乙女よ。その扉を開け

雪桃

雛子

 三日、四日――毎日少しずつ回復してきた紫の身体は殆ど健康体と言っても良いくらい傷は修復していた。

 精神的には疲れが出ているが紫が何も言ってくれない為、聞くだけ無駄なのである。

「久し振りゆか。中々会いに来れなくてごめんね」

 首も治り自分から食事ができるようになった紫が病院食を食べていると仕事で面会に来れなかった里奈がすまなさそうに右手を軽く上げて入って来た。

「社長!」

 近づいてきた里奈を抱きしめる。

 探偵社において里奈は見た目がどうであれ紫にとって母代わりの存在だ。

 見舞いに来たあや達にも困らせる程、里奈に会いたいと我が儘を言ったものだ。

「はいはい。見ない内に元気になってて安心したわ」

 そう言う里奈の目には隈がうっすら浮き出てる。

「社長はお疲れ?」
「まあちょっとね。教師なんて疲れるのが普通よ。最近はあなたのことをクラスメイトに追及されてるし」
「ごめんなさい」

 謝ること無いわ。と里奈は苦笑して何かを思い出した。

「そうだ忘れてたわ。ゆかに紹介しなきゃ」
「?」
「やっと思い出したの社長。結構悲しいんですけど」

 ローファーの音が鳴って紫の目の前に現れたのは――

「……ひなみ?」
「やあ。元気? 紫」

 いつも見ていた三つ編みの姿は無く、うねる長い髪を煩わしそうに払う――じゃあ結べば良いのにと紫は思った――数年来の友人が目の前にいた。

 そういえば忘れていた。

 ひなみはマフィアの一人だったはずなのにあの時里奈と一緒にボートで紫を助けに来た。

「……えっと?」
「ゆか、説明するから聞いてくれる?」
「はい」

 兎にも角にも頭の整理が必要だ。

「新上ひなみ。マフィアの構成員の一人。不敵な笑みを作る残酷な人殺し。
 これは全て探偵社がマフィアへのスパイとして作り上げた偽りの彼女よ」
「マフィアの……スパイ」
「ごめんね黙ってて。ただ」

 言われなくても分かる。

 神として狙われる紫にひなみの正体を明かしてすんなり演技が出来るかと言われれば自信は無い。

「彼女の本当の名前は鳥越とりごえ雛子。
 あさが来るずっと前から影の使い手として探偵社に貢献してくれている古株。
 基本的に攻撃より潜入を得意としているわ」
「私の異能が潜入にぴったりだしね」

 ベッドに座って紫に凭れ掛かる。

 ひなみ――改め雛子の長ったらしい髪がグイグイ押し付けてくる。

 聞くとあさも大分早い内から探偵社にいたはずだがそれ以前となるとまだ小学生にもなっていない頃だろう。
 彼女も孤児なのだろうか。

「この子は孤児では無いけど……身売り?」
「物騒な。ちゃんと教育を受けた上での了承です」

 雛子の姓である“鳥越”は石川の南部にある神社の名前らしい。

 そこには五人の子がいて唯一の異能者であり末子の雛子を友好の証として探偵社に手渡したのだ。

「別に悲しくないし寧ろラッキーだよ。だって神社にいたら冬の寒い中雑巾で堂を掃除しなきゃならないし跡取りはそれに加えて多大な勉強をしなきゃならないし」
「そ、そうなの……?」

 ――こんなに毒舌だっただろうかひなみは。
 表情も全く動かないし。

「ひなは錬以上に何を考えているか分からない能面娘なの。ほぼ無心で会話しているからひよにも分からないらしいし」

 効果音で「どやぁ」と聞こえた気がした。
 全く頬は動かないが。

「彩乃達は探偵部に依頼が来たから今日は来ないよ。
 ただの人探しだから今日中にでも終わると思うけど」

 雛子は早い段階でスパイに出ていた為、名前を略して呼ぶことを知らないらしい――スパイ?

「ここにいたらまずいんじゃ」
「「もうバレてる」」

 アイラの攻撃を無効化して紫を助けに行った時点でマフィアには漏れていたそう。
 それでも殺しには来ない。

(……魔姫は)

 分かった上で雛子をそのままにしておいたのか。

 魔姫は人並み外れた頭脳を持っている。
 予想外のことだって平気で成し遂げるのだ。

「社長?」
「え? あ、ああごめんなさい。考え事していたわ」
「別に構わないけど。もう面会時間過ぎそうだし」
「あらもう? じゃあねゆか。明後日迎えに来るわ」
「……もうちょっと」

 引き止めるように里奈の袖をクイッと引っ張る。

「でも時間が」
「良いよ社長。私の異能なら気配隠せるし」
「……ならいっか」

 本来は良くないのだが今日は急な手術で恵子もいないし、何より紫が寂しそうにこちらを見ていて非道はできない。

「社長。こっち」
「はいはい」

 里奈は珍しく甘えてくる紫が眠りに落ちるまで胸に頭を引き寄せ背中をさすってやった。

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