ケンドー女剣良子の獅子奮闘記 カクヨム版

小夜子

第8話「師匠と弟子とラーメンと保健体育」



「…とゆう訳で、さくらを仲間にしようと思うんですが」



次の日の朝。
荒覇吐学園・学園長室。
良子は昨日の事件を学園長に一通り説明した。
学園長室にはさくらも含め、マコ、稲美、礼菜とメンバー全員が来ていた。
意気揚々とさくらを紹介する良子とは対照的に、伊織は疑いの瞳をさくらに向けていた。





「…良子さん、あなたの言いたい事はよくわかったわ。けど、そう簡単に信用できないわね」




「どうしてです?」




良子はムっとした顔で聞き返した。
だが、伊織は態度を崩さない。
冷たい剃刀のような細い瞳が良子を睨みつける。



「相手はあの餓流館でしょ?しかも、シャドーナイツのメンバー。
もしかしたら、獅子身中のしししんちゅうのむしかもしれないわよ」




「そんな事ありません!」




良子は伊織より大きな声で反論した。
だが、学園長の態度はやはり変わらない。
ただ、冷たく見据えるだけだ。



「センパイ、しししんちゅうのむしって?」




さくらが小声で尋ねた。




「体内で暴れる虫みたく、中から組織を害するってことよ」





「その通り。負けたのは演技で、あんた達の信頼を得てから、油断した隙に殺すつもりかもしれない。その方が暗殺としては確実だろうしね」




「さくらはそんな事しません!」




「餓流館ならやりかねないわ。あいつらにはこんなの何でもないからね」





伊織は再び、鋭い剃刀のような瞳で睨みつけた。
その矛先は良子ではなく、さくらである。
その瞳は疑いの濃度を更に濃くしているようだ。
さくらは俯いたまま黙っていた。




「餓流館は表向きスポーツで有名な高校だけど、実際は違う。
あそこは警察公認の暗殺者育成所よ」




「警察公認の暗殺者育成所?」




良子達はざわめいた。
暗殺を警察が公認している?
犯罪者を取り締まるのが警察の仕事のはずなのに?
伊織は続ける。




「あの学校は戦後、日本の犯罪率や治安の悪さを改善しようと当時の警察機構達が考案し、創設した学校なの。校長には警察の幹部OBを使い、暗殺者を育成する。そして、警察から依頼のあった人物を抹殺するの」




「…警察が人殺しの学校を創ったんですか?それに依頼って?」




マコが信じられないといった表情で質問する。




「証拠不十分で逮捕できない奴、再犯の可能性があるのに刑期の短い奴、全国を逃げ回る指名手配犯…。戦後すぐは治安が悪くて、事件が絶えなかったのよ。強盗、傷害、闇市…様々な事件がね。そういった連中を警察は餓流館を使って殺害しまくったのよ」




良子達は戦後すぐの事をよく知らない。
だが、物が不足し、食べ物も少ない時代だと授業で習った事がある。
勝つと決めつけていた戦争に負け、生き残った兵士達の多くが集団自決をした。
戦争を推し進めた者は戦争中は高く評価されるが、戦後は犯罪者に仕立て上げられ、戦争犯罪人として処刑されたのだ。
親、娘、息子、恋人、親戚…様々な人たちが大切な人を奪われた。
70年経った今でも身元不明の遺体が数多く存在するという。
人々は住む所も働く所も失ったのだ。
生きていくこと自体が大変な時代だったのである。
良子たちは勿論、戦争を経験したことはない。
授業や夏の戦争番組のドキュメンタリーぐらいの知識でしか知らない。
だが、今より大変な時代だったのは間違いないだろう。
物で溢れ返っている豊かな現代とは違う。
そんな時代から餓流館は存在する。




「殺人に成功すれば富と栄誉が暗殺者に齎され、失敗した者には死が待っている。そうでしょ、さくらさん?」




「はい」




さくらは小さく頷いた。




「今でもあの学校は警察の庇護を受けているわ。どれだけ殺しても警察は黙認している。マスコミにも緘口令をひくからニュースにもならない。毒をもって毒を制すって事ね。とても合理的だわ」




「でも、待ってください。それじゃあ、あの学校の生徒はみんな暗殺者なんですか?」




「そこら辺はさくらさんが詳しいでしょ。説明してちょうだい」




さくらは伊織の命令口調に少しムッとしたが、頷いた。




「…実際に餓流館にいる暗殺者は数名です。シャドーナイツと呼ばれる特別な人材だけが暗殺を実行します。一般生徒はもちろん、教職員ですらその事実を知りません。知っているのは校長とナイツの指導員だけです。現在は警察以外にも様々な所から依頼を請負っています」




その中には、暴力団や右翼など様々な反社会的勢力がいるとさくらは言う。





「そんな連中からいち抜けた奴なんか聞いたことがないわ。そんなことをすれば、かつての仲間に追われ、殺されるのがオチ。だから誰も裏切らないのよ。その子はあんた達を殺すためにわざと仲間になる気よ。そして、油断した隙を狙って殺すつもりだわ。そんな奴を認めるわけには・・・」




「学園長!」




良子は大声で伊織の台詞をかき消し、自ら頭を下げた。




「さくらはそんな子じゃありません。
確かに彼女は暗殺稼業に手を染めてきました。
けど、本当は素直で良い奴なんです。ただ、環境が悪かっただけなんです!
ウチは彼女を幸せにしたい!お金だけが全てじゃないって教えてあげたいんです!」





「センパイ…」




「良子…」




さくらはその言葉に聞き入っていた。
うっすらと涙を浮かべながら。
マコ達も驚いている。





「お願いします、全責任はウチが持ちます。彼女を…さくらをここの生徒にしてください。そして、SPコースの一員として、今度は正義の道を歩ませてあげてください。お願いします」




良子はひたすら頭を下げた。




「じゃあ、土下座して」




伊織は平然とそういい切った。
良子は反論しようとしたが、自分を映すその瞳はまるで機械のように冷徹で、冷酷で、何の感情も宿っていなかった。
思わず寒気がするほどに。




「学園長、幾らなんでもそれは…」




「礼菜さんは黙ってて!」




学園長は礼菜を一喝して黙らせる。
良子迷うことなく、床に手と足をつく。
そして、土下座した。




「お願いします」



その土下座には一瞬の迷いもなかった。
一瞬の躊躇も迷いもプライドも悔しさも何もなかった。
ただ、さくらの事だけを考え、思い、行動に出たのだ。
その姿勢にさくらは驚きを隠せなかった。




「センパイ…やめてください」




さくらは涙を流していた。
頬を無数の涙が幾筋も伝っていく。




「センパイ…もうやめてください!
アタシの為にそんな事をしないでください!
アタシ…アタシ…」




「いいのよ、さくら。
ウチが好きでやってるんだから」




良子は精一杯の笑みでさくらに答える。
さくらにはそれが痛々しく感じられた。
涙が止まらなくなる。




「センパイ…。優しすぎです。
アタシの為に土下座なんて…。
お人よしすぎです!」




さくらは涙ぐみながら悪態をつく。
だが、その言葉はもちろん悪口ではない。
もちろん、それは良子にもわかっていた。
さくらは最初から疑われる事を覚悟していた。
餓流館の名は表向きは知られてないが、裏に詳しい人間にとっては常識だ。
荒覇吐学園のような大きな私立学園の学園長がそれを知らないはずはない。
こうなる事は最初からわかっていたのだ。
自分は今まで暗殺稼業に手を染め、何百人もの人間を躊躇いもなく殺害した。
命乞いした者にでさえ、容赦なく斬り捨てた。
そこには、迷いも躊躇も疑念も一切なかった。
殺せば校長から褒められ、周りからも一目置かれる存在になる。
そして、有り得ないほどの大金が手に入る。
普通に働くのがバカバカしくなるほどの大金が…。
その金で美味い飯を食い、一流の男と寝て、超高級なマンションに住む。
最高級の服、アクセサリー、バッグ、化粧品…。
全てを金の力で買い漁る事ができるのだ。
これだけの至福が他にあるだろうか?
買い漁る自分はその店からはVIP扱いの待遇を受ける。
誰も彼もがペコペコ頭を下げ、気分はハリウッドの映画スターだ。
一気に超一流の有名人になった気分に酔いしれる事ができる。
生活は凄まじく高水準になる。
一般人には宝くじを当てなければできないような生活。
それを普通にできるのだ。
高笑いが止まらない毎日だった。
寂しければ、一流の男の一流のテクでイケばいい。
チヤホヤされたければ、ホストクラブで金を使いまくれば、あっとういまに女王様と下僕の関係のできあがりだ。
金は力だ。
神なんかより、よっぽど役に立つ。
金があれば天下泰平。
金こそが全て。
この世で一番大切な物は金。
何も考えなくていいのだ。
難しい哲学も心理学も必要ない。
ただ、殺せばいいのだ。
害虫に降格した人間だけを殺せばいい。
それだけで金が入ってくる。
金こそが全て。
金こそが全て。
愛より金だ。
愛すら金で買える。
金さえあれば、人生は上手くいく。
そう信じて疑わなかった。
疑う余地がどこにあるというのだろうか?
そう思いながら生きてきた。
良子に負ける前までは…。





そんな人間が今更真っ当に戻れるはずは無い。
疑われ、転校を認められないことは百も承知だった。
だが、良子がここまで本気だとはさくらは知らなかった。
さくらは最初、良子の事を人がいいだけだと思っていた。
口では何とでも言えるのだから。
半信半疑な部分があったのも事実だ。
だが、ここまで自分を思ってくれるとは思わなかった。
さくらは申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいだった。




「…学園長。さくらさんの過去はどうであれ、転校を希望する者を突き放していいのですか?教育委員会は果たしてそれを認めるでしょうか?」




それまで黙っていた稲美が静かな口調で尋ねる。
静かな中に激しさを含めて。




「脅す気?私はあんた達のことを想って…」




「脅してはいません。ただ、教育委員会は恐らくそれに納得しないでしょう。然るべき試験を受けさせ、それが一定以上に達していた場合、学園側は転校を拒む事を許されないはずです。よければ、私から教育委員会に上申しましょうか?」




学園長の言葉を封殺して畳み掛ける稲美。
確かに彼女の言葉は正論だ。
公には餓流館は普通の高校であり、暗殺者育成所とは知られていない。
試験さえパスすれば転校することは事実上可能だ。




「・・・・」




伊織よりも冷たさを感じる冷徹な瞳。
稲美のそれはまるで獲物を狙う百獣の王のような瞳だ。
ただ単純な怒りとも冷たさとも違う、例えようのない厳しい表情。
伊織は髪の毛を爪でぐしゃぐしゃと乱暴に欠いた。




「…そこまで言うなら勝手にしなさい。何があっても知らないからね。
裏切られても、私は責任取らないから!」




「ありがとうございます!」





良子は立ち上がり、深く頭を下げた。




「それと、餓流館を直接襲うのは言語道断よ。
警察と結託している以上、潰しに行けば酷い事になるのは間違いない。
反省文やお金だけじゃ、済まなくなるわよ。
アンタ達は今まで通り、学業と妖魔退治に励む事。いいわね?」



「はい!」




一同、全員が声を揃えて頷いた。















「話は終わったみたいね」




学園長室から出ると、京子が廊下で待っていた。




「あれ、京子…?」




良子はキョトンとした。
さくらから京子を救出した後、マコ達は京子を家まで送った。
何もないとは思ったが、万が一の事を考えてだ。
良子はその間にさくらと一緒に寮に戻った。
それから別れたはずなのに、どうしてここにいるのだろう。




「良子さん、私も及ばずながら手伝わせてもらうわ」




「手伝うって…」




「もちろん、戦う訳じゃない。私は探偵だからね。
あんた達に役立ちそうな情報を提供させてもらうわ」




ウインクを一つ零して言う京子。




「でも、京子。ウチ達のしている事は危険なのよ?」




「んなもん百も承知よ。けれど、私はどうしてもアンタ達に協力したいの」




京子はそう言って礼菜の傍に寄る。




「え・・・」




礼菜は少し驚き、緊張してしまう。
そんな礼菜の肩を京子はポンポンと叩く。




「アンタがこの子…礼菜さんを助けようと必死な姿にはマジで感動した。
仕事柄色々な人間を見てきたけど、どいつもこいつも自己中心的な人物ばかり。自分の野心が大事な奴、金が全ての奴、自分さえよければ他人はどうでもいい奴…。人の心はここまで荒んでいるのかと思うと、正直悲しかったわ」




「……京子さん」




「けど、アンタは違う。何とか礼菜さんの情報を集めようと必死だった。
320万なんて大金を出し惜しみせずに使ってまでね。
今のさくらさんにしてもそう。アンタは良く言えば人情家、情に厚い人。
悪く言えば、最強のお人よし」




「褒めるか貶すか、どっちなのよ…」




良子はぷいっとそっぽを向いた。





「ごめんごめん、でもどっちも褒め言葉よ。
私はアンタのそういう所、すっごく好き。
つー訳で、これからアンタ達に情報を提供していくわ。
つか、携帯教えてちょ。良子さんの赤外線できる?」




「あ、うん」




良子は京子と携帯の赤外線通信機能を使う。
互いの携帯に、互いの電話番号やアドレスがものの数秒で登録された。
ちなみに良子の携帯はスマートデフォンという最新式だ。
京子もスマホで最新モデルだが、良子とは会社が違うようだ。
良子はbuなのに対し、京子はdokodemoである。




「困った事があったら、いつでも連絡してね。
モチ、無料だかんね」




「わかった。何かあったら連絡するよ」




良子の言葉に京子は首を縦に振る。




「礼菜さん、良子さんを大事にしてあげてね。
良子さんは本当に礼菜さんの事が大好きで仕方ないんだからさ。
これからも二人仲良くね」




京子は礼菜にだけ聞こえるよう、小さい声で言った。
その言葉に背中を押された気がして礼菜は少し嬉しかった。




「…うん。ありがとう、京子さん」




それに顔を赤く染めつつも、礼菜は力強く頷く。




「んじゃ、またねー」




ブンブン手を振りながら、京子は去っていった。









「やれやれ…また変わったのが仲間になったわね」



「センパイ、それ爆弾発言。なんか私達みんな変な人みたいな言い方じゃないっすか」




「そ、そんなつもりは」




言った後気づいても、後の祭り。
良子はなんとか言い訳しようとする。




「ホント、ホント。アンタが一番変わってるから」




「ちょっと、マコ。どういう意味よ、それ」




「どうもこうも、そのまんまの意味よ」




「…ちょっとちょっと、二人ともケンカしないの。
もう、相変わらずなんだから」




礼菜がやれやれと苦笑する。




「うふふ、お二人は本当に仲がよろしいのですね」




それに同調する稲美。




「センパイ達おもしろーい」




そして、さくらも自然な笑みを浮かべていた。
それは大金を持って有頂天な時の笑みより、こっちのがいいもんだなとさくらは感じていた。










良子達は蛍荘に戻った。
今日は日曜日なので、学校はない。




「さて、ちょっと休もうか。みんなあんまり寝てないでしょ?」



「そだね…」



礼菜は頷く。
昨日は夜遅くまで戦いもあったし、今日は朝一で学園長にも会いに行った。
みんなあまり寝ていないのだ。
流石に疲労が溜まっているだろう。




「私も寝るわ。じゃあね~」




マコが手をひらひら振り、自分の部屋へと帰っていった。




「私も。では、また…」


「私も疲れたわ。おやすみ、良子」


「おやすみ、礼菜」




礼菜は微笑みを良子に向けると、自分の部屋に帰っていった。
その笑顔は疲れもあるが、それでもいい笑顔だなと良子は思った。
稲美もいなくなり、残ったのは良子とさくらだけだ。




「さて、ウチらも休憩しよっか。さくらも疲れたでしょ?」


「そうですね。あの、またお部屋にお邪魔しても…」


「いいよ」




良子は快く快諾した。








昨日、良子は自分の部屋にさくらを泊めたのだ。
なので、良子の部屋に泊まるのは別に初めてではない。
だが、やはりまだ緊張しているらしく、少し遠慮がちに入ってきた。
他人の部屋が珍しいのか、キョロキョロと辺りを見渡すさくら。




「…昨日も思いましたけど、なんか個性的な部屋ですね」



「そうかな?」




良子の部屋は趣味の塊だ。
壁にはどこから集めたのか、時代劇や映画の古いポスターが所狭しと貼られている。
どれもこれも大正とか、昭和とか、明らかに良子やさくらの生まれる前の時代の物だ。マニアからすれば宝物なのだろうが、価値がわからないさくらには過去の遺物にしか見えない。本棚は時代劇小説が大半を占め、それ以外も古い映画雑誌ばかりが並んでいる。他にも時代劇のDVDやビデオがこちらも所狭しと並べられいている。
ちなみに良子の好きな作品は「剣客商売」「鬼平犯科帳」「眠狂四郎」「長七郎江戸日記」「大江戸捜査網」「遠山の金さん」「暴れん坊将軍」「銭形平次」などである。どれもこれもかなり昔のものばかりだ。
今や年老いた有名俳優の若き頃の作品が多々ある。
そのほか、デスクの上にはノートパソコンが置かれているものの、埃をかぶっており、あまり使われてないようだ…。
机の上には開けっぱなしの教科書や参考書がいくつか置かれている。
勉強している途中だったのだろうか。




「ああ、復習しとこうと思ってね」



「…こんな朝早くにですか?」




先ほどまで良子はさくら達と学園長室にいた。
それはつい一時間ほど前なので、時刻は午前7時程度。
それより早く起きて、勉強にとりかかっていたというのか?




「朝5時には起きてたよ。で、ごはん食べてから勉強してたんだ。
帰ってきてからもやろうと思って、そのままにして部屋を出たの」



「5時って…夜中じゃないですか!」




さくらはびっくりするが、良子は首を傾げた。




「いつもそれぐらいには起きてたからね。ウチ的には普通だけど…」




「いや、全然普通じゃないですから。つか、みんな寝てるっしょ、そんな時間…」




仕事で仕方なく起きる人はいるかもしれないが、普通は朝5時起きをする人はごく少数だろう。しかも、勉強の為に早起きする人など少ないだろう。
受験勉強やテスト前なら話は別だが…。




「普通、勉強って夜中とかにしません?その方が静かで集中できるし…」




「夜は妖魔との戦闘があるかもしれないし、時代劇鑑賞とかニュースとか色々見たいのよ。だから、ウチは朝早くに済ませちゃうんだ。その方が楽だし」




「…はあ。センパイ、すごいんですね」




自分と考え方が違うことを知った。
朝5時から勉強しているなんて…。
そして、勉強も妖魔退治も頑張っているんだ。
どちらも両立できているなんて、スゴイなあ…。
しかもそれを自慢するでもなく、ごく当たり前みたいに言うなんて…。
良子センパイって努力家なんだなとさくらは少し感心した。




「パジャマ貸すから。一緒に寝ましょ♪」



「あ、はい」




良子は猫の柄のパジャマをさくらに貸した。
さっそく着替えるさくらだが…。




「うん、よく似合ってるよ」



「そうですか?」



「うん、つか可愛い!」



「きゃ!」




良子はぎゅ~とさくらを抱きしめた。





「も、もうセンパイ!いきなり抱きつかないで下さい」




「いいじゃん!さくらってば、すっごく可愛いんだも~ん。
なんかお人形さんみたい」



「も、もう、センパイってば…」



さくらは顔を赤く染めている。
でも、満更でもないようだ。




「よし、じゃあベッドに入って。電気消すから」



「あ、はい」




良子は電気を消し、カーテンを閉じる。
そして、ベットに入った。




「んじゃ、おやすみなさい」



「おやすみ」



「あと、センパイ…」



「ん?」




さくらは良子に抱きついてきた。




「ぎゅっ・・・てしてください」



「うん」




良子は言われた通り、さくらをぎゅっと抱きしめた。
そんなさくらが可愛かった。
まるで自分に妹ができたみたいだなと良子は感じていた。
いくら暗殺を重ね、金のみを求めたと言ってもさくらはまだ高校一年生。
親も友達もおらず、金で物欲や性欲を満たすだけの毎日…。
お金がある、ゆとりのある生活は楽しい。
欲しいものを欲しいだけ買える生活を誰もが夢見るだろう。
そして、それが現実になった時はきっと心躍るほど嬉しいに違いない。
だが、そんな生活は結局ワンパターンに陥るものだ。
一流の男も本気でさくらが好きなわけではない。
それはさくらにもわかっていたはず。
お互いに愛はなく、身体だけの関係。
それはとても空しいものではないだろうか。
ホストクラブの男達も仕事だからやっているだけだ。
女王と下僕の関係はその店にいるからできる関係。
店を一歩出れば、その関係は消える。
どんなに美味い店でも何度も行けば飽きてくる。
金があれば生きていくことは容易い。
何も考えなくても、金があれば生きていける。
だが、どれだけ金で欲を満たしても寂しさは消えない。
遊び等で一時は消えても、いざ家に一人になると無性に寂しくなるのをさくらはいつも感じていたのだと思う。まるで世界にたった一人残されたような、そんな寂しさに苛まれる。寂しさを感じない人間など一人もいないのだ。
しかし、世界は万人を平等に受け入れてくれるほど優しくない。
友人を求めても、そんなものは名前だけだ。
有象無象の連中と馴れ合うののどこが楽しいというのだろう?
長く付き合えば、友人?
一緒のクラスの子はみんな友達?
話が合えば友達?
友達と親友の定義は何?
付き合いの長さか、会話が合うか、合わないのか?
有象無象の連中と付き合ったって、何も変わらない。
無駄な時間を過ごしているだけに過ぎない。
良子がもしさくらと同じ環境にいたとしたら…。
きっと同じ事を考えるだろう。
金があればそれでいいと暗殺に手を染めるだろう。
さくらの気持ちは良子には痛いほどわかるのだ。
良子はさくらと戦った時、デジャ・ヴュを感じざるを得なかった。
あれは昔の自分だと感じざるを得なかった。
だが、自分には礼菜やマコや稲美…かけがえのない恋人と親友が居る。
彼女たちから温かさを貰い、優しさを教わった。
自分がそうだったように、良子は今度は自分がさくらを救いたいと思った。
大好きな友達に囲まれ、辛いこともあるけど、楽しい毎日…。
この幸せな気持ちを彼女に与えたいと激しく思った。
できる事なら、彼女を明るく照らす太陽のような存在になりたい。




「センパイ・・・」



「ん?」




「大好き」




さくらはもう一度、良子にぎゅっと抱きついた。









今から数時間前。
餓流館学園高等学校・校長室。
校長は自分の机でパソコンのキーボードに指を躍らせていた。
それは今後の計画についての企画書だった。
暗殺予定のリストと方法を記入し、それを警察に送り承認を貰う必要があるのだ。
これらは全て校長の仕事である。
校長は60歳を超えているが、そこらの若者よりパソコンを上手く使える。
老いて尚盛んという言葉が良く似合う人物であった。
そこに乱暴なノック音が何度も響く。




「こ、校長、失礼します」




入ってきたのは、大柄な男だ。
身長は180センチを超え、筋肉質でガタイの良い男だ。
男は学ランを着ていることから、ここの生徒だということがわかる。
学ランは餓流館男子の標準的な制服だからだ。




「・・・どうした弥剣やつるぎ




キーボードの手を休めずに聞く校長。
その顔は男に振り向く事はなく、パソコンの画面に張り付いたままだ。




「い、十六夜さくらが剣良子に負け、奴に言葉巧みに説得され…。
わ、我々を裏切りました!」




「そうか」




校長は特に驚く様子もなく、淡々とつぶやいた。
まるでテレビのニュース番組を見たかのような無関心さ。
弥剣は慌てる素振りを見せない校長に少し腹を立てた。




「こ、校長!何をのんびりしているんですか!十六夜は我々の強力な戦力です。
それが裏切ったとなると…」




「弥剣。裏切り者はどうするべきだ?」




「即、処刑です」




「その通りだ。何も驚く必要はない。
悪人に死を、裏切り者に死を与えよ。
これが我が校の精神だ」




「は、はい。しかし、誰を向かわせます?
並大抵の奴では返り討ちが関の山でしょう。
まして、剣良子達の協力があるなら尚更…」




「焦る事はないわ」




そこで第三者の声が響いた。
弥剣が後ろを振り向くと、いつの間にか女が立っていた。
胴着と袴といういでたちで、年齢は30代前半だろうか。
校長も弥剣もその女をよく知っていた。




「貴様!ノックくらいしたらどうだ!」




「ドアが開けっぱなしなのに、どうやってするのよ。
慌てるのも大概にしておきなさい」




弥剣は舌打ちするが、女は気にしていない。
弥剣は相当慌てていたようで、ドアを閉め忘れていたようだ。




「弥剣、お前には自分の仕事があるだろう。
さっさと戻れ」




「…わ、わかりました」




弥剣は一瞬だけ女を睨んだ後、出て行った。
音が響くぐらい、ドアを乱暴に閉めた。




「…相変わらず小物ね」




ため息まじりに言う女。




「許してやって欲しい。奴は十六夜さくらに惚れていた。
裏切った事が信じられないのだろう」



「あなたは冷静ね、校長?仲間が裏切ったというのに…」




その言葉にフッと校長はほくそ笑む。




「裏切りでいちいち驚くほど小物ではないさ。
今までそういう連中はいたからな。
それより芳江くん、校長と呼ばれるのは悲しいな。
昔のように、井上くんと呼んで欲しい」




「悪いけど、公私混同はしない主義でね。
許してちょうだい」




「はは、君はそういう性格だったな。
悪かったよ。それより座りたまえ」




「いいわ。立ったままで大丈夫よ」




「…そうか。それでどんな用件かね?
私の顔を見にきたという訳ではないのだろう?」




校長は企画書を保存して、パソコンの電源を落とした。
顔を女こと芳江に向ける。




「…少しね、面白い事を思いついたの。
校長先生にもぜひ協力してほしいの」




「うむ。どんな面白い話かね?
非情に興味をそそられるな」




「実はね…」




芳江は事を説明した。
校長はうんうんと頷いた。





「ふふ、それは確かに面白そうだ。ぜひ協力しよう。
しかし、君も残酷だな。良子君は君の…」




「目標の為なら手段は問わないわ」




言い切る芳江。
校長は笑みを隠せなかった。




「ふふふ…実に君らしい。
準備ができ次第、また連絡するよ」




「ありがとう。よろしくね…井上くん」




芳江はそう微笑むと、校長室を後にした。
一人になった校長は煙草に火をつけた。




「…ふふ、何年ぶりかな。君にそう言われたのは。
酷く懐かしい気がするよ。学生時代を思い出すよ。
あの頃はワシも若かったな…」




感慨深く、校長は煙草を吸う。
いつもより美味しく感じられたのは気のせいだろうか…。













「センパイ、起きてください!」



「う、う~ん」



さくらの声に良子は起こされた。
カーテンがサッと開かれ、眩しい光が部屋を染める。
その眩しさに反射的に目を細め、くるっと寝返りをした。




「もうお昼ですよ!ほら、さっさと起きる!」



「ちょ、さくら、ま、待ってってば!」




良子の制止を振りほどき、さくらは良子の布団を引っぺがした。




「…今日は日曜じゃん。もう少し寝かしてよ~」




「ダメです。センパイには約束を実行してもらいたいんです」




「やくそくぅ?」




「私に剣を教える事です。忘れたとは言わせませんよ!」




そういえば、確かにさくらを説得した時に剣を教えるとは言ったが…。
だが、今日教えるとは言っていない。




「別に今日じゃなくても…。また今度教えてあげるからさ」



「残念ですが、私は待ちたくないんです。ほら、早く着替えて!!」



「あ、ちょ!自分で脱げるから。つか、脱すな!」




服までひっぺがされそうになる良子だったが、なんとかそれは自分から着替える事で許してもらえた。




それから数分後。




「さて、それじゃ修行しましょう。場所は…広い公園がいいですね。
ここら辺なら、代々木公園がベストですね」




「…えらいやる気ね」




良子は取りあえず、ジャージに着替えた。
運動するからにはジャージが一番だとさくらが言ったからだ。
というか、ほぼ強制的に。
さくらも同じくジャージである。




「そりゃそうです。私のプライドをズタズタにしたのは良子センパイですからね」



「え?」



「自慢じゃないですが、私は餓流館の中でもトップクラスの強さです。
依頼の数も私が一番多いし、誰よりも仕事をこなしました。完璧に!
修行だって誰よりも真面目にやったし、教官や校長に何度も褒められました。なのに!センパイは私をあっさり倒した!」




さくらは叫びのような怒声で怒鳴り、良子を指でビシっと指した。




「…はあ」




「私…センパイが私の事を思ってくれたのは嬉しかった。
けれど、それと同時に悔しい気持ちもあるんです。
私の築き上げた自信とかプライドとか、音を立ててガラガラガシャーンと崩れてったんですから!その責任、絶対に果たしてもらいます!」




「…やれやれ」




良子は少しため息をついた。
だが、やる気があるのは歓迎だ。




「わかった、わかった。ま、そういう約束だからね。
でも、ウチは厳しいよ。覚悟はできてる?
後で泣いても知らないよ?」




「望む所です!」




さくらはやる気満々の瞳で頷いた。
良子はその瞳を見て頷いた。
さくらの瞳はやる気に満ち、なんでもやってやろうという気迫があった。
一生懸命やろうとしている奴は見てて気持ちが良い。
それに自分にとっては初めての弟子だ。
こりゃ、いっちょ頑張って育ててやろうじゃないか。




「よし、んじゃ代々木公園まで走るよ」



「はい!」




良子達は早速トレーニングを開始した。













代々木公園。
1時間30分程度かかって、なんとかつくことができた。
さくらはかなり汗をかいていたが、良子は汗ひとつかかず平然としていた。
いったいどれだけの体力があるというのだろうか、良子は…。
さくらはそれを少し不思議に感じていた。




「はあ、はあ、はあ…」



「さて、んじゃ修行しよっか」




良子は何かを投げた。
さくらはそれを反射的にキャッチする。




「木刀…」




そう、渡されたのは木刀だった。




「全力でウチに打ち込んできて。
ウチに一発でも当てられたら、さくらの勝ち。
逆にウチに一発でも当てられたら、さくらの負け。
できる?それとも、走ってヘバッた?」




「…んな訳ないです。やってやるですよ」




「んじゃ、来なさい」




良子は木刀を構え、じっとさくらが来るのを待っている。
さくらも木刀を持ち、構える。
そして、一気に打ち込む。




「でやあああああああああ!」




良子はそれをさらっとかわす。




「やああああ!」




良子に何度も木刀を打ち込むが、良子はそれをあっさりとかわす。
まるでさくらの動きを知っているかの如く、鮮やかにかわしていく。
良子はかわし終えると、さくらの背中に木刀を叩きこむ。




「うあ!」




さくらの背中に激痛が走る。
しかし、倒れる寸前で受身を取った。
だが、結果的にはさくらの負けだ。




「はい、ウチの勝ち」




「くっ…」




さくらはペタンと地面に座った。




「…なんであんなにかわせるんですか」



「バカ正直なんだよ、剣の切っ先が」



「バカ正直…ですか?」



「そう。さくらの剣は全て力押しなのよ。
昨日もそう感じたけど、力で叩き伏せるやり方が好きみたいね?
確かにそういう剣なら雑魚は倒せるかもしれない。
けれど、そんなんじゃウチには勝てないね」




「…なるほど」




さくらは悔しい気持ちを感じながらも、その言葉を心に刻む。
そして、頭の中で自己処理をし、考えていく。
しかし、どうやれば良子に勝てるのかという明確な答えは出ない。




「体力とかは充分あるけど、まずはその戦法を変えないとウチには通じないよ。まずはその改善だね」



「流石、センパイ。じゃ、もう一度お願いします」



「OK。どんどん来な!」




さくらは無言で駆け出し、良子との間合いを一気に無くす。
お互いの距離はゼロに等しくなり、両者の間に刀と刀がぶつかり、鍔迫り合いが起こる。一見、力押しの無謀な攻撃かと思われるが、実はそうではない。
現代剣道においては一足一刀の間合いが基本である。
一足一刀の間合いとは、一歩踏み込めば相手を打突できる距離であり、一歩下がれば相手の攻撃をかわすことのできる距離をいう。具体的には、中断に構えた交互の剣先が約10cm程交差した程度が一般的な距離である。
要するに攻撃しやすく、尚且つ相手の攻撃を避ける事も可能な距離なのだ。
だが、お互いの間合いが近すぎれば、自分の攻撃も相手に届くが、相手の攻撃も自分に届きやすく諸刃の剣術だ。
しかし、それはあくまで現代剣道での考え方だ。
真剣を用いた古流剣術の考え方ではない。
真剣で人や物を斬る場合は、相手に貼りつくくらいの距離まで近づかなくてはいけない。お互いの体を刀で完全に貫くほどの間合いで。
そして、相手と刺し違える覚悟と冷静さが必要だ。
相手を真っ二つに斬る必要はない。
要は「当てれば」いいのだ。
それだけで人体に大きなダメージがいく。
そうすれば、勝ったも同然だ。
さくらの力押しは良子を騙す為のフェイク。
ここで素早く、良子に攻撃を当てればさくらの勝ちだ。




「当てる」だけなら、難しくはない。




さくらは空いている左手で背中に手を伸ばす。




「はああああああああああ!!」




鍔迫り合い中に「寸鉄」が来るとは誰も思うまい。
寸鉄とは小さな刃物の事を指す。
卑怯と思われるかもしれないが、寸鉄は元々隠し武器。
また、良子は木刀で当てろとは一言も言っていない。
何で当てても、当てれば勝ちなのだ。
こういう場面で勝利を得るためには「寸鉄」は至極役に立つ。
また人間は反射的に右を見る性質がある。
その為、予想しにくい左手から寸鉄を繰り出すのも、さくらの考えだ。
これでさくらの勝ちは決まったかに見えた。




「甘い!」




しかし、そんなさくらの攻撃を知っていたかのように木刀を捨て跳躍する良子。
その跳躍スピードはあまりにも速く、さくらは良子が消えたようにした見えなかった。




「な、ど、どこに…!?」



「こっちさ」




その声はさくらにとって死刑判決の声だった。




「夜叉神桜刃流・龍墜落」



跳躍から素早い降下による重力全てを剣に乗せ、さくらの脳天に叩き落とす。



「が・・・!」




あまりの強烈な攻撃に脳に雷鳴が走るをさくらは感じた。
そのまま膝を折り、さくらは地面に倒れこむ。



「な、なんで…こんな重い一撃が…」




とはいえ、流石に元・餓流館のエース。
気を失いはせず、意識だけはあった。
だが、身体を動かすことはとてもできそうにない。
頭全体が強烈に痺れ、脳が恐ろしいぐらい混乱し、ダメージを受けている。
歩く事も身体を動かすことも、とてもできそうにない。
さくらの寸鉄をかわし、良子がさくらに龍墜落を喰らわすまでかかった時間はわずか2秒。何故、この2秒でここまで強烈な攻撃ができるのだ?
2秒程度で人間が跳躍できる距離など、たかが知れていると思うが…。




「さくらの攻撃は大体読めてた。恐らく、どっかで卑怯な方法を仕掛けてくるだろうとね。ま、確かにウチは他の武器を使うなとは言ってないからね。
さくらが餓流館だと考えると、当然それを使うと踏んでいたのさ」




「つまり…センパイは最初から私に卑怯な方法を使わせるつもりだったんですね?」




さくらの言葉に頷く良子。




「そう、まさにそこが狙いさ。で、龍墜落を放ったの。
落下速度を自由に調整できるウチは何メートルも跳躍する必要はない。
普通にジャンプする程度で、何メートルもジャンプしてから攻撃したのと同じぐらいの威力を出す事ができるのさ」




落下速度を自由に調整…?
普通、物が自由落下するときの時間は、落下する物体の質量には依存しない。
同じ高さで重いボールと軽いボールの二つを落として落下するスピードは一切変わらないのだ。これはガリレオ=ガリレイが見つけた法則で、ピザの斜塔の頂上で実験し、その法則は見事に照明された。故に落下速度を自由に調整する事などできるはずがない。また、重力は逆らえば逆らうほど強力になる。
つまり、跳躍した高さ×木刀の攻撃力=相手のダメージとなる。
跳躍した高さが大きければ大きいほど、重力に逆らっているので当然攻撃力は増す。
だが、良子が言うには、跳躍した高さが例え低くても、何メートルも飛んだのと同じ重力を剣に叩き込むことができるという。
それは即ち、良子は重力を操る事ができるということだ。
信じがたいが、わずかな間でこの攻撃力を生む事はまず不可能だ。
それを可能にしているとしたら…。
普通の人間には到底できない技である。




「威力は加減したつもりだけど…大丈夫?」




良子はさくらを抱き起こし、頭をさする。




「これぐらい平気です…。つか、どうやるんですか。そんなの…」




「そうだね。ズバっときて、シュバッって感じかな?」




「全然わかんないです…」




何がどうズバでシュバなんだ。
ミスター流過ぎて、誰にもわからない。




「そうだね…口で言うと難しいから、また今度教えてあげるよ。
今日はここまでにしておこう」




「了解…です」




さくらはまだ若干ふらついていたが、良子の助け無しで立ち上がった。
リカバリーも早いのは流石だなと良子は少し感心した。




「つか、服が汗べっとり気持ち悪いです。シャワー浴びたい」



「そだね…んじゃ、あそこ行く?」



「どこですか?」




良子が指した先には「スーパー銭湯 you坊主」があった。




「あ~、坊主ですか。いいですよ、いきましょう。
汗だくの炎天下の中、帰るよりマシです」




まだ昼過ぎの3時だ。
日が暮れるにはまだまだ時間がかかる。
確かに汗だくのまま、寮に戻るのは良子も嫌である。




「ウチ、あそこ前から行きたかったんだよね。んじゃ、さっそく、行きましょ」




「はーい」






という訳でやってきたスーパー銭湯「you 坊主」
ここは日本全国に店舗があり、特に関東の店舗は世界の温泉が楽しめるという銭湯として有名だ。他にも、日本の名湯と呼ばれる温泉も忠実に再現し、大人も子供も楽しめるスーパー温泉施設である。駐車場もあるので、付近の住民以外にも遠くから車で来る人も多いそうだ。個人でも楽しめるが、会社が終わってから来るサラリーマンや家族連れも多い。you坊主は7階建てで、内部はとても広い。
だが、よく見ると建物が円形になっているのがわかる。
これは迷わない為の工夫らしい。
受付に行くとリストバンドを貰え、それを腕に装着する。




「これで買い物ができるの?」




「そうです。それがあれば、売店とかで何でも買えます。
帰り際に入り口にある清算機で使った分の金額を払えばOKです」




要するにここでの買い物は全て後払いだ。
買った物の値段はリストバンドに記録され、帰りに清算機でお金を払えばいいのだ。
なるほど、なくさないようにしないと。
良子は頷き、辺りを見渡す。
浴衣を着た男女を数多く見かける。




「ええと…女湯は」



「そこの看板に書かれてありますよ。6階みたいですね」



「んじゃ、行こうか」




脱衣所も風呂も階数で別けられている。
階段でも行けるが、エレベーターで行くのが早い。




案内版には


1階 フロント
2階 売店・ゲームコーナー・サロン
3階 脱衣所(男)日本の名湯 関西~沖縄
4階 アジアの温泉・
5階 日本の名湯コーナー
6階 脱衣所(女)日本の名湯・関東~東北
7階 プール


となっている。




エレベーターは外が見えるタイプのガラス張りだった。
普通のエレベーターより広く、人が10人ぐらいは乗れそうだ。
エレベーターには良子達以外にも3~4人ぐらいの男女が入り、皆それぞれ停まりたい階を押し、それぞれ雑談に興じている。
見た感じ、友達同士だと思われる。
そして、エレベーターが静かに動き出した。
良子は隅の方に背もたれして、ガラスから外を見ていた。
どこかアンニュイな横顔の良子にさくらはちょっぴりカッコイイなと思った。




「センパイはスーパー銭湯始めてなんですか?」




「うん。地元にはなかったから。普通の銭湯なら何度か行ったけど、ここまで大きいのは始めて。さくらは?」



「私はたまに。大きいお風呂ってすごくリラックスできるんですよ。それが楽しくして」



「へぇ…」




まあ、気持ちはわかる。
お風呂屋さんのは家庭用の風呂よりも熱く、足を伸ばせるぐらいに広い。
色々なお湯もあるし、とてもリラックスできるものだ。
風呂上りのフルーツジュースも楽しみの一つである。




「でもですね」




良子の隣にぴょこっと寄るさくら。




「前は一人だったから…こうして誰かと来るなんて夢にも思わなかったです」




「…男とかは?」




「いや、デートは一度もしたことないです。愛もないのにデートなんて、しんどいだけですしね。相手も割り切ってるのに、そんな事まで求めてもつまんないでしょ?」




さくらは笑顔で言う。
確かに好きでもない異性とデートしても楽しいとは思わない。
逆に好きな相手とのデートはすごく楽しい。
時間が過ぎるのが惜しいと思うほど、楽しかったりする。
…と、礼菜が貸してくれた恋愛小説には書かれていた。
残念ながら、良子にはそんな経験は微塵もない。
礼菜とのデートなら何度もあるが。




「だから、センパイと来れて嬉しいです」




「ふふ、嬉しい事言うね、さくらは」




良子はさくらの髪の毛をポンポンと優しく撫でた。
良子より少し小さいさくらは、頭をポンポンしやすい。
何気にこれが楽しいなと思う良子。




「もう…子供扱いして。1、2コ、歳がちがうだけじゃないですか。
私の事なんか妹みたいに思ってません?」




ぷくーと頬をリスみたいに膨らまして怒るさくら。
良子はそれに思わずくすくす笑ってしまった。




「つーか、妹みたいに思ってるよ。わがままだし、お嬢様だし、甘えん坊だし…。ツンデレお嬢様的な?」




「なんすか、それ…。はいはい、どーせ私はわがままで、お嬢様で、甘えん坊ですよーだ。フン」




そっぽを向くさくら。
良子は「あはは」と大笑した。




「おかしいなぁ、もう…。ごめん、ごめん。
でも、そんなさくらが可愛くて大好きよ」




「もう…調子いいんだから」




さくらは赤面しつつ、軽くため息をついた。
それは「やれやれ仕方ないな」という安堵にも似た嘆息を漏らした。








脱衣所でさっそく着替える良子達。
タオルは備えつけのがあるので、小タオルと大タオルの二つを借りる。
コインロッカーになっているので、閉める時は100円が必要だ。




「…さくら、結構いい形してるね」




「…ど、どこ見てるんですか」




赤面し、ぷいっと顔を逸らすさくら。




「胸に決まってるじゃん」




「…真顔で言わないでください」




ますます赤面するさくら。




「サイズいくつ?」



「Cですけど…センパイは?」



「ウチはBなのよね…全然成長しないのよ。つか、ホントに綺麗ね」




「きゃっ!」




良子は思わずさくらの胸を触る。




「や、やめてくださいよ!は、恥ずかしい…」




さくらは良子の手を払い、慌ててタオルで胸を隠す。




「恥ずかしいって…さくらは経験あるんでしょ?
何で恥ずかしくなるのよ?」




「そ、それとこれとは別っていうか…。
せ、セクハラですよ、セクハラ!」




「女同士でセクハラも何もないでしょーが。
スキンシップ、スキンシップ…。つか、その胸触らせろー」




「きゃー!」




黄色い悲鳴飛び交う脱衣所。
周りの女性達はそれを微笑ましく見守っていた。
よくある光景だろうが、さくらは本気で嫌がっていた…。










「…ひどいです」




「あはは、ごめん、ごめん」




二人は日本の名湯・関東~東北に来ていた。
さっそく玉川温泉の湯に浸かる。




「ふぅ~気持ちいい…。やっぱ温泉はいいねぇ」




「ですねぇ…」




大きい風呂は家で入る風呂とはやはり違う。
良子達の寮はユニットバスだ。
それもいいが、身体全体がうーんと伸ばせる風呂というのもいいものだ。
また、こういう温泉は少し温度が熱めとなっている。
熱い湯が大好きな良子には心地よかった。
もちろん、さくらもうっとりと心を和ませている。
流石、日本の名湯だ。
冷え性や肩こりを改善し、お肌にもいいと看板に効能が書かれている。
温泉にはたくさんの女性達が楽しそうに入っている。
友達同士や母と娘、中には孫と祖母までいる。
小さい子供は大きい風呂が珍しいらしく、きゃっきゃっとはしゃいでいる。
それをやんわりと注意する母親。
子供は広い場所に行くと無性にきゃっきゃっとはしゃいでしまう生き物である。
楽しくて仕方が無いのだろう。




「…いいですね、ああいうの。センパイ親は?」




「いない」




「え?」




「正確に言うと、お母さんがウチを師匠に預けた後…蒸発。今でもどこにいるのかわからない。お父さんも知らないし…」




「寂しくないんですか?」




「そうだね…寂しくないと言えば嘘になるかな…」




良子は少し目を細めてそう言った。
どちらも顔も影も声すら覚えていない。
けれど、母親の後姿だけはおぼろげに覚えている。
それを思い出すと、少し胸が痛くなる…。
今でもそれは変わらないな、と良子は心の中で感じていた。




「…そう思えるだけ良いと思いますよ。私は寂しい感情すら無いんですから」



「え?」



「私の親は…餓流館に殺されたんです」


「…え」




良子は絶句した。




さくらは続ける。




「それを知ったのは中学生ぐらいの時ですけどね。あるメンバーが自分の親がどういう人なのかをを知りたくて、餓流館の機密情報を盗んだんです。私はそいつとはルームメイトで、こっそり教えてくれたました。餓流館にいるシャドウナイツメンバーは、全員親が殺されてると。餓流館が有望だと思う人材をリストアップし、そいつを赤ん坊の時に拉致し、親を殺すんです」




「……」




良子は二の句が出なかった。




「その後は餓流館の息のかかった養父母役の者達に育てられるんです。その後、山崎学園に入れられるそうです」




「なんなの、その学校は?」




「餓流館の姉妹校が創設した小・中一貫校です。そこは普通の小学校と違っていて、普通の授業の他に格闘訓練があるんです。そこで訓練を積み、エスカレーター制で中学に行くんです。外部受験とかは原則禁止で、誰も他の中学には行けないそうです。もちろん、カモフラで一般生徒もいますけどね」




「…でも、そんなのどこかでバレるんじゃ?」




学校側は例えそれを秘密にしていても、生徒にはバレるものではないだろうか?
たとえば、休み時間とかでのおしゃべりとか…。
どこかで秘密が露見してもおかしくないはずだ。
小学生の内は嘘を平気でつける子はまだまだ少ないだろうと思うが…。




「いえ、そこもシャドーナイツと同じように特別クラスが設けられています。学校の最上階にあって、他の階の生徒たちとは基本的に交流を禁止させられています。違反した場合、処分されます」




「…処分って」




「殺されるんです。秘密をバラした方も、聞いた方も」




さくらは続ける。




「特別クラスでは、誰も彼もがエリートだと思わされる洗脳教育をするんです。テレパスの専門家とかも呼んでね。なので、誰も現状を変だと思わないんです。むしろ、自分達こそが世界を支配できるとか思い込まされちゃうんですよね。ま、私もそこを卒業した今だからこそ言える台詞ですけど」




「……」




良子は言葉を失った。
一度整理してみる。
餓流館は有望な人材を早々にリストアップし、親を殺害し、子を拉致する。
子は赤ん坊なので、誰が親なのかはわからない。
養父母役の者に預けられ、山崎学園で小~中と訓練を積まされる。
洗脳教育させられた者達は他を見下し、自分達こそが世界を支配できると思い込まされ、そして、最終的には餓流館で暗殺仕事を請け負うようになる。




「ちょっと待って。でも、人を殺すって並大抵の事じゃないわ。
いくら洗脳教育を受けたとしても…」




人を殺すというのは奈落の底に落ちるほどの気落ちと恐怖を感じる。
いくら洗脳教育だとしても、実際に自分が人を殺せば恐ろしさを感じるものだろう。
恐怖、後悔…。
どれだけ懺悔しても罪はなくならない。
一生、その十字架を背負って生きなければならないのだ。
良子にもその経験がある。




「テレパスの授業があるんです。そこで人を殺す恐怖を少しずつ取り除くんです。これを小~中学校まで受けると、人を殺しても何とも感じないようになるんです。予定していたプログラムを実行した程度にしか、脳には感じないんです次第に本当に何も思わないし、何も感じなくなる…」



「……」



「だから、私は本能に任せて殺しまくりました。お金が入ればハッピーだし、褒めてもらえるし、周りからも認めてもらえる。すんげー大金なんですよ?真面目に働くのがバカバカしくなるぐらい大金。害虫以下の人間なんて殺しても別に何とも思わないし。…けど」




「けど?」




「私ね、すんごい寂しがり屋なんです。男と寝ても、金を稼いで遊びまくっても、何か足りない感じで…。なんつーか、こう…胸にポッカリ穴が開いた感じなんですよ。何をしてもその穴は埋まらないんです。いざ一人になると無性に寂しくて…。まるで世界に一人だけになったような。変ですよね、これ。TVつけたら、番組がやってて、芸能人がいるのに…」




「さくら…」




「それにどこかで思ってました。きっといつか誰かが私を殺す時が来るって。あの時、センパイになら殺されてもいいかな…なんて、思ってました」




あの時とは、良子と戦った時を言っているのだろう。
良子は首を横に振る。




「ウチはそんな事…絶対に嫌!」




「わかってますよ。つか、センパイってホント”、ド”がつくほどマジメですね」




「当たり前でしょ!こんな時にふざける馬鹿がどこにいるってのよ!」




良子は思わず大声で叫んだ。
周囲の人たちが怪訝な表情でこちらを見る。




「わかってますって。だから、こうして今一緒にいるんじゃないですか。
センパイ、ホント熱血過ぎ…。でも…でも、そういうの嫌いじゃないです。センパイらしくて」




「さくら・・・」




さくらは良子に擦り寄る。
良子はさくらを思わず、ぎゅっと抱きしめた。




「私…今すっごい幸せです。なんか…ようやく充実ってのを感じてます。
どんだけお金使っても、心は満たされなかったのに…」




「お金だけが全てじゃないんだよ、さくら。これから、それも教えてあげる。
ウチが本当の幸せを…アンタに与えてあげる」




「期待してます、センパイ」




二人はしばらくそのままぎゅっと抱きしめあった。










風呂から出た後、良子達はプールに来ていた。
プールは女湯と違い、男も女もどちらもいる。
子供連れの親子が多いらしく、小さな子供がきゃっきゃっと親と一緒に遊んでいる。
しかし、先ほどの温泉に比べるとシーズンオフのせいか、若干人が少ない。
温かいお湯の温水プールの他、ウォータースライダーなんかもある。
ちなみに水着はレンタルできるので、先に脱衣所のフロントで水着をレンタルして、水着に着替えてからプールへと来ていた。




「あれ、良子?」



「あ、礼菜じゃん。マコ達も」



「よっす」



「こんにちは、良子様」




プールには見知ったメンバーがいた。
礼菜、稲美、マコ達だ。




「どしたんですか、センパイ方揃って…」




さくらが不思議そうに尋ねる。




「いや、稲美さんがこういう所来たことないって言うからさ。
良子の携帯にも電話したのよ?でも繋がらないから私達で来たの。
まさか、ここで会うとはね」




「世間は狭いんですね」




さくらはあははと笑う。




「つかさ、マコ…」



「あによ」



「なかなか可愛いじゃん、その水着」




良子はマコの水着をじーと見つめる。
マコの着ている水着は白のビキニに注目した。
実はワンピースよりもビキニの方がスタイルよく見えるのだ。
ビキニの場合、視線がお腹から外れるし、濃い色だとメリハリが効いて更にグラマー効果増大。多分、マコはそれをわかってて着ているに違いない。




「わかる?この前買った奴持ってきたんだ」




「なーる。つか、礼菜」




「ん?」




「なんでスクール水着じゃないのよ」




「いや…なんでって言われても」




礼菜は赤面した。




「今度プール来る時はスクール水着着てってお願いしたじゃん!」




「無茶言わないで!んなの、恥ずかしくて着れないよ」




礼菜もマコと同じくビキニだ。
結構派手なデザインで見た目的には高そうである。




「せっかく、この前買ってあげたのに~。礼菜のスク水見た~い」




「やーよ、こんな所で。まったくスケベなんだから!」




「でも、ビキニの礼菜も可愛い!」




といいながら礼菜に抱きつく良子。




「もう、良子ってば…」




といいながらも満更ではない礼菜。




「ラブラブですね、良子センパイと礼菜センパイって」




「二人はいつもあーよ。この間もさ、あえぎ声が響いてきてさ…」




「ええっ…」




流石に硬直するさくら。




「こら、マコ!さくらに変な事を吹き込むんじゃない!」




「あら、本当の事じゃない。でね、それがすげー大声で…」




「きゃー!喋っちゃダメー!」




そんないつも通りの光景に稲美は優しく微笑むのだった…。










「ねえ、お腹空かない?」




プールの後、良子達は着替えてからyou 坊主の外に出た。
そして、開口一番良子がそんな事を言い出した。




「確かに…お腹すきましたね。結構泳いだし」



「そうね。でも、you坊主にはゴハン食べる所ないのよね…」




マコの言葉に皆頷く。
you坊主はあくまで温泉であり、残念ながら食事をする場所はない。
売店ぐらいはあるが、サンドイッチやジュースぐらいしかない。
しかも1つ700円とかなり割高な値段だ。
ここら辺はスキー場に売ってるジュースの値段が高いのと同じ理由だろう。
おまけに具は小さいし、パサパサだし…。
小腹を埋めるならいいが、みんなでたくさん食べるのには適さない。
第一、財布に優しくない。




「どっか食べにいこっか」




「ん~夕方の5時なら…マグナムとか?」




マコが腕時計を見ながら言う。
マグナムならすぐ近くにあるが…。




「あ、どうせならラーメン食べに行きません?」




さくらが「はい!はい!」とぴょんぴょんジャンプ&挙手して意気揚々と言う。




「ラーメンねぇ…ここら辺、幾つも店があるわよ。しかもどれも人気店よこの時間帯は大概込んでるんじゃないかしら…」




東京に出店しているラーメン店は東京限定の店もあれば、人気のチェーン店もある。
それのどれもが大通りに面していて、わかりやすい場所にある。
流石に日曜日の夕方はどこも込むんじゃないだろうか?
まあ、それはラーメンに限った事ではない。
きっとマグナムやサイガゼリアも同じだろう。




「そこは任せてください。お客さんは少ないけど、めちゃくちゃ美味いラーメン屋があるんですよ!」




「そんなお店あったかしら…?」




マコは今まで行った事のあるラーメン屋を思い浮かべるが、そんな好条件のラーメン屋なんて知らない。もちろん、良子や礼菜たちも知らない。




「ま、この”歩くグルメツアー”のさくらに任せてください」




ある胸を張るさくら。
どうせ他はどこも込んでいるし、これといって行きたい所も少ない。
ここはさくらの提案に乗るのも一興だろう。
良子はそう判断し、頷いた。




「じゃ、さくら案内して」



「ラジャーです☆」




さくらは軍隊長よろしく敬礼した。














やってきたのは住宅街の裏通り。
人通りが少なく、閑散とした所だ。
遠くで子供達の遊ぶ声や自動車が走る音が聞こえる以外、至って静かな場所である。
家々が立ち並ぶ以外は特に何もなさそうである。
表通りと違って、道も若干狭く、一車線ぐらいの幅しかない。
通行人も少なく、ほんのたまにすれ違う程度。
お店があるような場所だとはとても思えない。




「本当にこんな所にお店があるの~?」




良子が訝しく聞く。




「ええ。ほら、見えてきました。あそこです」




さくらが示した先には古びたオフィスビルがポツンと一軒建っていた。
築年数がどれだけかは知らないが、あちこち痛んでいてボロボロ。
今は陽が高いから普通のオンボロビルだが、夜になるとさぞかし不気味なホラーハウスに早代わりするのだろう。人が使っているようにはとても見えないんだが…。
入り口には何故かキャスターで移動式の看板があり、




「麺処 禁じられた愛」




「めんどころ・・きんじられたあい?」




「店主が好きな洋楽バンドの曲名なんですよ。名前が長いので、みんなは愛って呼んでますけどね」




「はあ…」



禁じられた愛って…ラーメン屋には似合わない名前だ。
というか、そもそもこんな裏通りに店があって繁盛するのだろうか。
良子は周りを見回すが、客らしき人は一人もいない。
というか、人自体いない。
いるのは良子達くらいだ。
その他は野良猫ばかりである。




「マコ、こんな所にラーメン屋があるって知ってた?」




「ううん…知らない」




「…儲かるんでしょうか。こんな所で」




皆それぞれが疑問符を頭に浮かべ、首を横に捻る。




「まあまあ、行きましょう先輩方」




横開きの扉を開けると、大音量で洋楽が流れてきた。
良子達は反射的に耳を指で押さえた。
カウンター制になっていて、丸イスが幾つか並べられている。
カウンターのすぐ傍に厨房があるタイプで、24時間やっている定食屋を思い出す。
イスの色も朱色で統一され、床は茶色のフローリング。
意外と綺麗で片付いてはいる。
もしくは誰も来ないから、汚れないのが正確なのかもしれないが。
やっぱり、店内には客はいない。
いや、誰かいる。
よく見ると、女性がテーブルに肘をつき、煙草を吸っている。
見た感じ、30代前半ぐらいだろうか。
天井近くにあるTVを興味なさそうに見ているようだ。
おい、ここ飲食店だろと誰もが内心ツッコミを入れた。
飽きたのか、音楽の音量を下げ、テレビも消して、伸びをした。




「マスター、お久しぶり」



「あ?」




さくらの声でマスターと呼ばれた女性はこちらを振り向く。




「ああ、さくらか。久しぶりだな。元気か?」




「えへへ。まあ、それなりに」




「そうか、そうか。で、そっちにいるのは誰だ?」





おおよそ女らしくない口調で言うマスターは顎で良子達を示した。
手にした煙草が煙を静かに燻らせている。




「学校の先輩達なんです。マスターのラーメンを紹介したくて来ました」




「ああ、なるほど」





マスターはふーんと良子達を品定めするように、上から下まで観察した。





「は、はじめまして」




「・・・お前、剣良子だな?」




「え?」




いきなり名前を当てられた良子はビックリした。
何故、この人は名前を知っているのだろうか。




「あ~、お前は知らんか。東龍会直系藤波組の若頭…坂東修を知ってるだろう?アタシはあいつの妹さ」




「え…坂東さんの?」




良子はブンブン首を横に振るった。




「で、でも…坂東さんは58歳ですよ。マスターさんどう見ても30代ぐらいにしか…」



「アタシは遅生まれでね。驚くのも無理は無いさ。兄貴が色々世話になったようだね。兄貴に代わって礼を言っとくよ」




マスターは頭を下げた。




「いえ、ウチはただお手伝いしただけですから…」




「…ええと、どういう事?」





皆、訳がわからないと首を傾げた。




「えっとね、ウチ実は師匠のお手伝いで藤波組っていう組を支援してたんだ。今では大阪で最大の組なんだけど、当時は弱小組織でね。ウチは若頭の坂東さんの指示の元、色々な組相手に派手に暴れまわってたのよ。っても中学の時だけどね」




何でもない世間話のように話す良子だが、皆凝固した。





「…アンタ凄過ぎ、良子」




「え、そう?」




マコの言葉にぽかんとする良子。




「中学生の女の子が暴力団を支援して、他の組相手に暴れまわるなんて…。
なんのライトノベル小説よ、それ…」




マコはため息をついた。




「良子センパイ、見かけによらず凄いんですねぇ…。
礼菜センパイ知ってしました?」




「お手伝いしてるのは知ってたけど…そんな危ない事してたのは
知らなかったわ。ま、良子らしいといえばらしいけど…」




尊敬の眼差しを向けるさくらとは対照的に礼菜はやれやれとため息をついた。ひょっとしたら、良子はまだ裏で色々やっているのかもしれない。




「ま、そういう訳だ。アタイは別に組とは何の関係もないけどな。
さて…アタイのラーメンを食いに来たんだろう?
んじゃ、まずはこれを書け」




そう言ってマスターは良子達に何かを手渡した。
それはA4用紙の履歴書だった。




「あの…これは?」




「アタシは身元のわからねぇ奴に食わせるつもりはない。
アタシのラーメンはアタシが選んだ奴にしか食わせないようにしている。
その履歴書に必要事項を書いて、後ろの会則もしっかり読んで、納得したらサインしろ」




マスターは厨房にあるペン立てから、ボールペンを人数分配った。
さくらは元々知っているので、先輩たちの反応を喜々と見ているようだ。
呆気に取られつつも、まず席に座る良子達。
取りあえず履歴書らしきものを見てみる。
履歴書は市販されているものにマスターが手を加えたものらしい。
名前、性別、住所、年齢、職業、生年月日、星座、資格欄、職務欄、座右の銘、大切な物、今一番欲しいもの、好きな人の有無、好きなマンガ、好きな音楽、好きなバンド、行った事のあるライブ…などの欄がある。
それらをカリカリと埋め、裏面を見る。
そこにはマスターの言った通り会則があった。





会則 第一条 家に帰ったら必ず手を洗う事。
会則 第二条 人に親切にしよう。特にお年寄りや子供を大切にする事。
会則 第三条 人の悪口を言ったり、陰口を叩かない事。
会則 第四条 深夜アニメは録画する事。夜中に奇声を上げない事。
会則 第五条 違法配信されているコンテンツをダウンロードしない事。
会則 第六条 家に帰ったら必ず「ただいま」を必ず言う事。
会則 第七条 日々、勉学や部活動・委員会に勤しむ事。
会則 第八条 友達や先生、周りの人を大切にする事。
会則 第九条 同性の友達を大切にする事。
会則 第十条 テレビゲームは一日一時間を守る事。





「・・・・・」




皆、絶句した。
なんか、一般的な物もあれば変な物も混じってる。
わざわざ会則にする必要があるのか?これ。
しかも、店内での事が何も書かれていないが…。
つか、なんでこんなのを書かなきゃいけないんだ?
疑問はあるが、とりあえず書き終えた良子達はマスターに手渡した。




「ん。こいつは預かっとく。んじゃ、ラーメン作るか」




「・・・・」





良子達は一抹の不安を覚えながらも、ラーメンを待つことにした。
待つこと数分。




「へいよ、ラーメンお待ち!」




出てきたラーメンは見た目はごく普通のラーメンだった。
麺は細く、野菜と大きい海苔が盛り付けてあり、汁は白色である。
なにはともあれ、さっそく一口食べてみる。




「・・・・・!?何コレ、超美味いんだけど!」




良子が絶賛した。




「・・・嘘。マジで美味しい!」




マコが驚愕した。




「・・・私、こんなラーメン食べたの初めてなんですけど…」




稲美が感涙した。




「スープも麺もいいし…素晴らしすぎるわ!」




礼菜が狂喜乱舞した。




「おいし~♪」




さくらはガツガツ食べている。




「だろう?アタシは全世界を放浪してこの味に辿りついたのさ。
このレシピはアタシしか知らないのさ
アタシの脳だけがそれを知っている」




マスターは得意げに指で自分の頭を指した。
相当の自信があるようだ。
良子達はガツガツ食べた。
ここのラーメンは他所で食べるラーメンとは少し違う気がする…。
良子は食べながら、このラーメンが他のラーメンとどう違うか考えてみた。
まず、ここのラーメンは塩だ。
スープは透明なのはその為だろう。
麺は細いが、細すぎるというほどでもない。
最近の流行のラーメン屋は極細とも言えるほど、麺が細い。
だが、ここのは適度に細いのだ。
太すぎず、細すぎずという絶妙なラインである。
そして最も重要なのは麺を噛み切りやすいという所だ。
今まで幾つかのラーメン屋に行った事があるが、ここまで噛み切りやすいの
は初めてだ。ここまで噛み切りやすいと、幾らでも食べれてしまう。
他の店では、麺が細くて柔らかめを頼んでも、麺に弾力があり、噛み切りに
くい。一気に食べずに少しずつ麺を食べていくスタイルになる。
だが、この店ではどうだろう。
弾力はもちろんあるが、非情に噛み切りやすいのだ。
その麺の弾力はそっくりそのまま、舌に行く。
その歯ごたえが楽しく、幾らでも、かつ、何度でも食べれてしまう不思議な
魅力がある。舌はその弾力と味の魔力の虜になり、口の中は正にパラダイスとなる。
スープも後味さっぱりで、飲みやすい。
濃いわけでもなく、薄いわけでもない。
でも、味はしっかりしていて、一口飲むだけでその良さは舌を魅了する。
麺ともしっかり合っている。
それはまるで模範夫婦のようである。
どちらもいがみ合う事なく、立場が違ってもお互いを支え合っている。
お互いがきちんと自己主張しているが、どちらもし過ぎていない。
これは言葉にして言えば簡単だが、非情に難しいものだ。
スープは麺の女房役。
例え、麺が美味しくてもスープが濃すぎれば美味くない。
逆にスープが良くても麺が悪ければ美味くない。
故に両者は切っても切れない関係にある。
その夫婦をどうすれば両立できるか?
残念ながら、その二つをクリアできない店は未だに数多くある。
だが、この店はそれを見事にクリアできているのだ。
そう、美味いラーメンとはまさに食べやすいラーメンを言うのである。
良子達はもちろん、マコもさくらも稲美も替え玉を頼み、より一層食べまくった。











「いや~満腹、満腹。美味かった~」




良子がおなかをさすりながら満足満足と頷いた。




「私…感動しましたわ。ここまで美味しいラーメンがあるとは…」




稲美も恋する乙女のようにうっとりとしている。




「でしょでしょ、ここのラーメンは絶品なんですよ~」




「ホント、すごく美味しかった…」




さくらは得意げに胸を張る。
礼菜はまだ驚きを隠せないようだ。
それほど極上に美味いのだ。




「でも、こんなに美味しいなら大通りでも充分やっていけるんじゃ…」




マコの言うとおり、ここまで美味いラーメン屋だ。
大通りや商店街に店を出せば、確実に儲かるだろう。
なのに、どうしてこんな辺鄙な場所にあるのか不思議だ。




「言ったろ?アタシのラーメンは、アタシが選んだ奴にしか食わせないようにしている。客に媚売って、元気良くスマイルして、ラーメンを出すなんてアタシの趣味じゃない。反吐が出るよ、そんな客商売」




いや、それが一般的だと思うのだが…。




「本当に美味い者は、本当に違いがわかる奴が食えばいい。
究極とは得てして、その道を究めた者だけが辿り付ける茨の道。
お前達はアタシが認めた奴らだ。いつでも食いに来いよ」




マスターはにかっと笑った。
お代は一人700円と普通のラーメン屋とほとんど同じだった。
会計を済まし、良子達は店を後にした。
外に出ると夕焼けが広がっていた。




「そろそろ夜の6時ね…」




マコが腕時計を見て言う。




「んじゃ、寮に帰りましょうか。
さくら、道案内お願いね」




「あ、はい」




さくらの案内のもと、歩いていく一行。




「いやー、しかし美味かったねあのお店。
マスターはちょっと変わり者だったけど」




「でも、悪い人じゃないんですよ」




さくらの言うとおり、変わってはいるが、悪い人ではないようだ。
天才というのは変わり者が多いと聞くが、あの人は正にそれではないだろうか。




「また今度も食べに行きましょう。今度は別のメニューも頼みたいわね」




「さんせーですわ☆」




「異議なーし」





マコの提案に稲美もマコも頷く。




「さくらはどうやってあのお店知ったの?」




「昔、マスターが暴漢に襲われている所を助けた事があったんです。
お礼にラーメンを作ってくれたんですけど…それが美味しくて。
それから何度も通うようになって、親しくなったんですよ」




「へぇ…」




「それから、それから…」




さくらはそれからもマスターのラーメンについて熱く語った。
夕焼け暮れる町並みを仲間たちと共に歩く。
こんな日常が当たり前になるなんて、夢にも思わなかった。
今が本当に楽しい。
良子は心の底からそう感じていた。
夕焼けに染まるみんなの顔がまぶしかった。









次の日。
良子達は気だるい身体を起こし、自分達のクラスに来ていた。
しかし、よく見ると周りは女子生徒ばかりで男子生徒がいない。




「あれ?なんで女子ばっかり」




「あ、あのね、良子さん…」





そこへ誰かが良子に話しかけてきた。
話しかけてきたのは良子より頭ひとつ小さい少女。
クラス委員長の前橋文香だ。




「なんか、女の子だけ集めろって先生が言ったんだって。
男の子は一人だけでいいって…」




「そなの?」




文香がちらっと後ろを見た。
良子がその視線を追うと、片隅に気まずそうにしている男子がいる。
オタク男子の・・・名前忘れた。




「なんかね、新任の先生が授業しにくるんだって」




「新任の先生が?つか、なんで女子ばっかなのかしら?
それに男子が一人だけなんて変じゃない?」




マコが文香に尋ねる。




「うん…そうだよね」




「それは保健体育だからデスワ」




そこへカタコトの日本語が飛び交った。
後ろを振り向くと、いつの間にか女がいる。
女は年齢が20代後半程度で、身長は170程度と少し高め。
金髪に縦ロール、メガネ、女性用の紫のレディス・スーツ。
なんだかSMクラブの女王様みたいだと良子達を含め、みんな思った。




「ミナサーン、オハヨゴザマス!今日は大久保先生が実家の用事でお休みの為、私が授業をシマス。名前は、レアナトール・キャサリンです。キャサリンと呼んでクダサマセ。科目は…コレです」




キャサリンは黒板にチョークですらすらと文字を書く。
そこには綺麗な漢字で「保健体育」と書かれていた。




「デハ、マズ…橘礼菜さん」




「は、はい」




いきなり名指しされる礼菜。




「ちょっと、先生の所までキテクダサーイ」




「は、はい…」




礼菜は教壇の前までやってきた。




「よろしい。では次に…そこのムサイ男!トットト、コッチヘカケズリマワルヨウニ
キナサイ!」



「は、はい」




キャサリンは教壇の前にオタ男子と礼菜を並べた。




「えー、では説明していきます。ノートは取らなくていいので、こちらの二人に注目しましょう」




周りがざわざわとするものの、キャサリンは気にせず続ける。




「えー、思春期は誰もが迎える人間として成長する為の通過点です。
しかし、男子と女子では少々違います。ムサ男、脱ぎなさい」




「は・・・?」




「トランクス一枚になりなさい」




教室が物凄くざわめく。
いきなりの自体に礼菜も顔を赤くし、混乱している。
良子達は呆然とした。
何をさせる気なんだ、この先生は…。




「速くシーナサイ」





目力を込めるキャサリン。
明らかに脅迫である。




「あ、は、はい…」




男子はビビり、制服とカッターシャツ、ズボンを脱いでトランクス一枚になる。
教室内に「キャー」と女子達の黄色い悲鳴が上がる。




「はい、静かに。このムサ男子をよく見ていきましょう。
まず、男子は思春期を迎えるとヒゲが生えます。
女子でも極一部の人が生えますが、一般的には男子に生えます」




キャサリンは男子のヒゲを指でなぞる。
ザラザラの感触が伝わってきた。
オタ男子は赤面している。




「他にも野獣のごとく体毛が生え、この喉仏の部分が子供の頃より太くなり声が変わります。これを声変わりとイイマス。男は子供の頃は高い声が出せますが、中学生を境に声変わりをする為、高い声が出せなくナリマス。ただ、訓練次第では高い声を出す事も可能なので、俳優の育成所などではボイストレーニングを徹底しているそうデス。ま、女は大人になっても、声は大して変わらないですケド」



キャサリンは次に股間に目を向ける。
女子達はさすがに直視できない。




「また、男子は生殖機能が発達し、子供を生む精子を作られマス。早くて小学5、6年生から中学生の間です。で、女子デスガ…」




キャサリンは礼菜に目を向ける。
蛇に睨まれた蛙のように礼菜は驚き、慌てふためく。




「礼菜さん、服を脱イデクダサイ。ブラとパンツだけになりなサイ」




教室が再び黄色い悲鳴に染まる。




「え……」




流石の礼菜もしどろもどろになる。




「先生!幾らなんでもやりすぎです。これは授業として逸脱し過ぎています。礼菜が脱ぐ必要はどこにもありません!」




良子は席を立ち、礼菜の元まで駆け出し、彼女を庇うように立つ。
そんな良子の後ろに隠れる礼菜。




「良子さん席にモドリナサイ。礼菜さん、脱がないと内申書を悪くシマスヨ?」




「…構わないです」




礼菜は静かに言い切った。




「私は…良子以外の前では絶対に脱ぎません」




教室内が百合色の悲鳴に染まる。




「やっぱ、あの二人ってそうだったんだー」


「くやしーけど、お似合いよねー」


「あーあ、礼菜ファンの男子は泣くわね。結構モテるのに」


「礼菜さん、30回くらい告白されてるみたいよー」


「あ、でもこれで吉田くんは私に振り向いてくれるかも」


「いや、それはないから」


「つか、この授業マジでやりすぎじゃない?」


「ふつー、教科書の写真とかだよねー」


「実践しすぎだっつーの。これじゃ、エロコミックの世界よ」




「先生、お聞きの通りです。礼菜はウチの恋人です。
他の人の前で服を脱がせたりはさせません。
恋人をそんな風にさせるのを望む彼氏が、どこの世界にいるってのよ!」




良子は半ばヤケで少しカッコつけたつもりで、演劇口調で言う。
礼菜はそんな良子の言葉にキュンとしてしまった。
恥ずかしそうにしているが、とても嬉しそうだ。
完全に恋する乙女の瞳になっている。
女子達はおお~と頷いている。




「そーよ、そーよ。女子を脱がせるなんてサイテーよ!」


「先生、授業をやめてください!」


「そーだ!そーだ!」




「ジーザス!このような所にも百合乙女がイタトハ!
!」




キャサリンは良子以上に演劇口調で言い、倒れたフリをする。
その台詞の喋り方や倒れ方はミュージカルよろしく。




「…少し授業内容を変えマショウ。貴方達、レズビアンという語源を知ってますか?はい、知ってますね。そのレズビアンですが…」




キャサリンは黒板にチョークで何かを書いていく。




「レズビアンの語源は、エーゲ海の東にあるレスボス島から来ています。
ここではオリーブの生産が盛んな、ごく普通の島です。
この島に紀元前7世紀頃、サフォーという女抒情詩人がイマシタ。
サフォーの誌は評価が高く、かのプラトンも素晴らしいと認めているほどです。サフォーはこの島で生まれ育ち、後に貴族たちの娘に誌と音楽を教えるようになりました。しかし、それ故に同性愛の元祖とされ、女性同士の恋愛をレズビアン…レスボス島の民と呼ぶようになりました。島の島民はそれを嫌い、裁判まで起こしているほどです」




饒舌に語りだすキャサリンに生徒達は呆然としていた。




「つまり、レズビアンという言葉は元々差別用語だったわけデス。それを嫌い、日本では90年代後半、ビアンという言い方が同性愛者の間では一般的になりました。その後、某ゲイ雑誌の編集長が男×男の恋愛を「薔薇」と呼ぶのに対し、対義語として女性同士の恋愛を「百合」とシマシタ。百合はレズとは違い、肉体関係を含みません。あくまで淡くてピュアな恋心とされてイマスガ…」




「しかし、それは非生産的であり、人間として間違った感情ナノデス!!」




キャサリンは良子達を指で示した。




「生物はどんな生き物でも、生まれ、育ち、異性と生殖活動をし、子孫を残し、そして死ぬ。そういう基本プログラムができてイマス。それは人間とて例外ではありません。しかし、昨今の現代は歪んでいます!肉食女子は増える一方なのに、男は誰も彼もが草食男子!需要と供給は一致せず、現代は遂に人口減少時代に突入シマシタ。そこで先生はよーく考えました。その原因を…」




キャサリンはまだまだ続ける。




「まず、草食男子が増えた原因はアニメやマンガ、ゲームにあります。
これらは日本を代表するメディアですが、男子達はこのバーチャルの世界の中で、自分の理想の異性を見つけます。男子達は「嫁」と呼んでいるそうですね。これらの女の子は男子からすれば、非情に理想的な異性なのです。
彼らは身近にいる女性達よりも、アニメ等の女性達を理想とします。
しかし、そのキャラクターは大人たちが「こんな子いたらいいな」と描き、構想を練り、作ります。その為、現実にはそのような女の子はいないわけです」




キャサリンはまだまだまだ続ける。




「その為、現実にギャップを感じた男達は現実の女性なんてどうでもいい。
アニメや漫画の女の子がいればそれでいいやと趣味に没頭し、おしゃれやファッションを蔑ろにし、現実の女子も蔑ろにします。それだけではありませんが、草食男子の多くは…」




「うっさい、黙れ!!」




良子は大声で怒鳴るように言いきった。




「たとえ世間が認めなくても、礼菜はウチの恋人です!
非生産的だろうが、何だろうが…そんなの関係ない!
礼菜はウチを絶望から救ってくれた。
親がいなくて寂しかったウチを救ってくれたの!
ウチは礼菜を愛している。その気持ちに嘘偽りはない!
ウチ達は互いを大切に思い合い、愛している。
それのどこがいけないの!!
あんたの理論はただの押し付けよ!」



「良子…」



礼菜は再び良子の言葉にきゅんとしていた。
だが、対照的にキャサリンは不気味な笑顔を浮かべていた。



「クククク…ならば、剣良子よ…。お前がどれだけちっぽけな存在か教えてアゲマショウ。その娘の騎士となるならば、私を倒してみるがイイですお前達の理論など、所詮くだらぬものだと身をもって知リナサイ!!!」




キャサリンの身体が豹変していく。
肌が皮をめくったように剥がれ落ちていく。
顔がまるでシールを剥がすように少しずつ剥がれ落ちていく。
そして、実態が現れた。




「我が名はレアナトール・キャサリン。餓流館・暗殺部隊特別講師です。
お前達の血が赤から青に変わるほどの恐怖を与えて差し上げましょう」

          

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