連奏恋歌〜求愛する贖罪者〜

川島晴斗

第3話:弟妹

 結局のところ、ラナは朝食を終えても自分の弟、トメスタスをどう思っているのか結論を出せずにいた。
 無論、鬱陶しいとかウザいという感情が出るのはいつもの事だが、果たして家族としてそれを容認しているかどうか――。

 自分にも皇族の仕事と鍛錬がある、トメスタスの事など矮小な事だ。
 そう割り切れればいっそラクである。
 しかし、どうしても割り切れないのは昔の記憶ゆえだろう。

 あの時、あの頃、あの場所で。
 6年前、まだ幼い時、皇帝の御前で。
 何故自分が選ばれなかったのか。
 弟よりも強く、優秀で、みなから尊敬される女性の筈だった。



 ――本当は理由を知っているくせに。


 ラナは自身の中にいるもう1人の自分を黙らせるかのように、廊下の柱を殴りつけた。
 ダンッという強い音の後、殴った拳に痛みが宿り、強張りながらゆっくりと拳を下ろす。

 忘れよう――そう思った矢先、彼女の前には思わぬ人物が現れた。

「荒れていますね、ラナ」

 落ち着いた声色で語りかけてきた人物にラナはふと目をやった。
 白い装飾を身にまとい、杖を持ったまだ若い女――自身の母親、皇后だった。

「……何か御用ですか?」
「トメスタスが怪我をしたそうで、なんでも殴打された部位が見たこともない色に変色していると、医療室の者が血相を変えてやって来ましてね」
「…………」

 ラナは状況を察すると、ため息を吐いた。
 どうやら彼女の敬虔なる母君は、御自らお叱りに参られたのだから。

「……軽く殴ってやっただけです。魔法を使えばすぐに治るでしょう」
「ええ、今ではピンピンしています。トメスも軽薄な事を言ったと笑っていましたが、ラナ……何も殴る事はないでしょう」
「トメスは言っても聞かんのです。母上ならわかるでしょう」
「武力……暴力に訴えてはいけません。我々の内戦とてそうなのに、家族すら殴るなど、もっとあってはならないのです。わかるでしょう?」
「…………」

 ラナは内心舌打ちをし、視線を逸らす。
 この女性は苦手だった。
 言い回しも教育の仕方も、兎に角嫌だった。
 ずっと放擲するような躾でこの女は何故母親面できるのだろうと、不思議に思うぐらいに。
 そんな彼女の嫌いな母親は、まだ言葉を続ける。

「今までは目を瞑っていましたが、怪我をしては見過ごせません。今後はこのような事が無いようにお願いします」
「……トメスタスに、好き勝手させて、私には我慢しろと?」
「ええ、そうです。だって貴女は――




 お姉ちゃんでしょう――?










 ◇



  午前をどうやって過ごしたのか忘れ、ラナの午後が始まった。
 母親のあの一言がいつまでも頭に残り、何も手につかずにいた。

 世の中には偶然同じ家に生まれ、1つ歳が違うだけで差別化される事がある。
 ラナはもはや、どうでもよくなっていた。
 こんな家族が運営する国家など潰れてしまえばいいと、そう思うほどにボーッと空を眺めているのだった。
 いつもなら自主練をしている中庭で、彼女はベンチに腰掛けながらボンヤリと座っていた。

 目線を空からすこし下にさげると、少し離れた所ではクオンとその護衛がイグソーブ武具を持って戦っていた。
 他に訓練をしている兵士も何人も居て、自分はここで何をしているのかと、ラナは行き先のない歯がゆい気持ちを抱えたまま、その場を立ち去った。

 城の中に戻って自室に来ていた書類のいくつかに目を通して悩みを後回しにする。
 どうすることもできない悩みでストレスにしかならない悩みも、体を動かしていると頭の中から消す事ができた。

「……はぁ」

 どうも世の中は彼女の思うようにいかないらしく、ラナは書類を目玉クリップでまとめると机に放り投げ、崩れるようにベッドに身を投じた。
 一部では鉄人とまで呼ばれる彼女も、心は乙女とそう変わらない。
 1つ悩めばそれは病気のように彼女の身を蝕んでしまう。

「魔王め……よくもやってくれたな」

 事の発端はあの魔王の言葉だった。
 当時は何の意味もないように思えた魔王の行動も、どんな攻撃よりも重い呪縛を彼女に掛けたように思える。

 魔王は、ラナに家族と向き合わせたのだ。
 普段はあまり絡む事がないながら、昔から自分の思うようにさせてくれない、苦悩の芽である家族と。
 昔の事だと忘れ去っていた記憶をわざわざ持って来て、弟への悪意を抱かせるために。

 人の心がこんなに脆いものだと、ラナは知らなかった。
 どんなに気丈に振る舞っても、いざ目の前に苦手なものを持って来られると、たちま狼狽ろうばいしてしまう。
 ラナの状態は、今まさにそれだった。

 コンコン

 小さな2回のノックの後、扉の向こうから声が聞こえた。
 ラナはいつもの強張った声で、扉を見ながら言った。

「誰だ?」
「クオンです。入ってもよろしいでしょうか?」
「……。入れ」
「失礼します」

 ガチャリと金具が回り、扉が開かれた先にジャージ姿のクオンが入って来た。
 鍛錬の後だからか、首にタオルを掛けており、顔も少し赤かった。
 ラナは上体を起こしてベッドに座り、真正面に立つクオンを迎える。

「どうした、私に何か用か?」
「えぇ……まぁ、少し……」
「歯切れが悪いな……。何でも言うといい。何でも聞いてやるぞ」
「はい……」

 クオンは口をしぼめながらも、おそるおそる問い掛けた。

「お姉様……何かありました?」
「…………」

 クオンの言葉に、ラナは口をへの字に曲げた。
 妹には隠し事ができないと。
 しかし同時に、同性のクオンにわかってもらえるのが嬉しくもあった。
 でも彼女は長女で、妹に弱みを見せるわけにはいかない。
 だから、共通の弱みでもあることを口にする。

「母上に叱られたんだ。トメスを殴ったからな。こっちは迷惑しているというのに、母上は理解してくれない」
「あぁ……。母上のお叱りは長いですよね。トメス兄様は、優しくはあるんですがね……」
「私をメスゴリラと呼んでいたぞ」
「……前言撤回します」

 クオンが苦笑しながら言うと、ラナも苦笑で返した。
 優秀な妹だ。
 人のことをよく見て、人の気持ちを考えて、自分の立場を弁えて生きている。

(こんな姉にまで、気を使ってくれるのだからな――)

 自嘲混じりのその思いは口に出さず、ラナは憂いの含む瞳で笑い、クオンの頭にそっと手を置いた。

「お前は優しく育ったな。そのまま、優しいまま大人になってくれ」
「……どうしたんですか、お姉様。いつもならそんな事言わないのに」
「深く詮索するな。私は少しお前に救われた。それだけだ」
「?」

 クオンは困り顔だったが、ラナの満足した笑みを見て、微笑みを返すのだった。
 ラナの兄弟は弟だけではない。
 愛多き妹もいるのだ。

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