乙女よ。その扉を開け

雪桃

神殺しの記録

「ひな。ねえひな」
「何?」
「あ、良かった。社長があんなになっちゃったからひなにも黙られちゃうと不安なんだよね」

 マフィアの本拠地へ向かうモーターボートに乗り、どれ程か経った頃、あやが雛子に声をかけながら胸を撫で下ろした。
 雛子は元来多く語らない性格のため、いつもなら話し手を誰かに交代させる。だが今はそんなことができる余地はない。何せボートを操縦している者――里奈た近づこうものなら一瞬で殺されてしまいそうなのだから。

「あんなに怒ってる社長初めて。怒ってるっていうか恨んでる?」
「そうだね」
「帰ったらあさに抱きついてイチャイチャしようかな。あの時私のこと妹って言ってくれたし許してくれるよね」
「……そうだね」

 雛子は能天気な性格だとあやを呆れた目で見るが、顔を向けた瞬間彼女の心情を察した。
 あやは元々天才殺人鬼なのだ。結末などとっくのとうに――。

「争いなんか無くなれば良いのになぁ……」

 少女の声は海に消されていった。








 異能者は昔から普通の人間から虐げられてきた。拷問、奴隷、虐殺、迫害。いつの世も異能者を人間として見る者は少数であり、差別的なその行為のせいで異能者の数は激減していく。

 やまは今にも朽ちてしまいそうな塔――自らが生まれ育った研究所まで足を運んだ。
 そこまで来て気づいたが、そこは林の一番奥――関係者でなければまず近寄らないであろう奇怪な場所に位置していた。

(不思議な人達だとは思っていたけど。警察に知られても近所の人が騒がなかったのはそのせいか)

 人付き合いもなく、研究所内でも異能のこと以外一切興味を持たなかった両親を思い出す。とは言っても浮かび上がるのは研究に没頭していた無表情な横顔だけ。
 今思えばあの無干渉な人の気を引くために暴力を繰り返してきた自分を恨めしく思う。

 それでもこの無人の地に来たのには理由があった。やまはヒビが入り、錆びついて軋む戸を開け、暗い廊下を進んでいく。朧気ではあるが、仮にも実家である。目的地へは何の障害もなく進めた。
 やまが辿り着いた先は異能者を実験体にしてきた場所の隣――資料室だ。やまが神憑きの血を取り込んだ時、一言だけ母が呟いていた。

『神の血は多くないのに』と。

 つまりあの時、どこかに神憑きがいたのだ。混ざり者でも普通の異能者でもない神に認められた人間がいた。そしてそれを研究者が文としてあらわさないわけがない。
 やまが知りたいのは混ざり者となってしまった自分の力であった。兄である秀と異能を混ぜ合わせても手首の鎖が消えることはなかった。ならばまだ力は残っているはずだ。

(もし混ざり者の力を使えれば秀にも勝てる)

 目が回りそうな資料の束を捲っては床に捨てるを繰り返す。貴重な資料ではあるが、それらを元に戻す時間が惜しい。

(どこだ。神の力を記しているのは。神殺しの力を記しているのは)

 床が紙束に埋め尽くされる程資料を読み進めていく。本当は神殺しの力を書いているものなど無いのではと半ば諦めかけた時だった。

〈神殺しについて〉

「あった」

 今まで見たものは被験者のものばかりだった。だがこれは違う。簡略化されておらず、事細かに文章が成されている。

『神殺しは神憑き同様希少価値が高い。取り扱う時は重々気をつけるように』

 そんな前置きから始まった。

『神殺しは神の依代とされた異能者(以後神憑きと呼ぶ)が暴走しないように作られた監視者である。
 神殺しは神憑きの血を頸動脈に取り込ませ、理性が残っていれば完成である。
 神殺しは異能者の延長戦である。例を挙げる。
 何百年も前、飢えにより人肉を食べた青年がいた。青年は水を操る異能者であった。コップ一杯分もまともに操れないような弱い異能者であった。だが人肉を食べたその日から彼は思うままに水を操れるようになった。井戸の水を桶の何十倍もの量を一度に汲み上げたり、飲み水に濾過したり。海で溺れる子どもを救ったこともあった。更に青年の体にも影響があった。十年、二十年経っても殆ど衰えない体。一切病に犯されない体。最初は不思議に思った青年もたちまち便利性を感じ、自分の力を存分に使った。現存する最古の神殺しの情報は以上である。
 次に神殺しの危険性を記述する。
 神殺しは時に感情の起伏が激しくなる。その時には力が暴走する為、発散できるよう、要らない人間ごみを用意するように。
 神殺しの力は前述のように強力である。完全に理性が無くなったら心臓を抜き取り首を切れ。
 神殺しの力は普通の異能者に受け渡してはならない。渡したら最後――』

「ばーか」
「!?」

 真剣に読み進めていたやまは敵の気配にも全く気づかなかった。近くで声がして慌てて振り返ると目と鼻の先に秀がいた。

「しゅ……!」
「逃げるなって。神殺しについて? へえ。一応自分がそうだって自覚はあんだな」
「離せ!」

 秀が取り出した魔道具、鎖に体を巻きつかれてそのまま身動きも取れずに書類を盗られる。

「俺に魔力を返す……ってわけでもないか」

 鎖を断ち切ろうと策を凝らしているやまを一瞥する。書類は全て読まずに床に捨て、鎖に力を入れる。

「ぐっ!」

 骨が軋み、やまは苦しそうに呻く。

「いつになったら力を戻してくれるんだか」

 苦しんでいる弟に情など一切向けず、秀は苦笑混じりの溜息を零すと鎖ごとやまを壁に叩きつけた。

「お前が力を返してくれないと俺も死んじまうしな」

 背を強く打ちつけられて立てなくなっているやまの胸倉を掴んで引き寄せ頬を殴る。

「そう言えばいつか言ったな。魔力を返すまで拷問し続けるって」
「秀……」
「まさか時効になったなんて言わないよな」

 いつの間に戻ったのか鎖が秀の手中に入っていた。

隔世かくせいかん!」

 こちらに向かって歩いていた秀の足が止まった。感覚を操作して秀の足を鉛のように重くしたのだ。

「異能か」
(秀には物理じゃ勝てない。ここから逃げて体制を)

 やまは敵に背を向けて出口の方へ向かった。

「……本当に馬鹿だな」

 秀が冷ややかな視線を向けていることも気づかずに。

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