ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

036 精神隷属器

 オアシスの町《ヴァルケン》にやっとのことで帰ってきたセトルたちは、まず何よりも水を求め、泉へ向かった。
 帰りは行きよりもかなり時間がかかってしまった。疲れていることもあったが、途中でサニーが熱射病で倒れたためである。幸い近くに小さなオアシスがあったため、サニーが治るまでセトルたちはそこで休んでいた。
 砂の混じった乾いた風が吹く。
 街はオアシスを囲むようにいくつもの露店が出ていて、行き交う人々は皆、セトルたちが砂漠で使ったようなマントや布を纏っている。それは砂漠というものが、昼は肌をだしていると火傷するほど暑く、夜はかなり冷え込むためであるとウェスターに前もって教えられていたが、実際に砂漠を歩いたことでセトルは十分それが身に染みた。
「ぷはー! ホンマ生き返ったわぁ」
 コップ一杯の水を飲み干し、しぐれは大きく息をついた。
「本当、水がこんなにおいしく感じるなんて、アスカリアじゃなかったことだよ」
 ゆっくりと水を味わってセトルが言う。するとサニーがだらしなく腕を垂らして、
「何か今、すごくアスカリアへ帰りたい……」
 と故郷を懐かしむように呟いた。
「何でしたら帰ってもいいんですよ、サニー?」
「じょ、冗談じゃないわよ! 誰が……」
 ウェスターがからかうように言うと、彼女は眉を吊り上げ、顔の前で両拳を握った。
「はは、アスカリアは涼しいからな。正直、俺もどこでもいいから涼しい場所へ行きたいぜ」
 微笑を浮かべ、アランはハンカチで頬を流れる汗を拭いた。アスカリアという涼しい環境で暮らしていた三人にとって、砂漠というものはそうとうきついものだった。
「ニブルヘイムにでも行ったら?」
 ぼそっと棘のある口調でシャルンが呟く。
「ば、ばか、そんなとこ行けるか! 寒すぎるだろ!」
 皆から笑いが零れる。それにしてもシャルンはアランにだけこのような態度をとる。仲が悪いわけではなく、むしろ良いといった感じだ。一体この二人に何があったのか、セトルは不思議に思った。サニーは知っているようだが、面白がって教えてくれない。
「何でもええけど、はよう宿行かん? うちめっちゃ疲れてんねん」
 忍者の言葉とは思えないようなことをしぐれが言った。その時――
「シャルン、危ない!?」
 セトルが叫び、シャルンは咄嗟に横へ跳んだ。すると今まで立っていた場所に鉄の棒が振り下ろされ、地面を叩いて土煙を上げた。
 ウェスターが槍を構築し、襲ってきたアルヴィディアンの男を抑える。すると男は糸が切れたように気を失ってしまった。それを見た周囲の人々が悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げだす。
「これは……操られて……」
「――フッ、やはり無理か」
 ウェスターがそう呟いた途端、そのような声が聞こえ、一人の青年がセトルたちの前にある石造りの家の影から現れた。あれは――
「ルイス……」
 だった。シャルンは憎しみの溢れる声で四鋭刃『蒼牙のルイス』の名を呟き、すぐにトンファーを抜いて飛びかかった。
「ソテラの敵!!」
 シャルンのトンファーがルイスの顔面を打とうとする。しかしルイスは大剣の鞘を抜かないまま、それを立てるようにしてトンファーを防いだ。
 シャルンはもう片方のトンファーを打ちつけようとするが、叶わず、そのままルイスの大剣で薙ぎ払われ、尻餅をつく。
「くっ……」
「シャルン!」
 アランは真っ先に斧を構え、それにつられてセトルたちもそれぞれの武器を構えてシャルンを庇うように彼女の前に立つ。ザンフィもサニーの肩の上で毛を逆立て威嚇している。
「ルイス、あなたまさか《サヴィトゥード》を?」
 ウェスターは睨むようにルイスを見る。すると彼は悪びれる様子もなく鼻を鳴らした。
「フン、だったら何だ? 屑のアルヴィディアンに使っただけだ」
 ルイスは黒い円盤状の物体を掌の上に乗せるようにして取り出す。あれがサヴィトゥードだ。
「てめぇ!」
 アランが拳を突きつける。
「こんなことしていいと思っているのですか!」
 セトルも込み上げてくる怒りのまま叫んだ。だが、無闇に飛びかかれない。ルイスには隙がなかった。
「まあ確かに、俺もこういうのは好きじゃねぇが、やれって言われたら仕方ないな」
「何!?」
 ということは、幹部である彼に命令を下した者がいる。まさかアルヴァレスがこの町に?
「――ルイス、何をだらだらと話しているのですか!」
 その時低い男性の声が聞こえ、ルイスは舌打ちをした。
 乾いた足音を立ててそこに現れたのは、色黒の肌に、背が二メートル近くあるノルティアンの男性だった。大男という表現とは少し違い、彼は縦にだけ長く、簡単に言えばノッポだ。年は四十代後半くらいで、短く刈ったグレーの髪を後ろにはねるようにしてあり、それと同じ色の口髭を生やしている。ルイスと似た肩の部分が黄緑色の法衣のような服を纏い、腕には籠手をはめ、分厚い革製のブーツを履いている。
 何よりも目立つのは、背に背負っている死神を思わせる巨大な鎌である。
 射るような視線がセトルたちに向けられる。
「ロアード……」
 やはり、と言うような表情でウェスターが呟く。
「誰や?」
 目だけウェスターを向いてしぐれが訊く。
「彼の名はロアード。アルヴァレスの副官です。まさかここで現れるとは思いませんでしたが……」
 ウェスターは自身を落ち着かせるように眼鏡の位置を直した。
「ルイス、サヴィトゥードを。私がやります。お前は下がっていなさい!」
 ロアードは強引にサヴィトゥードを奪い取り、チッ、とルイスは舌打ちをして数歩下がった。
 ロアードはルイスが下がったのを確認すると、サヴィトゥードを前に突き出す。
「何をするつもり?」
 警戒しながらサニーが訊く。するとロアードは口元に不敵な笑みを浮かべて、掌の上に乗せたサヴィトゥードを指差す。
「これの実験ですよ。アルヴィディアン以外もちゃんと操れるかどうかということを試してみるのです」
「いけません! シャルン!」
 ハッとし、ウェスターは叫んだ。ノルティアンである彼とサニーには効果がないし、ロアードの言葉からアランとしぐれも対象外。残るは青い目のセトルかハーフのシャルンだが、サヴィトゥードは対象の心が弱いほど強力なものになる。もともと差別を受け、相棒を亡くしたシャルンほど条件に適したものはここにはいない。
「もう遅いですよ!」
 サヴィトゥードが不気味に輝き、シャルンの足下に霊陣が生じる。そしてそこから発せられた黒い光がシャルンの体を包み込んでいく。
「こ、これは――い、いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 何かか体に、いや心に入ってくる感じがする。それと共に割れるような頭痛が走る。彼女は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「シャルン!?」
 アランが心配して駆け寄る。
「シャルン、しっかりしぃ!」
 しぐれも言うが、シャルンにはもう皆の声は聞こえていないだろう。
「ほう、抵抗しているようですね。やはりノルティアンの血が混じっているからでしょうか?」
 冷静に分析しているロアードの後ろで、ルイスは不機嫌そうに、くだらん、と呟いた。
「ロアード! サヴィトゥードを止めなさい!!」
「お断りします。このまま潰し合ってください!」
 睨んだウェスターにひるまず、ロアードはサヴィトゥードの輝きをさらに強くした。
「あぁぁぁぁぁぁ…………」
 すると、シャルンの叫びが途絶え、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「おいシャル――うぐっ!?」
 アランが声をかけようとしたとき、ドス、という音が鳴った。見ると、シャルンのトンファーがアランの腹部に食い込んでいた。彼は腹を押さえ、その場に膝をつく。
「シャルン!? 何で……」
 戸惑うサニーの方を彼女は向いた。その目には感情が、いや生気さえも感じられない。
「まさか完全にサヴィトゥードに……一体どうしたら……くそっ!」
 拳を握り、セトルは考えた。その間にもシャルンはトンファーを振りまわして無感情に暴れている。それをウェスターやしぐれが、彼女を傷つけないように加減して抑えている。
「やっぱりこれしか……」
 セトルはロアードに向かって走り出した。
「あなたを倒して、サヴィトゥードを止めます!」
 セトル飛び上がり、大上段から剣を振り下す。が――
 ガキン!
 大剣を抜き、ロアードの前に飛び出したルイスにそれを防がれてしまう。刃と刃が噛み
合い火花が散る。
「ルイス、彼はあなたに任せます。私はサヴィトゥードの制御で今は動けませんからね」
 ロアードはそう言うと後ろ向きにゆっくり歩きセトルから距離をとった。
「そこをどいてください!」
「……断る」
 その時、ルイスの足下に光の霊術陣が出現する。サニーだ!
「――光の十字よ、我が仇となる者を討て、シャイニングクロス!!」
 陣から光柱が立ち昇る。しかしルイスはバックステップでそれを躱した。
「セトル、加勢するわ!」
「ああ、とりあえずあいつら二人ともぶっ飛ばせばいいだろ」
 アランも立ち上がってきた。腹はまだ痛むのか、手で押さえたままだ。
「セトル!」ウェスターがシャルンのトンファーを防いだ状態で言う。「彼女は私たちに任せてください。それとサヴィトゥードは使い手から離れるだけでも効果は消えます」
 了解したようにセトルは頷き、彼は剣を振り翳した。
「――飛刃衝!!」

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