ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

039 凍てつく炎鳥

 ―――――キシャアァァァァァァ!!
 そんな魔物の鳴き声が聞こえてきたのは、山岳を下りに入ってからのことだった。
 今まで不思議なくらい魔物と出会わなかったのだが、やはりそううまくはいかないらしい。
 だが、まだ見つかってはいないはず。セトルたちは自然と足早になり、木や岩の陰に隠れながら、周囲を警戒して先を急いだ。
 しかしその行動が無駄だったと知ったのは、そのあとすぐのことだ。
「キシャアァァァァァァ!!」
 その鳴き声はさっきよりも近い。というか、魔物はすぐ目の前に舞い降りてきた。それは、セイルクラフトよりも一回り大きい青い身体をもつ怪鳥、『フレスベルク』だった。羽ばたくたびに強風が起こる巨大な翼、黒光りする鋭い嘴、掴まれたらひとたまりもなさそうな鉤爪、そして獲物を見つけた恐ろしい目がセトルたちをロックオンしている。
「うわぁ、でっかい……」
 単純な感想をサニーが漏らした。
「久しぶりにいい狩りができそうだぜ」
 アランは笑みを浮かべたが、皮肉めいていた。セトルも今から戦いになるだろうというこの場所を目だけで見回した。足場はしっかりしている。道幅も十分。だが、崖には転落防止の柵はない。落ちたらまず助からないだろう。
「来るわ!」
 シャルンがトンファーを抜いた。途端、フレスベルクはその鋭い鉤爪を光らせて襲いかかってきた。皆は散り散りに分かれそれを躱す。鉤爪は地面を捉え、その場所が抉れる。
 体勢を崩したフレスベルクにセトルの剣が襲いかかる。だが、その剣はフレスベルクの羽を僅かに散らしただけだった。フレスベルクは天高く飛び上がり、翼を大きく広げて、もの凄いスピードでセトルに向かって急降下する。
「荒れ狂う大地の怒り――」
 ウェスターの霊術が間に合った。
「――ロックバインド!!」
 セトルの目の前の地面から岩塊が突き上げ、フレスベルクはそれに体当たりする形になった。岩塊が砕ける。そしてフレスベルクの左右からアランとしぐれがそれぞれの武器を構え、風のごとく走ってくる。
「くらえ!」
 アランは長斧を振るうが、それは風を斬っただけだった。フレスベルクはあの巨体からは想像がつかないほど俊敏な動きをする。だが、しぐれの刀はそれを捉えようとしていた。
「鋭き霊素を刃に、アキュート!!」
 その時、サニーの声が響く。しぐれの体にオレンジ色の霊素スピリクルが付加し、力がみなぎり刃に鋭さが増す。飛び上がろうとしていたフレスベルクにその刃が振り下ろされる。鮮血がほとばしり、フレスベルクは地面に落下する。
「――双破衝そうはしょう!!」
 休む暇を与えず、体を回転させて遠心力をつけたシャルンのトンファーがフレスベルクを二度殴打する。バキッと右羽根の骨が折れた音がする。悲鳴が上がる。しかしフレスベルクは倒れず、嘴を大きく開ける。その奥に何か青いものが揺らめくのをシャルンは見た。彼女は咄嗟に跳び退り、フレスベルクから距離を取る。それは正解だった。フレスベルクは青い炎を放射した。距離を取ったおかげでシャルンは躱すことができた。
「な、何だ……?」
 驚愕したようにアランは目を大きく見開いた。フレスベルクの炎は地面や木々を黒焦げにしたのではなく、その逆に凍らしたのだ。
「あの炎に触れてはいけませんよ。一瞬で凍りついて、二度と溶けることはありませんから」
 ウェスターが言うと、セトルたちはぞっとした。
「早く倒さないと!」
 そう言ってセトルは走った。翼が折れて飛べない今が好機チャンスだ。動けないフレスベルクはただ闇雲に凍てつく炎アイスフレイムを乱射する。だが、そんなものがセトルに当たるはずがない。彼は炎をうまく躱しながら間合いを詰めた。剣に火霊素フレアスピリクルが付加し、赤く燃え上がる。
轟炎剣ごうえんけん!!」
 炎を纏った剣が爆風と共にフレスベルクの胴体を斬り裂く。斬られた瞬間その箇所は焼きただれ、その炎が倒れたフレスベルクの体を蝕んでいく。そして全てが燃え終わる前にフレスベルクは霊素スピリクルへと還った。
「終わったようですね。では先を急ぎましょう。夜までに山岳を越えたいですから」
 そう言って眼鏡の位置を直したウェスターは、皆が集まるのを待たずに踵を返した。少し休みたかったが、そうは言っていられない。山小屋のないこの山岳に夜留まることは危険だ。

        ✝ ✝ ✝

「今日はこの辺で休みましょう」
 どうにか山岳を越えたセトルたちは、日が沈みかけてきたので、街道の脇で野営することにした。
 フレスベルクとの戦闘もあって、セトルたちは空腹だ。そしていつものようにアランが食事の準備を始める。すると――
「前から思ってたんだけど、なぜいつもアランが食事を?」シャルンが訊く。「この人数だし、そういうのは当番制にした方がいいと思うわ」
 珍しく彼女がこういうことの意見をしてきたので、皆は目を点にした。
「珍しいですね。あなたがそのようなことを言うとは。まあ、その方が公平ですし、面白そうですけどね♪」
 楽しげに言ったウェスターの横で、セトルはテントを組み立てていた手を止め、シャルンを向く。
「シャルンはソテラとそうしてたの?」
「近いことはしてたわ」
 昔を懐かしむようにシャルンは答えた。ヴァルケンから戻ってきて、彼女はソテラのことにもとりあえずはふっ切れて、落ち着いたようだった。
「じゃあさ、くじで当番を決めようよ♪」
 サニーも乗り気だ。だが、しぐれだけはなぜか焦っているような表情をするが、そのことに誰も気づいてはいなかった。
 ウェスターが紙に食事などの当番を書いたくじを作り、それを皆が順番に引いて最後にウェスターが引く。あとはそれを日に日にローテーションしていくシステムだ。六人もいれば何の当番もなしという者もあるが、そうなった人も別に仕事がないわけではない。他の当番を手伝ったり、見張りをするといった仕事がある。
 今日の食事当番はしぐれだった。セトルは内心サニーじゃなくてよかったと思っていた。村にいたときに何度か彼女の手料理を食べさせてもらったことがある。彼女の料理は発想や見た目がおかしく、一口食べるのに勇気がいる。でもそれが不思議と不味くなかったりもする。
 安心していたセトルだが、目の前に運ばれたしぐれの料理に言葉を失う。
「……何これ?」
 それを見て、サニーが呆れたように目を細める。皿の上にはどう料理したらこうなるのかわからない異様な形の真っ黒な物体が乗ってあった。
「あ、アキナの郷土料理や! あはは……」
 明らかにしぐれは動揺している。誰もが嘘だと思った。
「ほう、アキナの方はこのようなものを食しているのですか。これは興味深いですね♪」
 ウェスターはそう言うが、それは皮肉だ。しぐれには悪いけど、流石にこれはどう見ても炭の塊にしか見えない。食べるのには、勇気がいる。
「嘘じゃん! 郷土料理って絶対嘘じゃん!」
 しぐれに指を突きつけて、サニーは今にも皿を投げつけそうな勢いで叫んだ。
「まあ、とりあえず食べてみようよ。もしかしたら美味しいかもしれないし……」
(自身はないけど……)
 セトルは冷や汗をかきながらも、フォークを手にする。
「セトル……」
 感激したようにしぐれは胸の前で掌を組んだ。
「そうだな。サニーという例もあるから、食ってみるか」
 アランも苦笑を浮かべてフォークを掴む。どういう意味よ、とサニーは彼を睨むが、シャルンもウェスターもフォークを持ったので、つられて目の前に並べられたそれを手に取る。
「一口だけだからね!」
 と、彼女は言い、それを合図に皆はしぐれの料理? を口に入れた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 長い沈黙が続いた。どや? としぐれは恐る恐る皆に感想を訊いた。だが、彼らは答えなかった。その味で言葉を完全に失っていたのだ。
 サクリとフォークに刺さった怪しげな真っ黒い物体を口にした途端、何とも言えない不思議な味が口の中に広がる。炭の味はしない。だが、炭の方がいい味を出しているかもしれない。この世のものとは思えない、まさに昇天しそうな味だ。一言で言うと、
「マズい……」
 で終わる。アランの呟きが聞こえ、しぐれはやっぱりと思いつつもショックを受けた。シャルンが吐きそうになるのを押さえるように口に手をあて、セトルは跪く格好をし、その手は震えている。
「いやぁ、食べなくてよかったですよ♪」
 一人だけ食べてはいなかったウェスターが、面白がるように笑みを浮かべている。
「あーもう! しぐれは料理禁止!!」
「ええ!?」
 サニーにそう言われ、しぐれはしゅんとしてセトルを縋るような目で見た。だが、彼は何も言ってはくれなかった。
「アラン、作り直してくれませんか?」
「御意……」
 ウェスターに言われ、アランは口を手で押さえたまま承諾した。

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