くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

時雨に赫い華の咲く⑦

どれくらい、そうしていたのだろうか。気が付けば辺りは暮色に染まり、西の空は焼き尽くされたように赫い。
なまぬるい風がそっと前髪に絡まって、通り抜けていく。
ずいぶん長い間物思いに耽っていたようだ。いつの間に雨は止んだのだろう。雲一つない空はどこまでも透き通り、深く澄んでいる。
ああ、きれいだ。まだ俺は何かを美しいと感じる心を保っていられる。それが良いことなのか悪いことなのか、さっぱり分からないけれど。
「そろそろ帰るか……」


地面に下ろしていた腰を上げようとしたその時、目前の石碑が赤い光を放った。あまりの強さに目が眩む。目映く暖かくそれはやがて収束し、人型を形作る。
そこにいたのは。
「茜……?」
「よっ。久しぶり、元気にしていた?私のかわいいぼうや」
喪ったはずの彼女が、笑っていた。


「どうして?あの日確かに消えたはずなのに!……でも、会えて嬉しい」
もうずいぶん前に別れた時と寸分変わらない姿の彼女は、やっぱりあの時と同じように綺麗に笑う。懐かしさが込み上げて、今にも泣いてしまいそう。
「おお、よしよし。泣くなー、ったく、デカくなったのにそういうところは成長しないねぇ。どうだい、姫さんとは仲良くやってる?」
「姫さんって、夜光姫のこと?」
「違うよ、お前さんのお姫さまは今までもこれからもたった一人だろう?」
–––––霞のことか。
ようやく悟り、俺は頷く。
「もちろん。俺と霞はずっと一緒だ。きっと離れることなんて、できない」
夜光姫を監視する今は別々に暮らしているけれど、それでもいつかはまた一緒になる。彼女を守る役目は、絶対に誰にも譲らない。
だって俺たちは二人で一つなのだから。
「そう、……そっか。よかった、お前が誰かを大切に思えるなんて、あの頃は信じられなかったから」


狂ったまま生きるのは辛く苦しく、虚しくて、やり切れない。いつもいつもいつだって、全部終わらせてやりたくなる。真っ当でいられるならそれでいいのに。平凡でも、冴えなくても。きっと自己否定も自己嫌悪もしなくて済んだ。
何度、己に絶望したのだろう。
それでも守りたいものがあったから、勝手に終わるわけにはいかなかった。
結局俺を救ってくれたのは、霞だった。


「……最期に会えてよかった。じゃあ私は消えるよ。そしてもう会えなくなる」
今、此処にいるのは彼女が僅かな力を振り絞って残した残滓。「茜」本人ではなくその残り香。
けれど、それも、もう消える。
「うん、–––––ありがとう。またね、いや……さようなら、茜」
夕焼けの最後の光に照らされて、彼女は夕闇に溶けていった。


ザァザァと風が吹いている。
晩夏の残暑を掻き消そうとするかのように、冷たい風が彼岸の花を揺らしていく。ああもうすぐ、秋が来るんだ。


何か、あたたかくて、しょっぱいものが流れ落ちていった。それはひどく不快なのに、自分の意思では止められない。パタパタと垂れ落ちていくそれは、足元の赫い花を濡らしてしまう。
「あ……あぁ、ああ!っく、うえっ、どうして……っ、とまらない……!」
嗚咽がもれる。声が、抑えられない。



–––––さよなら、さよなら。
大切だった、あのひとは。
最期にやっと、
俺の名前を呼んでくれた。

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