ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

050 語られる秘密

 ティンバルクに戻り、シヨウロを渡したセトルたちは、ノックスの案内でスルトの森の獣道ですらないところを、茂った草やわざと躓かせるために伸びているんじゃないかと思ってしまう木の根を跨ぎながら必死に進んだ。
 ずいぶんと歩いた気がする。
 今となっては東西南北どちらの方向に進んでいるのかわからなくなった。それをノックスは何の迷いもなく突き進む。物凄い方向感覚だ。サニーにも見習ってほしい。
 広い場所を見つけては休み、さらに奥へ進むとやがて木造一階建ての古い家が姿を現した。物静かで、寂しい。ここに語り部のおばあさんが一人で住んでいたのだと思うと、どこか物悲しい。
 ノックスは語り部が亡くなっていることを知っていた。前にティンバルクへ立ち寄ったときに聞いたと言っている。家を知っているくらいだから、語り部とはやはり知り合いなのかもしれない。
 着いた途端、ノックスは家の戸を勝手に開けて堂々と中に入った。
「ノ、ノックスさん、勝手に入って大丈夫なんですか?」
 彼の躊躇ない行動にセトルは少し焦った。ここは無人の家だし、村の人も知らない場所。入るのに許可が必要なら既に亡くなっている語り部の人だ。それでもいきなりは失礼な感じがした。
「いいの、いいの♪ みんなは入らないのかい?」
 彼は全く悪びれていない。でもそのために来たのだ。ここは堂々と入るべきなのかもしれない。皆は頷き合い、彼に招かれたように家の戸をくぐった。セトルは心の中で一言謝った。
「ここが語り部の家……何というか、すげぇな」
 家の中にぎっしりと詰められている本に圧倒されてアランがそう呟く。まだ微かに人が生活をしていた跡が残っている。亡くなられたのが半月前だから当たり前ではある。地下室もあるようで、その下にも本がたくさんあるのだろうと思われた。この中から必要な資料を探すのは至難の業だ。時間と根気が必要である。
「精霊の情報があればいいんですけど……」
 一番近くの本棚の前に立ち、セトルは適当に本を選び始める。すると――
「精霊とは霊素スピリクルの意識集合体にして霊素スピリクルを生み出す母体的な存在。そして人が生まれる前からこの世界に存在し、世界を見守っている者。アルヴィディアの水の精霊コリエンテ、風の精霊アイレ、火の精霊エルプシオン、相反するノルティアの精霊、雷のレランパゴ、地のティエラ、氷のグラニソ。霊素スピリクルの属性ごとに彼らは存在する」
 ノックスが中央のテーブルに片手を置き、不敵な笑みを浮かべてセトルたちを横目で見る。
「ノックスさん、一体何を――」
 セトルが眉を顰めて、何を言ってるんですか? と言おうとしたのをウェスターが手で制する。
「コイロン洞窟で見せた実力、語り部の家を知っていたこと、それに精霊のことについては私よりも詳しい。あなたは一体何者ですか?」
 一流のトレージャーハンター、世界でも名の知れた美食家。いや違う。それだけでは説明できない。そういう人たちには精霊の知識なんて必要ないはずである。
 フフ、と不敵な笑みを浮かべてノックスは口を開く。
「語り部だったグウィッザ・マテリオは、ボクのおばあちゃんさ」
 彼はキザっぽく前髪を払い、
「ようこそ、ボクの家へ」
 とニコニコした笑みに戻って言う。皆は驚愕した。語り部に孫が居たなんて聞いてない。いや、一人暮らしだと聞かされて親族は居ないものだと思い込んでいた。だからあのとき訊かなかった。
「ノックスが語り部の孫だったなんて……信じらんない」
 サニーが口を手で塞ぐようにして呟く。嘘や、としぐれも言いたそうだ。そうかもしれないし、とても語り部のようには見えない。イメージと全然違う。自己陶酔さが仮面になっているからだ。だが、どうも嘘とは思えない。事実彼はいろいろなことを知っている。なぜ隠していたのか? いや、隠しているつもりはなかったのかもしれない。それは考えてもわからないだろう。とにかくセトルはそこを訊いてみた。
「何で今まで黙ってたんですか?」
「そうだねぇ、強いて言うなら……面白そうだったから」
「え?」
「だってそうでしょ? 語り部の孫だなんて、名乗ったところでピンとこないでしょ? いやぁ、おかげで面白い顔が見られたよ♪」
 ははは、と彼は笑う。何か振り回された感がある。なんやて! と叫びながら今にも飛びかかりそうなしぐれをセトルは抑えているが、少しムッときたのは一緒だ。
「ウェスターと気が合いそうね」
「一緒にしないでくださいよ、シャルン」
 ウェスターは呆れたように肩を竦める。そして、このまま放っておいたら永遠と続きそうなので、
「お楽しみのところすみませんが、こちらの話をしてもよろしいですか?」
 と打ち切らせた。楽しんでない! と突っ込むが、セトルもしぐれも気持ちを無理やり切り換えて後ろに下がる。そうなるとノックスも飄々(ひょうひょう)とした表情を引き締める。
 そして――
「何が知りたい? ボクはおばあちゃんに散々叩きこまれたからね。大抵のことは答えられる自信があるよ」
 今までに聞いたことのない真剣な声だった。気のせいだろうか、そこに威厳を感じる。おちゃらけた彼はどこかに消えてしまったようだ。ウェスターが小さく息を吸う。
「今のところ質問は二つです。一つは精霊の居場所について。水・風・火・雷・土の精霊とは契約済みですから、残りの精霊で知っているものがあればお願いします」
 ノックスはテーブルの椅子に座り、手を顔の前で組んで目を閉じた。そうやってメモリの中に接続アクセスし、記憶データ検索サーチしているようである。やがて彼は目を開いて顔を上げた。
「……星が一つになったあとの彼らの居場所は全て記録しているけど、それだとあと教えられるのは氷精霊『グラニソ』だけだね。彼女はニブルヘイムの南、《霧氷牢の神殿》というところに居るよ」
 やはり《ニブルヘイム地方》だった。だが、彼は他にも気になることを口にした。
「星が一つって、御伽おとぎばなしじゃなかったの!?」
 とサニー。それともう一つ疑問が、
「光精霊とか闇精霊とかは教えられないのか? 全部わかってんだろ?」
 とアランが言ったこと。どちらかと言えばこちらの方が重要だろう。彼から真実が明かされるたびにこういった疑問が生まれそうだ。
「はぁ、そんなに一気に質問しないでくれよ。長々と話すのは疲れるんだよねぇ」
「……よう言うわ」
 としぐれがぼそっと呟く。あれほど飽きずに長話を繰り返せるのに。セトルは苦笑しか浮かばない。
「まあいいさ。アルヴィディアにノルティア、それは元々隣接する惑星として存在していた。これは事実だよ。御伽噺なんかじゃない。なぜ隣接して存在できたか、それは謎だけどね。他の精霊を教えられないのは氷精霊グラニソと契約すればわかるよ」
 どこか納得できないが、彼がそう言うなら何か言えないわけがあるのだろう。とにかく氷精霊と契約してみるしかない。
 他に質問はないとわかると、彼はウェスターを見た。
「二つ目は?」
 ウェスターは眼鏡の位置を直してから言う。
「二つ目は古霊子核兵器スピリアスアーティファクトについてです。あれがどういったものか、歴史を語り継ぐ者なら知っていると思いますが?」
古霊子核兵器スピリアスアーティファクトだって!?」
 ノックスの表情に焦りの色が見えた。やはり知っているようだ。だが、彼が驚くほどのもの、古霊子核兵器スピリアスアーティファクトとは一体何なのだろうか?
「一体どこでその……いや、そんなことよりそれを知ってどうする気だい?」
 彼は睨むようにウェスターを見た。場合によっては、とも考えているかもしれない。
「そうですね。あなたには知っておいてもらった方がいいでしょう。――アルヴァレス・L・ファリネウス公爵、彼がその封印を解き、ノルティアン以外の人々を消滅させようと企んでいます。我々はそれを阻止しないといけません。そのためには古霊子核兵器スピリアスアーティファクトのことも詳しく知っておく必要があるでしょう?」
 彼は一気に説明した。ノックスはしばらく黙って何かを考えている。それとも記録を探っているのか、どちらにせよ彼が口を開くまで待たなければならない。
 沈黙が続く。長いようだが、そんなに時間は経っていないだろう。
 こうして見ると、やっぱり目の前にいるのがあのノックスだとは思えない。キャラが違いすぎる。どちらが本当の彼か、どちらも本当か。まじめな話をしている時でも時々いつもの彼を思わせるような仕草や言い方をするから恐らく後者だろう、と沈黙の間にセトルは考えた。
「……なるほど、それで精霊をね」
 彼は立ち上がった。そして少し待つように言って、地下室へと下りて行った。わかってくれたのだろうか?
「はぁ、何か緊張するね」
 サニーが胸に手を当てて息をつく。
「ホント、語り部が居ないと聞かされた時はどうしようかと思ったよ」
「まあ、何にせよ結果オーライってやつさ」
 アランがはにかんでホッとしているようなセトルを見る。
 しばらくしてノックスが戻ってきた。
「いやぁ、待たせちゃって悪いね。これを見てくれるかな」
 そう言って持ってきた本のしおりを挟んである部分を開く。文字ばっかり書かれている。しかも古代語のようだ。セトルにはさっぱりである。ウェスターだけはわかったように顎に手を当て、ふむ、と呟く。
「ここに書かれていることを踏まえながら簡単に説明すると、古霊子核兵器スピリアスアーティファクトと呼ばれる物は過去に一つしか存在していない。名を《蒼霊砲そうれいほう》という。古代アルヴィディアの塔のような建物、それ自体が兵器なんだ。シルティスラントができたあと、アスハラ平原に封印され、その封印基盤は各地方に複数存在している。ファリネウス公爵はノルティアン以外を消すつもりなんだろう? 確かに蒼霊砲ならそれが可能だ。意外かもしれないが、あれには霊術と同じで指向性をつけることができる。戦争中、敵味方が入り混じる中に撃っても味方は生き残るというものなんだ。――ははは、古代の技術はすごいね、まったく」
 最後の方は何か感想みたいになっていたが、今のノックスの説明を聞いて古霊子核兵器スピリアスアーティファクトがどういったものなのかだいたいわかった。蒼霊砲と聞いた時、セトルは何かを感じた。聞き覚えがあるようなないような、もしかしたら記憶の手がかりになるものなのかもしれない。
「なるほど、参考になりました」
 言うとウェスターは真剣な表情で皆を見回す。
「皆さんに確認します。ここからはより危険なものになるでしょう。記憶を取り戻したり、仇を打ったりするためだけに命を落とす必要はありません。個人の勝手な感情だけでついてこられても困ります。あなた方は軍人や王国の役人ではないのです。 別に降りたところで咎められることはないでしょう。――どうしますか?」
 一同は無言で顔を見合わせた。そして力強く頷く。
「ここまで来たら、僕たちはもう世界を背負っているのと同じです。ここで降りても何も言われないかもしれない。でも、必ず後悔します。自分が許せなくなる。――僕たちの気持は変わりません!」
 セトルが言ったことを聞いて、ウェスターは嬉しそうに微笑んだ。
「そう言ってくれると思いました。こういう考えはあまり好きではありませんが、この六人がここに揃ったのは偶然ではないと思います。《運命》といったところでしょうか。誰か一人でも欠けると、為し得ないように感じます」
 ウェスターらしくない言葉だった。だが、それが信頼の証でもあると思われる。彼はノックスを向く。
「それでは早速次の精霊の居場所へ向かいます。ノックス、いろいろとありがとうございました」
 セトルたちは礼を言って外に出た。だが――
「やから、何でついてくるんや!」
 最後尾のノックスの姿を見てしぐれが叫ぶ。
「面白そうだから。まあ、気にしない気にしない♪」
 彼はニコニコしながら言った。元の彼に戻っている。先程ウェスターが「個人の勝手な感情だけでついてこられても困ります」と言ったばかりなのに困ったものだ。
「あんたって奴は、気になるっての!」
 しぐれは拳を握って今にも殴りかかりそうだ。しかし、
「君たち帰り道わかるのかい?」
 と言われて、あっ、という表情になる。
「では、ティンバルクまでの案内を頼みます。そのあとはついてこないでくださいよ? あなたは戦力にはなりますが、我々と行動を共にさせるわけにはいきません」
「そんな~、いいじゃないの~」
「いけません。それと、できるだけティンバルクに滞在していてくださいね」
 彼をつれていかない理由がウェスターにはあるのだろう。ティンバルクまでの道中、ノックスはまるで駄々っ子のように振舞っていた。

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