乙女よ。その扉を開け

雪桃

家族を灼く娘

 この村に若者が少なく、過疎化が進んでいることを今は感謝するばかりだった。

「これが東京だったら全身ボロボロだったかもしれないわね」

 あさが皮肉めいた笑みでまさに言う。

「それとも若い奴がいれば殴りたい放題かしら」
「あさ。まだ壊れないで」

 狂気に当たっていなくても狂いそうな程眠い。

 特に異能で体力を奪われるまさと、反動が大きく疲れやすい体質のあさにとっては徹夜で働くことは何よりも辛い。

 精神的に色々おかしくなり過ぎていると二人も正常に働けないのだ。

「ねえまさ。やっぱり殴」
「らない」

 眠気にまだ慣れているまさが止める。
 ぼやける頭を叱咤して様子を観察する。

(僕達は狂気化しない。多分この人達はゆかに近付いたせいなのか。それならこのまま奥へ行けば)
「くしゅん!」

 あさがくしゃみをした。
 いくら辺り一面火事であっても十月下旬で山の近くでしかも夜である。
 薄い七分丈のパジャマだけでは寒いのだろう。

「どこかから上着借りる?」
「い、良い。動けば暖かくなる」

 あさも同じようなことを思ったのか一直線に道を走る。まさも後に続いた。

 狂気化していても老いた体は言うことを聞かなくて少し避ければいとも簡単に遠くまで走ることができた。

 どれ程か走った後、狂気化している者の中から裸足でふらついている少女を見つけた。

「ゆか!」

 小さく肩が動き虚ろな瞳を持った首をこちらへ向ける。黒い目では無く狂気に染まった紅色だ。

「っゆかを、返せ!」

 助走をつけてあさは紫の肩に蹴りを喰らわせようとする。

「……あさ?」
「え?」

 一瞬紫が正気に戻った気がして動きを止めた。だが、それが仇となった。

 紫の左足があさの腹に直撃して肋骨が砕ける音がしながら民家に吹き飛ばされた。

「がはっ!」

 全身を打撃したあさは大量に血を吐き出す。

「あさ!」

 そちらへ走ろうとするまさの前に紫は立ちはだかりまさの肩に思い切り噛み付いて引きちぎった。

「ぐっ!」

 傷口が大きく開き、とめどなく血が流れる。

「っゆ、か」

 口から漏れる血を拭き取ることも無く紫の虚ろな目が空を見つめる。

「あいちゃん」

 ふらふらと紫はまた道を戻ってしまった。

「ゆ、か……ゆか!!」

 まさの悲痛な声が届くことも無く――――



「…………」
「しん。どうしたのですか?」

 ひよとしんは紫を捕らえるよりも、探し出すことに注意を向けた。

「いや。あっちからまさの声が聞こえた気がしたんだけど。村人に襲われたのかな」
「そうだとしても平気だと思います。あさもいますしまさだって何の心得も無いわけじゃありませんわ」
「そうだね。先を急ごう」

 狂気に満たされているのか、ひよの百目もあまり効かない。
 民家も一件一件見る必要がある為、時間を食っている暇は無いのだ。

「いませんね」
「ああ。村人を狂わせて民家にいるという可能性は低いかもしれな」

 土を踏みしめる二人以外の音がして瞬時に身構えた。しかし振り返っても誰もいない。

「? 今確かに」
「ひよ!」

 しんに呼ばれてそちらを見る間も無く突き飛ばされる。

「しん……ゆか……」

 ひよの目に映ったのは手刀でしんの右肩から脇腹にかけて斜めに切り裂く紫の姿だった。
 しんの返り血を浴びて紫の頬が赤くなる。

「ひっ!」
「ひよっ。逃げ、ろ」

 紫と目が合ったひよは震えながら後ずさる。

「ひ、ひゃ、百目!!」

 ひよの額に刺青が入り、周りに“目”が集まる。

「ゆかを抑えて!」

 紫目掛けて“目”が爆発する。しかし紫には効かず、瞬間的に距離を詰められる。

「た、助けて真由美お姉ちゃ」

 ひよの願いも届かずその華奢な脇腹を水平に切り裂く。

 血飛沫が上がり、ひよは事切れたように仰向けに倒れて気絶した。まだ治っていない傷が開く。

「ひ、よ……しっかり」

 しんが呼びかけるも返事は無い。その内しんも力尽きて意識を失った。

「あいちゃん。次は?」




 ――――雛子は耳をそば立てた。

「三、四人」
「増えてないか?」

 耳が良い雛子は実家特有の術を使えば千里先の人の呼吸や心音さえ分かる。

「血流も激しい。気絶してるからまだ安静だけど放っておけば失血死する」
「急いで行った方が良いか?」
「うん」

 二人は元来た道を引き返す。

「なあひな。お前とゆかってどれくらいの仲なんだ」
「小学校から。それがどうかしたの?」
「ゆかの知り合いにあいって言う子はいたか?」

 雛子の眉が訝しげに動く。

「質問を返すけどどうして?」
「夜中に起きた時にずっと呟いてたんだ。行かないであいちゃんって」

 雛子は無言で立ち止まる。

「ひな?」
「柊藍。私も紫に教えてもらっただけだから全部は分からない。確か紫とは一回り年が離れていて十六の頃に事故死した。
 まだ四つだった紫にはよく分からなかったせいで藍が自分を置いていったと思ったんじゃないかしら」

 雛子がこの事を紫に聞いたのは小学三年の頃だった。

 それまで家族からも親戚からも藍は遠くへ行った。もう帰ってこないと教えられていたのだ。

「あの子がバッグに付けてるペンダントのこと知ってる?」
「ああ開閉式のか。偶に見ててあやに聞かれるとはぐらかしてるな」
「あれ、藍の形見なんだって」

 紫が押し入れのダンボール箱からこっそりと取った。両親にバレないように本当にこっそりと。

「魘される程、藍に会いたかったんだね」
「…………」

 やまは泣いていた紫を思い出す。
 離れまいとやまの――どこにもいない藍の体を抱きしめ震えていた紫を。

「さてと。余談はここまでにしておいて皆を」

 雛子が一歩踏み出した瞬間地面が爆発した。

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