くらやみ忌憚

ノベルバユーザー91028

そして、夜が明ける

夜の帳が落ちて、望月が中天に座す。
差し込む甘い月の光へと手を伸ばし、彼女は緩く微笑む。その表情はあくまでも穏やかで、満ち足りていた。
「早く来るといい。私はずっと待っているから」


ついに、戦いの幕は開く。


光陽台市近郊に広がる広大な森「玄森」へと、託人を先頭に夜光姫討伐部隊が隊列を組み、ぞろぞろと進入していく。光陽台学園生のように揃いの軍服ではなく、各人それぞれの服装や装備で身を固めている。退魔師ごとに戦いのスタイルが違うためだ。
彼らの表情は硬く、緊張しているのが窺えた。
「……なぁ、この重苦しい空気どうにかならないわけ?息がつまりそうなんだけど」
ギターケースを担ぎ、艶消しの黒い戦闘服を着込み、全身にチャラチャラとシルバーアクセサリーを重ね付けした今回の任務の責任者、霧雨 託人はだるそうにボヤく。
補佐を務める青年陰陽師、賀茂 忠憲はジロリと傍らの戦友へ視線を送る。
「この一戦に今の平和の行く末が掛かっているというのに、お前はなんでいつもそうなんだ……。ちゃんと分かってるか、負ければ明日の命なんてないんだぞ」
「しょーがないじゃん沈黙キライだし。てか、ぶっちゃけ夜光姫サンはなんだ世界壊そうとしてるわけ?そこんところ、何も聞いてないんだけど」
託人が投げかけた根本的な問いに、忠憲は上手く答えが見つからず口を噤んだ。
この任務には土御門家の全面協力があるとはいえ、彼らは全ての情報を開示しているのではないためまだ明らかになっていないことも多い。
「なんか、霧雨一族だからって便利に扱われすぎな気がするんだけどぉ?どーよ、そこんとこ」
「……俺に聞くな。まぁ、夜光姫封印のノウハウがあるのは土御門家と霧雨一族だしな、仕方ないんじゃないか?」
「うえぇ、なんて理不尽!いやー、世知辛いっすなー世の中って」
言いつつケラケラ笑う彼に、忠憲は小声で士気が下がるようなことを言うなと叱責する。もちろん、託人が素直に聞くとは思っていないが。
「おおっと、雑談してる間に着いたぞー!すごいな、この時計」
腰からぶら下げた古い懐中時計を託人はプラプラ振り回す。実母から貰い受けたそれは、時間を操る力を持っているため、移動にかかる時間も「短縮」することができた。
彼はクルリと振り返り––––獰猛な光の灯った眼でメンバーを見回す。
「お前らぁ、この戦いをせいぜい楽しめよ?俺らで世界の英雄ヒーローになってやろーじゃん!」
高揚する。ワクワクする。今は、戦えることがただ楽しみでたまらない。
だから、もう余計なことは考えない。
彼の興奮が波のように伝わり、面々の頬が上気する。野太い鬨の声を背負い、一気に駆け出した。


––––同じ頃。
彼女もまた、笑っていた。
託人と同じ、隠しきれない本能を剥き出しにして。


チーム異形とチーム退魔師による過去最大規模の戦闘は初っ端から乱戦となった。お互いに術や能力を殆ど使わず、シンプルに肉弾戦のみ。素手によるガチンコバトルが繰り広げられている。戦場には罵倒が飛び交う。
「おらぁ、どうしたぁ!バケモンのクセにへたってんじゃねーぞ!」
「はぁ⁉︎テメェこそ息が上がってんじゃねーか!コンチクチョウが」
「あはは、人間共め僕たちのチカラを思い知らせてやる!」
「へー、悪いけど秒で片ぁ付けさせてもらうわ」
楽しそうに、楽しそうに。拳と蹴りと剣で彼らは語り合う。そもそも出来レースなのだと知っていても、やはり戦いはこうでなくては、と言いたげに。
そう、彼ら彼女らの戦闘はあくまでオマケだ。ここにいる全員が始めから知っている。
––––全ては、大将同士の一騎討ちで決まるのだと。



天井に届くほど大きな窓ガラスから、静謐な月明かりが差していた。照明がなくとも仄かに明るい部屋は広く、どこか寒々しい。天蓋付きの寝台以外に何もない殺風景な部屋。
彼女はずっと此処で、俺が来るのを待っていたんだろうか。
「…始めようか、みんなも楽しんでくれてるみたいだし」
眼前に仁王立つ、「世界最強」を冠する人外の少女は嘲り笑う。
「くっくっ…この私に敵うとでも?戯けるなよ、半端者が」
「確かに俺は魔物と人間のハーフだけど。でもそれがどうした?」
完璧な人間ではないことに悩んだ過去もあるけれど、今は関係ない。このチカラは今日この日のためにあるのだと悟ったから。
スラリと仕込み刀を抜いて、
「やろうよ、まどろっこしいのは嫌いなんだよね」
初撃––––一太刀を袈裟懸けに振るう。躱されるが、二撃目の刺突を見舞う。今度は当たった。だが浅い。食い込ませようとした途端、刀身を叩き折られた上刺さった部分を引き抜かれた。傷口は見る間に修復し、跡も残らない。
「くそっ、……強いな、やっぱ」
全身に仕込んだ暗器とナイフを展開。手当たり次第に投擲する。一瞬でいい、隙ができれば。
だが、少女の姿の化物は、放たれる全ての武器を躱し、あるいは優雅な所作で叩き落とした。整った面立ちに浮かぶにこやかな笑みは、洋風の内装と合わせ、まるで貴族の令嬢のようだ。
夜光姫の背後に魔方陣に似た紋様が広がり、その向こうに真紅の炎に包まれた大地が透けて見える。……あれが異世界タウンか。
「……煉獄インフェルノ
彼女が呟いた途端、華奢な両手に燃え盛る炎を纏う大剣が現れ、ぞんざいに振るわれた。轟音と共に部屋が焼き尽くされ、蛇の如き火焔が舐めるように床を伝い、燃え広がっていく。
俺もまた無事では済まず、全身に水膨れができる。火傷の程度としてはⅡ度に相当するだろう。辛うじて焦げてない、そんな感じだ。
「はぁ〜。なんか飽きた。ていうか私、実戦経験ほぼゼロなんだよね。忘れてたけど」
……?口調が変わった?いや、元の口調に戻っただけか。
「ね、私に対して何をするつもりだった?あの女が施した忌々しいクソ封印でも食らわす予定だったでしょ?でもそれさぁ、発動条件は術者の命を捧げることなんだよ?あの女も死んだし。……アンタ、死にたいの」
月光に照らされる夜光姫は、どこか陰のある笑みのまま問うた。強烈極まる視線は決して逸らすことを許さない。
「死にたくない。だから、そのために新しい術を編んだ」
まだ生きてやらなくちゃいけないことが山ほどある。おちおち死んでなんかいられない。俺にそんな余裕はない。
だから、
「安心しろ。もう、お前を眠らせたままにしない」
独り寝の寂しさは俺にもよく分かる。
孤独と退屈が精神を蝕むことを。
「あ、身体がっ……動かな……」


––––––––そして、時が止まる。


アウローラが俺に渡した懐中時計は、彼女が持つ固有能力「時間を操る能力」を有していた。時計という物を介することで、能力を譲渡したのだ。つまり、元はアウローラのものだったチカラは俺のものになった。
能力の行使により、この空間の時間が停止する。……ただし、これが使えるのは一回切りだけれど。
下拵えはもうおしまい。メインディッシュに取り掛かる。
俺と夜光姫を中心に、華のような蝶のような––––不可思議な模様の陣が展開し、脈打つように白い光をこぼす。指先を思い切り噛んで、垂れた血液を魔方陣へとばら撒いた。
長々しい前口上はこの際ナシだ。さっさと発動させよう。
「……これからが、始まりだ。ここで終わりになどさせない」
「夜光姫」を示す通り名は多数ある。けれど「夜光姫」という名称さえも彼女の真なる名前ではない。全て、誰かが便宜上に呼んだものだ。
そんなの、さびしいじゃないか。
名前はそのひとを言い表すもの。そして、生まれてきてくれたことに感謝と祝福と希望を込めたもの。
故に、この封印の儀式はただ彼女を封じるためではない。これは、新しく生まれ変わる彼女を迎えるために行う。


「おいで、––––光姫みき


動かぬ少女の目が、震えた。

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