僕と狼姉様の十五夜幻想物語 ー温泉旅館から始まる少し破廉恥な非日常ー

稲荷一等兵

第18節13部ー緋禅の遊郭ー


 驚いた。その一言に尽きるよね、ほんと。いや、正直なところ予想してなかったわけじゃないんだ。
 なんてことないところから、死角の世にいけるくらいなんだから、この曰く付きだった桜の下なんてドンピシャだ。

 見上げると、紺色の空に下弦の月と満天の星。一度乾いた風が吹けば、大きく散る赤い桜の花びらが散って、月の明かりに照らされる。
 そう、さっきまで昼だったはずなのに、ここは夜。
 立っている場所は小高い丘。この丘を中心として広がっているのは……。

「すご……江戸時代にタイムスリップしたみたい」

 木造の平屋と踏み固められた地面が広がる古き日本の街並みだった。
 そしてわかったことが一つ。

 この赤い桜は、珍しいものでもなんでもなかった。
 だって、その街並みのいたるところに見えるんだから。

「この桜って、こっちの世界の桜だったってことなのかな」

 振り返ってその桜を眺めると、なんだ、随分様になってる。何がどう様になっているのかは説明できないんだけどね。
 学校の丘に植わっているより、生き生きしてるというか。

「……来ちゃったものは、仕方ないよね」

 ちょっと冒険してみよう。そう思った僕は銀露に怒られるのを覚悟して、小高い丘を下りていった。


 丘を降りると、そこはいつか修学旅行で行った、映画村のようなところだった。
 でもなんだろう、この感じは。
 甘ったるい匂いに満たされた、この雰囲気。
 平屋の木の格子の向こうにいるのは……綺麗な着物を身に纏った女の人。

「あら、見て。珍しい、人の子よ。男の子」
「あら可愛らしい。ぼうやっ。こっちを向いてくりゃんせ」
「……!!」

 めちゃくちゃ綺麗な女の人が、木の格子の向こうから手を振ったり、声をかけてくれたりしていた。
 ただ、その女の人たちが普通じゃないのはすぐにわかった。頭に獣耳やら、お尻から尻尾やら、目が爬虫類みたいになってたりだとか。
 いわゆる、外見的特徴が強烈なんだ。


「こ、こんばんは……」
「あは、見て見て、あの愛らしい顔。こっちへおいで、坊や。わちきらと遊びましょう?」
「お顔が真っ赤。緋禅の遊郭は初めてぇ?」

 木の格子からゆっくりと、誘うように手を招いてくるのはそう。遊女さんだ、これ。
 緋禅ひぜんの遊郭。ということはだ。いつか、蛇姫様に聞いた緋禅桃源郷。
 それがここなんだろうか。

 うん、まだ木の格子の向こうで話しかけられてるぶんには問題無いね。銀露と戯れているおかげで、ああいう露出度の高い着物を着た獣耳の女の人には耐性ができてるんだ。

「し、失礼しまふ」

 うん。すこし緊張したみたいだ。呂律が回ってない感じはあるけど、まだ取り乱してないし。

「あん、行っちゃった」
「後で戻ってきてねぇ、かわい子ちゃん」

 クスクスと妖艶に笑う声を背にして、足早に歩き出した。冒険してやろうとここに降りてきたわけだから、行き先もないのにどうしよう。

「うふ、つぅかまぁえた」
「だぁめよう? 美味しそうな匂いさせながらこんなところ歩いちゃ。悪いお姉さんに食べられちゃうわ」
「おふっ」

 と、道行く遊女さんと思わしき方々に捕まってしまった。
 できるだけ目が合わないように下を向いて歩いてたのが災いした! 遊女さんのおっぱいに顔から突っ込み、後ろから腕ごと抱きしめられてしまった。

「悪い女に捕まる前に、わっちらで囲ってしまいんすっ」
「ふふ、そうしましょう」
「あわ、あわわわわ! ごぉっ、ごめんなさいぃぃ!!」

 僕はなんだか耐えられなくなって、遊女さんたちを振り払って一心不乱に走り出した。
 冒険しようなんて考えていてごめんなさい!! ちょっとこっちの世界に浸ったからって調子に乗ってましたぁ!!


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