くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

夜野光姫の美味しい毎日

–––––某日。
策謀を巡らす者達によって、宴の夜が訪れる。
広大かつ薄暗い、しかし高級感溢れるその部屋にはなんでもあった。
豊満な身体の美女、希少な美酒、違法薬物に賭博のための道具、欲望の捌け口である奴隷。そして、裏の世界の情報も。


かこん、とビリヤードの球がホールに落ちる。ナイスショット、と歓声が上がりその場のいた人間達は次々にそのプレイヤーを褒め称える。
「いやはや、さすが西条院様はビリヤードの腕も超一級ですな」
「ははは、こう見えても幼少の頃からやり続けているからねぇ。まぁこれくらいは簡単だよ。大したことはないさ」
「何を言いますやら。私から見ればプロより貴方様の方が優れているかと」
「嫌だなぁ。あんまりホメないでくれよ。調子にのってしまうのでね」
彼らは殆どが表の世界で名の知れた企業家や政治家だった。富と権力には不自由のない、いわゆる「勝ち組」という部類に入る。この国で思うまま自由に振る舞える、まさに恵まれた者達。最初から勝利が約束されている。そんな、彼らの中でも一際強大な権力と地位、莫大な富を有する者–––––西条院家の若き総帥トップ冷泉れいぜん」は邪気のない笑顔で再びキューを握る。
仕立ての良いスーツによく磨かれた革靴、手入れの行き届いた髪はセンス良くセットされ、滑らかな肌には吹き出物ひとつない。さりげなく身に付けている装飾品さえ億は下らないだろう。
「あははぁ。やっぱり僕の人生ってつまらないねぇ。なんていうか、張り合いがないよ。生まれてこの方一度もライバルがいなかったからかなぁ」
本当に人生イージーモードだ、と言う彼はこの上なく優雅に球を打つ。かこん、と虚ろな音と共に白い球はホールへと吸い込まれていった。
「あっはっは。誰か僕を退屈から連れ出してほしいものだねぇ」
生きていくのが簡単すぎてつまらないから、何か刺激がほしい。もっと、胸が踊るような–––––血液が沸騰するような。
人形のように端整な、けれど人間味に欠ける笑顔で彼は嘯く。
そして、そいつは音もなく静かに舞い降りる。彼にとっての災厄を伴って。
「ならば、私とひとつ遊戯ゲームをしませんか?なに、ルールはとても簡単ですよ。ある人物を貴方に壊していただきたい。欠伸が出るほど容易でしょう?ねぇ、……冷泉サマ」
山高帽に燕尾服、浅黒い肌に血の如き紅い瞳の男は、俳優か何かのように気障な仕草でそっと御曹司の元へと歩み寄る。気取った笑みは酷薄で、まるで物語に登場する「悪魔」みたいだと彼は思った。
そして、穢れを知らないゆえに世界の黒に染まりきった彼は囚われる。
「いいねぇ、君の提案はとてもナイスだ。素晴らしい!きっと僕の退屈も紛れることだろう」
残酷さと紙一重の純粋な気性を持ち合わせていた「彼」は、こうして決して取ってはいけない手を取ってしまった。



午前8時。
ジリリリリ……と目覚まし時計が大音声で鳴り響き、慌ただしく朝の訪れを告げる。ベッドの主はうぅんと呻き、殺気さて滲ませて時計を殴って止める。
「あぁクソっ、今、何時だ……?ん、んんん?え、ちょっ、嘘だろ⁉︎」
それまで眠そうだった彼–––––託人は、時計の針が指し示す時間を見るや青ざめた。
「やべぇ、遅刻じゃん!はぁ、またクボちゃんがギャーギャーうるせえな、こりゃあ」
バネのように身体を跳ねさせ、身を起こした託人はガックリと肩を落とし、ようやく意識をはっきりさせる。
「なーにー、もう、うるさい……。朝から騒がないでよぉ、兄さまってば」
隣から聞こえてきた不機嫌そうな声に彼の動きが一瞬、ピタリと止まる。
「…………。あ、そうだった……。そういや、今コイツと暮らしてたんだった」
やたらと大きいベッドでぐうすかと寝ている少女–––––光姫みきの姿を捉えて、託人は嘆息する。なんて呑気なやつだ、と言いたげに。
「おい、お前も起きろ。何ノンビリ寝てんだこら」
「うう……、いいから静かにしてよ。眠れなーい」
「だから!寝るなれ起きろ!お前も今日から学校に行くんだから!!」
遂にキレて怒鳴った託人の声に、光姫は慌てて飛び起きる。そして、愕然とした瞳で彼を凝視した。
「……ねぇ。それ、どういうこと?私は何も聞いてないんだけどなぁ??」
ニタァ、と三日月の形に裂けた笑みを浮かべて彼女は問い詰める。冷や汗を掻きながら、彼はテヘヘと誤魔化すように笑って明後日の方向を向いた。


「あ、あれ?言ってなかったっけ?光姫はこれから小学校に通うんだよ?少しでも人間らしい感情を持ってもらうためにね」


それから約一時間後。
やっとのことで光姫をどうにか説得し、朝からグッタリと疲れきった様子で託人は学校に辿り着いた。正直もうサボってしまいたいけれど、それがバレればいよいよ光姫からの信用を失う。音を立てないようにそうっと教室まで向かい、姿勢を低くして自分の席まで行こうとして、グイッと首根っこを掴まれた。
「こーらー、今日で遅刻の回数は五十回超えたぞ?新記録達成してんじゃねぇ!ったく、本当お前いい加減にしろ!」
「ゲッ!クボちゃん⁉︎うわー、マジかよ見つかったー!」
ウゲッと嫌そうな顔でボヤく託人にクボちゃんと呼ばれた男–––––彼のクラス担任「久保田 智史くぼたさとし」はニッコリと素敵に微笑む。
「ほうほう。こんなにお前の進路を心配してやっている担任様にそんな口を聞くのかぁ。これは悲しいなぁ。ああ、成績表になんて書こうかなぁ」
嫌味たっぷりなお言葉にとうとう託人は音を上げた。
「わーかーりーまーしーたー!!分かったよもう、何をすればいいわけ?」
「ほほう、君はなかなかに頭の回転が速くて素晴らしいなぁ。ふむ……。社会科準備室の掃除一カ月で手を打ってあげてもいいよ?」
「ちくしょう……。いつもこうだよ!」
フラフラと席に座り頭を抱える託人を見て、周りは思った。
–––––この自由人をああも簡単にあしらうクボちゃんは、一体何者なのだろう、と。



「はーい、皆さん席に着いて!今日からこの教室に新しい仲間が増えます。みんな、仲良くしてあげてね!」
黒髪を素っ気なく束ね、ジャージ姿にサンダル履きの女性、光陽台学園初等部一年一組の担任「菅生 珠緒すがきたまお」はパンパンと手を打って子ども達の目をこちらへ向ける。
「ほら、光姫ちゃん入ってきて!」
「……はーい」
溌剌とした珠緒の声とは裏腹のダウナーな印象を与える調子で、その少女は一組の教室へと入ってきた。
「この子はみんなの新しいクラスメイトになる「夜野 光姫よるのみき」さんといいます。……光姫さん、みんなに自己紹介して」
「夜野光姫でーす。よろしくぅ」
名前だけ言って、彼女はさっさと自分に割り振られた席に着く。普通なら好きな食べ物とかを言ったりしそうなものだが、生憎彼女にそんな常識は通じない。困ったように眉尻を下げる珠緒を綺麗に無視して、手元の文庫本に目を落とす。もちろん何か喋りたそうな子ども達のことも完全シカトだ。
こうして光姫の学園生活は幕を開けた。


時間は少し流れ、昼休み。
明るく陽気な校内放送と共に給食当番の子ども達が先生と一緒に準備をして、だいたい少しだけ時間もオーバーしつつも給食の時間になる。
「はい、それでは皆さんご一緒に、いただきます!……残してはダメですよ」
わあわあきゃあきゃあと歓声を上げながら、子ども達は班のメンバーと机をくっ付けて給食を食べ始める。もちろん珠緒の言葉などさっぱり耳に入っていない。
今日のメニューはカレーライスだった。
大鍋でコトコト煮込んで作るカレーは人気のメニューで、リクエスト献立に選ばれることも多い。子ども達がいつにも増してうるさいのはそのせいだった。
「……これ、何?」
お皿に盛り付けられた茶色いソースっぽい何かしらとつやつや輝く白いご飯をじーっと見つめ、彼女は尋ねる。
「えー、光姫ちゃん知らないのー?これはカレーライスっていうんだよ。光姫ちゃん家には出てこないの?」
無邪気な言葉に光姫は乾いた笑みを漏らす。彼女の同居人は決して料理が不得意なわけではないが、一緒に住むようになってから、食事は殆ど栄養補助食品ばかりだった。彼が面倒くさがりなのと、お互い食事を楽しむようなタイプではないためだ。
「まぁ食べてみなよ。カレーってすーっごく美味しいんだよ!」
お隣さんの勧めに従い、光姫は恐る恐るカレーとやらにスプーンを入れ、一口掬って口に運ぶ。
「……んん、なにこれっ、やばっ、めっちゃうまい!初めて食べたよ、こんなに美味しい料理は!」
光姫の金色の瞳がピカピカと輝く。それまで周囲に対して無言を貫いていた少女とは思えぬハイテンションっぷりに、お隣さんはちょっと引いた。
「こう、なんていうの?スパイスとか、あと隠し味のりんごとか、色んな風味が混ざってて、たまらないわあ!なんと奥深い、複雑にして豊かな料理なの!」
なにこの子、グルメリポーターのつもりなのかしら。……と、遠くから見ていた珠緒は内心受けていたが、もちろん彼女の同居人が怖いので口にしなかった。


よっぽどカレーが美味しかったからか、その後の光姫は異様なまでに上機嫌だった。珠緒の言うこともきちんとよく聞いて行動し、また少しずつだけれど子ども達とも打ち解けたようだ。
これで彼女が孤立するような事態になればクビが飛ぶ(物理)ので、ほっと胸を撫で下ろす。
「はあぁ……。やってられないわ。今日は絶対智史くんを巻き添えにして、朝まで飲むわよ!」
……実は同期な二人なのであった。



小学生の帰りは早い。
学年や曜日にもよるが、だいたい三時前には下校の時刻になる。私立の学校である光陽台学園初等部も例外ではなく、この日はおやつ時の前にはみんな揃ってさようならだ。
帰りの会が終わるとクラスメイト達は一目散に駆け出してしまう。みんなお金持ちの家の子どもなので、塾や習い事でとても忙しいのだ。
実は小学生どころか縄文時代から生きている光姫は、みんな大変そうだなぁと他人事のように呟き、のんびりとマヨヒガ荘までの道のりを歩く。
家に帰ったところでやることもないので自然と歩みは遅い。国内有数の観光都市と名高い光陽台市の街並みを眺めつつ、途中で飲み物でも買おうと道を逸れようとした時–––––、うえええん!という喧しい泣き声にビクッとする。
「ちょっ、誰なの。泣いているのは!」急いで音源まで近づくと、そこにいたのは……。


「え、ええ……?なんで、未来人がこんなところにいるのよぅ……」

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