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ILIAD ~幻影の彼方~

夙多史

009 異邦の少女

 南西の海岸で洞窟と思われる穴が口を開いているのを二人は見つけた。そこから海の底へとずっとのびているらしい。
 中は――思ったほど暗くはない。だが、別に明るいというわけでもない。アランの話だと、大気中の光霊素ライトスピリクルがその原因らしい。
 霊素スピリクルとは、大気中や物体に存在するもので、火・水・風・光など八属性ある。それを使って様々な現象を人為的に起こすのが《霊術》というもので、主に霊術を使う人のことを《霊術士スピリクラー》という。サニーもその一人だ。さらに霊素スピリクルは霊導船などの動力にもなっている。そしてこの霊素スピリクルを大量に取り込んだことで変化し凶暴化したのが《魔物》だ。と、セトルは村で教えられている。
 二人は中に入り、湿った洞窟内を奥へ奥へと進んだ。潮の匂いがする。時々後ろから吹く風が悲鳴に似た音を立て、その度にアランがびっくりしていた。
「――結局」進みながらアランが呟くように言う。「船長の言ってた女の子には会わずじまいか……まさかもうやられてる、なんてことになってない……よな?」
「縁起でもないこと言わないでよ、アラン! 大丈夫、何とかなるよ!」
 セトルは明るく微笑んだ。顔が、絶対大丈夫だ、と言っている。
「……その根拠はどこから来るんだか」
 アランは肩を竦め、呟いた。その時――
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 絹を裂くような女性の悲鳴が洞窟内に木霊する。今度は風の音なんかじゃない。
 何だ、とアランが言った時には既に、セトルは悲鳴のする方へ走っていた。

 二人がいた場所より少し奥、一人の少女がカルコニス――蟹に似た魔物に襲われていた。彼女は胸元が大きく開いた藤色の変わった服を着ていて、長い黒髪を赤いリボンのような物で結っている。右手には片刃の剣を持ち、うつ伏せに倒れている。
 瞳は――琥珀色、アルヴィディアンである。
(く、うちとしたことが、またドジってしもた……)
 少女は体を起こそうとするが、足に怪我をしていてうまく立ち上がれないようだ。
 カルコニスが巨大は鋏を振り上げる。
 ここまで、と少女は覚悟を決めたように目を閉じた。
 助けにくる者は――誰もいない。
「キキ!」
 その時、こんな洞窟内では聞くことのない鳴き声が聞こえ、少女は恐る恐る目を開く。
(え!?)
 彼女は目を丸くした。そこには、黒茶毛のリスに似た小動物がカルコニスの振り上げた巨大な鋏に跳びかかっていたのだ。そして――
「ザンフィ、あとは僕に任せて!」
 そう言う声が聞こえ、その小動物は鋏から飛び退く。そこにはセトルの姿が。
「――吹き飛べ、飛刃衝ひじんしょう!!」
 突然凄まじい風が吹き、カルコニスはそれに巻き込まれ吹き飛んでしまった。
 誰も助けに来ない、少女はそう思っていた。しかし、そこには美しい銀髪の少年がいた。
「大丈夫ですか?」
 彼は少女に駆け寄り、そう声をかける。
「……あんたは?」体を起こし、少女は訊く。が、
「セトル危ねぇ!!」
 アランの叫ぶ声が聞こえた途端、大量の泡がもの凄い勢いで二人に向かって飛んできた。セトルは彼女を抱え跳躍する。今までいた場所の地面がその泡によって飛散した。
「アラン、この人を頼んだよ!」
 セトルは走った。カルコニスの姿が迫る。飛刃衝をまともに受けたはずなのにその体はたいして傷ついていない。
(外側は硬い……か。だったら)
 セトルは飛んでくる泡を躱しながら一気に間合いを詰める。
「ちょ、ちょっと――」
 少女が心配して何か言おうとしたのを、アランは手で制した。
「大丈夫、あいつに任せとけ」
 間合いを詰め、セトルは素早く突きを繰り出す。するとカルコニスはそれを鋏で受けるが、仰け反ってしまう。
 そこにセトルは掬い上げるように剣を振るってカルコニスの体を浮かせ、さらに飛び上がって蹴りを加える。そして最後にカルコニスの腹を剣で突き、地面に叩きつけた。
「――飛蹴連舞ひしゅうれんぶ!!」
 罅の入った外殻の中でも柔らかい腹の部分を剥き出しにし、カルコニスは倒れた。だが、まだ終わってはいない。セトルは間髪入れずそこに飛刃衝を放った。
 カルコニスの体は罅の入ったそこから烈風により斬り刻まれ、直後、それは粒子状の光となって拡散した。
 魔物は霊素スピリクルを大量に取り込んでいる。だから死んだときには霊素スピリクルに還るとのことだ。
 それを確認し、セトルは二人の元へ戻った。
「あ、あの、助けてもろてその……ありがと」
 少女はどこかモジモジしながら礼を言い、セトルを見詰めた。その頬はなぜかほんのり赤い。
「大丈夫でしたか? あ、僕はセトル。で、こっちはザンフィ。それから――」
「――アランだ」
 セトルのあとをアランが引き取った。キキ、とザンフィが答えるように鳴く。
「君は?」
 爽やかに微笑んでセトルが訊いた。
「う、うちはしぐれ、雨森あめのもりしぐれや」
 少女は頬を赤らめたまま答えた。
「アメノモリ……か。変わった名前だな」
 彼女の名前を聞いて茶化すようにアランが言った。すると彼女は慌てた様子で、
「ちゃうて! 名前はしぐれの方や!」と言う。
 そして彼女、しぐれが右足を押さえているのにセトルは気づいた。
「ええと、しぐれさん? もしかして足怪我してるんじゃ……」
 言われると、彼女は自分の抑えている足を見る。
「こ、こんなんかすり傷や、ほっといたら治るから気にせんといて」
 しぐれは大丈夫、と言うようにその押さえていたところを叩いた。しかし、笑っていた顔が一瞬引き攣る。無理をしているのは間違いない。
 セトルは嘆息し、片膝をついた。
「大丈夫じゃなさそうですよ。ちょっと見せてください」
「え? ――あ、うん……」
 しぐれはさらに顔を赤くし、変わったズボンのような物の裾を膝まで捲った。
(やっぱり……)
 しぐれの右足は膝の辺りから血が出ていて、周りは紫色に変色していた。
 セトルはそれに向かって左手を覆うように翳す。
「やっぱりええて! これくらい何とかな――!?」
 しぐれは目を丸くした。セトルの手がぼんやり輝いたと思うと、傷口がみるみる塞がり、変色した箇所が元にもどって、痛みもだんだんと引いていった。
「こ、これは……?」
 見たことも聞いたこともない。霊術? いや違う。彼は何も唱えていない。しぐれは不思議そうに先程まで怪我をしていた右足を擦った。
「不思議だろ?」とアラン。「あいつにしか使えないんだ。《招治法しょうちほう》っていうらしいぜ」
「すみません、驚かせてしまったみたいで……」
 すまなさそうにセトルは頭を掻いた。
「でも、これで歩けるはずです。しぐれさん、あとは僕たちに任せて君は町に――」
「――いやや!」
 セトルが言い終わる前に、しぐれは彼の言葉を遮るように言う。
「うちも一緒に行く! そ、そりゃあさっきはちょっとドジってしもたけど、足手まといには絶対ならへん! いや言うてもついてくで!」
 セトルは彼女の目を見、そしてそれが言い出したら何を言っても無駄な人の目だと悟った。
「いいんじゃないか、連れて行っても」
 どうやらアランも同じ考えみたいだ。セトルはやれやれといった様子で頷いた。
「おおきに! 二人とも」
 しぐれは、やったー、とでも言いたげに満面の笑みを浮かべた。

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