不老少女とふわふわたあめ

鶴亀七八

特別編6 「ホワイトデー」

 バレンタインで錬金術士からもらったチョコを食べ、地に伏したあの時から一ヶ月。
 今、世の中はそのお返しとなるイベント「ホワイトデー」で盛り上がっている。
 とは言っても、国から離れた場所にポツンと一軒だけ立っているアトリエではそんな盛り上がりは欠片も伝わってこない。

「うーん……」

 エプロンを着てキッチンに立つお手伝いさんの姿はすでに見慣れた光景となっているが、いま彼は珍しく首を傾げて悩んでいた。

「おや、珍しくも何をうなっているんだい?」

 ご飯を作るくらいならメニューに悩むお手伝いさんではないことを、犬にも猫にも見える動物、いぬねこは知っている。
 何か悩みでもあるのだろうかと、昼寝を中断して彼の足元まで移動する。

「先生にバレンタインのお返しをしようと思っているんですけど、何にしようか悩んじゃって……」
「そうか、今日はバレンタインのお返しをする〝ホワイトデー〟だったね」

 お手伝いさんの言う「先生」こと錬金術士は珍しくも不在だ。
 と言っても一人で遠くに出掛けているわけではない。近くを流れる川に洗濯をしに行っている。洗濯だけは当番制になっていて、いつもは面倒だからとお手伝いさんに押し付けるのだが、今日は押し付けてこなかった。
 のんびり屋の錬金術士はあまり慣れていないことも働いて洗濯に時間がかかるので、今のうちに作ってしまおうという考え。

「これは悩むほどのことなのかな? 小生は普通にお返しをすればいいだけに思えるのだが」
「それはそうなんですけど、そんな簡単な話でもないみたいなんですよ」
「うん? それはどういうことだい?」

 いぬねこはお手伝いさんがどうしてここまで悩んでいるのかよく理解できない。作るタイミングは今しかないのならさっさと作ってしまった方がいいだろう。

ちまたでは3倍返しが礼儀なんだと風の噂で聞いたんです。アレの3倍ってどこをどう3倍にすればいいのか分からないんですよね……」

 たった一つ食べただけでぶっ倒れるようなチョコを3倍にしたようなお返しということか? 味を3倍にしろと? 数を3倍にしろと?
 明らかにそういうことではない気がするのだ。

「ちなみにだが、何を渡そうと思っているんだい?」
「クッキーですよ。下準備は済んでるんであとは形作って焼くだけですね。そしたらどうやらキャンディとかマシュマロなんかがお返しの定番なんだとあとで聞いたもので……そこでも悩んじゃってます」

 タイミングの悪いことに、すでにある程度準備が済んだ段階でその噂を聞いてしまった。今ならまだ間に合うのだが、せっかくここまで準備を進めたのだからそのまま行っちゃった方が良い気もするし、ちゃんと定番に乗っかった方が良い気もする。
 どうすれば錬金術士に喜んでもらえるか。
 頭を悩ませ揺れ動くお手伝いさんだった。

 *

 じゃぶじゃぶごしごし……。
 ふわふわな髪飾りにふわふわな白衣を着た錬金術士は慣れない手つきでゆっくり洗濯物と格闘中。

「手が冷たいー……」

 近所を流れる川は問題なく飲めるほどに清らかで透明感抜群。錬金の材料としてもよく使うし、こうして洗濯をするのにもよく利用するので大変助かっている。
 しかし季節にもよるが少し冷たいのが玉に瑕か。お手伝いさんは寒い冬の日もこうして手をかじかませながらも頑張って自分の服もまとめて洗濯してくれているのだと思うと、もう少し優しくしてあげたほうがいいのかと思えてくる。

「お手伝いくんまだかなー?」

 本当は今日もいつも通り洗濯当番を押し付けようと思っていた。
 しかし本日はホワイトデー。一月前にあげて喜んでくれたバレンタインのお返しがもらえる日。念のためお手伝いさんが忘れたりしないように、大きなうさ耳がよく似合う郵便ちゃんにそれとなくホワイトデーに関する噂を流すようにお願いしていた。

「頼むよーいぬねこちゃん……!」

 そして狙い通り、お手伝いさんはホワイトデーの準備を進めている。すぐ戻れるように準備が整ったらいぬねこに合図を出すように指示してあった。

「これでよしっと! あとは干すだけ……!」

 絞ったとはいえ水を吸って重くなった衣類を運ぶのは意外に重労働。ひ弱な自分には辛い仕事だ。
 冷たくて上手く動かせない手を必死に動かして次々と洗濯物を吊るす。本日は天気もいいのですぐに乾きそう。頑張って急いだ甲斐があって、間に合わせる事ができた。
 あとはいぬねこの合図を待って戻ればいい。

「おっ? いい匂いが……!」

 アトリエから香ばしい香りが。
 匂いに釣られるように見やると、窓からいぬねこがしきりに手足を動かしている。そういえばどういう合図にするか決めていなかったが、あれが合図なのだろう。
 まるでゼンマイ式のおもちゃのようだ。

「どんなのかなー……ワクワク。ただいまー!」

 期待に胸を膨らませて玄関をくぐると、ふわっと体を包み込む暖かくて優しい甘い香り。

「あ、先生! ナイスタイミングです。ちょうど焼き上がりましたよ」

 プレートの上に規則正しく並べられているクッキー。丸に四角に三角に。ハート、星、音符などバリエーション豊かな形が揃っていて見ているだけでも楽しくなってくる。

「バレンタインのお返しにクッキー焼いてみたんです。ジンジャークッキー。外は寒かったでしょう? これでも食べてあったまってください」
「食べてもいいのー?」
「どうぞどうぞ」

 お皿に移さずにそのままヒョイと。
 小さな口でも食べやすい大きさに揃えられていて、お手伝いさんの心遣いがうかがえる。おまけにジンジャーが冷えた体を温めて、川の水に奪われた体温をあっという間に取り戻していく。

「どうですか?」
「おいひー! あつっ……おいひー‼」

 出来立てのお菓子を食べることはよくあるが、不思議といつもより美味しく感じる。

「先生好みのお砂糖多めで甘くしてあります。あ、薄味のいぬねこちゃん用も用意してますから、冷めたら食べてみてください」
「おお、小生の分もあるのかい? これはかたじけないね。冷めたら頂こう」

 いぬねこは猫舌なので、錬金術士のように出来立てを食べることはできない。

「あれ、お手伝いくんの分はー?」
「バレンタインのお返しですから、ありませんよ。全部先生のために作ったんで食べちゃってください」

 お手伝いさんの言い分に、ふと疑問を抱いた錬金術士。美味しそうにジンジャークッキーを頬張りながらも問う。

「いぬねこちゃんの分はあるのに? 自分の分は無いの? いぬねこちゃんからバレンタインもらったの?」
「え⁈ えぇえっと……ひ、日頃の感謝ですよ! そう日頃の感謝! 色々とお世話になってますから!」

 胃薬とか……。と小さくボソッと極限までにボリュームを落として呟いた声を拾うことはできなかった錬金術士。

「でもやっぱりみんなで食べたほうが美味しいよ。お手伝いくん、はいアーン。ほら口開ける! アーン」
「あ、あーん……?」

 口の中に放り込んだクッキー。
 妙に恥ずかしそうな顔をして、でも美味しそうな顔で。

 みんなで食べれば3倍以上の美味しさになる。
 ホワイトデーの3倍返しとは、物じゃない。

 ……気持ちなんだ。

 お手伝いさんの心と優しさと気遣いがこもったクッキーを、ゆっくりと味わって、綺麗に平らげた錬金術士だった。
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