魔術屋のお戯れ
終章――その一
身体があちこち痛い。意識が戻った夏姫が最初に思ったのはこれだった。
見ると、サファイと魔青がこちらを見ており、獏はいつものように大型犬の大きさで下で寝そべっていた。魔青は夏姫と目が合うと、喜んで外にでていった。おそらく聖を呼んでくるためだろう。
「……起きたか。一ヶ月ご苦労様」
部屋に入ってきた聖が開口一番に労ってきた。
「それから、君に封書が届いている。養母からだ」
結婚が正式に決まったことと、魔術に関わったのだから二度と戻ってくるなという、本当の絶縁状だった。
「もう少し、寝ていた方がいい」
「大丈夫、出て行く準備もしなくちゃいけないし」
「準備の前に、一ヶ月の給与の話もあるだろう。今魔青が契約書と一緒に持って来る。それまで待ちなさい。その間に、あの男がどうなったか知りたくないか?」
興味ない。藤崎には伝えられたし、個人的には悔いもない。それを伝えると、聖は苦笑していた。
「午後から葛葉が来るよ。それまで待っていたどうだい?」
「今回、あたしはつくづく自分が嫌な人間だと思った」
そう言って聖から顔をそらす。
「自分じゃ何もできない。それはある意味仕方のない事だって言われるかもしれないけど……。あたしは黒龍が刺された時、動けなかった」
剣が怖かった訳ではないが、自分のせいで刺されたのに全く動けなかったのだ。
そして何よりも……。
「黒龍が危ないって思って、あんたに頼れば何とかなるって思った自分が何より嫌」
その話に聖は笑っていた。
「だって、あたしはあんたに『信用していない』って言ったのに、頼るって行為が矛盾してる」
「……少しは信用してもらえた、ととっていいのかな?」
「最初のころよりは、かな?」
それにしても魔青が遅い。何だか嫌な予感がする。
さすがに聖も遅いなと思い、ドアに向かう。すると、何かをずるずると引きずる音と、魔青のうめき声が聞こえる。
「……魔青、私はそれだけは止めておきなさいと言ったはずだよ?」
「だから、あれじゃないもん」
聖は思わず苦笑する。しばらく時間がかかりそうなので、契約書だけを魔青から受け取り夏姫に渡す。
「だって、一ヶ月の契約でしょ?」
契約書を見て夏姫が言う。
「君は本当にきちんと見たか?裏の方に色々注意書きをしておいたのだが」
え? と驚き、契約書をひっくり返す。
そう、裏にはとんでもない事が書かれていた。
「……で、どうなるの?」
夏姫は思わずたずねる。すると聖は意地の悪い笑みを浮かべた。契約書の裏にはその後の選択肢は夏姫にではなく、聖のみにあると書いてあったのだ。だから聖に聞くしかない。
「さて、なかなかに捨てがたい逸材だとは思ってはいるがね。君はここにいる気が無いのだろう?」
そりゃそうだ。元はここから出るのが目的で契約したのだ。知ってるはずだ。
「楽しいとは思わなかったか?」
いきなり変な事を聞く。だが、夏姫は素直に答える。それなりに楽しかったと。特に葛葉と話すようになってからだ。
ならばいてもいいだろうと聖が言う。
「私との師弟関係の方が楽だと思うけどね。『適合者』として四条院内部で色々実験台にさせられるか、それとも厄介な女の元に行くか、選択肢はそれしかないわけだし」
厄介な女とは誰のことだ? 聞いても話ははぐらかされた。
「それにね。これを見てからも同じ事が言えるかな?」
がちゃりとドアが開く。
魔青が一つ大きな袋を引きずっていた。
「魔青、あんたそれ何?」
思わずたずねる。すると魔青は、給与だよと事もなげに答える。それにしては大きすぎやしないか?
そして、その袋を夏姫の前まで持ってくる。じゃりんと音がするあたり硬貨のようだった。
「開けてごらん。私も何が入っているかまでは、判らない」
そう、用意は魔青がすると言っていた。思わずどきりとする。恐る恐る袋に手を伸ばし、開ける。
じゃららら、と硬貨が袋から床に落ちる。それを一つ拾い上げる。どこの硬貨だろう、それ自体夏姫は判らない。
「イギリスのポンドだね。だいたい、一ポンド、百四十円前後だ。そしてこれが二十万枚か?魔青」
「うん。金貨は駄目っておっきいマスタが言ってたから、やめたの」
やめるとか、やめないとかの問題ではない。
「魔青、普通日本で二十万、って言ったら二十万円でしょうが……」
「そうなの?」
そう言って聖を見上げる。思わず聖は苦笑する。
「魔青、米ドルでもよかったとは思うけどね」
「そういう問題!?」
思わず夏姫が怒鳴る。だが、それを黙殺する。
「米ドルの方が、一枚あたり今は低いからね。それに金貨で支払われるより、ましだと思いなさい」
そう言われてしまえば、夏姫は次の言葉が出てこない。それを楽しんで聖は見ている。
「さて、話を戻そうか。一応魔青との契約は昨日で切れたよ。だから、自由といえば自由だが」
これを持って、出て行けるのかと聞いてくる。そりゃ無理だ。硬貨二十万枚なんて持って歩けない。
「さて、ここで選択肢を与えようか?」
思わず夏姫が顔を上げる。
「一つは時間を試用期間前まで戻して、もう一度試験をやり直す事。ただ、今回の記憶は君の中にまったくない。私にはあるけどね。だから、今より酷くなる場合もあるよ。
そして、もう一つはもちろん、私の弟子になる事。その時は今回の給与は私が預かっておく。さすがにそこまで働いてもらったとは思ってないからね。迷惑分を含めても、これくらいが妥当だね」
そう言って、袋を指差し、千四百枚ちょっとの硬貨が夏姫の求めていた金額だという。
さて、どうしようと夏姫は考える。この男なら本当に時間を戻してしまいそうだ。
「……仮に時間を戻したとして、どうなるの?」
さあ?と聖は言う。
「やった事がないからわからない」
「…………はい?」
できるから言ったのではないのか?そう思っていると聖が笑う。
「やろうと思えば、できるのかもしれないが、なにせ禁忌の魔術だ。手を出したいとは思わないね」
さらりと言ってのける。つまり、夏姫の反応を見るために言っただけらしい。
「ふざけんなっ!!」
やっぱりこいつは最悪だと夏姫は思う。しかし、どう頑張ってもここにいなくてはいけないらしい。
見ると、サファイと魔青がこちらを見ており、獏はいつものように大型犬の大きさで下で寝そべっていた。魔青は夏姫と目が合うと、喜んで外にでていった。おそらく聖を呼んでくるためだろう。
「……起きたか。一ヶ月ご苦労様」
部屋に入ってきた聖が開口一番に労ってきた。
「それから、君に封書が届いている。養母からだ」
結婚が正式に決まったことと、魔術に関わったのだから二度と戻ってくるなという、本当の絶縁状だった。
「もう少し、寝ていた方がいい」
「大丈夫、出て行く準備もしなくちゃいけないし」
「準備の前に、一ヶ月の給与の話もあるだろう。今魔青が契約書と一緒に持って来る。それまで待ちなさい。その間に、あの男がどうなったか知りたくないか?」
興味ない。藤崎には伝えられたし、個人的には悔いもない。それを伝えると、聖は苦笑していた。
「午後から葛葉が来るよ。それまで待っていたどうだい?」
「今回、あたしはつくづく自分が嫌な人間だと思った」
そう言って聖から顔をそらす。
「自分じゃ何もできない。それはある意味仕方のない事だって言われるかもしれないけど……。あたしは黒龍が刺された時、動けなかった」
剣が怖かった訳ではないが、自分のせいで刺されたのに全く動けなかったのだ。
そして何よりも……。
「黒龍が危ないって思って、あんたに頼れば何とかなるって思った自分が何より嫌」
その話に聖は笑っていた。
「だって、あたしはあんたに『信用していない』って言ったのに、頼るって行為が矛盾してる」
「……少しは信用してもらえた、ととっていいのかな?」
「最初のころよりは、かな?」
それにしても魔青が遅い。何だか嫌な予感がする。
さすがに聖も遅いなと思い、ドアに向かう。すると、何かをずるずると引きずる音と、魔青のうめき声が聞こえる。
「……魔青、私はそれだけは止めておきなさいと言ったはずだよ?」
「だから、あれじゃないもん」
聖は思わず苦笑する。しばらく時間がかかりそうなので、契約書だけを魔青から受け取り夏姫に渡す。
「だって、一ヶ月の契約でしょ?」
契約書を見て夏姫が言う。
「君は本当にきちんと見たか?裏の方に色々注意書きをしておいたのだが」
え? と驚き、契約書をひっくり返す。
そう、裏にはとんでもない事が書かれていた。
「……で、どうなるの?」
夏姫は思わずたずねる。すると聖は意地の悪い笑みを浮かべた。契約書の裏にはその後の選択肢は夏姫にではなく、聖のみにあると書いてあったのだ。だから聖に聞くしかない。
「さて、なかなかに捨てがたい逸材だとは思ってはいるがね。君はここにいる気が無いのだろう?」
そりゃそうだ。元はここから出るのが目的で契約したのだ。知ってるはずだ。
「楽しいとは思わなかったか?」
いきなり変な事を聞く。だが、夏姫は素直に答える。それなりに楽しかったと。特に葛葉と話すようになってからだ。
ならばいてもいいだろうと聖が言う。
「私との師弟関係の方が楽だと思うけどね。『適合者』として四条院内部で色々実験台にさせられるか、それとも厄介な女の元に行くか、選択肢はそれしかないわけだし」
厄介な女とは誰のことだ? 聞いても話ははぐらかされた。
「それにね。これを見てからも同じ事が言えるかな?」
がちゃりとドアが開く。
魔青が一つ大きな袋を引きずっていた。
「魔青、あんたそれ何?」
思わずたずねる。すると魔青は、給与だよと事もなげに答える。それにしては大きすぎやしないか?
そして、その袋を夏姫の前まで持ってくる。じゃりんと音がするあたり硬貨のようだった。
「開けてごらん。私も何が入っているかまでは、判らない」
そう、用意は魔青がすると言っていた。思わずどきりとする。恐る恐る袋に手を伸ばし、開ける。
じゃららら、と硬貨が袋から床に落ちる。それを一つ拾い上げる。どこの硬貨だろう、それ自体夏姫は判らない。
「イギリスのポンドだね。だいたい、一ポンド、百四十円前後だ。そしてこれが二十万枚か?魔青」
「うん。金貨は駄目っておっきいマスタが言ってたから、やめたの」
やめるとか、やめないとかの問題ではない。
「魔青、普通日本で二十万、って言ったら二十万円でしょうが……」
「そうなの?」
そう言って聖を見上げる。思わず聖は苦笑する。
「魔青、米ドルでもよかったとは思うけどね」
「そういう問題!?」
思わず夏姫が怒鳴る。だが、それを黙殺する。
「米ドルの方が、一枚あたり今は低いからね。それに金貨で支払われるより、ましだと思いなさい」
そう言われてしまえば、夏姫は次の言葉が出てこない。それを楽しんで聖は見ている。
「さて、話を戻そうか。一応魔青との契約は昨日で切れたよ。だから、自由といえば自由だが」
これを持って、出て行けるのかと聞いてくる。そりゃ無理だ。硬貨二十万枚なんて持って歩けない。
「さて、ここで選択肢を与えようか?」
思わず夏姫が顔を上げる。
「一つは時間を試用期間前まで戻して、もう一度試験をやり直す事。ただ、今回の記憶は君の中にまったくない。私にはあるけどね。だから、今より酷くなる場合もあるよ。
そして、もう一つはもちろん、私の弟子になる事。その時は今回の給与は私が預かっておく。さすがにそこまで働いてもらったとは思ってないからね。迷惑分を含めても、これくらいが妥当だね」
そう言って、袋を指差し、千四百枚ちょっとの硬貨が夏姫の求めていた金額だという。
さて、どうしようと夏姫は考える。この男なら本当に時間を戻してしまいそうだ。
「……仮に時間を戻したとして、どうなるの?」
さあ?と聖は言う。
「やった事がないからわからない」
「…………はい?」
できるから言ったのではないのか?そう思っていると聖が笑う。
「やろうと思えば、できるのかもしれないが、なにせ禁忌の魔術だ。手を出したいとは思わないね」
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