くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

時雨に赫い華の咲く⑨

そうして、日常へと帰る。
夢の時間は、もうおしまい。



–––––数時間後〈マヨヒガ荘〉
「ただいまー」
「ただいま帰ったよー!お?なんかいい匂いがするぞ?」
玄関先からでもふわぁと香る良い匂い。これはカレーか。あれ?でもここには俺と光姫しか住んでいないはずだが。
「おかえり、光姫ちゃんと兄さん。勝手に台所借りてごめんなさい」
お玉を片手にひょこりと顔を覗かせたのは、本邸でお嬢様暮らしをしているはずの霞だった。
水色の長袖ワンピースの上に自前だろうエプロンを見に付けている。霞は美人だから何を着ても似合うけれど、エプロン姿はなんだか新鮮に映った。
「いや、まあいいけど……。でも、いつここに来たんだ?」
「えへへ、さっき!光姫ちゃんに案内してもらったの。これ、似合う?」
ニコニコ無邪気に笑う霞は悪くない。だからこの場合、俺に何も言わず連れてきた光姫が悪い。あとであいつには鉄拳制裁をするとして……まぁ、今はごはんの方が大事だし。見逃すとしよう。
「うん、すごく似合う。自分で買ったのか?」
「そうだよ。もう、探すの大変だったんだからぁ!」
……確かに、新婚さんが着るようなフリフリのワンピース風エプロンは、今時なかなか売っていないだろうし、探すのに苦労したに違いない。
「匂いで分かると思うけど、今日はカレーライスだよー!でも味見はなしね。兄さんのことだから、全部食べちゃうかもしれないし」
言いつつ台所に戻っていく霞は、人数分のお皿にご飯とカレーを盛り付け始めた。手慣れた手つきに、彼女の思わぬ特技を知る。
「んー、これはなかなかの傑作ね!二人とも、楽しみにしてて」
部屋中に芳しい匂いを胸いっぱいに吸い込み、口元に微かな笑みを刻む。
何気ない日常。ありふれた毎日。
なんて、–––––尊いのだろう。
守りたくてここまできたけれど、本当に守られていたのは、俺だった。
「さぁ、ごはんにしましょう」


やさしい声と、やさしい笑顔。
衒いのない、屈託のない、あったかさ。何度救われてきたんだろう。
壊れて、歪んで、狂って、堕ちてしまった俺を掬い上げてくれたのは。正しい道へと戻してくれたのは、きみだった。
あの日、確かに届いた声。
あなたは何の力もないという。そんなことはない。夜光姫よりも強い力があなたにはある。その証こそ、きみのこえ。
『一緒にいよう』
きみが話しかけてくれなければ、俺は今ここにはいない。
守っていた気になっていただけで、本当に守られていたのは俺だった。
傍にいてくれる。いつも、想ってくれている。だからこそ、俺はここにいる。


「あー!光姫ちゃん、味見はだめって言ったでしょ!もー、明日の分あるかなぁ……」
「いやぁ、ごめんごめん。つい美味しくて、てへへ」
「ハァ……。仕方ないなぁ。罰として、明日のお昼ごはんは光姫ちゃん作ってね!」
「ええ、そんなぁ!私じゃ台所に届かないよー」
「何とでも言いなさい。味見禁止したのにしちゃった光姫ちゃんが悪い」
「うわーん!兄さま、霞が冷たいよぉ」
「いや、おまえが全面的にアウトだろ」
「兄さままで!私に味方はいない……」



さようなら、ありがとう。
俺は、生きるよ。

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