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ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

011 傍迷惑な珍客

 朝の光が差す中、潮の香を乗せた風が肌を撫でるように吹き抜ける。時々噴き上がる水しぶきがひんやりと冷たい。
 静かだ。
 この船にはセトルたち以外の客は乗っていない。というのも、船長が町の英雄に気を利かせて貸切りにしてくれたのだ。
「ねぇしぐれ、ソルダイってどんなところ?」
 やっぱり船に酔ったアランをザンフィと共に部屋に残し、セトルたちは甲板に出ていた。
「ん~、漁業が盛んかな。あとは……特に何もないわ。霊導船できてから旅人も少なくなって、あまり活気もあらへんし……」
「長閑なところってこと?」
「まあ、簡単に言えばそうやな」
 しぐれは唇をほころばし、船の手摺にもたれるように腕を置いた。そして青く続く海の水平線を眺める。
「……セトル、一つ訊いてええか?」
 海を見詰めたまましぐれが改まった感じで言う。
「何?」
「セトルってさぁ……サニーって娘とつきあってんの?」
「え!? うわっ!?」
 彼女の唐突すぎる疑問にセトルは危うく海へダイブするところだった。そんなことを言われたのは初めてだ。
「さ、サニーは友達だよ。そんなんじゃないから!」
 と手を振って否定した。これをサニーが聞いていたらどう思うか、それは考えなかった。
「さよか、そらよかったわ」
 ほっとしたような表情を彼女が見せたので、セトルは首を傾げ、
「よかった?」
 と訊く。するとしぐれは顔から火がでたように真っ赤になり、慌てふためいて、何でもない、と言う。その時――
「いやー、お二人とも仲がいいねぇ♪」
 とからかうような声が聞こえてきた。この声はアランではない。
「誰や!」
 二人が振り向くと、そこには端整な顔立ちでディープグリーンの長髪をした背の高いノルティアンの青年がニコニコしながらこちらに歩いて来ていた。
 股の半ばまであるブーツを履き、手首にはリング状のアクセサリー、下部に太陽のような模様が入った白いコートを羽織っている。
 敵意はない……だろう。
「ボクかい?」青年は自分を指差して言う。「僕はノックス・マテリオ、一流のトレージャーハンターにして世間でも名の知れた、美食家さ♪」
 青年――ノックスはキザっぽく前髪を払った。聞いたことがない。言っていることは、恐らく自称だろう。
「あのう――」
「――サインならお断りだよ」
 セトルの言葉を遮って、ノックスは制するように右手を翳す。
「ち、違いますよ! あなたはこの船の人じゃないですよね? なのにどうしてここにいるんですか?」
 セトルの言う通りだ。この青年はどう見ても船の乗組員じゃない。この船はセトルたちの貸切り、一般の客は乗っていないはずである。
 するとノックスは、まるでその言葉を待っていたかのように両手を広げた。
「よくぞ聞いてくれました! 実は語るも涙聞くも涙で、あの魔物のせいでアクエリスに閉じ込められてしまったボクは――」
 この話は長くなる、そう直感したしぐれが彼には聞こえないように、セトルにそっと耳打ちをする。
『何か長くなりそうやん、今のうちに逃げへん?』
 するとセトルも声を潜める。
『でも、途中で抜けるのも悪いから、しぐれだけ先に戻ってなよ』
『もう、セトルが残るんなら……うちも残るわ』
 僅かに頬を膨らませたしぐれに、セトルは、ごめん、と呟いた。
 ノックスの話は続く。
 どのくらい経っただろう、彼の話はようやく終わりに近づいてきたように思われた。
「――であるからして、無一文になったボクはこっそりこの船に紛れ……ん? どうかしたのかい?」
 しぐれが眠そうに欠伸をしているのを見て、ノックスは話を止め、眉をひそめた。セトルは溜息をつく。
「ま、いいさ。とにかく今はこの貸切り状態の船旅を満喫しているところなんだよ。ハハハハハ!」
 そう言って高笑いをするノックスを見て、セトルは苦笑した。
「でも、もう無理みたいですよ」
 え、という表情になり、ノックスはセトルが指差した方向を向く。すると――
「くらぁ! 兄ちゃんどこから入ってきたんだ?」
 そこには体格のいい水夫が、指をポキポキ鳴らしながら立っていた。
「この船が、英雄様の貸切りだということは?」
「もちろん、知ってるさ♪」
 悪びれるようすもなくノックスは答えた。
「ほう、じゃあなんであんたはここにいるんだ?」
 水夫は言うと、ノックスは先程と同じように両手を広げた。
「よくぞ聞いて――!?」
 だが、水夫はその話を聞こうとはせず、ノックスの腕を絞めると、そのまま引きずるように引っ張って行った。
「乗っちまったもんは仕方ねぇ、あんた金は?」
「フ、残念ながら無一文さ!」
「そうかい、それじゃあ、ここで働いてもうおうか!」
「ええ!? ちょっとまっ――」
 ノックスの表情がやっと焦りを見せた。
「君たち見てないで助けてくれよぉ!」
 そんな声が聞こえたが、しぐれも、そしてセトルも聞かなかったことにして横目で彼を見送った。彼が悪いのだから……。
「さ、うちらも戻ろうか!」
 やっと解放された、と言わんばかりの笑みを浮かべてしぐれはそう言った。

        ✝ ✝ ✝

「へぇ、ここがソルダイか!」
 三日後、誰よりも速く船を降りたアランが村を見回してそう言う。船から降りた途端、元気になるのはなぜだろう、とセトルは思い、そんな彼を見てただ苦笑した。
 ソルダイは、しぐれが言ってた通り、平凡な村だ。特に目立つような物もなく、旅人らしき人は自分たちを除けばほとんどいない。
 セトルが歩きだそうとした時、しぐれが、ちょい待ち、と制止する。
「何であんたがさも自然についていこうとしてんねん!」
 セトルとアランが振り返ると、最後尾にノックスが張りついていた。
「いやー君たちについて行ったら面白そうかな、と思ってね。ま、ボクのことは気にしなくていいよ♪」
「気になるわ!」
 しぐれは眉を吊り上げて怒鳴った。その後ろでアランが、
「こいつがお前らの言ってた奴か?」
 と訊く。セトルは嘆息して頷いた。あの後も、仕事を脱け出したノックスに二人は何度も捕まり、無駄な話を延々聞かされたのだ。流石につらかった。
「ノックスさん、仕事はどうしたんですか?」
 呆れたようにセトルは訊いた。どうせまた水夫たちの目を盗んで逃げ出したのだろうけど……。
「あーいいのいいの、このボクがあんな船で力仕事なんてごめんだよ」
 ノックスは顔の前で手を振った。やはり悪びれた様子は見れない。その時――
「《あんな船》で悪かったな、兄ちゃん!」
 いつの間に来ていたのか、船長がどこか恐ろしい笑みを浮かべてノックスの背後に立っていた。
 ノックスは思わず、うわっ、と妙な声を上げ、びくっ、と背筋を伸ばした。
「アハハハ、皆さん御機嫌うるわしゅう……」
 彼は笑顔でそう言うが、その顔は引き攣っていた。
 すると、あの時の水夫がやってきて、同じようにノックスの腕を絞めた。
「兄ちゃん、まだ仕事終わってないよ!」
 抵抗できず、ノックスはずるずると引きずられていく。
「せ、セトル君、しぐれ君、あとそちらの人、見てないで助けてー!」
 もう何度この光景を見たことか、彼が悪いのだから仕方ないけど、少しかわいそうな気もする。しかし、セトルたちはそう思っていても、助けようとはしなかった。
「薄情者―! いけずー!」
 ノックスのそんな叫びが聞こえ、それがだんだんと小さくなっていく。
 すると、彼が船の中へ消えていったのを確認した船長がセトルたちを振り向く。
「あんたら首都まで行くんだろ? 本当はそこまで乗せてってやりてぇが、流石にこの帆船じゃあ、ちときつい。悪いな……」
「いいですよ。それより、《サンデルク》へ行くにはどうすればいいのでしょうか?」
 すまなさそうに頭を下げた船長に、セトルは微笑んでそう訊いた。
「ああそれなら、このソルダイから南に下って行けばいいぜ。途中に大きな山岳があって迂回もできるが、そこを越えてった方がだいぶ早いだろうな」
「《シグルズ山岳》のことやな」
 しぐれが言うと、船長は、そうだ、と言って頷いた。そして彼は踵を返すと、
「じゃあな、気をつけて行けよ!」
 と言って、船の方へ歩き始めた。その背中にセトルたちが礼を言うと、船長は軽く手を挙げてそれに答えた。

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