真知子の怪異 〜墓場アパート編〜

ノベルバユーザー79369

第3話



どうしてこうなった。
半年前、猿島は自分の人生を振り返った。
プロレスラーになったのは一八歳。高校を中退してから上京し、日雇いバイトを転々としていた日々を過ごしていく中、とあるプロレス団体のマネージャーに誘われたのがきっかけだった。
若手プロレスラー一〇対一〇。テレビのバラエティ番組向けに作られた企画で、その人員補充としてまだ十代で都会に上京したてだった猿島に声をかけたという。ただそれだけだった。
猿島は、喜んでその誘いを受けた。
頭も良くないし大した資格も持ち合わせていない。そんな自分に大人が必要だといってくれた。
それが嬉しかった。
プロレスのことはよくわからないが、自分が必要とされているなら、応えてみたい。
それが『恩義』だと猿島は考えている。
人間関係に行き詰まり、高校で暴行事件を起こしてしまった際、唯一かばってくれたのは母親だった。
「恩義は返すもの」母親は口癖のように、猿島にそう教えた。
自分のことを救った人間に対し、感謝し、そして敬意を表す。それが人間だ。そう教えてくれた。
恩義を感じたのなら、全力を尽くす。それが礼儀だ。プロレス団体に所属した後、徹底的に肉体を鍛え、興行収入に結びつく立派なプロレスラーになろうと努力した。
努力をしていくうちに、猿島はプロレスの魅力を知るようになった。
プロレスはショーなのだ。
人を楽しませる格闘のショー。鍛えた体と体がぶつかり合う。その迫力は日常生活にはない迫力がある。相撲のように形式にとらわれず、お客が喜ぶために体を張って戦いを魅せる。それがプロレスだ。一部の無知な人間からは「どうせ脚本通りにリングの中で暴れているだけだろ」と批判されることもあることもあるが、戦いの際は本気であり、油断をすれば大けがになる。素手で戦うことが前提にあるため、怪我をする確率はサーカスのそれ以上にある。そう猿島は信じている。
必要とされるなら、サーカスでもよかったのかもしれない。
あるいは芸人。体を張って人々を楽しませる。自分が必要とされる職業なら、なんでもよかった。
たまたまプロレスに出会った。それは運命だろうと猿島は感じている。
それに感謝し、猿島は二〇年、現役プロレスラーとして体を張ってきた。
四〇歳になった頃、所属しているプロレス団体が潰れた。
赤字続きの経営不振。猿島がその事実を知ったのは、社長が夜逃げをした翌日の朝だった。
プロレスの世界で中堅クラス。ガチンコで強さはあっても、客を魅せるだけの華がたりないということで、どこも猿島を雇ってくれるプロレス団体はいなかった。
生きるために仕事をしなくてはいけない。職業案内所に通い詰めて、紹介できる仕事が日雇いのアルバイトばかり。
八方ふさがりとなった。また昔のように自分は他人に必要とされない人間になったのか。
どうでもいい。もうどうなってもいい。心が荒み。人生に絶望した。
そんな時、声をかけたのがヤクザだった。
「月百万で用心棒をしないか」
単純に金額で心が動いた。暴力団に雇われることに抵抗はあったが、仕事を選べる身分でもない。なにより、プロレスラーとしてもう生活できないと諦めた心のタイミングもあり、猿島は暴力団の用心棒の仕事を引き受けた。
給料はいいが、張りのない生活だった。
親分の側に立ち、高いスーツを身にまとって近づく者に睨みを利かせる。それだけの仕事だ。
自分が強いわけではない、ただ元プロレスラーのマッチョな男を雇っただけのチンケな親分は、偉そうにふんぞり返って子分たちに口で命令するだけ。恩義は何もない。ただ金で雇われただけの男に成り下がった。
そうこうしているうちに、猿島は逮捕された。
指定薬物の不法保持。親分が組でご法度とされるクスリに手を出したということが発覚し、組にガサ入れが入り、関係者全員逮捕されることになった。
幸いなことに構成員ではない猿島は、執行猶予付きで刑務所に行くことはないかもしれない。国政弁護士が留置場で説明してくれた。
が、いずれにしても前科はつくのだ。
もうカタギの仕事につくことはできない。
プロレスはもちろんのこと、日雇いのアルバイトもできないかもしれない。根気よく探せば仕事は見つかるもしれない。が、もう何かをやろうというその根気は猿島にはなかった。
ただ必要とされたかった。それだけのために生きていた。
だが、実際に自分は他人に利用されていくばかりの人生だった。そう感じて仕方がない。
くそったれ。
憤りが腹の中でぐつぐつ煮え返る。
真面目に一生懸命だった俺は一体なんだったのか。誰かに褒められたくて、犬のように忠実だった自分は、客観的に見れば間抜けの何物でもない。
ふざけるなよ、ちくしょうが。留置場の中で猿島は怒りを爆発していた。
そんな時だった。
「楽しそうね」
褐色肌の美人が、檻の外に立っていた。
「あんたは」
鼻筋の通った顔立ち。忘れもしない。俺を逮捕した女刑事だ。
「自己紹介が遅れたわね。あたしは船頭真知子」
ふふんと女は笑った。
「船頭さん。何の用だい」
「別に。ちょっとあんたとおしゃべりしたくて来ただけよ」
「だったら面会室でやればいいだろ」
「あそこじゃ時間が制限されるし、なによりあなたに面会拒否されたら会えないじゃない」
猿島は舌打ちした。
「俺は忙しいんだ。さっさと消えろ」
「へぇ、檻の中で忙しいの」
「おい誰かいないか! このバカ女をさっさと追い出せ! 目障りで仕方がねぇ」
「つれないわね。まだそんな時間も経ってないのにもう追い出すの?」
「イライラするんだよお前と話してると! むかっ腹がたってしょうがねぇ」
「なぜ?」
「うるせぇ!」
猿島は壁を殴った。天井が揺れ、粉が落ちてきた。
留置場で待機する警察官から「静かにしろ」と怒鳴り声が響いた。
「少しは落ち着きなさい。あんたの親分がクスリに手を出したからこうなるの。あたしのせいじゃないわ」
「あんたにキレてるんじゃねぇよ。それに俺は構成員じゃねぇ。ただ金で雇われただけの用心棒だ」
「世間から見ればあんたはヤクザと一緒よ」
「俺に喧嘩売りに来たのか?」
「どうかしら」
前髪を耳の後ろに入れ、真知子は猿島を見つめた。
猿島は真知子を見つめ返した。
「何なんだ一体」
「不思議ね」
「あ?」
「昔ファンだった男が檻の中にいるっていうのは、不思議な感覚よ」
猿島は目を開いて驚いた。
「俺を知ってるのか?」
「一九九六年の一〇対一〇の乱戦試合。まだあたしは五歳だったけど、生で初めて観たプロレスはあれが初めてよ」
気づいた時、猿島は鉄格子に向かっていた。
無意識だった。無意識に猿島は真知子に歩み寄ろうとしていた。
真知子は腕を組み、微笑んで立っていた。
「引退するまでの試合。直接観に行けなかった分はDVDを買ったわ」
「すまねぇ。ファンの顔を覚えるのは苦手でな」
「そうね。あんなにファンの顔を見るのが苦手なレスラーはいないもの」
猿島は顔を伏せた。荒んでいた心が一気に吹き飛んだような、嬉しい気持ちでいっぱいになった。
それと同時に、今の自分が恥ずかしくなった。
かつてのファンが今の俺を見てどう思ったか。自分より二十も年下の女の子に怒鳴るなんて、なんて情けなくてみっともない。
「猿島さん」
真知子が声をかけた。
「プロレスラーのあなたがヤクザの用心棒に成り下がった時、正直ショックだった」
「だろうな」
「どうしてプロレスをやめたの?」
「俺みたいなジジイは用済みなのさ。プロレス人気も上がってきているが、今のファンはミーハーな女ばかりだ。強面のおっさんよりイケメンのマッチョの方が客入りがいいんだとさ」
「わかってないわね世間は」
「そういうあんたは変わり者だ。俺みたいなおっさんレスラーになんの魅力がある」
真知子は肩をすくませた。
「さっき辞表を出してきたの」
おもむろに真知子はいった。
「どうして?」
「つまらないから」
しれっと真知子は答えた。
「単純に警察に向いてなかった。そうとしかいいようがないわ」
「辞めてどうするんだ?」
「探偵事務所を開くわ」
「探偵……」
元警察官が経営する探偵事務所。漫画でよく聞くベタな展開だ。と、猿島は思った。
「今調査員募集してるの。ちょうどガタイのいいマッチョなおっさんを募集してるんだけど、どう?」
ふっと猿島は口元を歪ませた。
「ありがてぇ話だが、もうその手の誘いは懲り懲りなんだ。甘い言葉でその気にさせて、利用価値がなくなったら捨てられる。もううんざりだ」
真知子は黙って猿島を見た。
猿島は顔を上げ「だから」と続けた。
「悪いが他を当たってくれ。もう俺は終わった人間だから」
「カッコつけて断るのはいいけど、行くあてあるの?」
「わからん。だが」
「五〇手前の無職のおっさんが漫画みたいな台詞吐いたところでお金にならないわよ。意地張ってないで受けなさいよ」
「いや、しかし」
「あ、そ。わかった。そこまでいうなら他を探すわ」
真知子は踵を返し、その場を立ち去ろうとした。
「待て」猿島が真知子を呼び止めた。
「なによ?」
「お前のいう通りだ」
「で?」
「たしかに出たところであてはない。五〇手前のおっさんがぐだぐだいうのもみみっちぃ話だ。ついお前が俺のファンだって聞いて、つい嬉しくなってカッコ付けてしまったのも認める」
「あ、そ。で?」
「乗らせてもらうよ。あんたが開く探偵事務所に」
真知子は鼻から息をゆっくり吐いた。
「最初からそう言えばいいのよ」と、いった。
留置場に待機している警察官がぼそりとつぶやいた。
「面会室でやれよ」

          

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