ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

017 蒼き瞳を持つ者

「――ウェスターさん、いろいろとありがとうございました」
 ウルドの謝罪も終わり、彼と別れたセトルたちは城門の前に出ていた。
 帰りは、ウルドにインティルケープまで送ろうかと言われたのだが、サニーは軍船に乗りたくないらしく、何よりずっと船旅だったらアランが大変だ。ということでセトルたちは定期船を使って帰ることにした。
「いえいえ、私もそれなりに楽しませてもらいましたよ。特にサニーの迷子っぷりには♪」
「ウェスター、それ言わないでって言ったでしょ!」
 サニーは顔を真っ赤にし、腕を胸の前で大きく振った。
「でも、ウルド将軍も大変やなぁ。盗賊捜しが振り出しに戻ってしもて……」
 気の毒そうにしぐれは言った。確かにもうこれといった手掛かりがないんじゃ、捕まえるのは大変だろう。
 すると、ウェスターは怪訝そうにしぐれを向いた。
「そういえばあなたはアキナの方でしょう、なぜ、彼らと一緒に?」
「え? 何でそのことを……?」
「あなたの服装と、その話し方でわかりました」ウェスターは眼鏡の位置を直す。「そこの頭領とは知り合いで、里に入ったことはありませんが、いろいろとお世話になっています」
 しぐれは驚いたような顔をする。
「うちのお父……いや、頭領と!」
 はい、とウェスターは楽しそうに答えた。その笑みには何やら含みがあるようにセトルは感じた。その後ろでサニーが、
「ねぇ、アキナって?」
 と訊いてきたので、アランが知る範囲で説明した。だが、彼女はつまらなかったのか、ふーん、と呟いただけで他に反応を見せなかった。
 その間にしぐれとウェスターはアキナの頭領――しぐれが父と言いかけた――の話で盛り上がっていた。彼は本当に知ってるんだなと思う。でないとしぐれがあんなに楽しそうに喋っているはずがない。
「何かあたしたち、蚊帳の外なんだけど……」
 僅かに眉を吊り上げたサニーが呟く。と、その時――
「――アス!」
 階段の下の方から誰かがそう叫んだような声が聞こえた。皆が振り向くと、あの裁判所に居た銀髪の青年、ワースがこちらに向かって駆け登っていた。
 彼はセトルも前で立ち止まり、顔を上げた。
「――!?」
 その瞳の色を見てセトル、アラン、しぐれの三人は驚愕した。
(あ、セトルに言っておくの忘れてた……)
 既に裁判の時にその青い瞳を見ていたサニーは、そのことをセトルに言うつもりだったのだが、今の今までそのことを忘れていたのだ。彼女は心の中で苦笑し、ただ様子を伺うことにした。
「ワース、どうかしたのですか?」
 と訊いたウェスターだが、その表情から全てわかっているように思われた。
「ああ、ちょっとこの少年に用があってね」
 ワースはそう答えると、セトルを食い入るような目つきで頭から足下まで見回した。そして、何か確信を持ったように、間違いない、と呟いた。
「わ、ワースさんっていうんですね。初めまして、セトル・サラディンといいます。確か裁判所に居た人ですよね?」
 ワースは目を瞬かせ、表情を曇らせる。
「オレのこと、覚えて……ないのか?」
 その言葉にアランが反応した。
「あんた、こいつのこと知ってるのか?」
「君は?」
 ワースは質問を質問で返した。
「……俺はこいつの親友の、アラン・ハイドンだ」
「セトルは記憶喪失なの。何か知ってるなら教えてよ!」
 サニーも訊くが、そんな彼女には何とも言えない複雑な気持ちが渦巻いていた。
(なるほど、そういうことか……)
 しかし、ワースは首を縦には振らなかった。
「残念だがそれはオレにはできない。記憶を失ったのなら、それは自分の力で取り戻さなければならない。確かにオレは君を知っていて、君が何も者なのか教えることもできるだろう。だが、それではただ知っただけだ。思い出したわけではない。それに、話したところでそれが信じられなかったら、君は過去の自分を否定することになる」
「そんな……」
 サニーは俯いた。アランも、しぐれも皆同じ気持ちだろう。
 ただセトルだけは、そんなサニーの肩に優しく手を置いて微笑んだ。
「大丈夫だよ、サニー。実は僕もワースさんと同じ考えだったんだ。――ワースさん、そう言ってくださってありがとうございました」
 セトルは頭を下げた。でも、頭ではわかっているが、やはりどこか寂しい気持ちになる。
「やったら」としぐれ。「青い目がどういうものなのかだけ教えてくれへんか?」
「それも、彼の記憶が戻ればわかることだよ。……まあ、強いて言うなら『神に愛されし者の瞳』かな」
 これ以上断れば皆の気持ちが沈んでしまう、と思ったのか、ワースはそれだけ答えてくれた。だが、それだけでも皆は十分に驚いた。ウェスターを除いてだが……。
「か、神やて!?」
 しぐれが驚きを声に出す。たぶんウェスターは、いや、この城の人は皆そのことをもう知っているのだと思われる。
 その時、城門の向こう、城の巨大な扉に続く庭の道を、青い全身鎧を纏った、燃えるような真紅の長髪のノルティアン男性が歩いてきた。
「――フン、神か、くだらんな」
 その男性はセトルたちの前まで来ると酷薄に笑ってそう言う。
「独立特務騎士団師団長が、まだ神などと言っているとはな」
「誰?」
 サニーがそう訊きながらウェスターやワースを見るが、彼ら――特にワースは厳しい表情をしてその男性を見ていた。
「神を信じる信じないは人の自由です。ファリネウス閣下」
 ワースとその男性は敵対するように睨み合った。
 そんな二人の様子にセトルたちは戸惑っていたが、そのことはウェスターが説明してくれた。
「彼はアルヴァレス・L・ファリネウス公爵。王位継承権の第三位にいる方で、国軍の特務騎士団の将軍でもあります。彼はあのような態度ですからね、いろいろと敵が多いのです。特に、ワースがあの年齢で独立特務騎士団の将軍をしていることが気に入らないようですね」
「特務騎士団とか独立特務騎士団とかってのは何なんや?」
 しぐれが首を傾げる。それはセトルも気になっていたことだ。
「特務騎士団は――」
「なんだ、教えてくれるのか?」
「ええ、別にかまいませんから」
 アランが意外そうに言ってきたので、ウェスターは眼鏡の位置を直してそう答え、説明を続けた。
「特務騎士団は主に情報を取り扱っている機関で、三師団から構成されています。それに対してワースの独立特務騎士団は一師団からなり、その名の通り国軍ではありますが独立しています。何をしているのかは彼らと、王にしか知りません。あなたたちが普段目にしているのが正規軍というのは……わかりますよね」
「ワースさん、何か重要なことをしてるのかな?」
 セトルは今もアルヴァレスと睨み合っている彼を見た。
「――とにかく、私は貴公らのことは認めない」
 吐き捨てるようにアルヴァレスが言うと、彼はそのまま階段を下りて行った。
 ふう、と緊張が解けたようにワースは息をつく。
「では、オレもこれで失礼する。セトル君、記憶が戻ったらオレのところへ来るといい」
 セトルは、はい、と返事をして城の中に入って行く彼を見送った。その姿が見えなくなると、アランがセトルの肩を叩いた。
「いいのかセトル、せっかく会えた記憶の手掛かりだぜ?」
「そうだよ! 本当にこのままでいいの?」
 サニーも眉を曇らす。だがセトルは、いいんだ、と言って微笑み、天を仰いだ。
「僕は、自分の力で記憶を取り戻すよ……」
 ワースは自分のことを知っていると言った。それだけでもセトルは満足することができた。
「セトル……」
 そんな彼を見て、サニーは呟いた。すると――
「皆さん、そろそろ定期船が出港します。急いだ方がよろしいかと……」
 ウェスターが港の方を見下ろす。そこには、セトルたちが乗るはずの帆船が、既に帆を広げているのが小さく見えた。
「本当だ、急がないと! ウェスターさん、本当にいろいろとありがとうございました」
 セトルたちは彼に一礼し、階段を真っすぐ港の方へ駆け下りた――。

        ✝ ✝ ✝

 ――シルティスラント城内、赤い絨毯が敷かれた廊下をワースは歩いていた。
「いいのワース、せっかく会えたんでしょ?」
 すると、ノースリーブの緑色の軍服を着た茶髪の女性が声をかけてきた。
 彼女の瞳もまた、青い。
「アイヴィ……見てたのか?」
「ええ、成り行きで……」
 女性、アイヴィはそっと目を閉じて優しげな口調でそう言った。それは上司部下の関係ではなく、もっと何か深い繋がりがあるように思える。
「今は……そっとしておこう。できれば協力してやりたいが、今は他にやることがある。記憶が戻ればオレのところに来るように言っておいた。たぶん、大丈夫なはずだ」
 ワースがそう言うと、彼女は、そう、とだけ言ってそれ以上追及しなかった。
(――お前が生きていてくれただけでオレは……)

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