不老少女とふわふわたあめ

鶴亀七八

086 「出るから気を付けろよ」

 生きた心地がしないと言えばいいのだろうか。お手伝いさんは急斜面の滑走が終わっても体が浮き上がる感覚に襲われていた。

(僕は生きてるのか……? それとももう死んだのか?)

 平衡感覚を失いながらも、背面と後頭部に感じる固い感触から仰向けに寝転がっているであろうことだけは薄っすらと理解できた。彼の口から魂がぼんやりと抜け始めているのは、目の錯覚だと信じたい。

「おいコラ、クソ野郎。寝そべってんじゃねー。さっさと行くぞ」

 あれだけ激しい動きがあったにも関わらず、師匠はケロッとした様子で虫の息なお手伝いさんを足先で突く。

(大先生は本当に錬金術士なのか……?)

 普段接しているほんわかな方の錬金術士は運動不足もいいところで、少し動いただけで息が切れてしまうような軟弱者だ。
 事前にいぬねこから錬金術にも戦闘術にも長けた人だと聞いてはいたが、ハッキリ言って想像を軽く超越していた。

「置いていくぞ」
「わ、ちょっと待ってください!」

 慌てて立ち上がって、師匠の背中を追いかける。こんなところで一人置き去りにされたら、真っ暗闇の中で凍えてしまう。

「結構くだっちまったからな。ちょいと急ぐぞ」

 師匠は言葉通り、今まで以上の早足でどんどん先へと歩いて行ってしまう。お手伝いさんよりも歩幅が大きくて、駆け足気味について行かないとどんどん距離が空いていく。

「大体の場所は見当がついたんだ。さっさと見つけて連れて帰る。いーな?」
「……はい!」

 いぬねこを見つけて連れて帰れば、少なくとも錬金術士は安心するだろう。安心さえしてくれれば、いつも通り錬金術にも集中できるはず。
 そして集中して修行に励んでもらい、さっさと終わらせてもらってこんな山は降りてしまおう。

 今は、それに励む時だと思えた。

「この辺りは人喰いオオカミとか出るから気を付けろよ」

 師匠は「段差があるから気を付けろよ」くらいの気軽さで物騒なことを平然と言う。

「あのオオカミか……」
「なんだ、心当たりでもあんのか?」
「まぁ、一応」

 師匠のアトリエへ向かう道中で錬金術士と合流した時、今まさに襲わんとしていたところを間一髪で助けた。
 見るからに獰猛そうで、非常に飢えていたように見えたが……もしいぬねこがあのオオカミに見つかりでもしたら。

(どうなるかは簡単に想像できちゃうね……あまりしたくないけど)

 間違いなく一瞬でペロリだろう。

 それにお手伝いさんが追い払ったあのオオカミだけではなく、当然他にもたくさん生息しているはず。
 数多く存在する目をかいくぐるのは、動物的な要素があるいぬねこでも難しいだろう。ただ知識が豊富なだけの動いて喋るぬいぐるみのようなものなのだから。

「無事でいてくださいよ……いぬねこちゃん」

 天に祈るような重い気持ちを抱いたまま、軽やかに歩く師匠の後を追うのだった。

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