乙女よ。その扉を開け

雪桃

弐拾八

 その日の夜。酔い潰れた舞姫達を介抱した後、縁は手招きして水輝を外へ連れ出した。

「まさか貴方に酒を汲む日が来るとは思いませんでした」

 縁側で冷たい風に当たりながら二人は酔いを冷ます。

「あちらでは上手くやっているのか」
「ええ。相応の給料は貰えています。それに里子様が中々のものでして」
「中々?」
「彼女は教師に向いていると思います。瑠璃に読み書きを教えたのも彼女ですし。教師の道を薦めてみましたが大勢の前では無理だと仰っていました」

 その時の光景を思い出したのか縁はクスクス笑う。

「それよりもそちらはどうなんですか。相変わらずの惚気ぶりですか」
「惚気をしているわけではない。ただそう見えるだけだ」
「何ですかその開き直りぶりは」

 外出できるようになった水輝は更に自分の妻を可愛がるようになり、里子の溺愛と良い勝負ができそうだ。

「……舞姫は私の世界を変えてくれた」

 突然そう言い出した水輝に縁は首を傾げる。

「あいつがいなければ人とこうして接することも回復することもできなかった」
「そうですね。彼女は周りを変える力でも持っているんじゃないですか」

 舞姫の存在の大きさに今になって実感する二人だった。







 一週間後。正月の騒々しさも収まった日のことだった。

「真由美の晴れ着姿、可愛かったんだけど」
「やめてくださいよ。私は男として当主になるんです」

 実務として真由美が橘家に来たことにより、舞姫は話に花を咲かせ始めた。

「全くもう。橘様も何か言ってくださいよ」
「舞姫の晴れ着も可愛かったが」
「愛妻家め」
「ふふ。私お茶淹れてきますね」

 上機嫌になった舞姫は二人分の湯呑みを受け取って外に出ようとした。そんな時だった。

 大きな音を立てて湯呑みを落として割り、本人も転ぶようにしゃがみ込んでしまった。

「舞姫?」

 水輝が不思議に思って名前を呼ぶが何も答えない。

「どうした舞姫。具合でも悪いのか」

 水輝が顔を覗き込むと顔色を悪くした舞姫が口に手を当てて苦しんでいる。

「……さま。お、おけを」
「桶?」

 呆然とする水輝に代わって偶然通りかかった女中に桶を借りて真由美が急いで渡す。

「うえっ!」

 桶を渡した瞬間舞姫はその中に胃の中の物を吐き出した。

「真由美殿、使用人に医者を呼ぶよう言ってくれ」
「は、はい!」

 吐き続けた舞姫はその後、貧血を起こして医者が来る三日間寝込んだという。

 真由美が手紙を送ったことにより、町にいる里子達にもこのことは知らされることになった。

「ゆ、縁様! 移動を。私もお姉様のお見舞いに」
「はい。瑠璃、雄介様と留守番してて」
「うん」

 縁は仕度も早々に里子を連れて橘家へ移動した。

「真由美! お姉様は?」
「分からない。私も今来たばかりだから」

 玄関先で話していても仕方がないので三人は案内された場所へ急ぐ。挨拶もそこそこに戸を開けると布団の上で上体だけを起こしている舞姫とその隣には水輝が座っていた。
 縁は何か違和感を覚え口を開きかけたが里子に先を越された。

「何があったのですかお姉様! 年初めはあれだけ元気そうだったのに」
「いや、あのね……」
「まさか重病ですか!?」
「び、病気じゃなくて……」

 気圧されてまともに答えられていない舞姫に代わって縁が身を乗り出す。

「ねえ舞姫」
「ん?」
「あなた妊娠したでしょ」

 急な縁の爆弾発言に部屋全体の時が止まった気がした。

「違う? 悪阻といい急な貧血といい」

 指摘された舞姫は少し頬を赤らめながら頷いた。

「その……お医者様が言うには推定三ヶ月になる胎児がいるって」

 この前の嘔吐は悪阻のせい、寝込んでいたのは血と栄養が足りなかったせいだ。

「妊娠……ということは病気は」
「ごめんね心配させて。おめでたいことだったの」

 気が抜けた里子と真由美は力が抜けて大きく息を吐いた。

「無事なら良いです。それよりお義兄様は冷静ですね」
「冷静? 何を言っているんです里子様」
「え? だって」

 茶を飲んでいる水輝を見ても何ら動揺している気配はない。だがそんな中舞姫は首を傾げる。

「水輝様。それ私の湯呑みですよ」
「そうか」
「その湯呑み、もう空ですよ」
「そうか」
「水輝様の湯呑みは台所ですよ」
「そうか」
「滅茶苦茶動揺している!?」

 水輝の異常な動揺ぶりに里子がすかさずツッコミを入れると堪らず縁が笑う。つられて他も笑うと場が和んだ。

 腹の中にいる子が天災になるとも知らずに。

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