みんな無課金俺課金(課金するとは言っていない)

穴の空いた靴下

序章 胎動

 俺、田中たなか たかしは端的にいって一般的な高校生だった。

 それなりの友達もいる、成績も中の下で落ちこぼれではないくらい、運動も可もなく不可もなく、できるほどじゃないけどできないほどじゃない。

 趣味は漫画とソシャゲ、ほんと普通。
 世間の高校生なら9割りくらいはやっているファンタジータイガーストーリー。
 略してファンタをそれなりにはまっていて、だからといって親から課金することは許されず、中堅かそれ以下のプレイヤーの一人でしかなかった。

 ファンタってゲームはありがちなソシャゲだった。
 ダンジョンに入るのにも仲魔を手に入れるのも強化するのにも全て、輝石きせきを使う。

 輝石は時間で回復する。30分で一個回復する。
 課金要素は良心的()で輝石の購入のみだった。

 仲魔というのはダンジョンに連れていける仲間のようなしもべのようなもので、ありがちなレアリティももちろんある。

 ガチャで手にいれるのだが一回輝石は1個使う。R以上が1個とそれにプラス7体の仲魔を手に入れることができる【レアガチャ】は五個の輝石を使う。

 ダンジョンに入るだけなら基本的には一個の輝石ではいれる。
 五個使うと自分と仲魔のステータスは二倍になるという特典がつく。
 それが基本的なファンタのルールだった。

 細かく言えば輝石でのダンジョンのコンテニューや、仲魔のスキル解放などもあるんだけど、結構課金しないでも時間さえかければなんとかなることも多く、ダンジョンの作り込みや、職業、スキル、仲魔の種類や性格の組み合わせ、そしてソシャゲでは珍しいストーリーの完成度の高さと相まって大人気ソシャゲになっていた。

 PvP要素やチームvチーム、国v国、ワールドvワールドなど、対人要素もふんだんに盛り込まれており、老若男女電車の中や授業中にこそこそスマホをいじっているのは日常的な姿であった。

 当然ジャブジャブ課金をすると有利にはなる。
 けどファンタの面白いとこは課金しなくてもそれなりに、少なくともソロプレイをする分には充分すぎるほど楽しいゲームであった。

 タカシは普通のサラリーマンの親の家に生まれ、年子の妹が一人、分譲マンションに住み、贅沢な暮らしは過ごしていないが貧困に悩む事はない、いたって普通の高校生として生活をしていた。

 ファンタのプレイスタイルはソロプレイ無課金、親から課金したらスマホをへし折る!と明言されていたが、課金しなくてもいいソロプレイ勢としては不満もなかった。
 それなりにゲームに熱中して、輝石がなくなれば今日はそこまでと分別もつけてたまにガチャを引いたりレアキャラでてガッツポーズをしたり、高難易度のボスをギリギリで倒せなくて課金を親に泣きついて
すげなく断られて30分歯軋りしながら待ったり、本当に良くある無課金プレイヤーの一人でしかなかった。


 あの事件が起きるまでは、、、、

 ファンタは日本では本当に大人気だった。
 正直異常と言ってよかった。
 海外にも展開はしていたようだけど世界の規模を全部足しても日本に劣るくらいでしかなかった。
 対人戦でも世界大会といっても上位の50チームは日本チームで埋まる、そんな状態だった。

 そのファンタが流行りのVRMMOになるという情報は日本という国でのみ大ニュースとなった。

 VRMMO,簡単に言えば仮想現実大規模RPG。
 さらに、従来の視覚と聴覚をHMDヘッドマウントデイスプレイで反映してコントローラーでプレイするものとは一線をきす、HMDによる脳波を読み取りによる思考と感覚をゲームに直接反映するRPGである。
 こんなの心踊らない男子高校生はいないと言っていいだろう。
 もちろんタカシもそのニュースをインターネットで見つけて、雄叫びをあげて親に怒られるぐらいであった。

 今までのHMDによる視覚と音によるゲームだけでもとんでもない迫力と没頭性、それを遥かに凌駕する性能でさらにあのファンタが作るのだ!
 日本中に興奮が広がった事が容易に想像できる。

 しかも発表から発売まではたったの3日!
 どれだけの情報規制をしていたのかわからない。
 新型のHMDとセットで売られたファンタは、日本で一番売れたゲーム機として記録に残るんじゃないかな?

 サービス開始まであと5分

 タカシは全裸待機というくらいワクワクしながらその時を待っていた。
 親もファンタプレイヤーだったのでため息はつかれたが、HMDとゲームは買ってもらえた。

 余談ではあるが田中家は父、母、タカシ、妹全員分のHMDを購入していた、
 しかしこれは日本に限って言えば珍しいことではなかった。
 驚くほどの人間がファンタをプレイしていて、当たり前のようにVR版のファンタを購入していた。

      明らかに異常なことに

         この時

         僕たちは

     気がつくことが出来なかった。

 今にして思えば。迂闊だなぁと溜息しか出ない・・・

 HMDゲームだけでも没頭する人が多過ぎて色々と問題が起きていたのに、さらにそれを拡張するようシステムがこれだけ大量に流通すること、情報媒体が紙面、テレビ、ラジオ、インターネットそのすべてがこのゲームをやらないことはあり得ないという風潮で統一されていたこと。

    その異常性に僕は気がつけなかった

 僕だけではなかった、
 日本のあらゆる人たちが、
 明らかなこの異常性に気がつくことを

        封じられていた。

       そして、サービス開始

          4月1日

          日本は

         沈黙した。

      サイレントエイプリルフール

        日本にとって、
   そして、自分、田中 崇の旅の始まりであった。

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