くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

開幕ベルが鳴る前に

深い、昏い、粘つく闇の蔓延った、昼間でさえ光の届かぬ森、その中心。
そこだけぽっかりと穴が空いたように、いや抉り取られたように隙間が存在している。
一本の枯れ枝が墓標のごとくぞんざいに突き立てられ、壊れてボロボロになったピアスが散らばっていた。元は細やかな意匠の施されたものだったのだろう。繊細でどこか品のあるそれを摘み上げ、彼女はうっそりと笑う。
夜に溶けきれない純白の長い髪、白磁の肌に華奢な身体、蜂蜜色の瞳は喜悦に輝いている。整った面差しに浮かぶ、抑えきれぬ興奮。柔い頬を薔薇色に染め上げ、彼女は厳かに呪文を詠唱する。
独特の韻律に乗せられた言葉が重なり合わさる内に枯れ枝の根元から淡い光がこぼれ始めた。ビリビリと空気が震え、光の中心より力の奔流が烈風となって巻き起こる。


そして、地が割れた。


ぬぅ、と這い出す生白い腕。続いて肩、首、頭、腹、脚。最後に爪先が現れそいつは遂に地を踏みしめる。
「あー……、よく寝た。んん、なんか体が痛い。寝違えたかな」
たった今地面の下から這い出てきたとは思えぬ、やけに軽い口調。
藍と紫の混じる夜色をした髪は肩口で切り揃えられ、か細い首と手足を金の鉄輪が飾る。ゾッとするほど冷たく整った美貌は薄い笑みを刷き、くすんだ黄金の瞳はまるで、月光を吸い込んでいるよう。
「……お久しぶりです、我が主人よ。お体に不都合はありますか」
慇懃に頭を下げる彼女をそいつはくしゃりと撫ぜた。ふわふわ舞う白髪に目を細め、鷹揚に笑う。
「いや、すこぶる健康だよ。さすが私の従者だね。また一つ腕を上げたな」
「もったいない……お言葉です……。こうしてまた逢えるのをずっと待ち望んでおりました」
涙ぐむ彼女を抱きしめ、そいつはややはにかむように、
「ああ。私もだ。…ところで、何か着るものはないか?」




東京都、光陽台こうようだい市。
郊外にあり人口一万人にも満たない小さな町でありながら、その風光明媚さで知られる観光都市だ。
和の雰囲気漂う落ち着いた作りの街並みに細い水路が蜘蛛の巣のごとく張り巡らされ、季節ごとに咲く花が彩りを添える。休日ともなれば観光客が絶えない。
サラリーマンや学生に混じって、お洒落をした彼らが笑いながら歩いていくのを青年、霧雨 託人きりさめ たくとは乾いた目で眺めていた。
「はぁ……。なぁ霞、なんで俺らは休みだっつうのに学校に行かなくちゃなんねぇんだろうな?つかサボっていい?」
まだ校舎に辿り着いてすらいないくせにいきなりサボり宣言する彼へ、隣を歩く妹の霞は呆れた眼差しを向ける。
「兄さんは馬鹿なの、なんなの、死ぬの?ただでさえ成績悪いくせにそんなことばっかり言って。霜華そうか様に叱られても知らないよ」
彼にとって 頭の痛い名前を出されて、託人はうへぇ、とげんなりした顔になった。霜華とは二人の母親にあたる人間だが、特に託人は彼女に頭が上がらない。
「あーハイハイ、分かってますっつーの。いちいちうるっせぇな」
「うるさくさせてるのはどっち?言っておくけど、私は兄さんのことなんか絶対庇ってあげないから」
朝日を受けて輝く銀色の髪を揺らして、霞はスタスタと先を行ってしまう。学生らしくセーラー服を着こなす華奢な後ろ姿を見送り、託人は静かに反対方向へ進んでいった。




霧雨 託人は人間ではない。
より正確を期すならば、彼は魔物と人の間に産まれた合いの子、ハーフである。現代ではすっかり珍しくなってしまった存在の彼は、誰にも言えない秘密の立場に置かれていた。
それは……。


「おい、何か言い残すことはないか。
…ああ、一応これも任務でね。相手の最後の言葉は必ず訊き、余さず伝えるよう命じられているんだ。…え、ない?
そいつは困ったなぁ。
まぁいいけど。あんたもう死ぬんだし、別にいっか。じゃあサヨナラ」
ズブブ、グチュリ。
艶消しの黒に塗られた大振りのナイフを下腹部めがけて突き刺し、刃を回転させながら更に押し込む。
牛と鬼を掛け合わせたような、醜悪極まるグロテスクな見た目の怪物は鼓膜が破けるのではと思うほどの絶叫を上げ、全身を小刻みに痙攣させたあと息絶えた。物言わぬ化物の亡骸を目の前に、彼は小さく溜息をついた。ピクピク動く筋肉質な腕を蹴飛ばし、殺傷用ではないごく普通の文化包丁をスラリと抜いて、乱雑ながらも無駄なく舌、眼などの部位パーツを切り離す。集めた検体を小瓶にどんどん詰めていき、ちょうど容量の半分くらいになったところで蓋をしっかり締めた。
「えーと、何々……。ミノタウルスの角と目、固い皮膚を集めよ。やり方は自由。ついで討伐するように。…うへぇ、面倒くせぇなぁ。クスリになるんだか知らないが、もっと霜華も別な仕事を寄越してくれりゃあいいのに」
ぶつくさ言いつつも作業の手は止めない。後片付けが粗方完了したところで中身の詰まった小瓶たちをリュックに放り込み、青年は足取りも軽く歩き出す。
濃密な血臭を深く吸って、どこか華やいだ面持ちの彼は、たった今化け物の群れを殲滅したと分からないくらい自然な調子で学校に入ってゆく。
いつも通り、やる気なさげな口調と態度。ラフにシャツとデニムパンツを着こなしている。もっと前に来ていたクラスメイトたちは、またかよと言いたげにからかい混じりの言葉を向ける。笑顔を崩さぬまま言い返し、輪の中へ入る。
いつも通り。今日も変わらない、いつもと同じ。潜んだ違和感に気付く者は、未だおらず。


彼の名は霧雨 託人きりさめたくと。表向きはごく普通の男子高校生。その本性は、魔物殺し。

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