乙女よ。その扉を開け

雪桃

拾五

 それから一週間。
 そろそろ帰らないとと思った縁が禍乱家当主に相談している時だった。

「旦那様!」

 酷く慌てた様子でつまずきながら女中が走り入ってきた。

「客の御前だぞ。落ち着け。何があったんだ」
「お嬢様が……真由美様がお目覚めに!」
「なんだと!?」

 話を聞いた途端冷静さを欠いた当主を縁は宥めた。

「旦那様。前に言ったことを覚えていますか?」
「ああ覚えている。だが一目見ない限り私には判断出来ない」
「そうですか。では私も同行いたします」
「頼む」

 焦りを抑えている女中の後に続いて二人は真由美の部屋に向かう。

「真由美、大丈夫か――」

 当主が障子を開け放ったと同時に

「旦那様!」

 縁が当主の袖口を引っ張った。当主のいた場所に刀が振り下ろされる。

「な、何をしている真由美!」
「来ないでください!」

 毛布で全身を隠しているせいで部屋に入っても真由美の口しか見えない。

(……牙?)

 犬歯のあたりをよく見てみると異常な程に長く鋭く伸びた牙がある。

「嫌です! お父様に化け物と呼ばれるのは嫌です!」

 毛布の合間から水滴が零れ落ちる。刀を握っている真由美の手が震えている。

「殺してください! お父様に孝行できない娘などただの木偶です!」
「落ち着け真由美! 一度話そう。何日も意識が無かったせいで狂っているんだよ」

 当主が毛布を取ろうとすると真由美は剣を振り上げて拒む。

「見ないで! 来ないで!」

 このままでは埒が明かないと考えた縁は力を毛布に加えた。

(飛べ)

 たちまち風が吹いたわけでも無いのに毛布は部屋の隅に纏まった。

「ま、真由美?」

 彼女の顔は人間のそれとは随分掛け離れたものだった。赤茶色のつり目に尖った耳と、異常な程までに鋭い牙。

 真由美を纏っている魔力は際立って厄災になりうる存在。

「いやあぁぁぁぁ!!」

 当主と――父親と目を合わせた真由美は悲鳴を上げながら尻餅をつき、刃先を首筋に当てた。

「ごめんなさい。ごめんなさいお父様。禍乱家の血筋を絶やしてしまうことは死以外に償えません」

 真由美の首から血が滴る。

「頼む! 止まってくれ!」
「親不孝者で申し訳ございません。さようなら」

 思い切り切ってしまおうと真由美は刀を上げてから振り下ろした。

「……たわけが」

 鈍い音が部屋中に響く。しかし覚悟していた痛みは一切無く、 恐る恐る真由美が目を開けると目の前に縁が剣を手で遮っている姿があった。縁の手からは血が大量に出ている。

「ひっ! ゆ、縁さ」
「黙れ」

 真由美の手首を強く掴みながら冷酷な瞳を縁は向けた。身分も気にせず食ってかかる縁に真由美はただ絶句する。

「人の話も聞かない者なんてただの馬鹿だ。自分の姿を見ただけで他人が同じ考えを持っているなどと思うな」
「だ、だってこんな」
「お前の親は化け物と呼んでいるか? 恐れて逃げ出したか? 今そこにいるものを見ることも出来ないのなら死んでしまえ。自分の判断を押し付けるな」

 それだけ言い捨てると刀と真由美の手首から手を離して縁は当主の元へ向かう。

「後でいくらでも罰は受けます。今は二人でお話しください」

 呆然とする親子二人を置いて縁は女中と出ていってしまった。

「あの、縁様?」

 女中が心配そうに閉め切った扉を見た。

「親子というのはなんて面倒な」
「え?」

 縁は腹に手をやりながら呆れたように盛大な溜息を吐きながら与えられた部屋に戻った。

 いつの間にか剣で傷ついていたはずの手が治っているのを隠しながら。



 部屋に取り残された二人はしばし声を発さずにただ座り込んでいた。先程ではないにしろ真由美は再度布団を被って俯いている。

「……真由美」

 徐ろに当主が口を開くと真由美は分かりやすく体を震わせた。

「一つだけ昔話を聞いてくれるか?」
「は、はい」

 真由美が頷いたのを機に当主は口を開いた。


 ある農村に妖を趣味とする奇妙な娘がいた。彼女を理解できる者は赤ん坊の頃から今日まで腐れ縁で結ばれている男以外いなかった。
 そうは言っても理解があるだけで妖が好きなわけでは無い。

 娘は字が読めない代わりに毎日のように本を男に読んでもらっていた。
 結婚適齢期になっても貰い手が来ないことに痺れを切らした両親は男に結婚を頼んだ。

 その頃村を出て有能な資産家になっていた男には相手は余る程いたが、今更断る理由もない。
 教養を最低限だけ備えている娘を守りながら続けていくと、結婚して一年もかからずに子が宿った。

 妖好きの娘として知られている為に妖の子でも産まれるんじゃないか揶揄されてきた。

 男は娘に聞こうと思って聞けなかったことを話してみた。

『どうして妖が好きなんだ?』

 娘は目を白黒させた後、可笑しそうに笑った。

『私は妖が好きなわけではありませんよ。ただ異なった者に興味があるだけです』
『異なった?』
『知っていますか? 異国には言語も容貌も文化も私達とは違うことを。それなのに同じ星に住んでいるのです。大きな星の小さな小さな生命体。
 人間と妖の何が異なりますか? 昔から人は自分と違うものを恐れ虐げてきました。自らの子を捨てた人もいました。
 けれどその子がいる限り神様でも変えられないことがあるでしょう?』

 少し大きくなった腹を娘は優しく撫でる。

『この子が妖の子であろうと化け物であろうと私とあなたの子であることに変わりはない。違いますか』

 娘はを好んでいたのではない。まだ見ぬ未知の者に興味を沸かせていたのだ。

『妖に会ってみたい。私達の知らない世界を見てみたい』

 彼女は変わらない澄んだ笑みを男に向けた。


 話し終えた当主は真由美の見開いた目を何も言わず見つめた。

「あの……その女性はどこに?」
「その子を産んだ後病にかかって一ヶ月足らずで亡くなった」
「妖に会う夢を」
「叶うことが無かった」

 真由美はその娘を可哀想に思った。夢が叶う前に亡くなってしまった。愛する子の成長を見届けられずに亡くなってしまった。

「あいつは託したんだ。娘を守ってくれと。私の代わりに人と妖を繋いでくれと」
「つなぐ――あいつ?」
「お前の母親の話だ」
「私の、お母様?」

 真由美は今まであまり母について聞いてこなかった。自分が産まれてすぐ死んだと聞いたし当主も周りにいる使用人も沢山愛情を注いでくれたから。母の愛情を恋しがる程愛に飢えていなかったから。

「私は謝りたい。妖になって泣いていたお前を慰めるより先に妻との約束が叶ったことを喜んでしまったのだから」

 当主は真由美に近づいて布団を剥いだ。

「妖を見たいと言っていた妻の代わりに娘が妖になった。人と妖が同じ体に宿っている。
 何十年もあいつが願ったことが叶ったと思ってしまったんだ。お前が苦しんでいたと言うのに」

 妖としてではなく泣き腫らした目尻を当主は指の腹で優しく撫でる。

「お前は自分のことを化け物と呼んだな。でも本当に化け物なのは私だ」
「おと、う……?」
「親不孝者だとも言っていたな。私は決してそうは思わん。あいたも言っていたんだ」

 当主は真由美の体を抱きしめる。

「お前が私とあいつの娘だと言うことは何があろうと変わらないだろう?」
「――っ」

 鬼になった娘にこんなことを言うなんて他人から見たら奇怪な親だろう。何年も異質好きだった亡き妻に感化されたのかもしれない。

 ただこのまま手放せば一生後悔する。当主はそう思った。

「容貌がどれだけ変わろうが狂って正気を失おうが私達の娘は真由美、お前自身だ。誰にも覆せない。あいつとの約束がたがうことは私が死ぬまで……死んでもない」
「お、お父様。私はもう」
「人の目が怖いのなら。罵られるのが怖いなら家にいればいい。お前がしたいようにすればいい」

 当主が慰めている内に真由美の心も和らいできた。
 鋭く長い爪で間違えて傷つけないように当主の背中に腕を回す。

「鬼の過去を見たんです。人間と友達になりたかったのにその異形から恐れられ悲しみによって凶暴化してしまった妖を」
「それがお前に憑いた奴か」
「はい。彼は神様から阿修羅と呼ばれておりました。封印された後も人と接したくて自分の社に閉じ込めて自分と生を共にしようとしていました。
 鬼の寿命と並べられる人間がいないということを知らないで」

 人骨が無造作にいくつも転がっていたのはその分だけ鬼――阿修羅が穴に連れ込んでいた証拠だ。

 本来鬼にとって人は食物でしかない。食物と会話をするなど馬鹿げた行為。

「阿修羅が悪かったんじゃなかった。異質を認めなかった人類が勝手に脅威と認めて勝手に死んでいったのです。愚かだったのは人間の方だった」

 自分が化け物と恐れられるよりも妖の人間にされた仕打ちに対して真由美は泣いているようだった。

「真由美はどうしたい?」

 当主は真由美の頭を優しく撫でる。

「鬼に対して同情などと言われても仕方ありませんが。阿修羅に人の世界を見せてあげたい。何百年も願っていた夢を叶えてあげたい。たとえ化け物と呼ばれても」
「そうか。それなら鬼と友好にならないとな」

 冗談が混じったような娘を励ます父のような声音に漸くはっきりと安心した真由美の涙腺がまた緩んだ。

「あ、ありがと、ございます……おと、おとうさま」
「ああ。生きててくれてよかった。真由美」

 二人は確かめるように再び互いを強く抱きしめた。

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