運命(さだめ)の迷宮

ノベルバユーザー173744

咲夜ちゃんは一つの楽譜を渡されました。

翌日、はるかに車イスを押してもらい、診察室に向かった咲夜さくやは、ドキドキする。
しかも、声楽を担当する二人の先生に、両親と姉の百合ゆりがいたのだ。
眼鏡を動かしたゆかりは、振り返り、

「大丈夫だったよ。体の中の傷は順調に回復しています。それと、子宮にも問題はありません。でも、声楽家になるには、咲夜ちゃんはかなり負担がかかるでしょう。長時間の曲……つまり、オペラの曲等はまだ歌うには無理です」
「足が……動かないからですか?」
「それもあるけれど、声楽家は全身で声を発する。舞台に一度立つ度に体重が数キロ落ちるんだ。それほど過酷な事をまだ咲夜ちゃんにはさせられない。医者として、これは認められない!!前回の『トスカ』や琴は、かなり無理をしたね?」

俯く咲夜に、紫が、

「あぁ、そうそう。知っている?この声楽家を」

CDを見せる。

「『岡本知高おかもとともたか』さんという、ソプラニスタなんだ」
「ソプラニスタ?」
「そう。景虎かげとら君はまだ10才だから、声が高い。でも、成長していくと私や遼のように声が低くなる。でも、ごくまれに、変声しない人がいて、その人をソプラニスタ……奇跡の歌声と言うんだ。この方のファーストアルバムが素晴らしくてね、二枚組で一枚目はオペラの曲や、アヴェ・マリア等もあって、二枚目が日本語の曲なんだよ。素晴らしい曲が多くて、多分……この曲は君が好きになると思うよ」
「『私の故郷ふるさと』……ですか?」

紫が楽譜を差し出す。

「解らなかったら先生に聞いてごらん。これを聞いて、歌えるように頑張ろうね?あぁ、出発は先生方のご希望通りで大丈夫です」
「ありがとうございます!!」

遼に押してもらいながら、楽譜を見ていた咲夜は、

「歌詞は読めますが、楽譜は……よく分かりません」
「歌ってみようか?」

担当になるりょうが、楽譜を見つつ歌い始める。

『瞳を閉じれば 聞こえてくる
母さん あなたの 子守唄が
大人になっても 遠く離れても
私の故郷ふるさと それはあなた

あんなに 遥かに 見えた空は
いつしか 懐かしい 記憶ばかり
そうして私を 今も呼んでる声
愛する故郷ふるさと それはあなた

歌って 下さい 私を抱いて
母さん あなたの 子守唄を
まどろむ 向こうに 甘い香りがする
私の故郷ふるさと それはあなた

(作詞:里乃塚玲央氏)』



歌い終わった亮が、咲夜を見ると、ボロボロと涙を流す。

「う、歌えません……母上に……親孝行もできず、その上、父上にも……もし、元の世界に……中条なかじょうの家に戻ったら……こんな私に、失望をすると思います……」

泣きじゃくる咲夜に、現在の父の圭吾けいごが、

「それはないよ。咲夜」
「で、も……」
「中条と何度か言っていたので、私なりに調べてみたら、中条藤資なかじょうふじすけ様と言うんじゃないかな?咲夜の父上は」
「は、い……」

圭吾が蓮花れんげから手渡されたハンカチで顔をふく。

「私だから、専門外ではあるけれど、藤資様はとても優れた武将で、上杉謙信うえすぎけんしん公の側近。重鎮として働いたとあったよ。そして、子煩悩。咲夜のことを失望なんてしないよ。きっと、采明あやめ実綱さねつなどのから事情を聴いて、失望するよりも、嘆かれる……可愛い娘が大ケガをしてしまったと、心配されるよ。お母さんも優しい人だったんでしょう?苦しくても、悲しくても、咲夜や妹弟を可愛がって育ててくれていたんだよね?」
「は、はい……」
「この歌はね?お母さんの優しさを思いつつ、大好きなお母さんへの感謝、そして離れていてもお母さんのことを思っているよって、伝える歌なんだ。お母さんと曲にはあるけれど、お父さんや家族への思いを伝えてほしいと願う歌でもあるんだよ。咲夜はとても怪我をしても我慢して、お父さんたちには笑顔だけど、体が痛いとか、嫌だってわがままいっても良いんだよ?お父さんたちは、家族だよ。怖かった、悲しい、苦しい、切ない……伝えてほしいんだ。采明は……我慢して、我慢して……何も言わずにいなくなってしまったから……」

圭吾の頬に伝う涙。

「も、もう!!いつもあなたは泣き虫なんだから!!咲夜が泣く前に泣いてどうするの!!」
「そういう蓮花も鼻声だよ」
「……采明が実明さねあきを必死に出産しているときに……ついていてあげたかった!!そして、采明は無理だったとしても、咲夜の怪我の身代わりになりたかった……」

涙ぐむ二人に、咲夜は……。

「お、お父さん、お母さん……お姉さんたちには一杯迷惑をかけてしまいます」
「迷惑じゃないよ!!」
「それどころか、あなたが一日一日元気になるのが、本当に本当に嬉しいの」

抱き締める蓮花に、そっと手を伸ばす。

「お母さん……。頑張って歌います。母上や父上、采明お姉さんに届きますように……そして、体は不自由になっても、この声を失わずにすんで……よかったです。院長先生が百合お姉さんにこの間レッスンされていた『恋は野の鳥』と言う言葉は、私にとっては『声は野の鳥』ですね。声は自由に飛び回ることができます。素晴らしい歌が歌えると嬉しいです。先生。頑張りますので、よろしくお願いいたします」

義理とはいえ母と父に抱き締められた咲夜は涙を見せつつ笑う。

「今日の、お父さんやお母さんに教わったことは、私にとっては、一つ勉強になったこと……忘れてはいけないことです。私には、中条景資なかじょうかげすけとして男のふりをして生き、今は柚須浦咲夜ゆすうらさくやとして女の子として、歌を歌って生きたいです。なので、先生も、沢山歌を教えてください」
「基本はまだ完全に良くなってからだけど、咲夜ちゃんはとても、言葉の理解力が優れているから、声の技巧を教えるからね?頑張ろう」

亮に頭を撫でられ、微笑んだのだった。



『心を伝える歌姫』
『愛情の妖精』

後の人々は、咲夜のことをそう読んだのだった。

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