高校ラブコメから始める社長育成計画。

すずろ

07.夏の香り

 ボクは今病院にいる――

 と言っても怪我をしたわけではなく、夏香ちゃんの付き添いだ。
 それは一時間前のこと――



「わあ、強い雨だねー」
「や、私のが強いし」

 わけのわからないことを言い放つ夏香ちゃんと靴箱でばったり会った。

「今日は室内練習かな?」
「だろねー、わたしゃ行かないけど」
「調子よくないの?」

 こないだ運動場で五十メートル走の勝負をした時はびっくりした。
 急に咳が止まらなくなって苦しそうだった夏香ちゃん。
 ボクが何度も勝負を挑んだからだ。
 無理をさせちゃってごめんなさい。

「ううん、全然へーきだじょ。心配すな」

 夏香ちゃんは力こぶを作って見せた。

「じゃあ、サボりー?」
「どーだろーねー。ひなたもサボっちまうかい?」

 ボクに走り方の指導をしてくれている夏香ちゃん。
 最近は学校でも仲良くしてくれて、下の名前で呼んでくれる。
 練習の甲斐あって、フラフープもだいぶ出来るようになってきた。

「夏香ちゃんはどこ行くの?」
「んー、病院っす」

 夏香ちゃんは頭の後ろで手を組んでダルそうに言った。

「喘息《ぜんそく》の?」
「そそ」
「……ボクも付いていっていい?」
「ふに? いいけどつまらんよ?」

 首を傾げる夏香ちゃんのハネた髪の毛が、ぴろんと揺れる。

「うん。夏香ちゃんのこと、もっと知りたいし」
「じやあ二人であんなことやこんなことしますかえー!? ぐへへへへ」

 だらしない顔になる夏香ちゃんは、時に変態さんだ。

「……さて、病院の場所はどこかな?」
「つれないのぅ……なら、帰りにケーキバイキング行こっか!」
「わあー! いいねー! 行きたい行きたい!」

 ゆーま以外の友達と放課後ライフ。
 しんみりとする雨音の中、ボクはニコニコと嬉しい気持ちになりながら夏香ちゃんと病院へ向かった。



 呼吸器科、先生の診察――

「どうかな? 調子は」
「うん大丈夫」
「吸入器はあとどれぐらい残ってるかな?」
「うん大丈夫」

 椅子の上でぐるぐると回りながら素気なく答える夏香ちゃん。
 ボクは先生に問う。

「先生、夏香ちゃんはリレー……どうしても出られないんですか?」
「えっ? そんなことはないよ?」
「えー! そうなんですか!?」
「じゃ私、帰っていいっすか?」
「ちょ、ちょっと待って」

 立ち去ろうとする夏香ちゃんの手を取るボク。

「あとは夏香さん次第だからね。今や大抵の喘息はコントロールできるものなんだよ」
「コントロールですか?」
「うん。お薬を止めるわけにはいかないけど、逆に発作をうまくコントロールすれば、今の夏香さんなら運動だって問題ない。昔と違って吸入器を使い過ぎて身長が伸びなくなるなどの副作用も無くなったし」

 先生は優しい笑顔でそう教えてくれた。

「そうなんだ……」
「だから本人が走りたいなら走ればいいし、翔びたいなら翔べばいいんだよ?」
「……夏香ちゃんは走りたくないの?」

 夏香ちゃんを見つめるボク。

「……はいはーい、わかりました! ほいじゃ、先生またね!」
「わわっ」

 無理やりボクの手を引いて診察室のドアを開ける夏香ちゃん。

「ああ、お薬はいつも通り出しとくよ」



 病院のあと、ボクたちはケーキバイキングのお店に寄った。
 そこで夏香ちゃんは自分のことを話してくれたんだ――

「私はねー」

 生クリームが顔に付いたまま語り出す可愛い夏香ちゃん。

「私はね、小学校はみんなと違うとこに通ってたんだ」
「夏香ちゃんも引っ越してきたの?」

 うちと同じ転勤族かな。

「ううん、地元はずっとここだよ。転校してきたとかじゃないんだ」
「じゃあ、どうして?」
「その小学校はねー、喘息で普通の生活ができない子達が集まって暮らす学校なんだ」
「普通の生活ができないって……」

 それほどひどい喘息もあるんだ……知らなかった。

「まあまあ、私なんかまだ軽いほうだったんだけどね。それでも排気ガスとか埃とか冷たい空気とかでも発作が出てたから。夜が寝られなくて。ごはんも食べられなかったりしてたんだ」
「そうなんだ……」

 つらかっただろうな。
 ボクもただの風邪だけど、咳で寝られない時は本当に苦しかった記憶がある。
 それよりもっともっと苦しい状態なんだろう。

「でも吸入器でコントロールできるようになってきてさ。私、もともと走るの好きだったんだけど、ついに高校では陸上部に入れるまでになったの」
「先生が言ってたコントロールすれば大丈夫ってやつだね」
「だからね、私はみんなのぶんまで走ろうって決めたんだ。一緒に喘息で苦しんでる仲間の希望になりたいって。ここまでやれるんだって」
「うんうん」

 夏香ちゃんが走ってる姿、かっこいいもんね。
 誰かの為に頑張るのって素敵だな。

「それで去年は全国大会まで行ったんだよ」
「うんうん!」

 地元で大会記録も出したんだよね。
 夏香ちゃんの努力と才能だね。

「……でもね、緊張してたせいか、その朝、吸入器使うの忘れてさ。予選のスタートに立ったときから発作が起きて……でも、棄権したくなくて! それで……そのまま無理やり出たら、途中で倒れちゃったんだ。……救急車で運ばれた」
「そんな……」

 雨のしずくが流れ落ちる窓に、視線を向ける夏香ちゃん。

「みんなの希望になりたかったのに……逆に希望を壊しちゃったんだ」

 そんなことがあったなんて……
 針を飲んだように胸が疼く。

「でもちゃんとコントロールすればまた出られるんだよね……? そしたらまたみんなの希望に――」
「もうダメなんだー。ひなたにはわかんないよ」

 夏香ちゃんはボクの言葉を遮ってそう言った。
 ボクには確かにわからない……というか、わかりたくても簡単に同情できるような話ではない。

「でも病院の先生が――」
「無理なの!!」

 大声を上げる夏香ちゃん。

「夏香ちゃんごめん……」
「……発作ってね、どんだけ苦しいかわかる? どんだけ辛いかわかる?」
「……」
「息も出来ないし、すごくしんどいんだよ! 私だって……怖いんだよ……あんなのもう二度と味わいたくない! もう二度とみんなの前で倒れたくない!」

 そんな夏香の声は雨の音と共に、ボクの心の中を虚無感で染めていったのだった――



 episode『夏の香り』end...

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