ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

030 復讐と悲劇

 ゼースが後ろに跳び退り、誰だ、と舌打ちをして言う。
 セトルたちも彼女たちを庇うように前に立つ。ひさめが一瞬ゼースを止めてくれていたから彼らはなんとか間に合うことができた。
「あんたらは……どうして!?」
 意外なことに驚いたソテラがセトルたちを見回す。
「邪魔をするな!」シャルンがアランに向かって吠える。「これは、わたしの戦い、あんたたちには関係ないわ!」
「まあそう言うなって。こっちだって奴らとはいろいろあるんだ。それに、放っておけないって言うやつがいてな」
 アランはちらっとセトルを見た。だが、放っておけないと思っているのは何もセトルだけではない。自分も、それにサニーとウェスターも恐らくそうだろう。
「ウェスター・トウェーンだと!? チッ、めんどくせぇことになったぜ……」
 ウェスターの姿を認めたゼースが舌打ちする。その時、船の中から多くの兵がわらわらと降りてきた。
「な!? おい、お前ら手ぇ出すなよ!」
 兵たちに気づいたゼースは後ろを振り向いてそう命令した。この状況をまだ楽しみたいのだろうか? すると――
「!?」
 ウェスターは背後に何者かの気配を感じ、間一髪で横に跳ぶと、今の今までいた場所に刃が振り下ろされていた。ひさめだ!
「ひさめ! 手ぇ出すなっつったろうが!!」
「相手はウェスター・トウェーンや。そういうわけにはいかへんやろ」
 ひさめは冷めきった声でそう言うと、ゼースの傍に戻り、兵たちに手で合図を出す。すると彼らは一斉に躍りかかってきた。数十人はいる。
「チ、わかったよ、逃げるよりはマシだ。お前らが退かずに加勢するってことは、奴はここで殺っといた方がいいっつうことだろ?」
 ゼースは明らかに不満そうな顔をしてそう言った。ひさめは頷く。
「――駆け巡る閃光、スパークバイン!!」
 霊術陣から放たれた電撃が空中で絡み合い、兵たちを巻き込む。鉄の鎧を纏っている彼らは悲鳴も上げず、次々と崩れていった。人が焦げる嫌な匂いが漂う。
「鎧が仇になりましたね」
 ウェスターは皮肉めいた笑みを浮かべる。この人数でもどこか余裕そうだ。
「ちょっと、これはわたしの戦いだって言――」
「だから俺たちの戦いでもあるんだって!」
 アランはシャルンの言葉を遮ってほとんと叫ぶようにそう言った。そして襲ってきた兵を斬り倒すと、彼はシャルンを振り向いた。
「それにこの人数にあの二人、あんたらだけじゃ無理だろうな」
「お前たちが出てこなければこんなことにはならなかったはず……」
 シャルンは眉を吊り上げてアランを睨んだ。
「いや、それは違うぞ、シャルン。彼らが出てこなくても、奴が負けそうになれば恐らく同じ状況になっていたと思う」
 シャルンはそう言ったソテラを見、でも、と言いかけたが、そのあとの言葉が見つからず、下を向いた。そんな彼女の肩にソテラは優しく手を置く。
「シャルン、ここは手伝ってもらおう。やはり、もうわたしたちだけじゃ無理だ」
 ソテラが言うと、一瞬間を置いてシャルンは頷いた。
「――光よ、フィフスレイ!!」
 その時、五つの光弾がシャルンたちを通り抜け、後ろから襲おうとしていた兵を打ち抜く。
「話してないで戦いなさいよ!」
 兵を撹乱させていたザンフィを肩に戻し、サニーはアランたちにそう言った。
「わかってるって」とアラン。「今からそこのイレズミと戦るところだ」
 アランはこの状況にイライラしているゼースを睨んだ。
「アラン、僕も手伝うよ!」
 セトルがそう言って加勢に来てくれた。気づけば、いつの間にか兵の数がかなり減っている。
「青い目……ゼース」
「チ……好きにしろ!」
 そう呟いて振り向いたひさめが何を言いたいのか悟り、ゼースは諦めたように舌打ちする。
「いくぜ、セトル!」
 言い、アランとセトルは同時に走った。すると視界からひさめの姿が消えた。気づけば彼女は目の前に突如現れ、セトルに向かってしぐれの持っていた物よりも短い忍刀を振るう。
「何!?」
 驚いたが、咄嗟にセトルは剣でそれを防いだ。そして横薙ぎに一閃するが、ひさめはそれをジャンプして躱し、そのままセトルを蹴り飛ばした。
「セトル!」
「お前の相手は俺だ!」
 アランが心配してセトルの方を見た。しかしゼースがすぐ傍まで迫ってきていてその爪を振り下す。と――
「――氷燐裂破ひょうりんれっぱ!!」
 アイス霊素スピリクルをトンファーに付加させ、シャルンは体を捻るようにして、ゼースの顔面目がけて打ち込んだ。紙一重でそれは躱されたが、アランは助かった。
「さ、サンキュー!」
「借りを返しただけよ。来るわ!」
 見るとゼースは何かを唱えていた。すると、二人の足下に赤い霊術陣が出現する。見たことがある。これは確か――
「ぶっ飛んじまえ、クリムゾンバースト!!」
 陣の中で小規模な爆発が起こる。だがウェスターのよりは威力が低い。この術を知っていたアランはシャルンを抱え、どうにか躱すことはできた。だが、そこには奴らの兵がいた。
 こんどこそやられた! とそう思った時、鈍い音と共にその兵は倒れた。
「大丈夫か、シャルン」
 ソテラだ。格闘術を使う彼女は鎧の上から兵を蹴り飛ばしたのだ。
「ええ、何とか」
「こっちは任せな!」
 ソテラは微笑むと、斬り込んできた兵を鎧が砕けるほどの勢いで殴り倒し、そのまま次々と兵を倒していった。
「アラン、大丈夫ですか?」
 ウェスターがそう言いながら駆けつけたが、一目見ただけで無事なのを知り、眼鏡を押さえた。
「このままではこちらの体力が持ちません。敵大将を一気に叩きますよ! ――!?」
 途端、ウェスターは振り返り、迫ってくる刃をその槍で受け止めた。
「背後から狙ったところで無駄ですよ、ひさめ」
「…………」
 ひさめの表情は変わらない。
「ウェスターさん!」
 ウェスターはセトルの声に目だけで振り向くと目を瞠った。そこには今刃を組み合わせているはずのひさめが忍刀を振ろうとしているところだった。
 すかさずアランが長斧をそのひさめに振り下すと、彼女は後ろに跳んでそれ躱し、同時にウェスターと組み合っていたひさめも同じようにする。
「ウェスターさん、大丈夫ですか? 彼女は分身が出せるようです」
 セトルはサニーと一緒に駆け寄ってそう伝えた。すると、二人のひさめは掌を胸の前で組むようにして指を立て、徐々にその体が近づいていき、完全に重なると元の一人へと戻った。
「――忍法、写身うつしみ
 そう呟いた彼女の傍にゼースが近づく。
「一人占めしてんじゃねぇよ! 俺はあのアルヴィディアンとハーフの女から殺るから、てめぇはウェスター・トウェーンの相手でもしていろ」
「…………」
 ひさめは頷きもせず黙ったままだったが、それが彼女の答えだ。
「そういうわけだ。行くぜ!」
 ゼースが再び姿勢を低くして走る。
「任せて!」
 サニーが扇子でリズムを取る。
「――光の十字よ、我が仇となる者を討て、シャイニングクロス!!」
 ゼースの足下に光の十字架が出現し、彼を貫こうとする。しかし横っ跳びにそれを躱したゼースは彼女を睨んだ。
「ザコが! てめぇはあとで殺ってやるよ! ――!?」
 視線を戻すと、アランが長斧を振り上げていた。
雷光衝らいこうしょう!!」
「チィィィ!」
 ゼースは避けきれず爪でそれを防いだ。しかし斧の先に雷霊素エレクスピリクルが集い、小さな落雷がゼースを貫いた。感電し、服が焼けて黒い煙が昇る。動きが止まった。だが――
「――紅蓮掌底破ぐれんしょうていは!!」
 カッと思いっきり目を開き、ゼースは火霊素フレアスピリクルの付加させた掌底をアランの腹に打ち込んだ。アランは呻き、血を吐いた。そして崩れるように膝をつき、高熱を帯びた腹を押えようとする。
「アラン!」
 セトルはゼースに飛びかかるが、それはひさめによって遮られた。
「くっ、牙連剣がれんけん!!」
 セトルは数回連続で切り上げたあと横薙ぎに一閃する。しかし、そのことごとくをひさめに躱される。そして彼女は忍刀を前に突き出すように構えた。
(あの構えは!?)
「忍法、強東風つよごち
 セトルはハッとし、横に転がった。直後、ひさめが凄まじい勢いでさっきまでいたところを通り過ぎた。あれは、しぐれと同じ技だ。躱されたにも関わらず、ひさめは体勢を崩さない。
 ゼースが大きく爪を振りかぶった。アランは腹を押さえたまま彼を見上げる。痛みで立ち上がることすらできない。視界が霞む。
「フン、止めだ――ん? そういや、てめぇどっかで……」
「へっ、ようやくか……アスカリアでてめぇに蹴り飛ばされた恨み、俺は忘れてないぜ!」
 ああそうだ、というようにゼースは口元に笑みを浮かべる。
「なるほど、あの時の屑か……まあ、今さらそんなことはどうでもいい。死ね!」
 今度こそゼースはアランに止めを刺そうとする。しかし――
「――ヒール!!」
 シャルンの声が聞こえたと思うとアランの体が光に包まれる。一瞬、ゼースの動きが止まる。だが、それで十分だ。
「――崩空斬破!!」
 間に合ったセトルが飛び上がりながら斬り上げた。体を反らし、それを躱したゼースだが、セトルがそのまま斬り下ろしたので仕方なく両方の爪でそれを受け止めた。
「やってくれるな、ザコのくせに!」
 ゼースはセトルを力任せに振り払った。その途端、ゼースの足下に青い霊術陣が出現する。ウェスターだ!
「――蒼き地象の輝き、アクアスフィア!!」
 噴き上がった水が球を作り彼を呑み込んだ。そのウェスターに今度はひさめが忍刀を振るう。
「あまいですね、襲爪裂閃しゅうそうれっせん!!」
 体を回転させながらウェスターは掬い上げるように槍を振った。ひさめは忍刀でそれを受けたが、体が軽いため高く打ち上げられ、空中で一回転して、ウェスターの術をまともにくらい、膝をつき今にも倒れそうなゼースの隣に着地する。
「サニー、今です!」
「わかったわ! ――光よ、フィフスレイ!!」
 五つの光弾が二人目がけて飛んでいく。ひさめはゼースを庇うように前に立ち、光弾を全て忍刀で受け流した。だがダメージがないわけではない。光弾は彼女の肩を掠め、足を撃ち、忍刀に罅を入れた。
「うっ……」
 彼女の無表情だった顔が僅かに引き攣る。
「あ、雨……」
 水滴が鼻の頭に触れたのを感じ、サニーは天を仰いだ。まだ弱いが、ついに雨が降り始め、それは次第に強くなっていった。
「クソがぁ!」吠えるようにゼースが叫ぶ。「俺が、《鬼人》と呼ばれたこの俺が、こんなザコどもになめられてたまるかよ!!」
 もはや理性を失っているかのように叫ぶ。そこへシャルンが走った。
「ゼース!」
 止めを刺す気だ! だがそれは困る。奴らにはまだ訊きたいことが……。
「これで……終わりよ!!」
(くそっ、体が動かねぇ……)
 雷が鳴るのと同時に、バキ、と骨が折れるような音がし、シャルンのトンファーがゼースの腹を打った。そのままゼースは後ろの巨大な船に叩きつけられ、海へと落ちる。
 その後、彼は何とか陸に這い上がったが、皆が集まり、目の前にはシャルンが立っていた。
「クソが……」
 ゼースはひさめを探したが、彼女はウェスターに捕えられていた。
 シャルンが鬼のような目でゼースを睨み、トンファーを振り上げた。その時――
「――そこまでだ」
 船の上から冷酷な声が降ってきたと思うと、突如頭上に巨大な牙のようなつららが複数出現し、シャルン目がけて襲いかかってきた。
「シャルン危ない!!」
 ソテラが叫び、そのことに全く気づいていないシャルンを庇うように突き飛ばした。シャルンは我に返って体を起こすと目を丸くした。
「ソ……テラ……」
 そこには血溜まりの中に倒れているソテラの姿が。その背には巨大な氷が深々と突き刺さっている。
「ソテラ……ソテラー!!」
シャルンは駆け寄り、彼女を抱き起こした。セトルたちも駆け寄り、サニーが治癒術をかけるが、この状態だ。助かるかどうか……。
 すると船の上から人影が飛び出し、巨大な刃がウェスターの頭上に降ってくる。それは凄まじい衝撃とともに地面に落ちた。泥が弾丸のように飛び散る。ウェスターは容易にそれを避けることができたが、拘束していたひさめを放してしまった。
「ウェスター・トウェーンがいるとはいえ、四鋭刃が二人でこれとは……無様だな、ゼース! ひさめ!」
 地面に突き刺さった巨大な剣の裏からそのような声が聞こえ、セトルたちは武器を構え直した。
「……うるせぇよ」
 地面にへばりついた状態でゼースが呟く。ひさめは何も言わずその剣の横に立っていた。
「誰だ!」
 アランが言う。すると大剣の裏から一人の青年が姿を現した。肩の部分が青い法衣に似た服を纏い、手には籠手、背にはその大剣を納める巨大な鞘、髪は濃い紫色をしており、凍りつくような冷たいノルティアンの瞳がセトルたちを射抜くように睨んでいる。
「フン、アルヴィディアンに名乗るような名などない」
「な、何だと!」
 その言葉に怒り、アランは拳を突き出した。すると青年は口元に微かに笑みを浮かべる。
「だが、まあいい。教えてやる。 俺は《四鋭刃》が一人、《蒼牙のルイス》。その醜い頭にしっかり叩きこんでから死ね!」
「四鋭刃……?」
 聞きなれないその言葉を呟き、セトルはウェスターを見た。彼なら知ってるんじゃないかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。
 青年――ルイスは大剣を引き抜くと、一度大きく空振りをして泥を払った。彼は身の丈ほどある大剣を片手で軽々と持っている。――来る!
「!?」
 その時、何かがルイス目がけて飛んできた。彼はそれに気づくと、大剣を立ててそれを防いだ。どうやら矢のようだ。
 振り向くと、そこには数十人の兵士を引き連れた人がいた。
「ワースさん! スラッファさん!」
 驚きと安堵の声でセトルは二人の名を呼んだ。裏が真っ赤なマントを纏い、青単の服と、ピッタリとしたズボン穿いている、どこかセトルに似ている銀髪をした青年がワース、弓を握っている眼鏡をかけたライトブルーの髪の青年がスラッファだ。
「――奴らを拘束せよ!」
 指示したのは若い茶髪の女性だった。彼女もまた青い瞳だが、セトルたちは初めて見る。緑色のノースリーブの軍服に、手にはウェスターとは形状が全く異なる槍のような武器を持っている。
(独立特務騎士団だと!?)
 ルイスは舌打ちをして大剣を鞘に納めた。
「退くぞ! 動けん奴は担いででも船に乗せろ!」
 彼はまだ動けないゼースを担ぎ、ひさめと共に船へと撤退しようとする。残っていた兵たちも負傷者に手を貸し迅速に船へと戻っていく。逃げる時間は十分あった。ワースたちがいた場所からここまでは少し離れていて足場も悪い。
「ま、待て!」
 セトルは叫び追おうとするが、ウェスターはそれを手で制した。
「ウェスターさん?」
「深追いはやめましょう。船の上ではこちらが不利になります」
 わかりました、とセトルは言うが、その横でアランが悔しそうに傍の岩を殴った。
「そうだ、ソテラは!?」
 思い出したようにセトルは言い、今もサニーが治癒術をかけているソテラの方を向いた。彼女の背に刺さっていた氷はルイスがいなくなったことで消えたが、そのせいで傷口から大量の血が溢れている。
 今サニーが唱えている術は《ヒールサークル》。それは現在彼女が使える最高の治癒術だが、それでも回復が追いついていない。
「ソテラ! 死なないで、ソテラ!」
 シャルンは涙を流しながら何度も何度も彼女の名を叫んでいる。
「シャ……ルン」
 するとソテラは僅かに目を開き、力のない声で囁いた。
「無事で……よかった」
 彼女は自分を抱くようにして涙顔になっているシャルンに微笑んだ。
「無事じゃないのはソテラでしょ! 待ってて今ヒールを――」
 だがソテラはゆっくりと首を振りそれを拒んだ。
「シャルン……わたしはもう……助からない」
「もう喋らないで!」
 しかしソテラはシャルンの要求を無視して続けた。
「シャルン、お前はまだ……奴らを追うだろう? ……でも……一人じゃだめだ」
 シャルンは首を振り、そして彼女をじっと見詰めた。
「わかってる……だからソテラが生きて――」
 ソテラはシャルンの口に手をあて、そのあとの言葉を遮った。
「ここには……他にも仲間がいるだろ? セトルたちなら……わたしたちハーフでも……助けようとしてくれた彼らなら……。シャルン、もっと周りに心を許せ……世界には……ハーフ(わたしたち)を嫌っている人ばかりじゃ……ない。わたしは……それを教えたかった」
 その途端、ソテラは激しく咳き込んで吐血した。サニーが術を止める。これ以上しても無理だと悟ったのだろう。彼女は立ち上がると数歩下がり後ろを向いた。うなだれたその顔に涙が流れる。
「たった一人の人も助けられないなんて……あたしは何のために光霊術を習ったのよ!」
 サニーは涙声で自責するように静かに叫んだ。セトルはそれを聞いていたが、今は彼女にもシャルンにも、かける言葉が見つからなかった。
「シャルン、今まで……楽しかったよ……ありが……とう……」
 彼女はそのままゆっくりと目を閉じ、沈黙した。
「ソテラ? ソテラ!」
 シャルンは叫び、彼女の肩を揺り動かすが、彼女はもう目を開くことはなく、だんだんと冷たくなっていった。
「ソテラ ――!!」
 シャルンは被さるように泣き崩れた。
 もう二度と動くことのない彼女の上で――。

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