ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

024 水の精霊

 精霊とは、霊素スピリクルの意識集合体。また、それを生み出している母体的な存在。彼らは契約することによって、召喚士サモナー――霊術士スピリクラーの上位クラスのようなもの――に召喚術という形で力を貸してくれる。ここ、海底洞窟までの道中にウェスターが一通り説明してくれた。彼はその召喚士サモナーの資格も持っているらしい。
 そしてそれら精霊のうち、水の精霊『コリエンテ』がこの洞窟に居る、ということだ。
 セトルとアランはここに一度来たことがあるが、あのクェイナーが居た場所より奥へは行っていない。恐らくコリエンテはそこに居るのだろう。
 クェイナーと戦った場所を懐かしく思いながら奥へ奥へと進むと、青く優しい光が辺りを包み始める。そして――
「わぁ……綺麗」
 サニーが胸の前で両掌を合わせてそう呟く。
 噴水みたいに噴き上がる水柱に囲まれて、神秘的な純白の神殿のような建物が水の上に建っていた。
「ここが水の聖殿《ウル》です」
 ウェスターが神殿の白い柱が立ち並ぶ階段の前に出る。
「あんた、何でここにこんなものがあるって知って――!?」
 アランが言いかけたその時、青白い輝きが彼らの目の前に現れた。そして――
『召喚の資格を持つ者ですね?』
 静かで、流水の立てる音のような声が響いた。それは耳で聴くものではなく、直接頭に流れ込んでくるような声だった。
 ウェスターは堂々とした表情でその輝きを見詰め、そうです、と答えた。彼は召喚士サモナーだが、まだどの精霊とも契約していないという。それなのにあの様子、緊張とかしていないのだろうか?
 すると、輝きが激しく明滅し、それに驚いているセトルたちの視線の先で若い女性のような姿に変わった。
 流体でできているように靡くライトブルーの長髪、蒼溟な体には水の帯がベールのように纏い、額から後頭部にかけて魚のヒレに似たものがある。瞳はルビーのような赤い色をしていて、その表情はどこか優しい。
「我が名はコリエンテ、水を司る者。――事情はわかっています。契約ですね?」
 コリエンテのその声は先程のものと違い、耳で聞き取れる声だった。
「はい。水の精霊コリエンテよ、力を貸していただきたい」
 ウェスターはそう言うと、なぜか一歩下がった。
「では武器を。あなた方の力、試させてもらいます!」
 コリエンテは手を掲げると、そこに水霊素アクアスピリクルが集う。それは剣の形を成し、彼女の武器となった。
「え? 戦うんですか!?」
 戦うなんて聞いてない。セトルは戸惑ったが、しっかりと剣は抜いている。
 精霊と戦って勝てるのだろうか?
「精霊と契約するには」ウェスターが槍を構築しながら説明する。「彼らに力を示さなくてはいけません。それが試練です」
「そういうことは先に言ってよ!」
 サニーが扇子を構え、アランも長斧を構える。
 コリエンテは全員が武器を構えたのを認めると、フッと口元に笑みを浮かべる。
「いきます――アクアスフィア!!」
 詠唱が速い!
 足下に霊陣が現れ、螺旋状に噴出した水が青い珠を形成する。しかし、セトルが剣を顔の前で横向きに構え、自分の周りに気を張り巡らせ霊素を遮断する膜を形成する。
「――護法陣ごほうじん!!」
 この術はウェスターが使うものと同じものだが、その威力は桁違いだ。咄嗟に防御できなかったら危なかっただろう。
「――炸裂する霊素よ、エナジーショット!!」
 属性のない霊素の塊が飛ぶ。これはウェスターの術。どうやらみんなも無事のようだ。
 飛弾する霊素スピリクルがコリエンテを捉えた。そこにアランが長斧を掬いあげるようにしながら飛び上がる。
「――飛翔斬ひしょうざん!!」
 コリエンテの傷口からは血ではなく、青い光の粒子――恐らく水霊素アクアスピリクル――が飛び散る。
「くっ……」
 彼女は呻くと、飛び上がったアランに向けて水剣を突きつける。
「――霊水ノ剣れいすいのけん!!」
 水剣が青白い輝きを放つ。だがコリエンテの攻撃は、ザンフィが飛びかかったことにより阻まれた。
「いいわよ、ザンフィ! ――光の十字よ、我が仇となる者を討て、シャイニングクロス!!」
 サニーは扇子で舞うように唱える。するとコリエンテの足下から光の柱が立ち昇り、光が左右に分かれて十字架のようなものになる。
 直撃、と思ったが、コリエンテは自らの体を液化させてそれを躱していた。
「受けなさい――」
 床に巨大な霊術陣が広がる。先程の術より大きい。上級術だ! セトルたちはできるだけそこから離れようと走る。そして――
「――トゥインクルバブル!!」
 陣から大量の輝く泡が発生し、凄まじい衝撃を生みながら破裂する。その衝撃は陣から離れていても風となって肌に感じる。
「あ、危なかった~」
 ペタン、とその場に座り込んだサニーをセトルは振り返る。
「サニー、連携コーパレイションだ!」
「……わかったわ!」
 彼女は頷くと立ち上がり、舞い始める。
《連携》とは、セトルやアランのような前に出て敵と斬り結ぶ前衛に、サニーやウェスターのような後衛の霊術士スピリクラーが、彼らの技に霊術を付加させて、その威力を何倍にも増加させるというものだ。しかし、それを使うには強い信頼関係が必要。信頼がない者同士がやると、術に呑み込まれてしまう恐れがある。セトルはサニーとだけそれが使えた。
「彼の者に集え、我が輝き――」
 三つの光がセトルの振り上げた剣に向かって飛んでいく。
「――飛刃の風よ、煌く光剣となれ!」
 吠えるようにセトルは叫び、光を受けた剣を中心に輝く風が吹き荒れる。やがて全ての風が剣に纏うと、彼はそれを思いっ切り振り下した。
「――シャイニングブレード!!」
「――シャイニングブレード!!」
 二人は同時に叫ぶ。輝く風は剣の形となり、床を抉りながらコリエンテ目がけて飛んでいく。強い術を使って隙のできたコリエンテはそれを躱すことができなかった。彼女は悲鳴も上げず、水霊素アクアスピリクルの粒子となって飛散した。
(もしかして、やりすぎた……?)
 だが、セトルの心配は無用だった。すぐに飛散した霊素スピリクルが集まり、元の女性の、コリエンテの姿に戻った。ルビーのような瞳が彼らを見据える。
 セトルたちは武器を構え直した。だが、ウェスターだけは槍を還元して前に進み出る。
 すると、コリエンテの顔に優しい微笑みが浮かんだ。
「――見事です。あなた方の力、確かに見せてもらいました。――では、契約を結びましょう」
 その穏やかな口調と表情にセトルは安堵し、構えていた剣を鞘に納めた。
「我、召喚士の名において、水の精霊コリエンテと盟約する……」
 その言葉を言い終わらないうちに、ウェスターから一条の光が伸び、コリエンテはその中に吸い込まれるように消えていった。
 光が消え、ウェスターの手の中に一つの指輪だけが残された。
 精霊石がついてある。――アクアマリンだ。それが水の精霊との契約の証、そういうことだろう。
 しかし、一息つく間もなく、再びコリエンテがそこに現れた。
「あなたは気づいていると思いますが、近い未来、世界に再び危機が訪れようとしています」
「世界の危機……どういうことですか?」
 突然のことでセトルは何が何だかわからなかった。サニーも、アランも驚いた表情をしているが、ウェスターだけはいつもと変わらず、小さく溜息をついていた。
 コリエンテはセトルの青い瞳を見詰めた。
「今、世界中で人々の負の念が増加しています。それは人為的にもたらされたもので、このままではいにしえの封印が解かれてしまうでしょう」
「古の封印? ……もしかして!」
 封印、かどうかはわからないが、それらしいものをセトルは知っていた。いや、ここにいる仲間全員知っている。
「――あのときの紋章」
 それだ。答えたのはサニーだが、アランも同じことを考えていると思う。
 ウェスターがやれやれといったように肩を竦める。
「一般人には知られたくなかったのですが……その通りです」
 彼は既に知っていたようだ。一体いつから……鉱山で紋章を見た時にはもう気づいていたのかもしれない。そうなると、世界に危機を齎そうとしているのはあの少女――ひさめということになる。
「彼らには」とコリエンテ。「知ってもらわなくてはならなかったのです。特に、その蒼い瞳の少年には……」
 言い終わると、彼女は青い光を放ちながら次第に消えていく。
「ちょっと待って! それってどういう――」
 サニーが消えゆくコリエンテに向かって言うが、コリエンテは何も答えず完全に消えてしまった。
「行っちまったな……」
 アランはウェスターを向く。
「詳しく聞かせてくれ、俺たちも知っておかなきゃいけないんだろ?」
 すると彼は、仕方ありませんね、と言うように眼鏡の位置を直した。
「《人種戦争レイシェルウォー》は知ってますよね?」
「ああ、アルヴィディアとノルティアが起こした史上最悪の戦争……だろ?」
 それならセトルも知っていた。その戦争の後、世界が一つになったと。だが、
「それって御伽噺じゃなかったの?」
 サニーの言う通り、そう聞いている。しかしウェスターは首を振った。
「戦争は実際に起こっていたのです。古い文献にそう記されています」
「でも、それがどういう関係なんですか?」
 セトルが訊く。
「シルシド鉄山やローレル川にあったあの紋章は、その戦争に用いられた《古霊子核兵器スピリアスアーティファクト》の封印なのです」
 古霊子核兵器スピリアスアーティファクト、それがどんなものかはわからないが、精霊が告げるほどのものだ、その封印を解いてはいけないということだけはわかる。
「それをひさめって娘が解いてるんだな?」
「ええ、ですが、どうやって封印を解いているのか……コリエンテが言っていた《負の念の増加》が関係しているとは思いますが……」
 ウェスターは眼鏡のレンズをハンカチで拭き、それをかけ直した。
「では、ローレル川に戻りますよ。まずは目の前の問題を解決していきましょう」
 皆は頷いた。それについて異論はなかった。

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