
「僕たちは首都へ行きますけど、ノックスさんは仕事がんばってくださいね。ついてこないでくださいね!」
セトルは爽やかでどこか恐ろしい笑顔を作った。ノックスは見舞いに来たわけではなく、首都へ行くセトルたちについていくために来たのだということは会った瞬間にわかった。独立特務騎士団に協力する形でいろいろな仕事を受け持っているはずだが、より面白そうな方向に流されてしまうのが彼だ。
「たまには息抜きも必要なんだよぅ」
「昨日来たばっかりやんか!」
「ちょっと静かにしてよ、しぐれ! そこでシャルンが寝てるんだから!」
そう注意したサニーの声はさらに大きかった。
「サニーもだよ。話は歩きながらしよう」
嘆息し、セトルはウェスターに並んで大学の廊下を出口の方に向かって歩き始める。当然ノックスもついてくる。――と思ったが、独立特務騎士団の兵が二人やってきて彼の腕を掴んだ。
「ノックス様、ここにおられたのですか。アイヴィ副師団長が呼んでいます。力ずくでも連れてくるようにとのことです。――失礼します!」
「わ、ちょっと放し――セトルく~ん、へル~プ」
ああ、またこのパターンだ。願ったり叶ったりだが、何か不憫である。コイロン洞窟では仕方なかったが、今回は彼につき合っている暇はない。
「またむしぃ~。この薄情者―!! いけずー!!」
「ノックス様、静かにしてください!」
こうして見ると、彼は非常に弱く見えるのは気のせいだろうか?
外に出るとアランは立ち止まる。
「じゃ、俺はここまでだ。できるだけ早く戻ってきてくれよ」
彼はセトルたちが頷くのを認めると、シャルンのことは任せとけ、と言って微笑んだ。すると、いたずらっぽい笑顔でサニーが返す。
「じゃあね、アラン。シャルンに変なことしたら承知しないからね!」
「するかよ!!」
「ねぇ、変なことってなに?」
「せ、セトルは知らんでもええんちゃう?」
そんな会話のあと、四人はセイルクラフトで飛び立ち、アランはそれを見届けてから大学内に戻った。
廊下を歩いていると、さっきは気づかなかったが『調合室』というものが目に入った。今この中ではハーマンがシャルンの薬を調合しているのだろう。邪魔をしてはまずいので、アランは静かに通り過ぎようとした。その時――
「セレズニアの花が切れているだと?」
とハーマンの声が聞こえ、アランは立ち止った。嫌な予感がする。
「はい、昨日使ったので最後でした」
これは恐らく助手か誰かの声だ。アランは黙って立ち聞きする形になった。聞かなきゃいけないと思った。
「なんてことだ……これじゃ薬が調合できない。このままじゃ間に合わないぞ」
衝撃が走った。どういうことだ? すぐに治るんじゃなかったのか? 薬がないからシャルンは死ぬのか? そういった考えが頭の中をぐるぐると巡り、彼はひどく混乱した。話し声はさらに聞こえてきた。アランの体は硬直し、耳だけが鮮明に会話の音を拾っている。
「これから採りに行かれては?」
「無理だ。アクエリスの海底洞窟奥にしか咲かない貴重な花だぞ。何日かかると思ってるんだ!」
途端、アランの硬直が解けた。解けると同時に彼は走り出した。すれ違う教授などから、廊下を走るな、と注意を受けるが、そんなのにいちいち構っている暇はない。
(すぐ治るって嘘だったのかよ! そんなに重い病気だったのかよ!)
慌てているが、頭は冷静になろうと努めた。キーワードは『セレズニアの花』と『海底洞窟』だ。セイルクラフトを飛ばせばきっと間に合う。今から自分が採りに行けばいい。だが、セレズニアの花がどういったものかわからない。洞窟に咲くということはかなり特殊な花であることは間違いない。
(図書館なら図鑑があるはずだ!)
そう思い、アランはまず王立図書館の方に全力で走った。戻って訊いた方が速いのだが、今のアランはそんなこと思いつきもしなかった。
次の日。大学の医務室でハーマン医師がそう診断した。彼には昨日の夜にシャルンを診察してもらい、セトルたちはそのまま大学内で一夜を過ごしたのだ。
「フラードル風邪って?」
サニーが心配そうに訊く。彼女はシャルンが病気にかかったことは自分のせいだと思い込んでいるため、人一倍重く感じているのだろう。さっきからそわそわして落着きがない。
落着きがないというならアランもそうだった。手を常にグーパーさせ、部屋の中をうろうろしている。
(アランも自分のせいだと思ってるのかな?)
セトルはそんな彼を見て心の中で首を傾げた。
「フラードル風邪というのは別名ですね。正式名もありますが普通こちらを使います。この風邪は毎年この時期になるとニブルヘイム地方で流行るもので、四十度近い高熱が出ます。でも、ゆっくりと休んでいればすぐによくなりますよ」
それを聞いてセトルたちはホッとした。シャルンは医務室のベッドで横になっている。今は薬が効いているのか、呼吸がだいぶ落ち着いている。
だがそれはただの熱冷ましだとハーマン医師は言っている。薬が切れるとまた高熱が出るそうだ。フラードル風邪には別の薬も必要らしい。しかし今はストックがなく、あとで調合すると彼は言った。彼は薬剤師でもあるのだ。
「ところで皆さんは首都へ向かわれるとか?」
「はい。でも、シャルンがこの状態ですから僕たちは残ろうかと思っています」
セトルが答えて、ウェスターを見る。彼はゆっくりと頷いた。首都へ行き、ブライトドールを作って戻ってくる。用事はそれだけなのでセトルたちまで行く必要はない。ウェスター一人でも十分だ。しかし、
「いえ、ここは皆さんも行かれるべきです」
「どうしてですか?」
「フラードル風邪は感染力が非常に強い。皆さんにもうつらないとは限りません。この部屋も一応隔離の形をとっていますので」
セトルたちは顔を見合わせた。
「でも、それじゃシャルンが一人になっちゃう」
サニーが眉を顰める。ブライトドールが完成すればすぐに戻って来られるのだが、彼女を一人にしておくことはセトルも反対だった。しかし、風邪が広まって街の人に迷惑をかけるのもしたくない。ここはやはりハーマン医師の言う通りにするべきだろうか。
「だったら……だったら俺が残る!」
アランが強い口調で言ってきた。その横顔には絶対退かないといったものがある。ハーマンは困っているようだが、そこにウェスターが、
「そうですね。アランなら適任です。風邪を引きそうにないですから」
と含みのある笑みを浮かべて言う。アランが振り向く。
「どういう意味だ?」
「さぁ?」
ウェスターは掌を上に向けるようにして両手を広げた。アランはしばらく彼を睨んでいたが、やがて溜息をついてセトルたちの方を向く。
「ということだ。そっちは任したぜ」
「ええんか、アラン?」
確かめるようにそう訊いたしぐれにアランは大きく頷いた。
「話もまとまったところですし、早めに行ってさっさと戻ってきましょう」
含み笑いの消えないままウェスターはそう言った。
「では私も薬を調合してきます」
ハーマンは皆に頭を下げ、医務室を出た。薬の調合は専用の部屋で行うらしい。
セトルたちが退室しようとすると、アランが外まで見送りすると言うので、彼も一緒に部屋を出る。するとそこにノックスが立っていた。
「その顔じゃ、大丈夫だったみたいだね。よかったよかった♪」
彼は笑顔でそう言ったが、その笑顔は安心して出たものではなく、何かを楽しんでいるように感じられた。
「僕たちは首都へ行きますけど、ノックスさんは仕事がんばってくださいね。ついてこないでくださいね!」
セトルは爽やかでどこか恐ろしい笑顔を作った。ノックスは見舞いに来たわけではなく、首都へ行くセトルたちについていくために来たのだということは会った瞬間にわかった。独立特務騎士団に協力する形でいろいろな仕事を受け持っているはずだが、より面白そうな方向に流されてしまうのが彼だ。
「たまには息抜きも必要なんだよぅ」
「昨日来たばっかりやんか!」
「ちょっと静かにしてよ、しぐれ! そこでシャルンが寝てるんだから!」
そう注意したサニーの声はさらに大きかった。
「サニーもだよ。話は歩きながらしよう」
嘆息し、セトルはウェスターに並んで大学の廊下を出口の方に向かって歩き始める。当然ノックスもついてくる。――と思ったが、独立特務騎士団の兵が二人やってきて彼の腕を掴んだ。
「ノックス様、ここにおられたのですか。アイヴィ副師団長が呼んでいます。力ずくでも連れてくるようにとのことです。――失礼します!」
「わ、ちょっと放し――セトルく~ん、へル~プ」
ああ、またこのパターンだ。願ったり叶ったりだが、何か不憫である。コイロン洞窟では仕方なかったが、今回は彼につき合っている暇はない。
「またむしぃ~。この薄情者―!! いけずー!!」
「ノックス様、静かにしてください!」
こうして見ると、彼は非常に弱く見えるのは気のせいだろうか?
外に出るとアランは立ち止まる。
「じゃ、俺はここまでだ。できるだけ早く戻ってきてくれよ」
彼はセトルたちが頷くのを認めると、シャルンのことは任せとけ、と言って微笑んだ。すると、いたずらっぽい笑顔でサニーが返す。
「じゃあね、アラン。シャルンに変なことしたら承知しないからね!」
「するかよ!!」
「ねぇ、変なことってなに?」
「せ、セトルは知らんでもええんちゃう?」
そんな会話のあと、四人はセイルクラフトで飛び立ち、アランはそれを見届けてから大学内に戻った。
廊下を歩いていると、さっきは気づかなかったが『調合室』というものが目に入った。今この中ではハーマンがシャルンの薬を調合しているのだろう。邪魔をしてはまずいので、アランは静かに通り過ぎようとした。その時――
「セレズニアの花が切れているだと?」
とハーマンの声が聞こえ、アランは立ち止った。嫌な予感がする。
「はい、昨日使ったので最後でした」
これは恐らく助手か誰かの声だ。アランは黙って立ち聞きする形になった。聞かなきゃいけないと思った。
「なんてことだ……これじゃ薬が調合できない。このままじゃ間に合わないぞ」
衝撃が走った。どういうことだ? すぐに治るんじゃなかったのか? 薬がないからシャルンは死ぬのか? そういった考えが頭の中をぐるぐると巡り、彼はひどく混乱した。話し声はさらに聞こえてきた。アランの体は硬直し、耳だけが鮮明に会話の音を拾っている。
「これから採りに行かれては?」
「無理だ。アクエリスの海底洞窟奥にしか咲かない貴重な花だぞ。何日かかると思ってるんだ!」
途端、アランの硬直が解けた。解けると同時に彼は走り出した。すれ違う教授などから、廊下を走るな、と注意を受けるが、そんなのにいちいち構っている暇はない。
(すぐ治るって嘘だったのかよ! そんなに重い病気だったのかよ!)
慌てているが、頭は冷静になろうと努めた。キーワードは『セレズニアの花』と『海底洞窟』だ。セイルクラフトを飛ばせばきっと間に合う。今から自分が採りに行けばいい。だが、セレズニアの花がどういったものかわからない。洞窟に咲くということはかなり特殊な花であることは間違いない。
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