連奏恋歌〜求愛する贖罪者〜

川島晴斗

プロローグ(※)

 目の前には大きな装置が視界を埋め尽くしている。
 “神”が創ったという装置――【界星試料かいせいしりょう】だ。
 触れれば光る、タッチパネルのようなキーボードが5mにも及んで並び、その上には白と黒が渦を巻いている丸い画面、さらにその上には大きなスクリーンが置かれている。
 これだけではなく、この部屋の両端には四方15mのガラスケースがあり、ケーブルが床を飛び交っていた。

 まだ電気の知識が掘り起こされていないこの世界で、これだけの装置を作れる者は神以外にいない。
 ただ、その装置を扱う者は少女――否、“魔王”であった。

『……もう100年ですか』

 ゴウンゴウンと軋む空調の音以外に、2重に響く声がした。
 コツコツと靴を踏み鳴らして装置の前に立つのは、魔王の少女。
 声は屈強な男のようなものに聞こえ、肩から先の腕は骨となり、手首には黒い羽が生えてかろうじて手のひらには肉が残っている。
 長い黒髪、ボロボロのピンクの着物、つるの這った銅色の冠を被っていた。

 目から血の涙が出たような跡が残り続けるその瞳で、少女は画面の数字を読み取り、ぽつりと口に出す。

『……6.4対3.6。大差ないようで何よりですね』

 魔王は呟くと、ホールのように広いその部屋を後にした。
 続く者のいない1人の背中は、暗い影に飲まれていく。



 彼女の読んだ数字は、この世界の善意と悪意の比率である。
 善意が6.4、悪意が3.6。
 そして彼女は、悪意の塊である魔物を生み出す者――。
 だからこその魔王――。

 この世界の善意と悪意は本来5対5で、それは決して変わることがない。
 しかし、あの数字には1つだけ入っていない悪意があった。

 ほどなくして、魔王が部屋に戻ってくる。
 しかし、装置には見向きもしなかった。
 彼女が目にするのは、赤い十字架にはりつけにされた1人の少年だ。

『……ヤララン』

 そっと少年の足に手を添えた。
 しかし、少年は気付くそぶりも見せずに目を閉じたまま。
 黒い甲冑に身を包んだ少年の口元は、安心するように眠っている――否、封印され続けている。

『貴方が封印されて、100年ですよ……。まだ、世界は平和になりません……』

 魔王の少女はそっと、少年を十字架ごと抱きしめた。
 この十字架は時が止まっている、非常に冷たいものだった。



 その100年前、少年は莫大な善意を持っていた。
 魔王になる前の少女は少年を想い慕い、恋人になった。
 しかし、少年は善意を“ある増幅器”で増加させ、

 とある刀で斬ることにより、善意と悪意を反転させ、悪意の塊にした。

 そして封印した。

 他でもない、魔王の少女が――。


 この世界では、善意と悪意が魔力になる。
 莫大な悪意を持つことになる少年は殺戮兵器のようなもの、封印するしかないのだ。
 そして、それは少年が望んだこと。
 世界の悪意の、十数%を肩代わりできるのだから。

 悪意と善意が世界全体で平等なこの世界、自分を犠牲に彼は、世界全体の悪意を減らしたのだ。
 5対5から6.4対3.6へ。
 この世界で初めて、善意と悪意の比率を変えたのだ。

『…………』

 少女は目を閉じる。
 今でもあの頃の光景が目に浮かぶのだ。
 彼女は少年と約束した。
 人間だった、美しい少女の声で。

(今貴方を斬ったとしてもっ! いつか、私が装置を制御して! 必ずもう一度、貴方をこの刀で斬ります! そして! 善意のある青年に戻しますから!! 絶対に! 何年掛かっても……!)

『…………』

 もう遠い日の約束だった。
 あの神の装置はまだ完全にコントロールできていない。
 善意か悪意で魔物を作り出す以外には――。

 だが約束に期限はない。
 狂わない程度に魔力を吸った彼女は、生憎にも不老の体を得た。
 そして、

 1人で100年の間、世界の善悪比を守るために戦い続けた。

 人口が増えれば少年ヤラランの存在が小さくなり、善悪比が5対5に近付く。
 それを阻止するためには人口を減らさなければならない。

 だから魔物を作った。
 少女は魔物を作り続けた。
 ずっと1人で。
 人を殺すために。

 だって、5対5になれば人間同士のいさかいが増える。
 人同士が憎み合って禍根が残るのは良いことではない。
 だから人間の標的を魔物にした。
 魔物に仕向けた。

 誰もが良い人であれますようにと、願いを込めて。

 その結果血の雨が降り、彼女が傷ついたとしても――




 また少年と過ごせる日々を夢見て、今日も魔物を生み続ける――。





 魔破暦100年、4つの大陸からなる小さな世界、【サウドラシア】の平和を夢見る魔王が1人存在した。
 誰にも知られぬ地下の部屋に、ただ1人きりで――。



 ◇



 魔破暦140年――東大陸の小さな国、【フラクリスラル】には小さな貴族の少年が5歳の誕生日を迎えていた。
 屋敷の中庭に広がる草むらに少年は大の字になって寝転がっている。
 誕生会は簡単に終わり、もう自由の身になったのだ。

 少年の名はミズヤ・シュテルロード。
 侯爵家であるシュテルロードの長男である。
 だが、彼は常に思い詰めていた。
 このまま生きていて良いのか、と――。

 ミズヤは寝返りを打って横になり、黄緑色の着物がヨレる。
 まだ5歳である小さな手のひらを見て、再三彼は“転生”というものを痛感していた。

 響川瑞揶ひびかわみずやは死神と契約をした。
 その代わりに魂を奪われ、こうして転生された。
 だが、生前に――彼が原因で、恋人の少女も死んだのだ。

 くだらないことだった。
 ちょっとした喧嘩で「アイツの声は聞きたくない」と耳を聞こえなくして、恋人の少女が聴力を死神との契約で回復させたのだ。

 少女を死なせてしまった――。
 最愛の少女を――。
 こんな自分に生きてる価値なんてない――。

 だけど自分は侯爵家の嫡男で、現実では死ねば大問題になる。
 転生前に不死にさせる――みたいな事を死神が言っていた気がするが、彼は曖昧だった。

 少女を死なせてしまった罪の意識に駆られ、泣き続けていたのだから。

 しかし、生まれ変わってもう5歳になる。
 今日も昨日も眺める空は青色で、こんなにほのぼのと生きていた。
 貴族の子供としていろいろと学ぶことはあっても、自分に家を継ぐ資格があるのか――。

 考えても仕方がない事だった。
 誰かが答えを出してくれるわけでも、何かが決まるわけでもない。
 とにかく彼は生き続けている。
 今日も同じ空の下で――。

「――ミズヤ様!」
「ん?」

 寝そべった少年はひょいっと起き上がり、声のする方へ振り返る。
 屋敷の影から走ってくる1人の少女が見えた。
 黒い着物を身につけ、白い紐で脇をキュッと絞り、草履を履いた人――屋敷の使用人だ。
 ボブカットの金髪に瑠璃色の瞳を持ち、まだ歳の頃は10といった所。

 少女はミズヤの横にやってくると、膝に手をついて呼吸を整えて座っている少年を見据えた。

「ミズヤ様、探しましたよ……」
「ごめん……。それで、何か用?」
「旦那様がお呼びです。書斎にりますのですぐに向かうように、との事で……」
「そっか、すぐに行くよ。ありがとう、メイラ」
「い、いえ。私も戻りますので一緒に参りましょう」

 メイラと呼ばれた少女は屋敷の方へ向き直り、ミズヤも立ち上がる。
 10歳と5歳、身長差がある2人は並んで歩き、黒塗りの屋敷へと入っていった。

 赤い絨毯が続き、白い壁が続き右側には窓が、左側には茶塗りのドアがあり、それをいくつも通り過ぎて書斎を見つける。

「では、私はこれにて失礼します」
「うん。ありがとうね、メイラっ」
「いえいえ……」

 ミズヤが笑顔で感謝を告げるも、使用人の少女はどこか萎縮しながら去っていった。
 ミズヤは気を取り直して扉に向き直り、ドアにノックを2回、コンコンと叩く。
 すると、部屋の中から声が返ってきた。

「来たか。入れ」
「失礼します」

 手を伸ばしてドアノブを握り、少年は扉を開く。
 ミズヤがひょっこりと室内を覗き込むと、本棚に囲まれた中央にテーブルセット、その奥に机があって、机の上ではアゴに少し髭を蓄えた男が羽ペンを走らせていた。
 カーキ色の法被を着ており、髪は目に入らない程度に伸びている。
 筋肉質でどっしりしていて、クリクリとした目を持つミズヤと繋がりがあると思えない。

 だが、その男はミズヤを見て目を輝かせる。

「ハハハ。そんな所で見てないで、入って来なさい」
「……父上、仕事中ですか?」
「ああ。領地の内政状況を報告する資料を作っている。……まぁ、仕事の事は良いんだ。ミズヤ、お前に話があってな……」
「はい……」

 ここでようやくミズヤは扉を閉め、ちょろちょろ歩いて机の前にあるテーブルセットのソファーに腰掛けた。
 侯爵は黒い目を光らせ、ミズヤにこう告げた。

「ミズヤ、魔法を使ってみないか?」

 この言葉がきっと、この世界での――ミズヤ・シュテルロードの始まりになった。

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